ブンブン日記 2002年 3月

2002年3月31日(日)

鯖江市のサンドームで開催された北陸トラックの創立30周年記念事業で講演する。「やればできる」という話をしたのだが、水島社長から同社のモットーが「できる、できる、必ずできる」と聞いて驚いた。午後、翌日から始まる市町村見聞録に備えて、南条町入りする。まず、山本順一先生にご挨拶に伺う。山本先生は、私の少年時代の主治医であり、同級生のお父さんである。いつ、お会いしても、まるで父親のような優しさで接してくださる。その後、米野さんのお宅にお邪魔して夕食をご馳走になる。そのまま米野さんのお宅に泊まる。

 

2002年3月30日(土)

小浜地区後援会の準備会合出席のため、事務所メンバーと私の3人で小浜に向かう。車の中で翌日の講演のために用意した原稿を読み上げていたら、「チーズはどこに消えた」の話も入れたらどうかという話になったので、敦賀市のカボスで急きょ、買い込んで、交代で朗読しながら小浜市に向かった。小浜市では用意万端整っていて感激した。9時半頃お開きになってから、また、3人で福井市に戻った。

 

2002年3月29日(金)

ようやく直りかけていたギックリ腰が悪化して、一日中、身動きが取れなくなってしまった。朝方、あぐらをかいてコンピュータに向かったあと、電気カーペットの上であお向けになってうとうとしたのが良くなかった。腰に負担をかけたうえに暖めたため、まわりの筋肉がゆるんで、また、背骨がずれたのだそうだ。経営品質賞の表彰式に出席するのを楽しみにしてたのに、自宅でじっと静養していなければならなくなった。誠に申し訳ありません。31日に北陸トラックの創立30周年記念事業に招かれていて、700人の前で講演しなければならない。責任重大で、何を話そうか考えながら、一日、過ごした。

 

2002年3月28日(木)

丸岡町の後援会を立ち上げるための初顔合わせの会合を開いた。これまで、点と点の関係で私とつながっていた方々が一堂に会して、ばらばらだった点と点がつながった。皆さん、この顔ぶれならできるという自信を得たようでほっとした。これから、こうして各地でどんどん後援会を立ち上げていかなければならない。

 

2002年3月27日(水)

加藤紘一議員の個人口座に資金管理団体から9000万円振り込まれていたことが分かった。加藤議員はもう駄目だろう。議員辞職どころか、これで政治生命が完全に絶たれたのではないか。加藤議員が自民党幹事長の頃、大蔵省の不祥事に際して、大蔵官僚を評して、「ワル(悪)ぶりを競うところがある」と言っていたが、「政界のプリンス」と言われた当のご本人が、総理になるにはワルにならなければならないと、なれもしないワルになろうとして墓穴を掘ったという感じである。加藤議員にとって気の毒なのは、総理の座に手が届こうとしたその瞬間に、政治のルールが根底から変わってしまったことだ。考えてみれば、この変化こそ最大の構造改革かも知れない。いまだに政治の役割は中央からカネをぶん取ってくることだと考えている政治家はこれからどんどん淘汰されていくだろう。

 

2002年3月26日(火)

社民党の辻元清美議員がついに辞職した。15分21秒の記者会見から伝わってくることは、実は辻元議員は何も知らなかったのではないかということである。喩えて言えば、辻元議員は土井プロダクションに発掘された新人タレントで、マネージャーの指示通りにタレント活動していたが、実際にプロダクションがどう運営されているかは知らなかった。実態を知らなかったからこそ、当初、記者会見で否定したのだが、プロダクション側と充分打ち合わせをしないままに、テレビ出演しているうちに、どんどん矛盾が出てきた。このまま放っておくと、プロダクション全体に疑惑が波及する恐れが出てきたので、慌てて「トカゲのしっぽきり」されたという感じではないか。今回の騒動で、辻元議員は人間社会の不条理さと政治の怖さを垣間見たのではないか。彼女にはぜひ復活してもらいたいし、必ず、復活するだろう。彼女がどう変貌していくか楽しみだ。

