ブンブン日記 2003年 5月

5月31日(土)

話題の「マトリックス・リローディド」を観る。ストーリーの展開もCGも前作以上に素晴らしい。マトリックスというのは、コンピュータの中の仮想空間のことで、人間がコンピュータに支配される未来社会のことを描いたSFである。マトリックスは、いろいろな見方ができる作品で、西洋哲学史上、最大の問題とされる主観と客観の問題を取り扱っているとも取れるし、仏教の自力と他力の問題を取り扱っているとも取れる。もちろん、そんな小難しいことを考えなくても、純粋な娯楽作品として文句なしに楽しめる。映画が終わってから、登場人物や製作スタッフの名前がずらっと出てくるクレジットの部分を見ていて、その数の多さに圧倒された。同時に、これだけのクリエイティブ・スタッフが日本で育っているのだろうかと心配になった。夜、事務局の懇親会。

 

5月30日(金)

昼、鯖江市の西野さんという女性が突然、「葉山さん、知っていますか?」と事務所を訪ねてきた。阿蘇山にある葉祥明美術館を訪れたときに、美術館長の葉山さんから、「福井県なら高木さん知っていますか?」と聞かれたのだという。葉山さんは画家の葉祥明(ようしょうめい)さんの弟さんで、葉祥明さんのプロデューサーとして活躍している。ニューヨークで葉祥明さんの個展が開かれたときに、葉祥明さんと一緒に食事をしてから、10年以上ずっとお会いしていない。当時、外務省を辞めることを真剣に考えていて、お二人から励まされたのを覚えている。葉山さんはいまどうされているのだろうか。のんびり阿蘇山にでも行きたいものだ。夜、武生市の東武外科内科クリニックで反省会。

 

5月29日(木)

夜、地元の南条町の中でも地元の清水・東谷地区の反省会が福山真里さんのお宅で開かれた。反省会に先立ち、子供の頃、毎日のように遊びに行った山田に行ってきた。山田というのは、中山間地でも山奥の地域のことであり、そこが開墾されて田んぼがつくられているので山田と呼ばれている。恐らく、どの村でもそれぞれ山田と呼ばれる地域があるのではないか。山田には誰一人いなかった。車を止め、窓とサンルーフを開けっぱなしにして、後部座席で横になって空を眺めていたら、鳥のさえずりやカエルの鳴き声と一体になった。山田には日本人の原風景がある。その山田が減反に次ぐ減反で荒れている。世の中の流れは平地に向かっているが、山田の活用をもっと考えるべきではないか。

 

5月28日(水)

夜、中小産業大学で開かれた漁火会主催の講演会で「選挙に人生を学ぶ」と題して話す。実は、このテーマ、僕が望んだものではない。いまだ、人生を語るには早すぎる。しかも、選挙については成功体験がない。しかし、2度も落選したからこそ学べたことがあるだろうということで主催者に説得された。正直なところ、選挙から学べるものは多い。社会や人間の実相は選挙のような修羅場をくぐらないと分からないとも言える。選挙をするたびに、政治候補者は理想主義者から現実主義者に変貌していく。しかし、同時に人は感動によってしか動かないことを学ぶのも選挙である。性悪説と性善説のどちらに傾きすぎても、人間の真の姿を捉えられない。選挙は自分の人間観との戦いだ。

 

5月27日(火)

