ブンブン日記 2002年 2月

2002年2月28日(木)

お寺のお墓を修繕しなければならないので、久しぶりに母と食事をしてから、南条町のお墓に行って、「仏説阿弥陀経」をあげる。こうしないとお墓屋さんが「事故が起きる」と縁起をかついで直してくれないのだそうだ。夜、丸岡町の方と食事をする。

 

2002年2月27日(水)

午後4時、鯖江シティホテルで小浜市で「かつ時」と「アトムボーイ」を経営されている小泉吉且社長と「カタリスト」のための対談をする。政治と経済の基本は信用であり、信用の基本は人格である。いまの日本で必要なのは、信用回復であり、そのためには人格の陶冶に努めなければならないというお話だった。小泉社長ご自身が大変な人格者なので、とても説得力がある。夜、鯖江市で全体会議を行う。全県下から何と36人の方にお集まりいただいた。前回の選挙のときには、投票日の3ヶ月前になっても数人しか集まらなかった。4年間の努力が無駄でなかったという思いである。いや、というよりも、天の時が味方してくれているのが大きい。これに人の輪(和)が加われば、向かうところ敵なしとなる。

 

2002年2月26日(火)

夜、久しぶりに何の行事も入らなかった。誰か誘って飲みに行こうかなと一瞬思ったが、思いとどまって、家に帰って読書した。トニー・ブレア英首相のブレインと呼ばれているアンソニー・ギデンスの"The Third Way and its Critics"(「第三の道とその批判」)を読む。世界的なベストセラーになった"The Third Way"(「第三の道」)の続編である。アメリカ型の市場万能主義でも過保護の福祉国家でもない第三の中道政治とはどのようなものかという問いかけである。政治の役割が、所得分配から所得創造に変わったというメッセージには大賛成である。また、これまでのマテリアリズム(金と物の政治)からポストマテリアリズム(心の政治)に焦点を当てている点にも共感する。世界の政治の潮流はとっくに21世紀型に移っているのに、日本の国会審議を見ていると情けなくなる。世界のメディアもそろそろ日本を見放し始めたようだ。MSNで特集している。http://topics.msn.co.jp/home02.htm

 

2002年2月25日(月)

朝、グランディア芳泉から福井市に戻る。次々と外国法事務弁護士としての相談ごとが舞い込む。地方経済は確実にグローバリゼーションの波に巻き込まれている。以前と違って、東京を経由しないてやってくるので地方企業の対応力が問われている。そんなことを思っていたら、旧知の共同通信の土屋論説委員から、外国法事務弁護士としての仕事ぶりを取材したいと電話がかかってきた。土屋さんとは、外務省時代からのお付き合いである。最近の日本のマスコミの論調は安易に流れすぎると嘆いておられた。自宅に帰って、久しぶりにビデオを見る。ヒュー・グラント主演の「恋の3つのルール」。ニューヨークのオークション・ハウスで働くイギリス人青年がマフィアのお嬢さんと恋するという、とても品の良いコメディで気持ちよく笑えた。ドタバタ喜劇が嫌いな方にはおすすめです。

 

2002年2月24日(日)

福井市長選挙に出馬した柳沢みねおさんの出陣式に出席する。藤島高校の同級生を代表して応援演説をして欲しいということで、マイクを握った。午後4時から芦原町のグランディア芳泉で開かれた瀧が花運送の協力会であるターキー会で講演した。質疑応答が白熱して、時間切れになった。その後の懇親会でも、一人ひとりから切実な質問をぶつけられた。政治も経済も混迷を極めているので、皆さん、これまでのような通り一遍の話では満足しなくなっている。本音と本音のぶつかり合いを求めている。本当に良くなるのならば、一時的な痛みも辞さない覚悟がある。問題は、本当に良くなるという確信を持てないことだ。政治でも経済でも失われているのは信用であり、信用を回復することこそ日本活性化の鍵ではないか。

 

2002年2月23日(土)