 

2002年3月25日(月)

朝、起きて腰が変だなと思っていたら、しばらくして、まったく動けなくなった。どうもギックリ腰になったらしい。20年前にも一度、アラブ首長国連邦に在勤中になった。あの時は、首都のアブダビから300キロ離れたシャルジャという首長国で柔道を教えていた日本人の先生のところまで車で行って直してもらった。今回は、時々、鍼治療でお世話になっている武生市の柿谷リバースに行ったら、「横になって寝ていませんか」と聞かれた。昨年9月に引っ越したときから、本を詰めた段ボール箱がどこにも入らないので、段ボール箱の上に布団を敷いて寝ているのだが、それがいけないのか知れない。

 

2002年3月24日(日)

社民党の辻元清美議員が追い込まれている。他人の名義を借りて、政策秘書に支給される給料の大半を自分の事務所に入れていたという話だが、企業からの政治献金をあまり望めない野党ではよくある話のようだ。鈴木宗男議員や加藤紘一議員と一緒にされるのは、本人にとっては不本意であろうが、やはり、「政治とカネ」にまつわる問題である。おりしも、福井県では吉岡秀雄県会議員が公職選挙法違反で辞職した。こちらは、昨年の参議院選挙の際に、「よろしくお願いします」という文書を配ったというだけの公職選挙法違反である。実際に政治活動をしている立場から言うと、「政治とカネ」についてのルールである政治資金規正法も、「選挙のやり方」についてのルールである公職選挙法も、実態からかけ離れた悪法である。党利党略を越えた立場から、この2つの問題に正面から取り組まないと日本の政治は本当におかしくなる。

 

2002年3月23日(土)

事務所で「ブンブン日記」を書いていたら、東京で「励ます会」を立ち上げてくれた世田谷美術館の川口幸也さんが、突然、訪ねてきた。大阪へ来たついでに福井に立ち寄ったのだという。そこへ、前日、対談した堀川さんがぶらっと立ち寄ったので、街づくりのあり方についての意見交換になった。川口さんによれば、街の賑わいに必要なのは、その街独特の「匂い」なのだという。確かに、村の祭りにつきものなのは、お好み焼きや今川焼きの匂いである。街から「匂い」を奪ったのは、コンビニであり、サランラップだという話にはなるほどと思わせる説得力があった。

 

2002年3月22日(金)

朝7時33分の新幹線で戻って、お昼に武生市のラピュタで開かれた「あすなろ会」(武生市後援会)の会議に出席する。4月1日から始める「ぶんどうの市町村見聞録」(別名:100日巡業)の打ち合わせをする。4時から福井市のSOCO22で堀川秀樹さんとカタリストの対談をする。片町で個性的な居酒屋を次々と立ち上げている堀川さんは福井市街地活性化の旗手的存在である。効率性を追い求めた郊外型の街づくりは没個性的で、結果的に地域間競争に負けることになるという。福井市周辺には5つも大学があり、15000人もの大学生がいるのに学生の姿をちっとも見かけないのは学生街がないからだ。学生街を作るためには、学生に店を出させるのが一番だと、県立大学のゼミに通って、学生を口説いているというから恐れ入る。彼こそカタリスト(時代精神の触媒としての変革者)である。同時に若者たちのメンター(良き先輩)でもある。「よそ者、若者、馬鹿者が地域を活性化する」と常々言っているのだが、最近の若者は人との関わり方を知らないので、周りに化学反応を起こせない。若者をカタリストにするには、堀川さんのようなメンター的カタリストがいるのだなぁと実感した。夜、鯖江市の発起人会議に出席して、鯖江の実家に泊まる。

 

2002年3月21日(木)

