ブンブン日記 2002年 6月

6月30日(日)

大久保京子さんと大野市泉町を自転車で回る。2時間ほど回ったら、にわか雨に降られたので、御清水(おしょうず)会館で雨宿りする。御清水会館は市営の無料の休憩所である。観光地にはこうした配慮も必要だなと感心した。雨が上がった後、また再開。夕方近くまで回って終わりにした。自宅に戻って、Wカップの決勝戦を見る。前半、ドイツに押され気味だったが、後半に入ってロナウドが2ゴールを決めた。一瞬 のスキを得点に結びつけるブラジルのサッカーは芸術的だ。ドイツのGKカーンがゴールポストからずっと離れなかったのが印象的だった。

 

6月29日(土)

スペシャルオリンピックスの説明会が県民会館で開かれたので出席する。スペシャル オリンピクスとは知的発達障害のある人たちのオリンピックで、細川元総理の奥様の 細川佳代子さんが会長をされている。開会前、受付で談笑されている細川さんにご挨拶したら、一瞬絶句されて、「いま、ここにいるの!てっきり、アメリカあたりにいると思っていた」とびっくりされていた。細川元総理(元熊本県知事)ご夫妻には、10年以上も前に熊本県に出向した当時、公私ともに本当にお世話になった。細川佳代子さんはスポーツ万能のうえに、話をしても、歌っても、何でもできるスーパーレディである。それでいて、あけっぴろげで、気さくな性格なので誰にでも好かれる。 スペシャルオリンピックスについてのお話も感動的で分かりやすい内容だった。「ナ ンバーワンを決めるのでなく、一人ひとりがオンリーワンであることを確認するスペ シャルオリンピックスは日本社会のゆがんだ価値観を変えることができる」「政治家や経済界のお偉方では日本は変えられない。日本を変えるのは一人ひとりの市民です」「誰もやらないから私がやっているんです」。大変なパッションとミッションを感じた。

 

6月28日(金)

大野市の若いお母さん方と話をする。驚いたことに、大野市には産婦人科も小児科のお医者さんもいないのだそうだ。そのため妊娠すると福井市内の病院まで通うのだという。県政相談の機会に県職員に訴えたところ、「勝山病院に行ってください」と言われたそうだ。「それもそうだな」と思っていたら、「男の人には『車の中では産みたくない』という女の気持ちは分からない」と言われた。「いくら市や県の人に言っても、男の人には分からない」「男の人は経済の話ばっかりで、もっとこまごまとし た話をちゃんと聞いて欲しい」。なるほど、いまの政治は「こまごまとした話」を聞 いていないのか。いや、公共工事の口利きなど男同士の「こまごまとした話」は聞いているのだが、女性の「こまごまとした話」は聞いていないということなのだろう。 自分の発想も所詮、男社会の発想だと反省させられた。

 

6月27日(木)

大野市は分かりにくい。その理由の一つは、福井市側から入っていくと、市街地中心部に行くのに大野城がある亀山をぐるっと迂回しなければならないからだ。そのため、位置関係がなかなかつかめない。今回、大野市を自転車で走り回って、ようやく全体の位置関係が分かるようになった。こうした事情から大野市では、市長選挙のたびに亀山にトンネルを掘って市街地中心部に直接アクセスできる道路を作ろうという 亀山トンネル案をめぐって市が二分される。これまでは、亀山トンネル案に反対している現職の天谷市長が勝利を収めている。個人的には、アクセスが良ければ人が集まるという発想にはあまり賛成できない。金沢市の中心市街地へのアクセスも悪いが、金沢には多くの人が集まる。駐車場やアクセスの良さだけでは人は集まらない。中心市街地の魅力をどうやって高めるかという発想が必要ではないか。

 

6月26日(水)

終日、大野市を自転車で回る。反応は不思議なほど良い。前回の選挙で回ったことを覚えてくれている人も多い。自分で言うのもおこがましいが、「待ってました」とい う感じである。6月15日に行なわれた大野市長選挙の結果も微妙に市の雰囲気に影響を及ぼしている。現職の天谷市長が圧倒的な強さで再選されると思われていたのが、あわやという予想外の接戦になった。外野から見れば、天谷市長に対する反対票が予想外に多かったと見えるが、市内の選挙通はまったく異なる見方をしている。投票日直前に「天谷支持」を鮮明にした某有力者に対する反対票なのだという。政治の世界は複雑怪奇である。

 

6月25日(火)

