ブンブン日記 2002年 10月

10月31日(木)

東京赤坂の都市計画センターで開かれた「自治体経営改革フォーラム」に参加。フォーラムそのものも面白かったが、都市計画センタービルの中に、多くの市の東京事務所があるのには驚いた。東京の情報収集機能に着目しているというべきか、相も変わらず、東京に陳情するための拠点となっているのか、東京一極集中はなかなか直りそうにもない。夜、福井県出身の仲間と会う。面白かったのは、拉致被害者の地村さんや浜本さんたちを受け入れた小浜市についての反応。東京で見ていると、小浜市にはいまはもうなくなった旧き良き時代の日本社会の原風景があるのだという。地村さんのお父さんが、「村の仲間に入るには鎮守の村の神様にお参りしなければならない」と仰ったのが、ある種の感動を呼んでいるそうだ。東京や横浜に拉致被害者が戻ってきても、あのように暖かい歓迎ができるだろうかと思わずにはいられないのだという。あらためて21世紀は田舎の時代という思いを強くした。

 

10月30日(水)

翌日、東京で開かれる「自治体経営改革フォーラム」に参加するため3ヶ月ぶりに上京。知人に誘われて、福井県の郷土料理を食べさせるという新橋の「たけうち」(港区新橋2-11-4、電話03-3591-3321)に行く。福井県関係者がよく出入りするお店らしく、嬉しいことに女将さんは僕のことをよく知っていた。いまが旬の上庄の里芋や鯖の丸焼きなど郷土料理が次々に出てきた。東京にこんなお店があるのは知らなかった。皆さんも上京の折にはぜひお立ち寄りください。

 

10月29日(火)

栗田知事が記者会見で正式に5選不出馬を表明した。注目されていた具体的な後継指名はなく、「21世紀は新しい人に福井の発展を担ってもらうのがいい。70歳を過ぎた知事より若い人に県政をリードしてもらった方がよいと思った」と発言されたのには正直言って驚いた。夜、事務所で行われた「高木ぶんどう塾」には、予想通り、TV・新聞などマスコミ各社の記者がやってきた。ほとんど20代の若い記者さんばかりで、「これから大変だろうが頑張ってくれよ」と激励したい気分になった。

 

10月28日(月)

山崎正昭参議院議員が事実上の出馬表明をした。正式の出馬表明は国会終了後の12月中旬になるとのことだが、あえてこの時期に出馬表明と取れる発言をしたのは、出馬の準備を進めているとされる西川一誠副知事に対する牽制だろうか。どうも水面下で激しい駆け引きがなされているようだ。我々は駆け引きとはまったく無縁で、これまで通りの地道な活動を続けていくだけだ。色々な動きがあっても、どっしり構えていられるのは、いつも励ましてくださる支持者の皆さんのおかげです。有難うございます。

 

10月27日(日)

朝6時に福井市を出て大野市七間通りの朝市に出かける。朝市を廻っていたら、和泉村で行われている紅葉祭りにも行ったらどうかと言われたので、早速、和泉村に出かけていった。大野市の朝市にしても、和泉村の紅葉祭りにしても、ひどい雨で気の毒だった。それから、春江町で行われている「ゆりマラソン」に顔出ししてから、福井市の各公民館で開かれている公民館祭りを次々に廻った。そして、夜は福井市内の光明寺で「高木ぶんどう塾」を開催。朝から精力的に動き回って少々疲れた。

 

10月26日(土)

若狭JAの農協フェアを見学。農産品、農機はもちろんのこと、自動車、金融商品と何でも売っている。農協というよりも総合商社という感じだ。午後から敦賀市に戻り、角埜修一さんのご案内で敦賀市内を廻る。敦賀市にもこういう人たちがいたのかと驚くような出会いがいくつもあった。どこにも人はいる。いままで出会えなかっただけなのだ。自分の力不足を反省するとともに、運命の好転に心から感謝。夜、福井市に戻り、運動公園で「高木ぶんどう塾」を開催。

 

10月25日(金)

小浜市の遠敷地区を廻る。この地域は手薄なためか、3区の高木つよし衆議院議員(敦賀市)とよく間違われた。かなり知名度が上がったと思っていたが、3区の郡部ではまだまだ浸透していないことを思い知らされた。夜、小河さんのお宅で若狭地区後援会の役員会を行う。11月14日にどうやって福井市まで出かけていくかという話になる。6時半に福井市に着くには、最西端の高浜町を3時半には出なければならないという。しかも、平日のため、仕事も休まなければならず、皆さん頭を抱えておられた。誠に申し訳ない限りである。皆さん、ごめんなさい。