朝方まで飲んでいたので、グロッキー状態で夕方までホテルでのんびり休んでいた。夜、息子の雄基と待ち合わせて、合格祝いの食事に行く。息子と2人きりで食べて飲むのは初めてである。「いつか、そんな日が来たらいいな」と思っていたが、思いのほか早く、そんな日が来た。一浪してようやく大学に合格してほっとしたせいもあるのだろう。随分、素直に話を聞いてくれた。息子を送ってから、アメリカの弁護士時代の後輩のシンディのマンションで開かれていたホームパーティに顔を出す。20代後半から30代前半の若者の集まりだった。働き盛り、遊び盛りの彼らの話は聞いているだけで楽しい。自分はこの頃、何をしていたかなと少し感傷的になる。

 

20023月20日(水)

東京の外苑前で開かれた「高木ぶんどうを励ます会」に出席した。高校時代の友人が中心になって企画してくれたものである。30年ぶりに再会する級友もいて、大変、懐かしく、楽しい会になった。主催者は当初、20人来るかどうかと心配していたが、結局、25人の方がお見えになった。さらに、嬉しい誤算は、ほとんどの人が2次会、3次会と残ってくれたことだ。と言っても、12時過ぎると電車がなくなってしまうので、郊外に住んでいる人は帰れなくなる。結局、朝4時半まで飲んでいて、朝5時の始発の電車で皆、帰って行った。業種はそれぞれ異なるが、一様にデフレ不況の影響を受けている。東京は不況知らずのような印象を持っていたが、今回は不況の深刻さを痛感させられた。どうして、こうなってしまったのだろう。

 

2002年3月19日(火)

広報用ツールのための写真撮影をする。年賀会が終わって反動で太ったのと、最近、ちょっと疲れ気味なので写真は撮りたくなかったのだが、時間がないということで押し切られた。昨年作った顔半分のポスターが不評で、前回の選挙のときに作ったポスターの笑顔がいいから、あの顔をしてくれと言われても、もう、できない。自分の顔でも一瞬たりとも同じでないことに気がつく。つまり、自分自身も自然の一部であって、刻一刻と移り変わっているわけだ。「仏道を習うというは自己を習うなり」という道元の言葉はこのことを言っているのだろうか。

 

2002年3月18日(月)

夜、福井市内で開かれた藤島発展会で「宰相 岡田啓介の生涯」の著者である上坂紀夫さんの「二二六事件」の話を聞く。岡田啓介は二二六事件に巻き込まれた総理大臣だが、福井県が輩出した唯一の総理大臣である。迫水(さこみず)秘書官と福田書記官の機転で岡田総理が奇跡的に難を逃れた話を興味深く聞いた。ところで、迫水秘書官は終戦時に昭和天皇に聖断を仰いだ鈴木貫太郎内閣で書記官長(現在の官房長官)を務められた方だが、戦後、全国区から参議院議員になられた。全国区だから、福井県でも迫水さんの後援会があり、その後援会長を務められたのが、私の現在の後援会長である野坂鐵郎さんのお父様であるから、ご縁というのはどこでどうつながるか分からない。

 

2002年3月17日(日)

お墓の修理が終わったので、母と一緒にお墓に出かける。一緒に鯖江の実家を出たはずのに、なかなか母の車が着かない。携帯に鯖江の実家の着信履歴があったので、実家に電話すると母が、「車の鍵をどこに置いたか思い出せないのよ。お母さんもいよいよボケてきたわ」と恥ずかしそうに出てきた。仕様がないので、一人でお経をあげてきた。お墓参りが終わってから、南条町東大道の「ふれあいセンター」で開かれた道友会主催の後援会で「いまどきの社会情勢」と題して講演する。2月15日の南条町後援会立ち上げの際に話した内容が難しすぎると不評だったので、とにかく、分かりやすく話すようにした。鈴木宗男氏や加藤紘一氏の疑惑もあって、これまでのように国からお金をぶんどってくる自民党的政治手法はだんだん通用しなくなるということは前回よりも分かってもらえたようだ。

 

2002年3月16日(土)

