ブンブン日記 2002年 1月

2002年1月31日(木)

最近、事務所に手伝いに来てくださる方が増えてきて、とても助かっている。同時に、県内8ヵ所で年賀会を開いて地域的に広がったこともあり、全体の陣容が大きくなって、様々な組織運営上の問題が出てきた。どんな組織でも、大きくなっていく過程で避けられない問題なのだろう。今後、組織はどんどん大きくなっていくので、走りながら改善すべきところは改善していくしかない。

 

2002年1月30日(水)

朝、起きて新聞を見たら、「田中外相更迭」の見出しが目に飛び込んできた。ようやく、決断したかという印象だ。しかし、テレビの報道ぶりを見ていると、今回の更迭劇に批判的な人が圧倒的に多い。有識者の間では、田中外相に問題があるというのはすでにコンセンサスになっているのだが、田中外相の人気は依然として根強いものがある。一つには、田中さんの主張が「分かりやすい」ためだとされる。田中さんの政治的嗅覚には天才的なものがあり、常に「悪者」と敵対しているという図式を作り上げる。今回のNGO参加問題では、鈴木宗男+外務官僚が悪者にされた。経済問題でも外交問題でも、解決しなければいけない問題が山積しているというのに、国を挙げて「悪者」退治に夢中になるのは病的である。我々はもっと複雑さに耐えなければならないのではないか。

 

2002年1月29日(火)

夜、年賀会の反省会と今後の取り組みを議論するために福井市内で全体会議を開く。総勢20人ほどになった。年賀会が終わったばかりなのと、選挙まで後1年余ということもあって、だんだん皆のボルテージが上がってきている。

 

2002年1月28日(月)

久しぶりに事務所で一日過ごす。しばらく、ニュースから遠ざかっているうちに、また、外務省がごたごたしている。「言った。言わない」の低レベルの話で呆れる。一体、この国はどこに行こうとしているのか。 野尻さんと一緒に田原町商店街の「ひのと」に食べに出かける。ここのかしわはとても美味しい。お勧めします。

 

2002年1月27日(日)

小浜市の年賀会。ホテルを出ると、海から吹きつける雨風が凄いのに驚いた。開催場所の小浜市文化センターに着いたら、「千と千尋の神隠し」の上映会と重なっていた。 何と、小浜市には映画館がないそうだ。年賀会には50名ほどの方がお見えになった が、顔ぶれがとても良く、大成功と呼べる内容だった。今後の広がりが期待できそうだ。とにかく、県内8ヵ所で年賀会を開くという当初の目的が達成できてほっとし た。福井市に戻り、自宅で「スラーリングラード」と「猿の惑星」を見る。

 

2002年1月26日(土)

敦賀市のサンピアで年賀会を開く。約70名の方がお見えになった。ほっとするのもつかの間、後片付けを済まして、総勢6人で小浜市に向かう。小浜市内の支持者の方と 「五味焼き」という焼肉屋さんに行く。久しぶりに食べる焼肉だったが、どれも絶品で大いに満足した。ホテルに戻り、6人でトランプ大会をした。「大貧民」を夜中までやって、大いに盛り上がった。

 

2002年1月25日(金)

支持者の方のご紹介で敦賀市内を回る。夜、南条町に向かい、後援会を立ち上げる会合に出席する。「高木ぶんどうを励ます会」を立ち上げることになった。敦賀市内のホテルに入ったときは、真夜中だった。

 

2002年1月24日(木)

午後、敦賀市から芦原町に戻り、支持者の会社の年賀会に出席して、講演と乾杯の音頭を取る。夜、敦賀市に戻り、敦賀半島の手之浦の山本旅館に泊まる。とても食べきれない量のご馳走が出てきた。

 

2002年1月23日(水)

