ブンブン日記 2002年 12月

12月31日(火)

久しぶりに泳ぐ。毎日、歩いてはいるが、全身運動は福井市マラソンで5キロ走って以来だ。忙しさにかまけて運動不足気味だったが、年が明けてからは定期的に運動することにする。夜、紅白歌合戦を横目で見ていたら、出てくるほとんどの歌手が誰だか分からない。子供の頃、父が「あれはだれや」と聞くのをうっとうしく思っていたが、とうとう父と同じになってしまったと苦笑する。夜9時頃、鯖江市のサンドームで開かれていた「カウントダウン、ヨサコイ」を見学に行く。若い女性が多いのに驚く。何か打ち込めるもの、燃えるものを求めているのか。福井市に戻ってしばらくしたら、年が明けた。

 

12月30日(月)

年末の2日間は休息を取ることにして一日のんびりした。田中角栄の生涯を描いた津本陽の「異形(いぎょう)の将軍」上・下を一気に読む。田中さんは毀誉褒貶の激しい政治家だが、いい意味でも悪い意味でもそのスケールの大きさには圧倒される。田中さんが素晴らしいのは、抽象的思考よりも具体的処理にすぐれていたところである。問題点がどこにあるか、それを解決するにはどうするか、それによって痛みをこうむる人をどうするかの実生活の達人であった。ところが、その反面、30年前に、現在の金銭感覚でも驚くほどの金権政治で総理の座を射止めた闇の部分がある。そして、日本の政治にはこうした田中角栄のDNAがいたるところに残されている。田中さんの良いところは学び、正すべきところは正すことができるのか。新しい日本の政治を構築していくうえで、田中角栄研究は欠かせない。

 

12月29日(日)

福井市のショッピングセンター・ベルの前で街頭演説をした後、生まれ故郷の南条町の清水・脇本地区を軒並み歩いて回った。子供の頃、駆け回っていた僕の姿を覚えているおばさん達(いまでは、おばあさんたち)が懐かしがって僕の手を握りしめたまま離さない。昔、通った国華小学校は跡形もなく消えてなくなっていたが、当時の様子が昨日のように思い出された。子供の足では随分遠いと思った距離がそれほどでもなく、少年時代の自分がかわいく思えた。今年の締めくくりに地元を回れたのは良かった。

 

12月28日(土)

福井市、武生市の企業回りをする。どこに行っても、年末の大掃除の最中だった。武生製麺では大型バスが何台も止まっていた。製麺の様子を見学した後に、レストランでおろしそばを食べて、お土産に越前そばを買ってもらうという観光コースが出来上がっているそうだ。インターネットによる販売も順調で、全国から年越しそばの注文があるとのことだった。出口の見えない不況の中で、知恵を絞って頑張っている会社を見ると元気が出てくる。

 

12月27日(金)

金津地区を回る。夕方、鯖江市のアル・プラザで街頭演説。夜、事務所の忘年会をする予定だったが、後援会ニュースの発送が手間取って、なかなかメンバーがそろわない。10時過ぎになって、ようやくそろった。毎晩、行事が入っていて、事務所のスタッフとゆっくり過ごす時間がほとんど取れない。一人ひとりとじっくり話す時間が欲しい。

 

12月26日(木)

雪の降る中、武生市に向かっていたら、川に車が転落していた。窓から手が出ていたので、驚いて引き返して近所の人と一緒に車の中から助け出した。若い女性だった。雪でスリップして川に転落したようだ。外傷はないようだったが、念のため救急車に来てもらった。

夜、福井弁護士会の忘年会に出席。いま、弁護士の皆さんは破産事件の処理で猛烈に忙しいらしい。バブルが弾けた後に破産事件のピークが来て、その後、いったん下がったものの、またじわじわ増え出して、現在ではバブルが弾けた後のピークを追い抜いたそうだ。「日本経済はどうしたら再生するんですか」と聞かれたが、これまでと同じことをやっていてもいまの閉塞状況から抜け出すことができない。人心を一新するような思い切った手が必要だ。

 

12月25日(水)