アマゾン・コムで注文していた"The Power of Myth"(「神話の力」)ビデオ6巻が届いたので、早速、自宅で見る。アメリカでテレビ放送されて、大変、話題になったもので、本にもなっている。スターウォーズを作ったジョージ・ルーカスに大きな影響を与えた神話研究家のジョセフ・キャンベルが、旧約聖書や古事記など世界各地に伝わる神話や儀式が伝えようとしているものについて、様々な角度から語っている。ジョセフ・キャンベルによれば、神話が究極的に伝えようとしているものは、"Experience to be alive"(生かされているという実感)なのだという。日本の神道や禅についても多く言及している。このビデオを見ると、様々な神話や宗教が比喩(メタファー)を通じて実は同じことを伝えようとしているのがよく分かる。宗教的対立は比喩そのものにこだわり過ぎて、比喩が伝えようとしている言葉にできないものを見ようとしないためだという。古事記を読みたくなった。

 

2002年3月15日(金)

島根県安来市から政治家志望のKさん(38)がやってきた。インターネットの検索エンジンでこのホームページを探し出し、生身の私に会って、選挙はどうやればいいのか見学しに来たのである。「地盤も看板もカバンもない」という共通項で私に親近感を感じたらしい。私と松平事務局長の2人で2時間ほど話してから、せっかくの機会なので、夜に南条町で開かれた後援会の支部役員と集落幹事の会合に出てもらった。また、その後の懇親会にも出てもらった。何がどう勉強になったかは分からないが、「とても勉強になりました」と仰っていた。おりしも、鈴木宗男が自民党を離党した。これからは、ああいう古い自民党タイプの政治家にはご退場いただき、Kさんのような理想に燃える青年にどんどん政治の世界に飛び込んでもらいたいものだ。

 

2002年3月14日(木)

朝7時半から小浜市の後援会幹部の方と朝食会。日程の調整上、全員が集まれるのが早朝だけだったので、朝食会になった。途中で失礼して福井市に戻って、支持者の方と昼食を取る。鈴木宗男の疑惑をきっかけに、「政と官のあり方」が見直され出した。議院内閣制はイギリスの制度を見習ったもので、いわゆるシビリアン・コントロールとは、専門家の官僚を選挙で選ばれた素人の政治家が大臣としてコントロールするというものである。行政がどんどん複雑になってきて、大臣一人ではとても眼が届かないので、複数の政治家が行政官として役所に入るようになってきている。本来は立法に専念すべき議員がどんどん行政に介入している日本の現状は異常である。この点が改革されるとすれば、これこそ本当の政治改革になる。議員内閣制について考えてみたい方は、ウォルター・バジョット著「イギリス憲政論」(中央公論社「世界の名著」所収)のご一読をお勧めします。

 

2002年3月13日(水)

午後、小浜市に向かう。4時にお箸の「せいわ」を訪れ、木越社長とお会いした。ちょうど、観光バスが来たところだったので、会社に隣接しているショールームは女性の買い物客でごったがえしていた。木越社長はアイデアのかたまりのような人だ。現在の売れ筋商品は知能が好くなるという「六角知能ばし」で全国の幼稚園から注文が殺到しているという。五角形の「当確(2つで十角)ばし」も、一時期、議員センセイから大口の注文が来たと仰っていた。夜、「小浜を思考する会」(別称:区長OB会)で「どうなる日本」と題する講演を行う。57名の方がお見えになった。3年前の知事選挙のとき、個人演説会にお見えになったのがたった2人だったことを思うと、お世話していただいた方に頭が下がる。本当に有難うございます。

 

2002年3月12日(火)

朝から勝山市に向かう。下道さん、冨士根さん、服部さんに色々とご案内いただく。だんだん、陽気が春めいてきた。福井市に戻る途中、田んぼ道から川原に乗り込んで、車を停めて川面を眺めていたら、気持ちよくて眠ってしまった。夜、福井市に戻ったら、事務所のスタッフが誕生日パーティを開いてくれた。「ぶんどう物語」の大韓航空機撃墜事件のところは、漢字が多くて読みにくいと言われた。よほど注意していないと難しくなってしまう。運動不足ぎみなので、お開きになってからリライムに行って泳ぐ。サウナの中でTVニュースを見ていたら、相変わらず、鈴木宗男の話をやっている。もう、この人は駄目だろう。国会議員の仕事は本来、法律を作ることであって、行政に口利きすることではない。行政への口利きができなくなると、国会議員になろうとする人種も変わってくるのではないか。