敦賀市のプラザ万象で開かれた「英語でコミュニティ」に出席する。日米外語学院の先生方のご協力を得て開催したもので、30人ほどの方が参加された。ほとんどが30代から40代の主婦層で、英会話に対する関心の高さに驚いた。バブルが弾けた後、日本社会はすっかり内向きになってしまったと思っていたが、やはり、世界に対する関心は減っていなかったのだと安心した。こうした関心を表の政治経済の仕組みときちんと結びつけることが大事なのだろう。

 

2002年2月22日(金)

海外勤務経験者の集まりであるカイガイクラブに出席する。ほとんどが福井県庁と福井銀行の人だった。ユア―ズホテルで会費7000円という設定で開催したためだろう。会費を3000円程度に抑えて、Holly'sあたりで開催したら、参加者はもっと増えるのではないか。外国暮らしを経験した人は、本来、内なる「よそ者」を抱えカタリストであるべきなのに、「アメリカではこうだった」とか「香港ではこうだった」という「出羽の守(かみ)」になることを恐れて、必要以上に既存組織に同化しているのではないか。もう少し、内なる「よそ者」のカラーを出して欲しいものだ。

 

2002年2月21日(木)

小浜市に向かう。後援会長になっていただく内諾を得ている方に直接、お会いしてお願いするためである。ご快諾いただいた後、昼食をとりながら様々なお話をさせていただいた。その後、後援会事務局長(小浜地区)の会社にお邪魔して、今後の打ち合わせをさせていただき、近いうちに皆で獅子鍋を囲もうということになった。夕方、武生市で開かれた粋心会の例会に出席した。商工会議所青年部OB有志の会である。ユニフォームのブレザーまであるのには驚いた。全盛期には、市議会議員を8名出していたらしい。中川前知事の関係者もいて、中川知事のお話も伺った。中川知事の政策については納得できないところもあるが、政治家としてはなかなか魅力的な人物だったらしい。スイス銀行に口座があったというまことしやかな噂もあるが、それは全くのデタラメで、私生活ではいつもお金に困っていたそうだ。

 
2002年2月20日(水)

執行部メンバーを拡大して最初の執行部会が開かれた。これまで出された課題について、合宿してまで準備してきたこともあって、非常にスムーズに議事が運んだ。執行部の中に、新たに5つの委員会が作られ、担当者もすんなり決まった。これまでの事務局主導の運営から執行部主導にうまく切り替わりそうでホッとした。選挙体制が何とか整ってきたら、今度は肝心の政策が遅れがちなのが気になってきた。昨年、政策委員会を作ってみたものの、福祉委員会以外はまだ政策立案までたどり着いていない。あれもこれもやらなければいけないのは、ベンチャー企業と同じである。

 

2002年2月19日(火)

武生市の中条正次さんと村上幹夫さんのお世話で、武生市中新庄でミニ集会が開かれた。質疑応答のときに、兼業農家の方から、「5月の連休中の田植えでは、時期が早すぎて乳白米になりがちだ」とうかがったので、「それでは、田植えにもっともふさわしい時期に、福井県全体で『田植え休日』を設けたらどうか」と提案したら、「それはいい考えだ」と皆さんから笑顔がこぼれた。5月の連休は遊びに専念すれば、景気回復にも役立つし、遊びたい盛りの若者も田植えに参加しやすくなる。まず、県庁職員について「田植え休日」を認めて、県内企業にも協力を呼びかけたらどうだろうか。

 

2002年2月18日(月)

芦原町でスポーツ用品店を経営している八木秀雄さんのご紹介で、横浜FCのゼネラルマネジャーをされている奥寺康彦さんとお会いした。奥寺さんは、ドイツ強豪チームの主力選手として本場ヨーロッパで活躍した日本人初のプロサッカー選手である。セントピア芦原で一緒にお風呂に入ってから、八木さんの経営する居酒屋「ハハ」でゆっくりお話しさせていただいた。青少年教育で大切なことは、子供達が自分の好きなこと、やりたいことを見つけてやることだと、ご自身の経験を踏まえて仰っていた。奥寺さんと数時間話してみて、前から感じていたことだが、一流の人はとても素直な心の持ち主であるとあらためて感じた。素直な心だからこそ、多くの方から力をもらえるのだろう。飲んでるときに、お店にやってきたサッカーファンから声をかけられると、途端に「兄貴」の顔と話し方になった。

 

2002年2月17日(日)