午前中、小浜市を回ってから敦賀市に向かう。夜6時から敦賀市の蓬莱会館で「高木ぶんどう後援会」敦賀支部の発会式。続けて出前「ぶんどう塾」を開催したところ、100名近い方にお集まりいただいた。政治活動を始めて5年目にしてようやく敦賀市で後援会が立ち上がった。この意義は大きい。奇しくもこの日、栗田知事と河瀬敦賀市長が敦賀原電3、4、号機増設計画について日本原電に対し安全協定に基づき事前了解した。国に増設同意をした後で、栗田知事が事前了解を先送りしてきたのは、東京電力のトラブル隠しなどの不祥事で増設許可の前提である原子力に対する県民の信頼が崩れたとの判断があったためだろう。それを、原子力に対して信頼が回復されていない状況で、唐突に、しかも引退を表明している知事が事前了解に踏み切るのは筋が通らない。まさしく、「業界の常識」でなされた決定であって、「市民の常識」とは大きくかけはなれたものだ。行政上の手続きとしては瑕疵(かし)がなくても、政治的には民主的な正統性を欠く。原子力に対する県民の信頼が崩れている以上、敦賀原電3、4号機の増設はいったん白紙に戻し、住民投票を実施したうえで、最終的に知事の責任で判断すべきものと考える。

 

12月24日(火)

朝、福井市内の大名町交差点で街頭演説をしてから、小浜市に向かう。小泉会長と小河事務局長と合流して、高浜町、大飯町、小浜市と回る。若狭地区には11月14日の結成大会から初めて入るが、以前とは雰囲気が様変わりしている。夜、若狭地区の後援会幹部の皆さんと忘年会。この一年間の若狭地区の皆さんの獅子奮迅の活躍のお蔭でここまで情勢が変化した。皆、満足感と闘志にあふれた素晴らしい笑顔だった。小河さんのお宅に泊まる。

 

12月23日(月)

今年最後の全体会議を事務所で開く。毎月一回の全体会議も12回目になった。今年1月に初めて開いた頃は参加者のいない地域もあったが、いまでは県下全域から参加していただけるようになった。敦賀市の支持者が用意してくださった手作りの夕食を全員でご馳走になった後、なごやかなムードの中で来年の年賀会の打ち合わせをした。素晴らしい仲間ができたことに感謝。

 

12月22日(日)

昼、福井市のアピタ前で街頭演説をしていたら、黒塗りの車が交差点の中でUターンして急接近してくるなど不審な動きをしていた。どの陣営の仕業か知らないが、威しているつもりなのだろうか。夜、武生市の白山地区で出前「ぶんどう塾」。丹生郡白山村が昭和37年に武生市で合併したところだ。武生市というよりもいまだに白山という感じだ。自然や地域とのつながりが色濃く残っているこうした地域こそが福井県、いや、日本の原点だ。福井県の良いところをもっと大切にして、2周遅れのトップランナーになろうという話をする。

 

12月21日(土)

高木ぶんどう後援会の女性の会「れいら」(アイヌ語で風という意味)のクリスマスパーティが夜、福井市内のパレスホテルで開かれた。「れいら」は今年の9月に立ち上がり、現在では600名以上の方にメンバーになっていただいている。今年は底知れない女性のパワーを痛感した一年だったが、その女性たちが思いっきりお洒落をして現れ、女性は強いだけでなく美しいと再認識した。世の中が変わるということは、これまで通ってきた理屈が通らなくなるということだ。そのため理屈で動きがちの男性はどうしていいか分からず途方にくれている。女性には新しい命を育む力がある。女性は命そのものという気がする。それだけ、偉大な命である大地としっかりつながっていて迷いがない。頭でっかちの男性がとんでもない方向に行かないように、女性たちの力でつなぎとめてもらいたい。

 

12月20日(金)

勝山市を回った後、松岡町で出前「ぶんどう塾」。松岡町には県立大学や国立医科大学が立ち並ぶ学問の町という先進的な側面と、驚くほど保守的な側面との二面性がある。4年前の県会議員選挙で県下で唯一人の女性議員が当選しているところを見ると、先進的な色彩が濃くなっているのかも知れない。いずれにせよ、松岡町で拠点ができそうで嬉しい。