大飯町の時岡さんのご紹介で、 「北朝鮮に拉致された日本人を救出する福井の会」の方々とお会いする。妹さんを拉致された(と思われる)濱本さんのお話を伺っていると、北朝鮮との関係には容易ならざるものがあるのが分かり、空恐ろしくなる。その後、三方町に向かう。水月湖の湖畔にある湖上館で昼食を取る。「真里さんのご紹介で女将さんをお願いします」とウェイトレスの若いお嬢さんにお願いしたら、「分かりました」と言って下がり、しばらくしてから、当のウェイトレスさんが、「私が女将です」と言って出てきたのには仰天した。鹿児島の方で、大阪でご主人と出会って、三方町に嫁いできたそうだ。夜、敦賀市に入り、気比の松原近くの民宿の「安田」に泊まる。波が打ち寄せる音が聞こえていた。

 

2002年1月22日(火)

福井県で唯一、国宝建造物に指定されている小浜の明通寺を訪れ、住職の中嶌哲円さんとお話する。小浜の歴史や人情について色々と伺う。午後、モラロジー研究所の小泉吉且さんにお会いし、モラロジーについてお伺いする。モラロジーについては聞いたことはあるが、詳しく勉強したことはない。モラロジーの創始者である廣池千九郎さんの伝記をいただき、ホテルで読む。

 

2002年1月21日(月)

従兄弟にあたる染色家の山口ちとせさんと小浜に向かう。お箸のメーカーである「兵左衛門」さんを訪れる。この不況の中でも、売上を着々と伸ばしているというから驚 く。ちとせさんによると、ここの最高級品のお箸を一度使うともう他のお箸を使えなくなるそうだ。それなのに、その最高級品のお箸の値段が2600円という割安感が売れる原因ではないかとのことだった。「うるしだるま」の柄本さんのお話を伺う。漆のかたまりから「だるま」を掘り出した合格だるまが全国から引き合いが来て、受験シーズンのいまは超多忙だそうだ。夜、小鯛の笹漬の田村長さんたちと飲む。小浜にも元気のいい人たちがいたのだとほっと安心する。

 

2002年1月20日(日)

大野地区の年賀会が有終会館で開かれた。大野地区の準備が最も遅れていたため、どれだけの方がお見えになるか心配だったが、「案ずるより産むがやすし」で、100名ほどの方がお見えになった。8割方が女性だったのも心強い。年賀会が終わった後の反省会が、文字通りの真面目な反省会だった。

 

2002年1月19日(土)

「新春の集い・明日の福井、奥越を考えよう」が開かれた。勝山時間があるそうで、開催時刻が予定より30分ほど遅れた。お見えになったのは90名ほどの方だったが、福井新聞の記者によると、「なかなかの方が見えてますね」ということだった。挨拶もさることながら、質疑応答が好評だった。また、この講演会を開催したことで、スタッフの間で結束力が生まれたのが大成果だった。会場で簡単な反省会をした後、大野市に向かう。有終会館で設営を行う。勝山会場を下見に来ていた前田さんが、質疑応答がとても良かったので、大野会場でも質疑応答をしたいということになった。

 

2002年1月18日(金)

午後より勝山市の地場産業センターで最終打ち合わせ。大勢のスタッフの方がお見えになっていて意を強くした。

 

2002年1月17日(木)

久しぶりに福井市の事務所で過ごす。カタリストをどう展開するかについての打ち合わせをしたり、出しそびれている手紙を書いていた。夜、武生市で年賀会の反省会が行われた。「魚ほか」に20名以上の方が集まった。大野地区を3日間歩いただけなのでに、「やせましたね」と言われた。選挙運動はダイエットにもいいということか。武生地区の年賀会が大成功だったので、意気が大変上がっている。少々、飲みすぎてしまったが、「忙中閑あり」の楽しい夜だった。

 

2002年1月16日(水)