知人の依頼でロシア人留学生のエレナに会う。エレナは今春、福井大学を卒業して、翻訳などのアルバイトをこなしながら生活している。何とか日露交流事業を立ち上げたいが、どうしたらいいかという相談だった。その場で、彼女にロシア大使館に電話してもらったら、木で鼻をくくったような返事だった。今度は、僕が外務省のロシア課に電話してみたら、担当の女性が、「日本人にロシアのことを知ってもらうのはロシア外務省の仕事なんです」と気の毒そうに答えた。もう一度振り出しに戻って、具体的に何をしたいのか聞いてみたら、日本人にロシアのことをあれこれ話したいという。「それなら、公民館でできる。まず、友達に頼んで、公民館を借りてもらう。それから、やりたいことをチラシにして、とにかく配る。一人でも二人でも来てくれたら、そこから始めることができるじゃないか。最初から、全部、お膳立てしてもらうことを考えてもうまくいかない。自分でドラマを作るつもりでやってみたらいい」と話したら、「いままで、あれは駄目、これは駄目と言われてきたので何もできないと思い込んでいました。勇気が出てきました。やってみます」と笑顔で答えてくれた。エレナは流暢に日本語を読み、書き、話せます。安倍公房や大江健三郎が好きという珍しいロシア人の若者です。皆さん、エレナを励ましてあげてください。
( エレナの連絡先:Lenchiksan@hotmail.com)

 

5月26日(月)

朝、外国法事務弁護士としてクライアントの相談に乗る。ところで、「外国法事務弁護士とは一体何ですか?」とよく聞かれるので、この際、説明しておこう。僕はニューヨーク州の弁護士資格を持っている。日本の弁護士資格は持っていないので、日本の弁護士活動はできないのだが、ニューヨーク州法とアメリカ合衆国連邦法に関する弁護士活動は認めましょうというのが外国法事務弁護士という制度である。法務大臣によって承認され、福井弁護士会と日弁連に加入することによって与えられる。ニューヨークは世界のビジネスと金融の中心なので、国際的なビジネスや金融取引の契約はニューヨーク州法に基づくものが多い。福井県にいてもニューヨーク州弁護士としての仕事があるのはそのためだ。夕方、手術を翌日に控えた芦原町の児島 泰治朗さんのお見舞いに行く。選挙中、入院中の児島さんから何度も激励のメールをいただいた。ベッドでも見れるように携帯用のサイトを作って欲しいとの要望も児島さんからいただいた。児島さんの手術の成功と早期ご回復を心から願う。

 

5月25日(日)

敦賀市内の松原地区、愛発地区の運動会を回る。夜、坂井町の阪田美紀恵さんのお宅に春江町の笠松茂さんの慰労会ということで呼ばれていったら、美紀恵さんの誕生日パーティだった。自分の誕生日というのは気が引けたらしい。続いて、SOCO22の堀川秀樹さんに誘われていたDisco Nightに顔を出す。30、40代のディスコ世代のための企画だそうだが、20代の若者も来ていた。皆、待っていましたという感じだった。同じくディスコ世代の僕としては、月に一度位、ディスコナイトがあってもいい。街の活性化のためには、ナイトシーンも大事だ。様々なナイトシーンを演出する堀川さんの存在は貴重だ。

 

5月24日(土)

フェニックス・プラザで開かれた明進会総会(藤島高校同窓会)の懇親会に出席。「残念でしたね」と多くの人に声をかけられた。夜、久しぶりにオレンジリボンさんと夕食。

 

5月23日(金)

武生市内の支持者を訪ねて歩く。夜、武生市で事務局を務めてくれた冨永良史ご夫妻と夕食。

 

5月22日(木)

日中、相変わらず挨拶回り。選挙が終わってからの挨拶回りはいつ終わるとも知れない。それでも、「まだ、挨拶がない」と言われるのが選挙である。夜、丸岡町の後援会幹部の方々と食事。

 

5月21日(水)

西勝原(にしかどはら)で民宿「林湊」を営む林沙代子さんを訪ねる。西勝原は大野市から和泉村に抜ける道の途中にある村落だ。お嬢さんの郁恵さんが、隣で「そらのあお」という喫茶店を開いている。林さんは、「白装束から山を守るためにも、しっかり生活を維持しなければならない」と仰っていた。

 

5月20日(火)