 

10月24日(木)

小浜市役所に行ったら、市役所の前にテレビ局の自動車が何台もとまっていた。地村さんと浜本さんが戻ってきたお蔭で小浜は一躍有名になった。全国から報道陣が駆けつけているため、民宿は満杯状態だそうだ。市役所と商工会議所への挨拶廻りを済ませた後、西津地区を廻る。京都のような旧い町並みが残っている西津には鰻の寝床のような長屋が多い。玄関を開けて「ごめんください」と挨拶して、奥から「はーい」と声が聞こえても、実際に姿が現れるまでに30秒位時間がかかる。何とものどかな感じだ。また、この地区には若狭塗りの箸屋さんが多く、内職で下請けをしているところが結構あった。小浜市は交通の便が悪いことから陸の孤島とも呼ばれるところだが、その中でも西津はまったく別世界という感じだ。

 

10月23日(水)

日中、敦賀市を回った後、夜、アイアイプラザで「高木ぶんどう塾」を開催する。「敦賀市の樫曲(かしまがり)にあるゴミ処分場に不法投棄された東京ドーム一杯分のゴミをどうするのか」「原電依存体質から脱却する道筋を示して欲しい」など真剣な質問が次々と出された。これまで取り付くシマがなかった敦賀市だが、何とか手がかりがつかめたような気がした。敦賀市まで応援に駆けつけてくれた小河さんの車で小浜市に向かい、小河さんのお宅に泊まる。

 

10月22日(火)

新しい事務所に引っ越してから初めての全体会議が開かれた。栗田知事の不出馬が報じられたこともあって、全体の士気が上がっている。討議すべきことが多いので、予定の2時間内に会議が終わらない。しかし、ぎすぎすした雰囲気はない。歴史的イベントに参画しているという高揚感がある。これが風というものか。

 

10月21日(月)

夜、清水町で出前「高木ぶんどう塾」を開いた。40人ほどの方がお見えになった。皆さん、真剣に聞いてくれた。我々有権者は、国のいいなりの政治にも、口利きビジネスの政治にもうんざりしている。いまの日本の政治は、「市民の常識」ではなく、「業界の常識」で動いている。「業界の常識」ではなく、「市民の常識」で動く政治を実現することが、真の構造改革ではないか。

 

10月20日(日)


栗田知事が5選不出馬を決めた。最終的には出馬されないだろうと思っていたが、予想外に早い決断だった。多選批判を重く受け止めたと報じられているが、良識を重んじる栗田さんらしい判断だ。16年の在任期間中に、福井県立大学、生活学習館、ハーモニーホール、恐竜博物館、健康の森など教育・福祉関連の箱物が多く建てられた。ハードの整備は一通り終わったので、今後はハードをいかに活用するかというソフト面の充実が課題になる。勝山市の13地区で一斉に開かれた運動会回りをする。勝山市内の旧町内地区を皮切りに、鹿谷地区、北郷地区、村岡地区の4つの運動会を回ったところでタイムアウト。同時に雨が降ってきた。その後、武生市で開かれた後援会の会合に向かう。今朝の5選不出馬の記事で皆、意気が上がっていた。

 

10月19日(土)

大野市の有終会館で開かれた産業フェアに参加。その後、六呂師高原のハイランドホテルを訪問。夜、福井市内の神明地区後援会の発会式に出席してから、三国町で開かれた坂井郡連絡会議に出席。

 

10月18日(金)

丸岡町の竹田地区、金津町を回る。秋晴れののどかな日だった。福井県にもこんな素晴らしいところがあるのだと感嘆しながら歩いた。

 
10月17日(木)

福井市の商工会議所の近辺を軒並み歩く。ちょうど、地村さんと浜本さんが小浜市に里帰りされるところをテレビ中継しており、多くの家でテレビを食い入るようにして見ていた。歩いているうちに轟産業にぶつかったので、ご挨拶に伺ったら運良く酒井貞美社長にお会いすることができた。同社は昭和23年に酒井社長が創業されたもので現在54年目だという。様々な産業機器を全国展開して販売されている。「他で売っているものは売らない」「在庫は一切置かない」などの方針を貫いて、他社との差別化に成功したとのことだった。福井県にも素晴らしい企業があるものだ。夜、藤島発展会(地区の発展会)で稲木義幸市会議員の市政報告を聞く。
 
10月16日(水)

