ブンブン日記 2002年 7月

7月31日(水)

感奮フォーラム最終日。無血革命である明治維新は、幕末の志士達が感性人間であるがゆえにできた奇蹟だという。「少年の心を持った融通無碍の政治家になれ」と行徳先生に励まされた。打ち上げで「これから、高木文堂の堂をDOに変える。高木文堂は高木文DOになる」と挨拶して、拍手喝采を浴びた。終了後、熱海から東京に向かう。新橋で開かれていたNY総領事館経済班のOB会に1時間ほど遅れて参加。、当時のメンバーの結束が固く、外務省、経済産業省、国土交通省、農林水産省、JETROなどから全員が参加した。

 

7月30日(火)

感奮フォーラム2日目。現代人の恐るべき病とは、理性と知性に頼りすぎて感受性が微弱になっていることだという。行徳先生が参加者一人ひとりと全人的に関わりながら、瞬間的に理性の殻をこなごなに砕いていく。感性を媒介として、禅の悟りの境地を実際に体験するとでも言おうか。言葉ではうまく表現できない。というよりも、本質的に真理は言語化できない。夜までに、参加者全員が何とか山頂にたどり着くことができた。

 

7月29日(月)

行徳哲男先生が開いている感奮フォーラムに参加するため箱根に行く。ゴルフの青木勲さんやテニスの松岡修三さんが開眼したと言われている伝説的なセミナーである。今回は14名が参加。柔道をベースとした新しい格闘技J-DOの創始者池田さんが同室になった。行徳先生はものすごい迫力だ。魂から吐き出される言葉が刃物のように突き刺さってくる。初日は午前1時半終了。

 

7月28日(日)

勝山市のサンプラザ、新鮮館、かじ惣で街頭演説。福井市から8人の応援部隊が駆けつけた。3時から地場産業センターでミニ集会。60代、70代の人から本質をついた真剣な質問が次々に出される。農業問題の話になると、なかなかいい解決策がみつからない。夜、デュエットで懇親会。その後、鹿谷の服部さんのお店に出かけてから帰宅。

 
7月27日(土)

日中、敦賀市のポートンとアルプラザで3回にわたって街頭演説した。妻が乗り込んだブンブンカーのバッテリーが上がって到着が遅れたので、小浜から駆けつけた小河さんの奥さんにブンブン着ぐるみを着てもらった。「おなかの部分がもっと膨らんだ方がいいと思って」と手回し良く持参していただいたクッションを、早速、お腹に巻いてもらったが、さぞ暑かったことでしょう。街頭演説をしている僕も、時々、暑さで頭がぼーっとした。夕方から鯖江市の福岡さんの会社で開かれた恒例の納涼祭に参加する。毎年、700名ほどの方がお見えになるという。ブンブンコーナ―では、有志の奥様方に焼いていただいた「フィナンシエ」という美味しいお菓子を販売した。お陰様で400個近くのお菓子が全部売り切れた。夜7時半から織田町に向い、集会に出席。大橋さんが織田織物の工場長時代の仲間の方に40人ほど集まっていただいた。30年近くたってもいまだに大橋さんを慕って40人もの人が集まるのは大変なことだ。大橋さんの人望の厚さにあらためて感心する。暖かいとてもいい会合だった。

 

7月26日(金)

黒川クリーニングの黒川社長と「カタリスト」向けの対談をする。15歳から丁稚奉公に出て、19歳で独立。当初は洗濯屋の元請けのような仕事をしていたが、支払いの悪さに辟易して、九州で始まった取次店方式を取り入れて急成長。その結果、既存店から猛反発を買って、葬式の花輪が届けられたこともあったという。まさに業界の革命児。既存秩序を良しとせず、常により良いビジネスモデル、新しいやり方を追求する姿勢は素晴らしい。黒川社長のようなチェンジ・リーダーがあと数名いれば福井県は確実に変わる。

 

7月25日(木)