 

2002年3月11日(月)

夜、武生市の織物卸商共同組合の会合で話をする。最近は、もっぱらデフレ不況の話をしている。デフレ不況の原因には大きく分けて2つある。一つは、冷戦が終わって、中国を代表とする旧東側諸国の経済が急成長していること。もう一つは、バブル崩壊によるバランスシート調整がいまだに続いていて、総需要が減っていることである。「日本経済の罠」によれば、これに加えて、不況債権処理が先送りされているために、銀行の意向次第でどこがつぶれても不思議ではないと、経済主体間の相互不信が広がり、経済取引が縮小しているという。ちょっと難しい話だったが、好評だったので安心した。

 

2002年3月10日(日)

神明神社で開かれた福井名醸会主催の「しぼりたて新酒と越前おろしそばを楽しむ会」に出席する。100名ほどの方がお見えになっていた。福井県には本当においしいお酒があると思うのだが、どこの県でもそうなのだろうか。それとも、やはり、持ち前の宣伝下手で知られていないだけなのだろうか。夕方から、鯖江市で開かれた後援会の発起人会に出席する。組織としては、まだまだだが、核となる方々が少しずつ出てきたのがとてもありがたい。

 

2002年3月9日(土)

8年前に別れた前妻と一緒に暮らしている息子の雄基から突然、携帯に電話がかかってきた。2週間ほど前にも電話がかかってきて、「アメリカに留学したいから資金援助して欲しい」と言ってきた。「自分で働いてお金をためなさい」と言ったらブチンと切れたので、「今度は何だ」と思っていたら、弾んだ声で「大学に合格した」という。初めて名前を聞く大学だったが、とにかく、良かった。どうしたものかと思い悩んでいたので、ほっとした。「色々、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」と言われた。息子にこんなことを言われたのは、生まれて初めてである。そういう気持ちになってくれたのが嬉しい。出世などしなくていい。とにかく、自立して、幸せになって欲しい。親の切なる願いである。

 

2002年3月8日(金)

福井市内の順化小学校でソニーのAIBOの説明会が開かれた。生徒のご父兄の横山一郎さんのご紹介によるものだる。私は横山さんにメールでお誘いを受けた。体育館に集まってきた小学生を見て、同じ学年なのに体格にばらつきがあるなぁと思っていたら、これで全校生徒なのだという。体育館の3分の1も埋まっていない。これじゃあ、私が通っていた南日野村の国華小学校の方がはるかに児童数が多い。さらに驚いたのは、これでも越境入学している生徒が大勢いるのだという。福井市中心市街地のドーナッツ現象が進んでいると聞いていたが、これほどとは思わなかった。夜、鯖江の當田屋で開かれた会合に出席する。久しぶりに3次会まで付き合ったら、午前様になった。鯖江の実家に泊まる。

 

2002年3月7日(木)

ここしばらく事務所に閉じこもりがちだったので、積極的に歩く。飛び込みでも、人は会ってくれる。直接、お会いしてお話を伺うと、違った風景が見えてくる。改革は、まず、自分自身が既成概念にとらわれていることに気づくことから始まるのではないか。そのためには、まず、行動してみることだ。分かりきっていることなのだが、つい、あれこれ考えて、行動が鈍ってしまう。自分自身との戦いである。

 

2002年3月6日(水)

ピュアライオンズクラブ(女性のライオンズクラブ)の主催で、「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」の映画会がユーアイ福井で開かれた。ガイアシンフォニーについては、これまでも読んだり、聞いたりしているが、実は、ガイアシンフォニーの第一番を観るのは、今回が初めてである。地球は生命体であり、我々はその一部であるというメッセージを色々な人の体験を通して語りかけてくる。すべて感動的なのだが、なかでも、宇宙飛行士のラッセル・シュワイカートがアポロ9号の乗組員として宇宙遊泳しながら地球を眺めていたとき、「自分自身が地球であり、地球が自分の姿を見るために、自分がここに浮かんでいるんだ」と感じたという言葉はすっと自分の中に入ってきた。