福井市の東郷地区を軒並み歩く。東郷地区は街中に川が流れる美しい街並みで知られる。川を大きな鯉が泳いでいたのでびっくりした。どこから来たのか、県外からと見られる観光客が川を眺めながら歩いていた。ところが、川沿いの家に結構廃屋がある。福井市中心部にも近く、交通の便も良くて暮らしやすそうに見えるのになぜ過疎化が進むのか。訳が分からないという思いに駆られながら歩いた。夜、灯明寺地区の後援会の発会式。福井市内で5つ目の後援会が立ち上がった。その後、事務所に戻り、執行部会に出席。
 
10月15日(火)

拉致被害者の5人が一時帰国で日本に帰ってきた。地村保志さん、浜本富貴恵さんは1978年7月に福井県小浜市で拉致された。5年前に福井県に戻ってきて、最初に小浜市に訪れたときに、地元の人にお二人が拉致されたとされる公園に連れて行ってもらった。今年に入ってからは、地村さんのお父さんと浜本さんのお兄さんにもお会いしている。地村さんと電話で話した友人によると、家族全員が帰国することについては明言を避けているらしい。拉致されて北朝鮮での生活に適応するのも大変だっただろうが、いったん出来上がった生活を捨てて、また、日本で一からやり直すのも大変だ。まずは、お二人の体と心のケア。落ち着いてからは、生活のケアが必要になってくる。
 
10月14日(月)

公認会計士の増田仁視さんが主催するMM会のゴルフコンペに参加する。スタート前にパターを取りに行ったら、僕のゴルフバッグの周りにキャディさんが集まって、「テレビでやっている高木ぶんどうさんよ」とおしゃべりをしていた。「僕が高木ぶんどうです」と声をかけたら、皆、一斉にふりむいて大声で笑った。知名度が上がっていることを実感する。素晴らしい快晴だった。ゴルフは相変わらずさんざんだったが、一日楽しく過ごせた。
 
10月13日(日)

福井市の運動公園で開かれた社南地区の運動会を回る。社南地区は手つかずの地域なので、運動会を回れて良かった。その後、光陽地区、本郷地区の運動会を目当てに行ってみたが、いずれもやってなかった。お昼過ぎに、和田公民館で開かれた公民館祭りに参加。運動会にしても、公民館祭りにしても、福井県ではこういう地域活動が結構盛んだ。これが地方で暮らす良さだろう。この後、大和田地区の福井新聞社、FBC、コパで開かれていた大和田元気祭りにも出かけてみた。大変な人だかりだったが、伝統も地域性もなく、祭りに必要な何かが欠けている。帰りに車の混雑を避けて、高木地区をぐるぐる回っていたら、高柳町の小さな祭りにぶつかった。こちらは町内会総出でやっている。やはり、祭りの基本は全員参加だ。祭りは手作りでないと盛り上がらない。
 
10月12日(土)

勝山市の恐竜博物館で開かれた「うまいもん祭り」に参加。奥越の山並みを見渡せる広々とした芝生で家族連れが気持ち良さそうにくつろいでいた。新名所誕生という感じだ。石川県や三重県からの若い家族連れも来ており、「どうしてこんなとこまで来たんですか?」と聞いたら、「福井県はいいとこだから」と嬉しい答えが返ってきた。さすがは情報化世代。福井県も穴場として少しずつ知られだしているのかも知れない。夜、福井市の森田地区でミニ集会。
 

10月11日(金)

勝山市の鹿谷地区を回る。農作業にぴったりのうららかな日和だったので、皆さん畑に出ていた。大野市や勝山市は菊を栽培している人が多いそうで、花一杯の中で仕事をされていた。また、勝山でも里芋を出荷しているそうで、里芋を掘っている人にも多く出会った。今年、里芋を作ると、同じ畑では数年作れないとのことだったが、里芋が産地化しても量産体制には限度があるということになる。

 

10月10日(木)

政策の日として空けておいた月曜日が詰まってしまったので、振り替え休日をとった。しかし、何だかんだと雑務を処理しながら、一日の大半を事務所で過ごした。ウララに書いている伏魔殿のコラムを書く。

 
10月9日(水)

大野市を回る。これまで一緒に回っていただく方がなかなか見つからなかったが、今日は合計5人の方にお手伝いいただいた。里芋で有名な上庄地区を重点的に回る。上庄地区が里芋の産地になったのは、砂状の土質が里芋の生産に適しているためだそうだ。里芋の出荷が始まったばかりでお土産に取り立ての里芋をいただいた。
 

10月8日(火)