朝、加藤あや子さんのご紹介で上庄地区で専業農家をされている建石正治さんの農場を訪れる。「上庄の里芋」というと、全国的にブランドが確立している数少ない県産品の一つだが、それなのに生産農家が食えないのはなぜかを考えて欲しいとのことだった。また、建石さんが国際農業交流協会のメンバーと聞いて、熊本県の田浦さんのことを思い出したら、昨年、亡くなったと聞いて驚いた。熱血漢だった田浦さんの思い出話になった。お昼に松平さんとエドと合流して、大野JCのメンバーと昼食を一緒にした。午後は、犬も歩けば棒に当たるで、次から次にいろいろな人をご紹介いただきながら過ごした。夜、年賀会の最終打ち合わせをしてから、福井市に戻った。

 

2002年1月15日(火)

民宿でお世話になった林沙代子さんに五箇公民館の堺井美千代さんをご紹介いただく。林さんは金津町から、堺井さんは福井市から大野の山奥に嫁いできたとのこと。そして、ムラを活性化しているのは、彼女たちのような「よそもの」の嫁さんなのだそうだ。地域を活性化するのは「よそ者、若者、馬鹿者」という私の持論が証明されたような格好で意を強くした。その後、大野市内、上庄地区と回った後、加 藤あや子さんの勧めで大野市内の扇屋旅館に泊まる。夕食を取りながら、おかみの山村さんから、大野市は自然を大切にして「癒し系」に徹するべきだというご持論を伺 う。また、これからは置物のような形に残るものは駄目、食べ物とか植物のように消えてなくなるものがいいというご説にもなるほどと思わされた。

 

2002年1月14日(月)

勝山の越前大仏で開かれたお茶会に参加する。冨士根さんのお母さんに誘われたもの。冨士根さん親子、下道さんと一緒にお茶をいただく。あわただしい時間の中で静かなひと時を過ごすのは心が落ち着いてとてもいい。その後、地場産業センターで勝山JCの直前理事長である中西浩介さんとお会いする。山岸市長となって、これまで眠っていた人が動き出したという印象を受けた。その後、わざわざ春江町から出かけてくれた笠松茂ご夫妻と合流して、大野市の勝原(かどはら)スキー場で民宿を経営している林小太郎さんのお宅に伺う。「仏法は自然の中にある」とおっしゃる奥様が豆腐からこんにゃくまですべて手作りで作った料理をご馳走になった。畑中・大野市会議員さんたちも駆けつけ、楽しい夕食となった。

 

2002年1月13日(日)

村上さんは、やはり、昨夜、夜中の12時まで電話をかけていたそうだ。当日、参加者の出足が遅く、村上さんの胃痛は10時15分位にピークに達したという。ところが、結果的に、出席者は230名と鯖江市を上回り、鯖江市に続いて大成功だった。しかも、ほとんどの方が最後まで残って、帰り際には、「今日は楽しかった」と言ってくれた。南条町のミニ集会に参加してくれた人も、多数出席してくれた。「年賀会のチケットを下さい」と、次から次に福山さんのお宅に来てくれたとのこと。まだ、微風ではあるが風が吹き出したのを感じる。自宅に戻って、久しぶりに「ダークエンジェル」を見る。

 

2002年1月12日(土)

鯖江市のサンドーム大会議室で鯖江地区の年賀会が開かれた。出席者は鯖江市長選挙の投票日の前日というのに220名と予想以上に多く、嬉しい驚きだった。他の場所と違って、会場設営から料理まですべて手作りの運営だったため、片付けが終わった後の打ち上げが非常に盛り上がった。福岡武幸実行委員長のリーダーシップの見事さである。年賀会の開催を明日に控えている武生市の村上幹夫さんが、「大変なプレッシャーだ」と青ざめて帰ったのが気にかかる。鯖江の実家に帰り、週末ごとに東京から駆けつけてくれている姉と久しぶりに夕食を一緒に食べる。母が本当に嬉しそうだった。村上さんは眠れたかな、と心配する。

 

2002年1月11日(金)