昼、武生市の萬谷で開かれた水墨画の同好会である墨清会の新年会に出席。萬谷のある京町は武生市の中でも古い街並みが残っており、ガイドブックを手にした観光客らしき人が散歩していた。午後4時から、芦原町の「はいや松風園」で開かれた(株)福岡の協力会である福柳会の新年会・総会に出席。斎藤会長が挨拶で、聞いた話だがとしながら、「今年はホールインワンのような年だ」と言っていた。その心は、「パットしない」で「穴に入ってしまう」年なのだそうだ。うまいことを言う人がいるものだ。芦原町は、同時多発テロの影響で、相変わらず好景気が続いている。その一方で高級とされる旅館にあまり人気がなさそうなのが気にかかった。芦原町に泊まる。

 

2002年2月16日(土)

久しぶりに朝寝を楽しんだ後、午後、車で小浜に向かう。今年になってご縁をいただいた方に後援会(小浜地区)の事務局長になっていただくようお願いするためである。出会いのきっかけを作っていただいた方と小浜市内で合流して、一緒にお願いにうかがったところ、快くお引き受けいただいた。小浜市はなかなか拠点ができずに苦しんでいたところだが、年賀会の開催をきっかけに素晴らしい方に次々とお会いすることができた。天のご加護に感謝するばかりである。小浜から取って返して、夜、金津町で開かれた坂井地区選対企画部の会議に出席する。同じ時間に、福井市内では福井地区の選対会議が開かれた。ようやく、複数の地区で様々な動きが自発的に行われるようになった。まだまだ、前途多難だが、確実に気運が上向いてきたのを感じる。

 

2002年2月15日(金)

お昼、鯖江ロータリークラブで卓話をする。 終わった後、出席者の一人から、「話を聞いていて、中川知事を思い出した。凛とした声ではっきり物を言っていた」と言われた。褒めていただいたのだと受け取って、素直に喜んだ。夜7時から、南条町の中央公民館で「高木ぶんどうを励ます会」の発足会が開かれた。100名以上の方がお見えになった。いつもの通り、30分ほど話してから質疑応答になったが、答えに窮する鋭い質問ばかり出された。いじめようということではなくて、それだけ、政治に対する期待感が高まっているのだろう。政治には、夢のあるビジョンと同時に、現実的で具体的な解決策を求めている。本当のリーダーシップが求められていると痛感した。その後、米野さんのお宅で中心メンバーが集まって反省会を開いた。前途に大変な戦いが待っているという予感を持った。

 

2002年2月14日(木)

バレンタイン・デー。義理チョコを3つ貰った。4年前に福井に戻ってくるまで、ニューヨークに8年もいたため、女性からチョコを貰うとあれっと思ってしまう。というのは、アメリカでは通常、男性が女性に花を贈るからである。バレンタイン・デーになると、突然、街角に花屋が沢山現れて、家路を急ぐ男性が法外な値段のバラの花を買っていく。グランドセントラル駅から郊外に向かう列車の中は、バラの花束を抱えた男性であふれている。これと比べると、日本の女性は気の毒ですね。僕が女性だったら、バレンタイン・デーに会社に行くのは憂鬱になる。実際、上司や同僚の物欲しげな視線がうっとうしいと言って、会社を休む女性もいるようだ。もっとも、チョコをきっかけにロマンスに発展する場合もあるようだから、ものは考えようだ。

 

2002年2月13日(水)

朝から吹雪く小浜を後にして、福井市に戻る。夜、福井市大和田の吉田秀尾さん宅で開かれた吉田塾に出席する。吉田さんは福井県の青年団活動と婦人運動の草分け的な方で、95歳とは思えないかくしゃくとした素敵な女性である。お会いするのは3度目だが、いつも、その歯に衣着せぬ鋭い舌鋒と、一人ひとりに対する気配りの細やかさに感心させられる。田中敏幸県会議員より市町村合併について発表があった後、皆で意見交換した。市町村合併についての議論はいつも盛り上がらない。市町村合併を進めている総務省の本音が、議員べらしと役場の職員べらしにあるのが透けて見えるため、何のために合併する必要があるのか住民に得心がいかない。議論は、住民の自治意識を高めるにはどうすべきかという点にまで発展した。