 

12月19日(木)

朝、今立町を回ってから、武生市味真野地区の万葉庵で昼食を取る。越前町で底引船を持っているというだけあって、ここのお造り定食が絶品である。知る人ぞ知る有名なお店だそうだ。周囲の庭園もすばらしく、超お勧めです。味真野地区を回ってから、国高のユースで街頭演説。夜、芦原町の銀河食堂で出前「ぶんどう塾」。

 

12月18日(水)

恒例のぶんどう塾。21世紀のこの国のかたちについてのビジョンを語りながら、田園知識圏構想について説明した。珍しく、公共事業関係者が来ていた。公共事業関係者の間では、僕は公共事業に反対しているというイメージができあがっているそうだ。この際、言っておくと、公共事業は重要である。そもそも、世界の文化遺産はすべて公共事業だ。エジプトのピラミッド、ローマのコロッセウム、パリの凱旋門、奈良の大仏などは民間では到底できるものではない。最近は、採算が合わない公共事業はやめるべきだという議論が横行しているが、世の中には採算が合わなくても必要なものがある。採算が合わなくても必要なことを行うのが政治や行政の役割だ。しかし、財政が破綻している中で、以前のように「あれもこれも」という訳にはいかない。「あれかこれか」の選択を迫られる中で、もっと生活に身近で本当に必要な公共事業をしようというのが僕の提案だ。しかも、その方が地元の公共事業関係者に仕事が回りますよという話をしたら、そういう話を公共事業関係者にもっとして欲しいと言われた。

 

12月17日(火)

南条町の町会議員選挙の告示日。地元ということもあり、立候補した14議員すべての陣中見舞いに行った。定員を1名上回って選挙になる予定だったが、直前に立候補を断念したものが出たため、一転して選挙がなくなった。そのためか、どの陣営も祝勝ムードで行く先々で大歓迎された。それぞれの地域の有力者が集まっているうえに炊き出しのご婦人たちが勢揃いしており、まさしくお祭りの雰囲気である。4年前は地元を回ってもこれほど歓迎されなかった。受け入れられるにはやはり時間がかかる。

 

12月16日(月)

鯖江市のサンドームで開かれた「住民投票を考える」フォーラムに参加。全国に先駆けて常設型住民投票条例を制定した愛知県高浜市長の森貞述さんのお話を聞く。常設型住民投票条例とは、(1)住民、(2)議会、(3)首長のいずれかの発議で住民投票が実施されることを定めた条例である。首長と議会による二元的代表制による間接民主制は必ずしも住民の意思を十分反映できていない。現在の間接民主制を補完・補強するものとして住民投票を位置づけてはどうか。常設型住民投票条例があることにより議会と住民の間にいい意味での緊張関係が生まれるというお話であった。議会制民主主義だけが民主主義ではない。より良い民主主義のあり方を求めて様々な実験があっても良いのではないか。

 

12月15日(日)

お昼に福井市のコパ前で街頭演説。大変な車の量だ。車の中から手を振ってくれる人が沢山いて勇気づけられた。その後、福井市内の支持者の会社で開かれたそば会に出席。この会社の会長さんの打つそばはお店のものよりおいしいのではないか。夜は、神明地区の後援会の懇親会に出席。翌日がオフなので、少々気を許して飲み過ぎたかもしれない。

 

12月14日(土)

大野市の支持者の会社で開かれた職員組合主催の忘年会に出席する。社員のほとんどが女性で、歌あり踊りありの大変賑やかな忘年会だった。それから勝山市を回って、夕方、サンプラザの前で街頭演説。鹿谷の支持者のお店で夕食を取ってから、金津町の創作の森に立ち寄り、芦原町で開かれていた坂井郡連絡会議に出席した。

 

12月13日(金)