三国町の辻人志さんに誘われて三国祭りに行く。北陸三大祭りの一つというだけあって、500以上の屋台が立ち並ぶ大変な賑わいだった。三国祭りの期間中、大人たちは仕事を休むし、学校も休校になるというから驚きだ。午後から出かけて、三国祭りを見物しながら、支持者のお宅に立ち寄って、ご挨拶をして回った。夜は、辻さんのお宅でご馳走になってから、集まった人たちで三国神社に繰り出した。祭りを見物しては、自宅に戻って親戚の方や友人と食事をし、また、祭りに出かけていくというのが三国祭りの過ごし方のようだ。政治や行政の力でこれだけの人を集めようとしても出来るものではない。伝統の力は素晴らしい。

 

5月19日(月)

仏教の勉強をする。「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えれば救われるという親鸞の教えは、理解しようとすると理解できない。理解しようという行為そのものが「はからい」であり「自力」であるからだ。そうすると勉強すること自体も矛盾である。浄土真宗を学ぶものは、常にこの問いにぶつかる。究極的には、ほとんどの宗教が超自然的な存在に対する絶対的な帰依を説いているようだ。夜、永平寺の反省会に出席。選挙中の悪質な怪文書攻撃とデマ攻撃の話になって、離婚は一回したこと、また、なぜ、離婚したのか、ざっくばらんに話したら、皆さん、納得されたようだった。これまで口には出さなかったものの、気になっていたらしい。

 

5月18日(日)

福井市内では多くの地区で区民体育会が行われた。東郷、六条、文殊、上文殊、酒生地区の体育会を回る。昨年の同じ時期に福井市内の運動会回りをして1360人の方と握手できたので、余裕をみて1500枚名刺を持っていったが最後の酒生地区を半分回ったところで名刺がなくなってしまった。知名度が上がったため、回りやすくなったのが原因のようだ。ところで、注目していた徳島県知事選挙の投票日。応援していた大田正候補が8500票という僅差で対立候補に競り負けた。「県政の安定」という名の下に、またもや既得権益が守られる結果になった。小泉政権は「聖域なき構造改革」を進めると言っておきながら、実際には抵抗勢力を勢いづかせている。我々はこうした欺瞞にいつまで騙され続けるのか。

 

5月17日(土)

夜、大野の六呂師高原で開かれた恒例の「山の幸を祝う会」に出席。六呂師高原に来ると、いつも、星の美しさに息を呑む。この日は、月の輝きに星が隠れてしまっていたものの、自分たちが宇宙の一部であることを感じさせる美しい夜だった。

 

5月16日(金)

小河さんのお宅でゆっくりしてから福井市に戻る。養老孟司さんの「バカの壁」を読む。工業化・都市化とは脳化のことであり、現代社会の様々な問題は脳化によるところが大きいという養老さんのお話は分かりやすくて、説得力がある。僕の田園知識圏構想と相通ずるものがある。「バカの壁」を感じるときは、自分の脳の限界を感じるときだ。「バカの壁」の外に出ろと言っているのが仏教の教えのような気がする。夜、福井市内で旧友と久しぶりに食事をする。

 

5月15日(木)

徳島県から小浜市に向かう。大阪から敦賀までのJR車中で敦賀市内の中学校の校長先生と隣同士になった。「嶺南の教育水準は嶺北に比べて低いといわれていますが、どう思われますか」と聞いてみたところ、「嶺南出身の先生がほとんどいない。何とかして、嶺南出身の先生の数を増やして欲しい」と仰っていた。校長先生も、自ら、教員予備軍の講師達を集めて、教員試験合格のための勉強会を開いているそうだ。夜、小浜市で若狭地区の残念会。小河事務局長をはじめみなさんの士気の高まりようは大変なものだった。

 

5月14日(水)