 

2002年2月12日(火)

小浜に向かう。今庄付近までは、あまり雪が降っていなかったのに、敦賀に入る頃になって吹雪いてきた。小浜は予想以上に積もっていた。年賀会にご出席いただいた方にお礼の挨拶に回り、小浜に泊まる。

 

2002年2月11日(月)

朝、起きたら一面の銀世界。今年は暖冬なのでもう降らないのかなと思っていたら、そうはいかなかった。雪国で育ったためか、雪が降ると、なぜか嬉しい。生活は不便になるのだが、雪で学校が休校になった子供の頃のはしゃいだ気分が残っているのかも知れない。オリンピックを見たり、本を読んだりして、のんびり過ごす。モーグルで銅メダルを取った里谷選手の集中力は素晴らしい。のんびりした性格の里谷選手の持ち味をうまく活かしているコーチも大したものだ。いつの間にか、スポーツ界も経済界も外国人が指導することに抵抗がなくなってきたようだ。

 

2002年2月10日(日)

朝から全部で5つのイベントをこなした多忙な一日だった。まず、朝10時から昼まで勝山市の鹿谷で開かれた「雪祭り」に服部静子さんのご案内で参加する。例年は雪の中で行う文字通りの雪祭りだそうだが、今年は快晴の天気に恵まれた。続いて、鯖江市の文化の館で開かれた「津軽三味線と二胡のコンサート」に来賓として出席。途中で抜け出して、鯖江市下新庄で開かれた壮年会の新年会に出席。自宅にちょっと立ち寄ってから、南条町清水の区長さんのお宅に挨拶にうかがう。それから、福井市にとんぼ返りして、野尻さんの事務所で開かれた福井市年賀会の反省会に出席した。毎日、こんな調子だと体がもたないが、こんな風に声がかかるようになってきたのは本当に有難い。

 

2002年2月9日(土)

昨日に引き続いて、集中討議。朝の8時から午後4時までほとんどノン・ストップで集中的に議論した甲斐があって、検討課題をほとんどクリアすることができた。しかし、全員、疲れ切って、帰りの車の中は皆寝ていた。

 

2002年2月8日(金)

全体会議や執行部会で出された課題について集中討議するために、事務局のメンバーと和泉村で合宿する。後援会組織の位置づけ、選対本部の組織のあり方などについて議論を重ねる。夕食は皆で鍋を囲む。

 

2002年2月7日(木)

午後、花を栽培している永平寺町の吉田通治さんを訪ねる。道に迷って電話をしたら、突然切れたので、おかしいなと思っていたら、もう隣に車で来てくれていた。お宅にお邪魔したら、通された部屋が暑いと感じるほど暖かくなっていた。「ああ、待っていてくださったのだ」と胸が熱くなった。「なるほど、なるほど」と話を聞いているうちにあっという間に2時間がたった。それから車を飛ばして、勝山市のデュエットで開かれた年賀会の反省会に出席する。ご年配の方から政治のあり方、選挙のあり方について正鵠を得た発言が相次いで、出席者一同、深く感銘を受ける。政治に無関心なのではない。時代や社会が変わってしまっているのに、相も変わらず、的外れの議論をしている政治に愛想が尽きたのだ。おかしいと感じていることに真っ当に取り組んでいくことこそ、政治の役割なのだということを痛感した。

 

2002年2月6日(水)

夜、2002年に入って初めての執行部会を開く。執行部メンバーの拡大、執行部の運営方法など、重要な議題ばかりだったが、どの議題についても、次から次にすんなり決まった。これまでは、事務局主導で運営してきたが、これからは徐々に全体の運動のエンジン部に当たる執行部主導に切り替わっていけば理想的である。様々な問題があるし、今後も出てくると思われるが、解決できるところから、一つひとつ解決していくしかない。

 

2002年2月5日(火)

先週から、事務所に南条町の米野さんと寺尾さん来てもらっている。米野さんは私の義理の兄に当たる。お陰で、たまっていた新聞の切り抜きが片付いたほか、事務所の整理整頓もできるようになり、とても助かっている。夜、事務局ミーティング。その後、スレッドに飲みに行く。偶然、福井キャノンの玉木社長がいらっしゃった。明日から経済同友会のメンバーと一緒にベトナムとタイに行くのだという。久しぶりに深酒をしてしまう。