朝、福井県議会に立ち寄ったら、美浜町選出の池田俊男議員に出会った。「昨日、美浜町を回ったそうだね。」と話し掛けられたので「もうそんな話が伝わっているのですか。」と聞いたら、「地元の話はすぐ伝わる。役場の用務員室まで挨拶に行ったと皆感心していたよ。」と言われた。歩いていても暖簾に腕押しのような気がしていたが、案外、情報は早く伝わるものだなと思った。大野市には入り、大野市役所を回る。お昼休みだったのでロビーのソファで待っていたら、「あら、ぶんどうさん」と畑中大野市市議会議長に声を掛けられた。大野市役所を回っても、幾先々で頑張ってくださいと励まされた。大野市ではまだまだ知られていないと思ったが、結構知名度があるのでホッとした。

 

6月24日(月)

美浜町を回る。小浜市から小河さんが駆けつけてくれ、総勢4人の自転車部隊になっ た。曇り空で涼しい気候だった。美浜町にはあまり来たことがなく、その分、知名度 も低かった。知名度を上げるのは本当に難しい。歩いていると、世の中の7〜8割の人 がほとんど活字を読まないということが実感として分かる。TVのワイドショーが大き な影響力を持っているのはこのためだ。当面、TVに出られないということになると、 結局、こうして歩いていくしか方法がない。夜、慶秀さんのお宅に泊まる。9月から2年間、イギリスの高校に留学予定のお嬢さんに自分の体験から高校留学のあれこれを話した。

 

6月23日(日)

朝5時起床。朝6時から恒例の土手刈りをする。鯖江の実家の裏を流れている浅水川の土手を村総出で刈る。僕が出ないと72歳の母が出ることになるので、何があっても出ざるを得ない。実家近くの橋のたもとから刈り出す。最初、3人で刈っていたので、 気が遠くなりそうだった。1時間ほど経って一服してから、向こう側から刈り出した主流派が合流したので、あっという間に終わった。やはり、力を合わせると大変な力 を発揮することを実感する。シャワーを浴びてから2時間ほど仮眠を取って、敦賀に 戻る。アルプラザとポートンで街頭演説をする。焼肉食堂園で焼肉を食べてから、宮 川さん宅に泊まる。

 

6月22日(土)

福井市から敦賀市に戻り、駅前商店街を自転車で回る。土曜日だというのに、シャッターが閉まっているお店が多いのに驚いた。午後2時からプラザ万象で「第2回英語で コミュニティ」に参加。慶秀さんの奥さんに企画してもらったもので、日米外語学院の協力を得て行なわれた。30名ほどの人が参加した。皆さん、英語で話すと人格が変わったようにどんどん意見が出る。不思議な現象だ。その後、「とんとん拍子」で懇親会を開く。待合室で韓国がPK戦でスペインに勝つのを見る。鯖江の実家に戻る。

 

6月21日(金)

早起きして、敦賀市の魚市場と野菜市場に行った。野菜市場で出会ったおばちゃんたちが、「あんた、ちょっと、何とかしてや。この間、テレビの『クローズアップ現代』見てびっくりしたわ。世界中が脱原発なのに、なんで福井県だけが原発作らなあかんのや」「原発作ってやるさけ、道路作ってくれとか、あれ作ってくれとか、さもしいこと言わんといて欲しいわ」と言っていた。敦賀市を歩いていると、敦賀原電3,4号機増設という「業界の常識」とは別の「市民の常識」があることに気づかされる。問題は、政治や経済が「市民の常識」ではなく、「業界の常識」で動いていることだ。「業界の常識」ではなく「市民の常識」で行われる政治を実現することが、本当の政治改革ではないのか。夜、フクビ化学の社長に就任した八木誠一郎さんのサプライズパーティに出席する。友人のエド・ミラーさんが発起人として企画したものだ。、サプライズパーティは、本人をびっくりさせようというもので、なかなか秘密を守るのが難しいのだが、今回は本人が最後まで気づかなかったらしい。福井経済界に新しい波が起きつつあることを感じさせる素晴らしい夜になった。

 

6月20日(木)

三方町を自転車で回る。10時頃、小泉会長と小河事務局長がまたもや車に自転車を積んで駆けつけてくれた。三方町を回って驚いたのは、会う女性、会う女性がみな美しいということ。美人率というものがあるならば、三方町は文句なしに福井県ナンバーワンである。これは僕だけでなく、一緒に回った3人が一様に感心していた。ところで、三方町は梅の産地でもある。しかし、悲しいことに、三方の梅は「紀州の梅」と して売られるのだという。何とか、福井県のブランド力を高めて、「三方の梅」として十分通用するようにしなければならない。夜、鯖江市の壮年会連絡協議会に出席。 それから、トンボ帰りして、宮川さんのお宅に泊まる。