朝、高校時代の友人から電話がかかってきて、一昨日、同級生の野坂諭二さんがなくなったと聞かされた。慌てて、葬儀が開かれている春江町のご自宅に飛んでいった。死因は肺ガンとのことだった。死ぬ間際まで悠然とした態度だったというから、偉いものだ。3年前にはやはり同級生の藤尾洋児さんを脳腫瘍でなくしている。同い年の人間が続けて亡くなると、人生は有限だという思いが強くなる。八幡和郎さんによると、南北朝時代の武将だった細川頼之が書いた漢詩に、「人生五十、功なきを愧ず。花木、春過ぎて、夏既になかばなり」というものがあるそうだが、50前後から無理のない人生観に変わってくるのだろう。僕はまだまだ達観できそうにない。

 

7月24日(水)

いよいよ暑くなってきた。日中は相変わらず、福井市内を回っている。夜、運動不足を解消しようと妻に連れ出されて、ジョギングに出る。20分ほど走ると汗をびっしょりかく。続いて、スクワットと腹筋運動をする。最近、ドライデーを設けているせいもあって、ようやく体重が減ってきた。8月末までには何とかベスト体重(72キロ)までもっていきたいと思っているが、ビールのおいしい季節なのでどうなることやら。

 

7月23日(火)

南条町の檀家回りをする。梅雨明けしたばかりの暑い日だった。一人でお勤めをするのも2年目になった。夜、大野市のジェフティの会議室で全体会議。盛り沢山の議事で9時半までかかった。その後、福井市に戻り、事務局メンバーで今後の進め方について突っ込んだ話をする。

 

7月22日(月)

勝山市で1日過ごす。100日巡業で1週間過ごしてから、実に3ヶ月ぶりの勝山だ。人と会っても、知名度が確実に上がっているのが感じられ、巡業の成果が着実に出ているのが分かった。同時に、中核的メンバーに対して、色々な方面から嫌がらせが入り始めている。日本社会でベンチャーが育たないのは、こうした陰湿な心理攻撃のせいなのだろう。社会の実権を握っている人たちには、もっとフェアーな態度を取ってもらわないと、日本社会そのものが衰退してしまう。夕方、荒土の鈴木さんと一緒に平泉寺地区を回る。いつものことながら、勝山市の中山間地の美しさには見とれてしまう。この美しさを守っていくためにはどうすれば良いのか。

 

7月21日(日)

昨夜の雨で梅雨が明けたのか、快晴。福井市のコパ、アピタ、ベルで街頭演説をする。今日も大勢の応援団が駆けつけてくれた。今日は東谷さんが作ってくれたブンブ ンカーがデビューした。また、野尻眞理さんが作ってくれたブンブン蜂の着ぐるみも登場した。妻の洋子が着てみたが、ものすごく目立つ。車の中から子供たちが手を振ってくれた。今年一番の暑さで、40度近くまで上がった。炎天下の中、街頭演説していたら、3回目には頭がボーっとしてきた。夜、全英オープンで健闘している丸山 選手を応援する。

 

7月20日(土)

昼から三国町のイーザ、坂井町のプラント2、丸岡町のユニー、春江町のアミ(いずれも郊外の大型ショッピング・センター)で30分ずつ街頭演説をする。三国町、坂井町、春江町、芦原町から支持者の方が応援に来てくれた。驚いたことに、小浜市からも小河さんご夫妻が新車のオディッセイに乗ってわざわざ応援に駆けつけてくれた。感謝!感謝!4年前に比べると、手を振ってくれる人が格段に増えた。夜、越前町のお祭りに参加。海に稲妻が落ち出してあっという間に雨が降りだした。すぐ止むかとしばらく待っていたが、どんどんひどくなる。たまらず車で逃げ出した。越前海 岸沿いに北上すると、どしゃ降りの中、越廼村で花火大会が行なわれていた。小河さんは無事帰れただろうか。

 

7月19日(金)

会わなければいけない人に次々に会う。それでも、巡業が終わってからは、随分ペースダウンしている。ちょっと油断すると、何もしないままに時間がたってしまう。 7、8月の2ヶ月間を中だるみせずに乗り切ることがとても重要だ。

 

7月18日(木)