徳島県知事選挙の大田正候補の応援に行く。徳島県では、2001年9月の知事選で当選した円藤寿穂前々知事が公共工事に絡む汚職事件で逮捕されて辞職。2002年4月に行われた出直し知事選挙で前回破れた大田正候補が当選したものの、県議会の猛烈な抵抗にあって、副知事も出納長も決まらないまま、今年の3月に不信任。今回の選挙は不信任を受けた出直し知事選挙で、1年8ヶ月の間に3回も知事選挙が行われるという異常事態である。JRで大阪まで出て、大阪から高速バスに乗って2時間半で徳島駅前に着いた。大阪から明石大橋で淡路島に渡り、さらに淡路島から徳島県に渡るときには、橋の上から鳴門のうずしおが見えた。大田事務所は人通りがあまりない倉庫の中にあった。事務所の中核にいるのは、吉野川可動堰建設をめぐる住民投票を実現した勝手連の方々である。住民投票によって変った県民意識に対して、住民投票で培ったノウハウを駆使して訴えているという印象だった。幸運にも、応援に駆けつけられた宇沢弘文東大名誉教授と親しくお話させていただいた。お酒が大好きという意外な側面をお持ちで、徳島の名酒を召し上がりながら、弘法大師が広めた溜池こそ社会的共通資本(コモンズ)であり、こうした社会的共通資本を復活しなければならないと熱心に説かれていた。

 

5月13日(火)

投票日から1ヶ月がたった。1ヶ月たつと、落選直後の興奮状態がさめて、僕自身にも支持者の皆さんにも疲れと落胆が一挙に押し寄せてくる感じだ。鯖江市の後援会の方が週刊金曜日に載っていた「不純『改革派知事』北川正恭の正体」という記事のコピーを持ってきてくれた。改革派知事と呼ばれていた北川知事が今回の統一地方選挙で本当の改革派を応援しなかったどころか(三重県知事選挙)、改革派の対極にある候補者を応援したことで(福井県知事選挙)、「改革派」の看板が疑われているというものだ。政治家は言葉ではなくて行動で判断されるということだろう。

 

5月12日(月)

終日、勝山市内の挨拶回り。この時期の勝山市、特に村部は美しい。荒土、平泉寺、遅羽地区を回ったが、惚れ惚れするような田園風景だ。夜、小林信慈さんのお宅で残念会。

 

5月11日(日)

松平文彦事務局長のご子息、成史さんの結婚式に出席する。大学時代からのガールフレンド裕子さんと10年越しの恋を実らせたそうだ。最近の結婚式は、趣向が斬新すぎてついていけないところもあるが、新郎の友人達の多才な芸には笑わされた。自分の子どもの結婚式とダブらせてもらい泣きしている同じテーブルのゲスト達を見ながら、「雄基もそのうち結婚するんだろうな」「僕は結婚式に呼ばれるのかな」などと考えていた。

 

5月10日(土)

東京から福井に戻る。夜、平成会総会。

 

5月9日(金)

三井物産戦略研究所所長の寺島実郎さんと朝食。日中、外国法事務弁護士としてのクライエント(顧客)と協議。夜、神楽坂の「玄品下関ふぐ」で東京から選挙に応援に駆けつけてくれた方達と残念会。選挙を通じて、さまざまなつながりができたのは大きな財産だ。二次会が終わって、宿に戻る頃は朝になっていた。

 

5月8日(木)

昼、外国法事務弁護士としてのクライエント(顧客)と昼食。午後3時、「日本フロンティアの会」の坂東弘康さんとお会いする。坂東さんは田舞徳太郎さんと一緒に日本創造研究所を創業された方だ。意気投合して長時間話し合う。夜、元スイス大使の村田光平さんと夕食。選挙直後に村田大使から激励のお手紙をいただいてお会いすることになったものだ。

 

5月7日(水)