 

6月19日(水)

早朝、慶秀さんと敦賀インターで待ち合わせて、終日、自転車で敦賀市内の商店街を回る。11時ごろ、突然、小河さんから、「ブンさん、いま、どこにいる」と電話がかかってきた。何事かと思ったら、小浜から自転車を車に乗せて駆けつけてくれたのだった。まさに勇気百倍。2人とも途端に元気になった。この日、420人にお会いする ことができた。慶秀さんのお宅に泊まる。

 

6月18日(火)

敦賀巡業1日目。敦賀地区が立ち遅れているので、小浜市からわざわざ小泉会長と小河事務局長が敦賀市まで同行してくれた。慶秀さんの会社で打ち合わせをした後、敦賀市役所と嶺南振興局を回った。役所回りにも小泉会長と小河事務局にはなばなしく 同行していただき、大変恐縮した。役所回りを終えた後、やはりサッカーが気になって、テレビ観戦する。トルコに1点先制されたところで、福井市に向かう。名刺が切れかけていたので、事務所で補充してから久しぶりに自宅に帰る。

 

6月17日(月)

若狭巡業最後の日。小浜市役所や嶺南振興局など役所を中心に回ったこともあって、640名の方とお会いすることができた。これは運動会回りを除けば、これまでの最高記録である。当初、若狭巡業で1000名を達成するのは難しいと思っていたが、小泉会長と小河事務局長の獅子奮迅のご尽力で、何と1982名の方にお会いできた。また、若狭地域の実情や課題についての理解も深めることができた。素晴らしい巡業だった。若狭の皆さん、本当に有難うございました。

 

6月16日(日)

福井組を見送った後、小浜市内を自転車で回る。旧市街を回っているうちに、昔の遊郭の界隈に紛れ込み、美しい芸妓さんたちと会った。小浜市ではいまだに「置屋」 が3軒残っているそうだ。若い芸者さんたちも結構いるそうだが、ほとんどが嶺北からやってきた女性たちだというから驚く。8時間走り回って、へとへとになった。小河さんのお宅に戻って、裏庭で小河さんとバスケットをする。

 

6月15日(土)

昼、ママストアーの前で街頭演説をする。全体会議に出席するため、福井県中から集まってくれた仲間たちが一緒に立ってくれた。ハリカの2階で若狭ブロック後援会の発会式をすませた後、同じ会場で全体会議を行なった。その後、皆で名田庄村の流星館に向かった。もう4年近く、政治活動をしているが、これまで泊り込んで飲んだことがなかった。ユーモアたっぷりの自己紹介で爆笑が続き、カラオケで大いに盛り上がった。中締めをした後、外に出て蛍を見に行った。久しぶりに見る蛍は幻想的で美 しかった。

 

6月14日(金)

名田庄村を回る。名田庄村は京都に近く、陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明を祖とする安倍有宜が都より応仁の乱の戦禍を避けるために3代約100年間住んだといわれている。名田庄村役場を表敬訪問した後、小泉会長、小河事務局長ご夫妻と一緒に自転車で回った。夕方6時、福井市から妻と長谷川なおみさんが駆けつけ、小河さんのお宅で開かれたバーベキューに参加する。大いに盛り上がって、久しぶりに深夜まで飲む。

 

6月13日(木)

上中町を回る。滋賀県に最も近い熊川宿は、昔から京都に通じる鯖街道一の宿場町として栄えたという。景観条例による規制のためか、街並みも家の造りも昔のまま保存されており、熊川宿を歩いていると一時代前にタイムスリップしたような錯覚に襲われる。おりしも、この日、小浜市の「働く婦人の家」で「新線実現住民の会」主催による「鉄道新線をめぐる現状と期待」と題する講演会が開かれた。鉄道新線というのは、上中町と滋賀県の今津町を結ぶ20キロほどの鉄道のことである。明治26年に鉄道 敷設の計画が持ち上がって以来、いまだに実現できていない。若狭地方は陸の孤島と言われるほど交通の便が悪く、東京や大阪に出るときは、まず、県境を越えて今津町まで車で行き、そこからJR湖西線を利用しなければならない。原発が15もあるのに嶺南は冷遇されていると思うようになるのも無理はない。いま、嶺北では京福線の存続問題が大きな関心を集めているが、嶺南には今津・上中新線鉄道(「リゾート新線」とも呼ばれる)建設という大きな政治課題がある。