武生市のシピィで久しぶりにアイリーの前田裕一さんにお会いする。大野市長選挙、息子さんのご結婚と忙しい日が続いて、なかなかお会いできなかった。側にいたお嬢さんが、「今日は、朝から千客万来」と仰っていた。前田さんの仰ることは洞察力に富んでいて、考えさせられることが多い。その後、今立町を回って、福井市に戻る。

 

7月17日(水)

終日、福井テレビやFBCなど福井市内の企業を回る。FBCが大和田の新社屋に移ってから、初めて新社屋に入る。大和田に移ったのは、旧社屋の賃貸契約の条件が合わなかったのが原因で、思い切って自社ビルを建てる決断をしたためだそうだ。夜、春江町の知人のお宅に伺う。最初は、少人数だったのに、携帯で次々に呼び出して、だんだん大人数にふくれ上がった。春江町の関心事は、市町村合併と今年の10月に予定されている町長選挙らしい。現職の無投票再選になるのか、有力候補が重い腰を上げるのか。閉塞状況を誰かに突き破ってもらいたいという思いはどこに行っても共通している。

 

7月16日(火)

鯖江市の宅建協会で「どうなる日本経済」と題して講演する。夜、執行部会。東京から知人が来ていたので、しばらくして合流する。その後、近くのサウナジャンボに行ったら、ガラガラだった。4年前に福井に戻ってきたときは、いつも満杯状態だったのに、リライムに客が流れているのか。素晴らしいサービスを提供していても、それを上回るサービスが出てくると、客を取られてしまう。やはり、ビジネスの世界は厳しい。こうした厳しさを行政の世界に持ち込む工夫が必要なのだろう。

 

7月15日(月)

敦賀市で1日過ごす。慶秀さんと宮川さんのご案内で色々な方とお会いする。「積小為大」の精神で匍匐(ほふく)前進するしかない。夜、いもじ歯科クリニックの松本増太郎さんが参加。宮川さんが113キロ、松本さんが117キロの巨漢。宮川さんも松本さんも外国旅行に出かけると、帰国する際、空港の入管で必ず制止されて持ち物をすべて検査されるという話には笑わされた。慶秀さんのお宅に泊まる。

 

7月14日(日)

箱根会議最終日。分科会報告と最後のまとめ。今後、箱根会議をどうやって運営していくかについて話し合った。初参加の出席者から、「現在の運営方法には違和感がある」との意見が出される。現在のように国際交流・国際協力の枠組みの中に留まるならば、存在意義は急速に薄れていくだろう。終わった後、事務局長の向鎌治郎さんと「NPOのアスペン会議のようなものにしたらどうか」と話し合った。昼食を終えて1時15分に御殿場を出発。バス、JR、新幹線と乗り継いで、福井駅に着いたのは夜の7時15分。丸々6時間かかった。自宅で夕食をすませてから、武生市に行って、武生市議会議員選挙結果を待つ。大勢が判明したのが11時半。やきもきしたがほっとして、自宅に帰る。

 

7月13日(土)

箱根会議2日目。「市民が主導する成熟社会へ」というテーマで様々な角度から議論する。僕は「地域における活動拠点とコーディネーターの役割」という分科会でコメンテーターとして、「直接、利害が絡まない問題に取り組む『地球市民』は育っているかも知れないが、利害が絡む問題に取り組む『地域市民』はまだまだ育っていない。きれい事では『市民が主導する成熟社会』は創れない」という問題提起をする。国際交流・国際協力に取り組んでいるNPO関係者が多いので、彼らの神経を逆なでしたかも知れない。昨夜、加藤憲一さんと僕が交わした議論も話題になっているようだ。

 

7月12日(金)