夕方、春江町のアピタ前で街頭演説をした後、福井市の豊(みのり)公民館で出前「ぶんどう塾」。木田商店街の方から中心市街地の空洞化を放置して郊外にショッピングセンターを作る街づくりのあり方についての疑問がぶつけられた。田園知識圏とは、これまでの効率性だけを追求して都市化、工業化に走った地域づくりを逆転させるもので、これからは自然とのつながりや地域とのつながりを 重視した地域づくりを進めていくと答えたら納得していただいたようだった。

 

12月12日(木)

北陸トンネルを抜けたら、一面の銀世界だった。雪景色を見ると雪国育ちの僕は ホッとするのだが、雪の降らないところから嫁いできたお嫁さんは絶望的な気分になるらしい。午後4時から丹巌洞で講演。丹巌洞は1846年(弘化3年)に福井藩 医・山本瑞庵が建てた土蔵造り2階建ての草庵で、かつて、藩主・松平春嶽をはじめ中根雪江、橋本左内、由利公正などの幕末の志士たちが秘密の会議を開いた庵として知られている。雪の降る丹巌洞で福井県の将来について語りながら、幕末 の志士に思いを馳せた。

 

12月11日(水)

寺島実朗三井物産戦略研究所所長とゴールドマン・サックスの佐藤雅典さんと朝食会。寺島さんにはニューヨークにいた頃からご指導いただいている。佐藤さんとは初めてお会いしたが、同じ時期にニューヨークの同じビルで働いていたこと が判明した。縁とは不思議なものである。農林省食糧庁の今城健晴生産調整推進室長とお会いして、コメ政策の転換についてお話を伺う。今城さんはニューヨー ク総領事館で一緒に働いた同僚である。「減反やめるって本当?」って聞いた ら、「そう誤解されて困っているんですよ」と政策転換の狙いについて詳しく説 明してくれた。要するに、生産調整は続けるが、実施主体を行政から農協に変えるということらしい。霞ヶ関を一通り回ってから、様々な分野で活躍している友人を訪ね歩く。夜、日本経済新聞の前福井支局長で現在はフットコール社長の豊川博圭さんと夕食。

 

12月10日(火)

何年ぶりかで古巣の外務省を訪れた。まず、場所が変わっていた。霞ヶ関の古巣は現在工事中ということで、浜松町の近くの仮の宿住まいでたどり着くまでに迷った。同時多発テロの影響なのか、中に入るまでの警備の凄さにも驚かされた。さらに驚いたのは、人事課長や総務課長という枢要のポストに同期が座っていたことだ。しかも、「粗暴トリオ」とからかわれていた3人組のうちの2人(後 の一人は僕)である。やはり、外務省が現在抱えている危機を乗り越えるのはデリカシーのある他の人間には無理ということか。夜、高校時代に一緒にアメリカに留学した仲間の一人の紺野登さんに会う。紺野さんはナレッジマネジメントの権威として日本中で引っ張りだこの売れっ子コンサルタントだ。田園知識圏のコ ンセプトについて話し合う。紺野さんと話していると、とんでもない方角から次元を超えた助言をされる。会うたびに難しい公案を授かっている出来の悪い弟子という構図だ。彼と話しているうちに知的刺激をふんだんに受けてすっかり元気になった。

 

12月9日(月)

久しぶりに上京したら、東京は雪だった。雪国の福井県では降っていないのに、東京が雪だというのは変な感じだ。夜、ニューヨーク総領事館で勤務していた頃の上司である英正道(はなぶさまさみち)大使(その後、外務報道官、イタリア大使を経て退官)と夕食をご一緒させていただいた。英大使は僕がイギリスで研修中だった頃、在英日本大使館で参事官をされており、外交官のあり方について手ほどきを受けた方だ。深い教養と幅広い体験に裏付けられた洞察力や洒脱な語り口は現役を退かれてさらに磨きがかかったようだった。アメリカのイラク攻撃に反対して書いた論文が世界で波紋を広げていることや、憲法改正はまず前文から始めるべきとのご持論を伺っているうちにあっという間に夜が更けてしまった。

 

12月8日(日)

