ブンブン日記 2003年 7月

7月31日(木)

話題の韓国ビデオ「猟奇的な彼女」を見る。あまりの軽いノリに何度も見るのをやめようと思ったが、「猟奇的な彼女」の美しさに見とれているうちに意外な話の展開に引き込まれ、最後には劇的な結末にほろりとさせられた。「シュリ」以来、韓国映画は時々見ているが、どうして日本でこんな映画ができないのだろうとため息をつかされる。素晴らしい韓国映画を見るとハングル語を勉強したくなる。

 

7月30日(水)

最近、NHKテレビの各種語学講座を「さあ勉強するぞ」と意気込むこともなく、気楽に娯楽番組のように見ている。というのも、昔のような堅苦しさがなく、色々と楽しめるように工夫されていてなかなか面白いからだ。そのうえ、冷戦後の各国事情がよく分かる。例えば、中国語会話を見ていて感じるのは、やはり中国という国のめざましい成長である。ただ、経済が成長しているというだけでなく、個性的な若者や俳優がどんどん現れてきている。ドイツ語会話を見ていると、東西ドイツ統一がドイツ社会にもたらした混乱と、「統一」に向けてのドイツ社会の真剣な取り組みがうかがえる。今日の番組では、ドイツ人とトルコ人の若者たちが共同で芝居をつくっているというエピソードを紹介していた。ところが、フランス語会話を見ていても、あまり、フランス社会のダイナミズムを感じることができないのはなぜだろうか。番組の出来が悪いのか、そもそもフランス社会が停滞しているのか。もっとも、フランス社会の明るさは充分伝わってくる。冷戦が終わってからの14年間、日本は一体何をしていたのだろうか。

 

7月29日(火)

夜、第一回執行部会。再スタートのための正式会合である。議題と決定事項は7月3日の準備会合とほとんど同じなので議事はスムーズに進み、会議が終わってから簡単な懇親会を開いた。我々は暗夜に遠泳をしているようなものだ。一人では心細くて溺れてしまう。声を掛け合いながら目的地まで泳ぎ着きたい。

 

7月28日(月)

敦賀市内の挨拶回りをした後、気比神宮を訪れた。数多くある神社の中でも「神宮」という名前がつくのは僅かだと聞くが、気比神宮はそれほど存在感がある神宮とは言えない。というより、あまり盛り立てられていない。神宮の中をぶらぶら歩いていたら、芭蕉の像にぶつかった。芭蕉が奥の細道で気比神宮に立ち寄った際に、「月清し遊行のもてる砂の上」という句を詠んでいるのだという。まったく知らなかった。自分の不勉強を恥じると同時に、「もったいないなぁ」とも思った。こんなに素晴らしい歴史と物語があるのにあまり生かされていない。街づくりの核となるのは歴史と物語である。敦賀市には西行にまつわる物語もあるというし、中池見湿地の50メートルにも及ぶ泥炭層からは5万年の地球の物語を読み取ることもできる。埋もれている歴史と物語を掘り起こしたら、敦賀市はもっと素晴らしい街になるのではないか。

 

7月27日(日)

昨日に続いて、誠照寺で「阿弥陀経の世界」について学ぶ。阿弥陀仏とは、サンスクリット語のアミタ(amita)のことであり、「計算できない」光と「計算できない」命のことである。お経では無量光と無量寿となっている。無量光の働きは、すべてのものを輝かすことであり、無量寿の働きはすべての命に永遠の命の中で安らげる場所を与えることだという。そして、南無阿弥陀仏とはこうした無量光と無量寿の働きに従えという呼びかけなのだそうだ。つまり、「本当の仕合せになるため」には、限りない阿弥陀仏の働きに従いなさいという結論になる。なんだ、そんなことか、という感じである。だったら、どうしてもっと分かりやすく言えないのだろうか。というより、学識豊かな禿理事長だからこそ、ここまで分かりやすくできたのだと敬服した。どうも有難うございます。夜、事務所がある福井市大町で開かれていた納涼祭に出かける。