箱根会議に出席。1日目の今日は、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで、国際日本文化研究センターの川勝平太教授の講演を聞く。「真善美を追求する人類の歴史の中で、真から善へ、善から美に力点が移っている。西洋の『力の文明』に対して、日本の文明は元々『美の文明』である。明治維新以後、いったん、『力の文明』に振れたが、また、『美の文明』を取り戻すべきではないか」という素晴らしい内容だった。その後、バスで御殿場の国立中央青年に移り、ログハウスで裏会議。14年ぶりに加藤憲一さんにお会いする。加藤さんは留学生を鹿児島の農村でホームステイさせる「からいも交流」で一世を風靡した人だ。日本新党ブームが吹き荒れた93年の衆議院選挙で日本新党から出馬して落選。現在は鹿児島から東京に出てきて、ミャンマーの麻薬撲滅に取り組んでいるという。「脱皮して新しいステージに移った」という加藤さんに異議を唱える。

 

7月11日(木)

車の調子がおかしい。エンジンオイルがすぐなくなってしまう。排気ガスが青い。エンジンオイルが燃焼室に流れ込んで燃えているらしい。ディーラーに電話して状況を説明したら、「よく見ないと分かりませんが、エンジンを解体しなければならないかも知れません。そのときは、30万円位覚悟してください」と言われた。恐る恐る、車を持っていったら、「なんとかもちます。しばらく様子を見ましょう」とのことでほっとした。汗だらけになったジャケットとズボンをクリーニングに持っていったり、一日、雑事に追われた。

 

7月10日(水)

昨夜、100日巡業が終わった達成感と安堵感から飲み過ぎてしまった。1次会が終わってお店の外に出たら、凄い雨だった。それでも構わず飲み歩いて帰宅したのは午前1時過ぎだった。朝になっても雨は降り続いていた。午後、大野市に出かける。台風6号による豪雨で国道158号線が不通になり、和泉村が孤立したらしい。つい先日、和泉村を訪れたばかりなので、どうなっているか気になる。夜、福井市に戻る。

 

7月9日(火)

100日巡業最終日!何とか2万人を達成しようと動き回る。最終的に、20082人の方にお会いすることができた。当初の目標が5000人だったから、4倍の達成率である。非常に満足しているものの、回れば回るほどまだまだということが分かる。この100日巡業をしていなかったら、今ごろ、キャンペーンそのものが終わっていたかも知れない。夜、事務所のスタッフと延び延びになっていた歓迎会とか誕生会をすべて合わせて打ち上げをする。

 

7月8日(月)

県庁合同庁舎、水産会館、県庁分館などを回る。農業関係の団体が多いのに驚いた。 お昼過ぎから3ヶ月ぶりに事務局ミーティングに参加する。議論が白熱して、2時過ぎまでかかった。それから、あれやこれやの打ち合わせを重ねるうちに気がつくと5時になっていた。やらなければならないことが山ほどある。次から次に片づけていくしかない。お気に入りのビデオ「ダークエンジェル」のパート2がリリースされたので、借りてきて自宅で見る。ちなみに、主人公のマックスとローガンは実生活で最近、結婚したそうだ。

 

7月7日(日)

武生市議会議員選挙が告示される。朝、知人の出陣式に顔を出してから、越前町に向かう。今日は総勢6人の自転車部隊だった。ドッジボール大会が開かれているという情報を得たので、現場に急行。なかなか会えない小学生のお母さん方と会うことがで きた。暑さのせいもあり、昨日のトライアスロン組と違って、2時間ほどしたら、みんなぐんなりしてしまった。楽しくやってこそ続くので、きらきら輝く海を見ながら、みんなでおいしい昼食を食べた。その後、しばらく海沿いを走ったが、若者たちはもう海に出ている。県外ナンバーの車も多く見かけた。「ゴミくらい片づけていってくれよな」と祈りながら、自転車を走らせた。

 

7月6日(土)

越廼村(こしのむら)を総勢7人の自転車部隊でポスティングする。三国町の田中恭子さんがトライアスロン仲間の荒川勝さんを連れてきてくれた。結果的に、この2人の超人的な活躍で、午前中に越廼村すべてのポスティングが終わってしまった。トラ イアスロン・パワー恐るべし。回っているときに、「勝ちたいんやったら金持ってこいや」と言われた。「相場はどの位ですか」と聞いてみたら、「村議レベルで1人2, 3万やな。越前町はもっと高いらしいよ」とのことだった。「手が後ろに回りますよ」と言ったら、「口の軽い奴に払うからや。うちらは大丈夫や」とあっけらかんとしたものだ。どうも、これが浜の常識らしい。