福井市内を回る。夜、宝永・松本地区の若手経営者の集まりに参加。若者たちの元気のいい姿を見て安心する。

 

10月7日(月)

藪ちゃんこと薮原秀樹さんが仕事のため福井に立ち寄ってくれた。藪ちゃんは健康食品などの物販を手がける会社を経営している傍ら、選挙参謀兼行動隊長として負けそうな選挙をことごとくひっくり返してきた伝説の人物である。最近の例では、横浜市長選挙で現職有利の下馬評をものともせず37歳の中田宏さんを当選させている。昼は藪ちゃんとカタリストの会談。夜は前回(5月)に来たときに藪ちゃんの話を聞き逃した人に集まってもらって藪ちゃんの話を聞いた。薮ちゃんが来るたびに全体の意識が高まり、結束力が強くなっていくのをひしひしと感じる。

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10月6日(日)

福井マラソンに参加。5キロコースを走った。東京で働いていた頃、よく皇居の周りを走っていたが、あれは20年前の話。最初の1キロ位は快調に走れたが、そのうちずるずる遅れていった。結局、途中で歩いたり、また、走ったりして、34分でゴールの運動公園に着いた。若い女性に次々に抜かれていったのが悔しい。これから少しずつ シェイプアップして、来年はもう少し早く走りたい。マラソンが終わってほっとする のも束の間、南条町に直行して町民運動会を回る。その後、鯖江市で開かれていた鯖江「ぶんどう会員」の会で遅れて参加。とにかく忙しい日だった。

 

10月5日(土)

8号線沿いの新しい事務所に引っ越す。しかし、僕は終日、鯖江市を回っていて、事務所には一度も寄れなかった。午前中、鯖江の実家の隣に住んでいる福田雅道さんのご案内で下新庄地区を軒並み歩く。200件余りあるお宅の人とすべて知り合いなのには驚いた。4時間半歩いたら、グロッキー状態になった。午後は桜町を歩いて、夜は Holly'sで開かれた若者の会に出席。来年4月に県会議員に挑戦する鈴木こうじ君が久しぶりにやってきた。一人で動いてみて色々苦労しているようだ。

 

10月4日(金)

鯖江市役所を回る。教育委員会を回っていたら、随分若い女性がいたので、「学生さん?」と聞いてみたら、「はい、高校生です」という返事。武生商業高校の生徒が3日間研修に来ているそうだ。実務研修はとてもいいことだが、実際に仕事をしているようには見えなかった。お茶くみとかコピー取りとか高校生でもできる仕事はあるのだから、実際に仕事をやってもらったらどうか。鯖江の実家に泊まる。

 

10月3日(木)

武生市の経済人を訪ねて歩く。武生市にはアイシン・エイ・ダブリュ工業や村田製作所など大手企業の工場はあるものの、起業家は少ないように思っていたが、たまご豆腐で全国一のシェアを誇るフジヤ食品やインターネットで越前そばを全国に売り出し、急成長中の武生製麺などの個性的な企業群があることを遅ればせながら学んで心強く思った。夜、武生市内の青年実業家たちと懇談する。これまでのようにばら撒き政治を続けることはできないと頭では分かっていても、業種により「夢よもう一度」という希望を捨てきれないらしい。変化に対応するのは本当に難しい。

 

10月2日(水)

椿原さんのご案内で今立町を回る。春の巡業に比べると驚くほど知名度が上がっていた。9月に運動会を回ったのと、やはりTVCMの効果が大きい。夜、NHKTVで「その時歴史は動いた」を見る。与謝野晶子の特集だった。「やわはだの 熱き血汐を触れもみで さびしからずや 道を説く君」などの歌で知られる情熱の歌人。平塚らいちょうが創刊した雑誌「青鞜」の巻頭に「山が動く日」という詩を書いて、日本の女性運動の後押しをしたとき歴史が動いたというテーマだった。与謝野晶子の感性のみずみずしさに感動するとともに、自分が育てた弟子にあっという間に追い越された夫の与謝野寛の気持ちを思う。

 

10月1日(火)

朝、武生市に出かけて支持者の方にご友人をご紹介いただいてから事務所に戻ったら、今度、ホームページのリニューアルを手伝っていただくことになった大石薫さんにお会いした。テキパキと何でもこなしてしまうリズム感の持ち主でとても頼もしい。お昼、勝山関係者と昼食会。午後、事務所で雑務を片付けてから、自宅に戻って読書。今年に入って歩き回ってばかりで内部蓄積が減ってきたので、もう一度勉強し直すことにした。台風21号の影響で雨が降っていた。

 
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