午前11時より事務局ミーティング。午後から鯖江市を回る。ちょうど、鯖江市長選挙の真っ最中で現職の辻市長の選挙カーを見かけた。午後5時45分より鯖江シティホテルで白崎弘隆さんとカタリスト第2号用の対談を収録する。午後7時、同ホテルで開かれた白崎コーポレーションの新年会に出席する。白崎コーポレーションの新年会に出席するのは4年目である。この不況の中で、社員の目が輝いている。戦略的な決断は自ら下しながら、日常的な会社運営は社員に任せて社内を活性化している白崎さんのリーダーシップには感心させられる。

 

2002年1月10日(木)

11時半から武生パレスホテルで武生地区年賀会の最終打ち合わせ。その後、村上さんと一緒に河野村に行く。河野村まではなかなか足を運べない。驚いたのは、ちょうど建設中の道が裏山をトンネルで突っ切って南条町の清水(私のふるさと)に出る予定だとのこと。福井県の中で孤島のようになっている南条町、今庄町、河野村にとっては、交通の便が良くなり朗報なのだが、ふるさとの山が無残に削り取られるのかと思うと胸が痛んだ。昨年から忘年会と年賀会が続いて疲労気味なので自宅に帰って休む。

 

2002年1月9日(水)

外国法事務弁護士として、どうしても断れない仕事があって、夕方まで弁護士の仕事をしていた。一つはアメリカにおける倒産案件で、もう一つはアメリカ企業との提携交渉案件である。アメリカはインターネット・サイトが充実しているので、裁判所に提出するための様々な書式を簡単にダウンロードできる。仕事をしながら、日本の役所も役所の書類をインターネットでダウンロードできるようにすれば、一般市民にとっての手間は相当省けると思った。夜、大野市の年賀会実行委員会に出席。もう、雪がかなり積もっていた。いつもの会場に入る前に、まず、除雪しないと入れなかった。実行委員会でも、1月20日が屋根の雪下ろしの日に当たると、自分たちも出席できなくなるという話が出た。来年からは、丹南地区と奥越地区の日程を逆にしなければならないかも知れない。

 

2002年1月8日(火)

朝9時に坂井地区の年賀会で私の挨拶を聞いて感動したという方が訪ねてきてくれた。しかも、便箋17枚にびっしり書いた手紙を持って…。今年は、例年にない反応がある。いままで届かなかったところに声が届き出したような感じがする。今までそこにあることすら分からなかった大きなかたまりと、何か不思議にコミュニケートでき始めたような気がする。周りが変わったせいなのか、自分が変わったせいなのかは分からない。突然、これまでにない力を与えられたことに感謝したい。

 

2002年1月7日(月)

夜、南条町東谷の福山貢さんのお宅でミニ集会が開かれた。生まれ故郷である南条町清水や東谷の人たちが私のことを知らないというので、福山さんの奥さんの高木真里さんと東谷の顔役の山本治さんが企画してくれたものである。40名以上の方が集まってくれた。高木真里さんの行動力に感心させられる。なぜ、政治を志すようになったか、福井県をどうしたらいいかという話をした後、質疑応答に入ったが、出てくる質問が生活に根ざした切実なものばかりで、いま、日本社会が混迷の極みにあるのが良く分かった。途中で、武生市から村上幹夫さん、大久保恵子さん、竹本加良子さんが駆けつけてくれた。中締めの後、幼馴染のお母さん方と話して、懐かしい時間を過ごした。ふるさとの人に暖かく受け入れられた嬉しい夜だった。

 

2002年1月6日(日)