 

2002年3月5日(火)

武生市内の病院に入院している村上幹夫さんのお見舞いに行く。ちょうどお昼時だったので、主治医の笠原章さんと3人で一緒に食事をする。私は持参のお弁当を食べた。午後から、カタリストの対談原稿が上がってきたので、校正する。最近、こういう知的生産の仕事を手伝ってくれる人が出てきてくれたので、とても助かっている。本当に有難うございます。こうした相乗効果もあってか、ようやく、昨年から課題の「ぶんどう物語」の執筆に打ち込めるようになってきた。ホームページにアップするようになったせいもあるのだろう。どうも一人で黙々と書き進めるのは苦手だ。この「ブンブン日記」と同じで、読んでくれる人がいないと書き続けられない。正直な話、日記が1ヵ月以上続いたのは今回が初めてである。

 

2002年3月4日(月)

早朝、カタリストの表紙の写真を撮るために、久しぶりに駅前で街頭演説をした。福井市長選挙と混同されると思って、しばらく街頭演説を控えていたが、またぼちぼち再開しようと思う。街頭演説を終わって、撮影の人たちとミスター・ドーナッツで朝食を取る。事務所であれこれ雑務を処理しながら一日過ごす。本当は、いつも新しい人と会っているのが理想的なのだが、時々、書き物をしたりしないと頭を整理できない。しかし、事務所にいても人と会っているか、電話の応対に追われているかので、結局、事務所にいない方がいいのかも知れない。

 

2002年3月3日(日)

福井市長選挙で現職の酒井哲夫市長が3選された。投票率は41%と低かった。春山小学校に投票に出かけたら、我々しかいなかった。最初から最後まで盛り上がらない選挙だった。これをどう見るか。実際に選挙を一度経験した立場から言えることは、日本の選挙は恐ろしく非効率で、勝敗はどれだけ候補者のために口コミしてくれる人間がいるかで決まる。だからこそ、個人演説会や決起集会に必死に動員するのだ。「草の根」選挙が強いと言われるが、ある意味で、選挙はすべて「草の根」で戦われる。今回の福井市長選挙が盛り上がらなかったのは、酒井市長の「草の根」に対抗する他の2人の候補者の「草の根」が弱すぎたためとも言える。「対立」が身近に感じられない選挙はどうしても盛り上がらない。落選した柳沢さんの気持ちは痛いほどよく分かる。福井新聞によれば、「市民は改革を望まなかった」と敗戦の弁を語ったようだが、実は福井市民は改革を望んでいるのである。本人には辛いと思うが、改革に賭ける意気込みが浸透しなかったと考えたい。選挙は、自分自身の人間観、社会観との戦いでもある。多くの人に共感される人間観、社会観に深めていきたいと自分自身を戒めている。

 

2002年3月2日(土)

経済産業省の若手が書いた「日本経済の罠」がようやく増刷されて書店に並ぶようになったので、買ってきて読み出す。この本は、日本経済新聞・図書賞を受賞して以来、全国的に売り切れになっていたものである。確かに出色の出来である。需給ギャップに注目するケインズ型総需要政策論と供給サイドの効率化を進めようとする構造改革論について、実にうまく説明しているだけでなく、2つの政策を両立させるための具体的な政策プロセスを提案している。 自分より10歳以上若い人たちの中から、こういう優秀な人たちが出てきたのだなぁという感慨がある。頼もしいと思うと同時に、ぼやぼやしているんじゃないよ、と煽られているようだ。

 

2002年3月1日(金)

もう3月になってしまった。時間がたつのが本当に早い。一日、一日を大切にしないと、何もできないままに時間が過ぎていく。幸い、1月に年賀会を県内8ヵ所で開催したので、その貯金が効いている。効果がなくならないうちに、次々に形にしていかなければならない。

 
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