朝、勝山市に出かけた後、11時から鯖江市のアルプラザ前で街頭演説。お昼に池田町の冠荘で開かれていた二胡(中国の楽器)の勉強会の忘年会に顔を出す。夜は、毎年恒例となっている藤田順一さんの「そば会」に出席した。4年前の初回から続けて出席しているが、毎年新しいユニークな方が参加するので、とても楽しみだ。

 

12月7日(土)

鯖江市誠照寺の「車の道場」の土谷友峰さんと一緒に福井市、鯖江市を回る。夕方、JR鯖江駅前で街頭演説。夜、鯖江市「シティホテル」で開かれた支持者の忘年会に出席。立食形式のとてもお洒落なパーティだった。こうした形で開くのは今年で10回目だそうだが、参加した皆さんもお洒落をしてきていた。こういうときめきのあるパーティもいいものだ。その後、政治好きの人が集まるという喫茶店でコーヒーを飲んで、自宅に戻る。

 

12月6日(金)

朝、外国法事務弁護士としての仕事をこなしてから、武生市、河野村を回る。夕方、武生市のショッピングセンター「シピィ」の前で街頭演説。夜、書道家の土田帆山先生の84歳の誕生会に出席。小学校時代の6年間、毎週一回、南条町から武生市に通って、土田先生にお習字を習った。その後、金華山グリーンランドで開かれた支持者の会社の忘年会に顔を出す。最後に福井市に戻って、バースティックで開かれていた「若者の会」に参加。だんだん、参加者が増えてきて嬉しい。

 

12月5日(木)

朝、大野市を回ってから、西勝原の林沙代子さんのお宅で昼食をご馳走になる。里芋で作ったコロッケ、しょうがとニンニクで炒めたごぼうなど、沙代子さんならではの手作りのお料理を堪能した。夜、今立町の生涯学習センターで出前「ぶんどう塾」を開く。その後、今立町の支持者のお宅で深夜まで話し合う。

 

12月4日(水)

夕方、三国町のショッピングセンター「イーザ」の前で街頭演説。その後、芦原町に向かい、支持者の忘年会に出席。これから、忘年会がどんどん入ってくる。そして、年が明けたら、今度は年賀会だ。ぼやぼやしているとあっという間に時間がたってしまう。

 

12月3日(火)

朝、福井駅前で久しぶりに街頭演説をした。目の前を通り過ぎる人はせいぜい30秒ほどしか聞いていないので、あまり政策らしい話をしなかったら、後でもっと政策を訴えて欲しいという要望が寄せられた。聞いていないようで、よく聞いているものだなと感心するとともに反省する。次回は政策をもっと訴えます。午後、南条町に出かけて、報恩講の檀家回りをする。夜、知人に誘われて福井駅裏の居酒屋「城の橋」に行く。

 

12月2日(月)

午前中、福井市内を回り、午後から大野市を回る。夜、久しぶりに何の予定もない。というより、月曜日は定休日なのに、夜だけ空いたと言うべきかも知れない。民主党の鳩山由紀夫代表が苦しい立場に追い込まれている。起死回生の奇策として放った自由党との合流構想が党内の猛反発に合って頓挫しつつある。リーダーはいつも矢面に立たされている。一つの失言、一つの失策でリーダーとしての命を奪われかねない。他山の石として自らを戒めたい。

 

12月1日(日)

朝8時に鮎川を出て福井市に向かう。福井市文化会館で開かれた障害者の方の集いに行ってから、西藤島小学校で開かれた文化祭に参加。お昼には、鯖江市の嚮陽会館で開かれた男女共同参画フェスティバルに出かけて、午後から勝山市の九頭竜ワークショップの冬祭りに参加した。小児麻痺にかかった水野さんが作詞・作曲した歌を福井県出身の歌手戸田ともえさんが歌ったシーンには本当に感動した。人間の可能性には信じられないものがある。また、お父さんが養護学校の先生だったという若い戸田ともえさんがよく九頭竜ワークショップに慰問に来ているという姿にも大変好感を持った。夜には鯖江地区の結成大会反省会に出席。とにかく忙しい一日だった。

 
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