 

2002年2月4日(月)

恒例の文堂塾。「おけら牧場」の山崎一之さんに狂牛病の話をしてもらう。狂牛病の原因としては、@羊のスクレイピーの感染、A牛の突然変異説、があるがよく分からないらしい。いずれにせよ、変異プリオンが肉骨粉を介した「共食い」により広がっているということだそうだ。気になる牛肉の安全性については、牛肉により狂牛病が感染することはまず考えられないということだった。山崎さんの話で考えさせられたのは、狂牛病そのものよりも、「食」全般の安全性が危うくなっているということだ。コシヒカリ51%でもコシヒカリとして認められるとか、国産大豆が5%でも「国産大豆使用」と表示できるとか、農産品の情報開示は滅茶苦茶である。生活の基本となる食のことなのだから、工業製品や金融商品以上の情報開示の正確さと違反した場合の罰則の厳しさが求められるのではないか。農業問題については、もっと、もっと勉強する必要があると痛感した。

ところで、田中外相更迭問題について、横山一郎さんから鳥越俊太郎さんのサイトが面白いとメールが寄せられたのでご紹介しておきたい。鳥越さんもおっしゃっているが、「見ている人は見ているのだな」という印象である。

http://www.1101.com/torigoe/2002-02-04.html

 

2002年2月3日(日)

朝10時、福井市長選挙に出馬する柳沢みねおさんの事務所開きに出席する。柳沢さんは藤島高校時代の同級生である。挨拶で、「昨年暮に出馬表明して以来、きびしい戦いを強いられてきた」とおっしゃっていたが、その通りだと思う。選挙活動は孤独な戦いである。最初は誰も助けてくれない。織田信長が桶狭間で戦ったときは、信長が一人で馬に乗って駆け出していったと聞く。同じく政治を志す人間として柳沢さんには頑張ってもらいたい。午後4時から、越前町厨の金龍で開かれた異業種交流会「五月会」の新年会で講演する。その後の懇親会の料理が圧巻だった。まさにカニづくし。浜の旅館だから食べられる新鮮な海の幸だった。星がきれいな夜だった。

 

2002年2月2日(土)

大須賀技建で恒例の餅つき大会。あまり信じてもらえないと思うが、餅つきは子供の頃からしているので得意な方である。といっても、運動不足なので2臼ついたところでやめておいた。夜、金津町の牧田さんの事務所で年賀会の反省会をする。皆で材料を買い込んで鍋を囲んだので1500円ですんだ。雰囲気もなごむし、安上がりでいい。これから坂井地区はこの方式でいくことになった。

 

2002年2月1日(金)

川口新外相が誕生した。というよりは、緒方さんが外相を辞退したという印象だ。田中外相更迭の余震は続いている。ひょっとすると、今年中にも総選挙があるかも知れないと思えてきた。ところで、このままだと、「言った。言わない」の真相はうやむやになりそうなので、この事件の背景分析としてもっとも当たっていると思われる元通産官僚の八幡和郎氏の説をご紹介しておきたい。

「NGO出席問題は外務省の勇み足だろう。 鈴木氏の意見はあったかも知れないが むしろ外務省の担当部局が大西氏の発言を失礼だと思ったのでないか。 たしかに一緒に仕事をやる仲間だとすれば非礼なところはあるが、 出席拒否は大人げないのであり、これは外務省のチョンボ。 ところが、これをみた田中外相は外務官僚に反撃のチャンスとばかりに 『野上次官から鈴木宗男の名前を聞いた』とやった。 ところが自分ではそんなことをいっていない野上次官は『俺はそんなことをいってない』 と当然に反論する (この種の思い違いは真紀子さんにとっては日常茶判事だと以前から聞く)。 ところが、なんとなく世論はこんどは支持してそうだとみた真紀子さんは 深追いをして予算委員会まで止めてしまったので、小泉さんがついにきれたのだろう。 」

八幡和郎氏のサイトはこちらです⇒http://www.yawata48.com/news/273.htm
 
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