1月最初の山である福井市の年賀会が開かれた。出席者は300名弱と、県内8ヵ所に分散した分、昨年を下回ったものの盛況だった。坂井地区でうまく動かなかったスライドショーもスムーズに動いた。肝心のスピーチは、坂井地区の年賀会が終わった後、もっとも厳しい注文をつけた平木さんが、真っ先に、「高木さん、最高だったよ」と言ってくれた。候補者はいつも支持者に厳しく評価されており、崖っぷちに立たされているようなものだ。何とか、及第点を取れてほっとした。会場で書いてもらったアンケートを見ると、「田園知識圏」に共感してくれた人が予想以上に多いのに勇気づけられた。年賀会の後、「チャイナテーブル」で打ち上げ。達成感と満足感で一杯の打ち上げになった。夜、鯖江市の(株)福岡で鯖江市年賀会の実行委員会。その後、鯖江の自宅に戻って、東京から駆けつけてくれた姉と話す。

 

2002年1月5日(土)

前日の会議で出された修正要求に応えるために、午後一杯を挨拶の手直しの当てる。午後4時から、松永さんに来てもらって意見交換する。午後6時にようやく修正バージョンが完成する。野尻真理さんとお嬢さんに来て貰って、それから500部コピーを取って、袋詰めする。夜7時から田原町の町内会新年会に出席する。思いがけず、お知り合いの方に出会い驚く。1時間ほどいて、退席。事務所に戻ると、まだ、皆、作業中だった。それでも、お陰で9時前にはすべての作業が終了した。手伝ってもらわなかったら、恐らく12時頃までかかっただろう。感謝!!自宅に戻って、明日の準備をする。

 

2002年1月4日(金)

坂井地区年賀会の日。10時にグランディア芳泉に到着。松本さんが作成したスライドショーのリハーサルを行うが、コンピュータが遅くて動かない。他に3台、ノートパソコンを持ってきてもらうが、いずれも、メモリー不足で駄目。福井会場までに何とか間に合わせることになった。1時半に開始。120名の方にご出席いただいた。昨年、坂井郡から年賀会にご出席いただいた方は40名だから、3倍に増えたことになる。芦原町の「ハハ」で実行委員会の打ち上げ。その後、事務所で挨拶についての再検討。修正箇所が何箇所か、出た。夜8時に事務所を出て、鯖江市の北中山小学校で行われている「座・夢つつじ」チームのヨサコイ・イッチョライの練習を見に行く。ついでに、ラポーゼ河和田の温泉に入ってきた。

 

2002年1月3日(木)

午後2時から事務局ミーティング。年賀会の挨拶について検討する。手直しが若干あって、夕方から配布資料や挨拶のコピー取り、袋詰を行う。夜10時頃にようやく準備が終わる。

 

2002年1月2日(水)

元旦2日目。朝、起きたら、一面の雪だった。事務所でメールをチェックし(沢山、メール、電子年賀状をいただきました。ありがとうございます)、お昼頃から精力的に年賀会回りを開始した。丸岡町から始めて、上志比村、越前町と回った。越前町では、知名度はゼロだろうと思っていたら、行く先々で、「高木さん、頑張ってくれ」と激励されて、大変、驚くと同時に勇気づけられた。越前町でこれほど知名度があるとは意外である。現状に対する絶望感から期待感が高まっているのかも知れない。夜、自宅に戻り、久しぶりに、お気に入りのビデオ「ダークエンジェル」を見る。続けて、麻薬撲滅の闘いを描いたTVシリーズを映画化した「トラフィック」を見る。

 

2002年1月1日(火)

新年、明けましておめでとうございます。本年こそは、勝負の年。まさしく、Do or Die の年です。これまで生きてきたすべてを賭けます。ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

午前11時に、南条町役場で開かれた年賀会に参加。その後、親戚の米野実さんのお宅にお邪魔して、いろいろ、ご馳走になる。福井に帰ってきて以来、恒例になってしまった。それから、鯖江の実家に行って、母と過ごす。1日中、おせち料理を食べて、満腹状態。夜、テレビをつけたら、「筋肉バトル!スポーツマンNo1決定戦」をやっていた。最初、馬鹿馬鹿しいと思って見ていたが、一流のスポーツマンのパワーに圧倒されて、最後まで見てしまった。これもまた良し。お正月。

 
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