 

6月12日(水)

朝7時半に大飯町の27号線の交差点で街頭演説をする。大飯原発に向かう関西電力のバスの数に大飯町の置かれた現実を見た。街頭演説後、小河さんの会社の大飯町支店に立ち寄り、コンピュータを見てもらった。電話の設定をパルスからトーンに変えただけでつながり、ようやくブンブン日記を送ることができた。その後、本郷地区を歩いて大飯町役場を訪れる。原発のお金で潤っているのか、どこもかしこも素晴らしい公共建築物だらけである。関西電力の職員団地に行ったら、美人で気立ての良さそうな若いお母さんたちが大勢いた。案内してくれた土地の人によれば、年頃の娘さんを持つ親御さんたちは関西電力の社員と結婚させたがるそうだ。佐分利地区を車で回ってから、大島半島の先にある大島地区を自転車で回る。海沿いを自転車で風を切って走り、街並みや漁船に人影をみかけると、立ち止まって話し掛けた。同じ大飯町とは思えない牧歌的で美しい地域だった。

 

6月11日(火)

早起きしてブンブン日記を書いたが送信できない。小河さんの奥さんによると、この辺でPHSが入るのは小浜駅周辺だけだという。高浜町を自転車で回る。午後からどしゃぶりの雨になる。雨の中、小学校の頃、家族と一緒に海水浴に行った和田海水浴場に行く。海水浴場の隣に漁港を作ったために、海流が変わって砂浜が埋まるので、毎年、砂を運ぶために3000万円出費しているそうだ。小河さんのお宅で夕食をご馳走 になって、ダイヤルネットワークの設定を変えてみるが、うまくつながらない。この日記を送信できるのはいつのことになるやら。

 

6月10日(月)

福井地区最後の日。清水町を自転車で回る。案の定、ほとんどの家が留守だった。も ともと、清水町は福井市のベッドタウンとして知られている。途中、丸岡町の山下さんから花岡さんが入院したとの知らせが入り、急遽、お見舞いに行った。本人は何ともないと仰っていたが心配だ。夜、ミニ集会。冒頭の酒井さんと内田さんの挨拶を聞 いて、どういう福井県を創りたいかという理念が共有されつつあると感じた。9時半 にミニ集会を終えてから、小浜に向かう。11時半に小河さんのご自宅に到着。周到な日程が冊子になっていたので仰天した。12時半就寝。

 

6月9日(日)

武生国際音楽祭が開幕した。2時から武生文化センターで行なわれたガラコンサートを聞きに行った。今年のテーマは「ベートーベンとベルク」。ピアニストの伊藤恵さんが、ベートーベンの音楽は、「人類全体に語りかける宇宙の響き」と表現していたのに「なるほど」と感心した。午後6時から、100日巡業の1日早い福井地区打ち上げが福井市内で行なわれた。福井市の皆さんのお陰でこの20日間で5000人の方にお会いできた。どうも有難うございました。8時過ぎになると、みな、Wカップのロシア戦が気になりだしたのでお開きになった。自宅に帰って、ロシア戦を見る。稲本のゴールには、思わず「やった」と叫んだ。もしやと思っていたが、本当に勝ってくれた。理屈よりも行動。そして、勝利が何よりも自信を生む。

 

6月8日(土)

妻の亡父の49日に出席するため、早朝、車で大阪に向かう。7時半に家を出て、途中、買物をしながら、11時頃着いた。福井は暑いと思っていたが、大阪はもっと暑 かった。大阪に比べると福井はまだ涼しい。お昼を食べて3時に大阪を出て、福井に向かう。飛ばしに飛ばして、5時半に自宅に着いた。それから、6時から芦原町の中央公民館で開かれた「教育問題についてのシンポジウム」に参加した。福井大学の氏家さんが、授業中に小渕総理について聞いたところ、5人の学生が続けて知らなかったので愕然としたと仰っていたが、教育現場ではとんでもないことが起きているよう だ。

 

6月7日(金)

永平寺町を自転車で回る。今年一番の暑さだったので、結構、きつかった。何より、どの家を訪ねても留守なのが一番参った。要するに、完全に福井市のベッドタウン化しているわけだ。「越前竹人形の里」を訪れた。2代目の師田さんに案内していただいたが、竹人形の製作工場そのものがガラス張りになっているなど、随所に様々な工夫がなされていた。補助金などの公的補助をまったく受けずに、私企業でこれだけの観光スポットを育て上げたのは驚嘆に値する。今年は道元の750回忌に当たり、永平寺帰りの観光客で賑わっているとのことだった。永平寺にも寄ってみた。観光客で ごった返していた。土産物屋を覗いて気がついたのは、「永平寺そば」や「永平寺ごまどうふ」など「永平寺」を冠したものが多いことで、考えてみれば、「永平寺」ブ ランドは「福井」ブランドよりもはるかに認知度が高い。「永平寺」ブランドを全面的に押し出すのも手かななどと考えた。