 

7月5日(金)

福井市役所の水道局を回っていたら、ちょうど、福井市議会が再開されるところだった。議会中継のテレビの前で市の職員が、不信任決議を可決されている皆川議長がどうするか、固唾を飲んで見守っていた。僕も一緒に見ていたら、皆川議長が議長席に座って、何事もなかったように議事を進行しだした。一体、あれはどういうことなのか。何がなんだか分からずじまいで市役所を後にした。その後、県民会館、農業会館などお堀の周りの建物を回る。農業会館を回ったときは、一瞬、ギョッとする人もいたが、大体、「頑張ってください」と手を強く握り返してくれた。「敵も味方もいない。いるのは同じ人間だ」という気がしてきた。

 

7月4日(木)

越前海岸沿いの越廼村と越前町を回る。今週末、自転車部隊によるポスティングを予定している地域だが、土日は役場やJAは閉まっているので、予め回っておくことにしたのだ。梅雨の合間の快晴の日だった。磯の匂いの中、車を走らせた。海沿いにあるお気に入りのレストラン「ラ・メール」が見当たらなかったのは、なくなってしまったのだろうか。夕方、松岡町役場を回ってから、福井医科大学付属病院に立ち寄る。廊下で父の世話をしてくれた婦長さんとすれ違った。花岡さんの話をしたら、「今日、来てもらえて良かった。明日、退院ですよ」と教えてくれた。花岡さんの病室を覗いたら、「所要で脱出しています」というメモが残されていた。脱出できる位だから、お元気なのだろうと安心する。

 

7月3日(水)

熊本県で働いていた頃お世話になった大代純市さんから、先週、熊本にお見えになったという金津町の方をご紹介いただいたので、早速お会いしてきた。このほか、様々な方からご紹介いただいた方を訪ね歩いて一日の大半を過ごす。ところで、田中康夫長野県知事が県議会から不信任決議案を提出されるようだ。地方自治法によれば、不信任決議案が可決されると、知事は10日以内に議会を解散するか、辞職せざるを得ないことになっている。しかし、住民に直接選ばれた知事が、議会から解散か辞職を迫られるのは、制度としておかしい気がする。田中知事は議会を解散すると同時に知事を辞職し、W選挙に打って出るようだが、こうした地方自治法の規定そのものも大きな争点になるだろう。不信任決議案のきっかけになった脱ダム宣言よりも、こちらの問題の方がより大きな問題だ。

 

7月2日(火)

100日巡業の93日目。正式のスケジュールは昨日で終わり、今日から予備日に入る。福井市内に加えて、これまで回れなかったところを重点的に回る予定だ。久しぶりに事務所で自分のコンピュータを立ち上げたら、アウトルックがウイルスに冒されて使い物にならなくなっていた。メール機能が使えないと、本当に不便だ。夜、執行部会に出席する。2時間半に及ぶ充実した会議になった。強力なメンバーが次々に加わり、信頼と自信が生まれてきたような気がする。素晴らしい仲間ができつつあるのは何物にも代えがたい。

 

7月1日(月)

和泉村を回る。和泉村は大野市から岐阜県境に向かって九頭竜川沿いに約30キロ入ったところである。人口800人足らずの小さな村だ。村役場、JA(農協)、森林組合、福祉センター、商工会館、道の駅などを自転車で回ったが、噂はあっという間に広がるのだろう。村の人に市町村合併についてどう思うか聞いてみたら、「合併したら切り捨てられるのではないかと不安だ」「こんな小さな村でも同じようなサービスが欲しい」という答えが口々に返ってきた。人口800人の村に年間予算が23億5000万円だから、毎年一人当り約400万円の税金がかけられていることになる。非効率と言えば、非効率なのだが、大野市と合併して行政が効率化されたら、村の人の大半が役所関係で働いている和泉村の雇用状況が一挙に悪化するのは目に見えている。「あちらを立てれば、こちらが立たず」で政治は本当に難しい。

 
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