午前中、挨拶回りをした後、午後から上京。車中で榊原英資の「構造デフレの世紀」を読む。榊原さんは大蔵省の財務官時代に「ミスター円」と呼ばれていた人物だ。当時、僕はウォールストリートで金融専門の弁護士として働いていたが、榊原さんはウォールストリートでも”serious intellectual”(「本格的な知識人」)として一目も二目も置かれていた。榊原さんの主張は、デフレは冷戦後の世界経済の構造変化による構造的なものであり、公共事業の拡大や金融緩和などのマクロ政策では克服できない。ゆるやかなデフレを受け入れつつ、企業を活性化しなければ不況は克服できないというものだ。さまざまな示唆に富む本で、ご一読をお勧めします。

 

5月6日(火)

連休が明けて、また、挨拶回りの日々に戻る。連休中はさわやかだったのに、急に蒸し暑くなってきた。気がついたら、田植えもかなり終わっている。今年からJAが連休明けまで苗を出さないという方針に切り替えたと聞いていたが、苗はどうやって調達したのだろうか。長年の慣習を改めるのはやはり難しいらしい。

 

5月5日(月)

終日、読書。小熊英二の「民主と愛国」を読み出す。戦後日本のナショナリズムと公共性をめぐる「戦後思想」を丸山真男や江藤淳などの戦後知識人の論調を検証することで明らかにしようとする1000ページ近い大著である。まだ読んでいる本を読み終えないうちに別の本を読み出す悪い癖が直らない。小熊英二は1962年生まれだが、知らないうちにこんな立派な本を書く人が出てきたんだなと頼もしく感じている自分に年を感じる。夜、藤沢周平の小説を映画化した「たそがれ清兵衛」を見る。真田広之が相変わらずいい。宮沢りえの復活と成長が嬉しい。激動の幕末期、己の才能を生かすこともなく、ただ愛する人のために生きた清兵衛。時代の変化を肌で感じつつも、まったく展望が見えない現在。八方ふさがりの閉塞状況の中で、清兵衛の生き方に共感するのはうなずける。

 

5月4日(日)

昼食に飲茶(やむちゃ)を食べてから、ショッピングセンター・コパの中にある複合映画館で「シカゴ」を見る。主役のロキシー役でアカデミー主演女優賞を取ったレニー・ゼルウィガーの演技が可愛い。「ブリジットジョーンズの日記」でブリジットを演じたときはあんなに太っていたのに、とても同一人物と思えないほど痩せていた。共通しているのは、どちらもちょっとお馬鹿で憎めない役柄ということだ。素顔の彼女がそういう人物なのか。ヤフーの映画評を読むと、キャサリン・ゼタ・ジョーンズの演技が抜きん出ているなどと書かれているが、それほど個性的な役づくりとも思えない。レニー・ゼルウィガーは屈託のない計算された演技で注目度ナンバーワンの役者になった。

 

5月3日(土)

事務所のスタッフが麻雀をしてみたいというので、近くの雀荘に行って数年ぶりに麻雀をする。最近の雀卓は手持ちの点数まで数えてくれるのでびっくりした。午後3時頃から始めて、気がついたら夜中の10時半になっていた。こんな時間の使い方も久しぶりのことだ。

 

5月2日(金)

日中、挨拶回り。夜、福井市の足羽東地区の人たちと打ち合わせ。「福井県が変るまで、あと4年間もじっと待っていられない。福井県を良くするためにすぐ活動して欲しい」と要望された。いま、僕にできることは、一人ひとりの方に語りかけていくことなので、取りあえず、6月2日に「ぶんどう塾」を開くことになった。

 

5月1日(木)

うららかな春の日。午前中、福井市、清水町、午後、南条町、今庄町を回る。農作業にうってつけの日なので、畑仕事をしている方が多かった。もう、田植えが終わっている田んぼもあった。今年初めてカエルの声を聞いた。毎年、この時期になると、あらゆる命が一斉に動き出すのを感じる。山の緑もあざやかだ。夜、南条町で反省会。こんな方もいらっしゃったのかと初めてお目にかかる方が何人もいて、勇気づけられると同時に、まだまだ、お一人お一人との対話の機会が少ないと反省した。いまだ、「井の中の蛙、大海を知らず」である。


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