 

6月6日(木)

福井市内の明倫地区を回る。高校時代の同級生に手伝ってもらった。だんだん暑くなるので、一緒に回ってもらう人に気の毒だ。夜、板垣の生活改善センターでミニ集会を開く。その後、高校時代の同級生たちと飲みに出る。

 

6月5日(水)

美山町を自転車で回る。坂道を上がったり下がったりしたので、4時間ほどでヘトヘ トになった。美山町の人口は5500人というから、生まれ故郷の南条町と同じくらいの大きさだ。回ってみてお会いした美山町の皆さんはどなたも優しい人ばかりで、この点でも南条町と似ている。夜、清水正一さんが主催する未来塾に招かれて話した。美山町は林業の町であり、何とか林業再生の道を考えて欲しいという声が上がった。いま、各地の学校校舎が建て替えの時期を迎えており、昔のように木造にしたら県産材 の需要が上がるのではないか。もっとも、少子化で廃校も増えている。美山町では、かつて6校あった小学校のうち、3校までが過疎化と少子化で廃校になったのだという。問題は山積している。

 

6月4日(火)

福井クレストの福井健二さんのご案内で森田地区を回る。森田地区だけでなく海沿いの鷹巣まで車を飛ばして案内していただいた。夜、久しぶりに執行部会議に出る。会議中、突然、「やった。一点入った」という声があがる。携帯に友人からメールが入ったのだという。Wカップの日本対ベルギーの試合が行なわれている最中なので、しばらく、会議がそっちのけになる。しかし、さすがにみな大人で、すぐ、会議の本題に戻る。執行部会議が終わった後、2対2の引き分けになったことを知る。自宅に帰って、見逃した鈴木と稲本のゴールシーンを見る。前回のWカップの時と比べると、日本代表チームが格段にうまくなっている。次のロシア戦が楽しみだ。

 

6月3日(月)

3週間ほど休みなしで歩き回っていたので、1日休息を取った。たまっていたURALAやカタリストの原稿を書きながら1日過ごした。原稿を書く合間にスカパーでワールドカップの予選の試合を見ていた。おかげで気にかかっていた原稿をすべて片付けて気が楽になった。

 

6月2日(日)

朝、7月に控えた武生市議会選挙に向けて大久保恵子さんの事務所開きに出席した。4年間、武生市議会のたった一人の女性議員として八面六臂の活躍をしてきた大久保恵子さんの再選が危ないのだという。大久保さんの活動を評価していても、実際の投票行動では地縁や血縁など様々なしがらみの中で違う人に投票してしまうのだそうだ。 こうした選挙のやり方をいつまでも続けていたら福井県は永遠に変われない。新しい政治の風を起こすためにも大久保恵子さんにはどうしても勝ってもらいたい。お昼時に和田中の区民体育会を回って、650人の人と握手する。午後、福井商工会議所で開 かれていた第6回福井市民会議を覗く。「市民参加をどうやってデザインするか」という興味深いテーマだった。確かに市民参加をお題目のように唱えていても市民参加は一向に進まない。新しいパブリックを構築すべきだという主張には大賛成である。夜、光明寺でミニ集会を開く。聴衆の中に2人ほど異様な雰囲気の人がいたが、途中で帰ってしまった。いわゆるスパイの人のようだ。今後、こうした人がどんどん増え てくるのだろう。

 

6月1日(土)

福井市の田原町商店街、呉服町商店街を回る。4年前に回ったことを覚えてくれている人が結構いた。夜、鯖江市のサンドームで鯖江地区後援会の青年部が企画した「高木文堂と語ろう会」が開かれた。60人ほどの若者が集まったが、主催者側の思惑より人数が少なかったようで「2、3回と会を重ねる中でもっと増やしていきたい」とリベンジを誓っていた。一緒に運動してくれる20代の若者が少しずつ増えてきている。 彼らがだんだん頼もしくなっていくのを見ると、「おやじと付き合うのも(彼らに とって)悪くないのかも知れない」と思えてくる。宇宙人扱いしないでおやじの側から積極的に若者に関わっていくことが必要なのかも知れない。

 
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