 

7月26日(土)

浄土真宗誠照寺派の僧侶を対象とした夏季講座が同派本山である鯖江市誠照寺で開かれた。同派住職である仁愛学園の禿了滉理事長を講師として、「阿弥陀経の世界」について学ぶ。「阿弥陀経」はサンスクリット語のスクラヴァティヴユーハ(sukuravativyuha)の漢訳であり、日本語に訳すと、「本当の仕合せになるための手立て」のことだという。そして、極楽とは、「身体の苦しみも心の苦しみもなく、すべてを仕合せの因とすることができるところ」なのだそうだ。釈迦の教えは信じ難き法(「難信之法」)であり、この教えを説くのは「難事」とされるが、サンスクリット語から漢訳されたままで現代では理解不能なお経のせいもある。夜、福岡武幸さんの会社で開かれた納涼祭に参加。

 

7月25日(金)

東京から知人が来て、あちこちご案内する。

 

7月24日(木)

子どもたちはもう夏休みに入ったというのに、まだ、梅雨が明けない。昨年はどうだったのか、ブンブン日記を調べてみたら、7月21日に梅雨明けしている。昨年の今頃は、酷暑の中、県内各地で街頭演説をしていた。今年の夏はどうして過ごそうか。

 

7月23日(水)

民主党と自由党が9月に合併することで合意した。形の上では、ようやく政権交代の可能性のある政党が誕生するわけで、まずは歓迎したい。現在の政党の状況を右か左かで俯瞰すると、一番右に来るのが自由党、その次に保守党、自民党、公明党と来て、民主党はやや左という位置づけ。土井たか子党首が率いる社民党は明らかに左であり、共産党が極左というところではないか。自由党は右だから、実際は野党イコール左ではないのだが、一般的な見方では、与野党の構図は相も変らず、「右vs左」、あるいは、「保守vs革新」というものである。保守vs革新という構図は、資本主義対共産主義という冷戦構造の残滓(ざんし)とも言うべきもので、冷戦が終わった現在では時代錯誤であり、こうした構図の中では時代を動かす新しい息吹は生まれてこない。小泉首相が自民党の中に意図的に作り出した「構造改革vs抵抗勢力」という対立軸の方がはるかに状況を説明する力があり、野党の存在がかすんでしまったのもそのせいだ。今回、自由党が民主党に合流することで、民主党の革新というイメージが弱まり、「保守vs革新」という不毛な構図にようやく終止符を打てる可能性が出てきた。今後の課題は、大同団結した民主党が「保守vs革新」に替わる新しい対立軸を作り出せるか、また、その対立軸を選挙民に定着させることができるかになるが、そのためには新しい民主党が少なくとも10年くらいは存続することが必要である。10年前に細川政権が誕生したときは、政治家同士のエゴとエゴがぶつかり合って、政権を支える連立の枠組みがあっという間に空中分解した。小さなエゴには目をつぶって10年目に訪れた日本再生の2度目のチャンスを何とか成功させてもらいたい。

 

7月22日(火)

夜、第4回目のぶんどう塾が「教育問題Part2 親の知らない子どもたち」と題して福井市花堂地区で開かれた。前回同様、現場の教育カウンセラーと中学校の教頭先生に不登校の問題に焦点を当てて話してもらった。不登校児を抱えるお母さんの声も聞けて、不登校をめぐる問題が複雑かつ深刻なものであることが分かってきた。独断を覚悟で、敢えて昨日の話を要約すると、不登校とは子どもが人との関わりを拒否することであるという。したがって、不登校児を学校に戻すことよりも、不登校児がまず人と関われるようにすることの方が先決なのだという。過去に不登校児を立ち直らせた経験のある先生の話では、子どもを学校に戻そうなどとは思わず、長い目で気楽に子どもと接していると、ふとしたきっかけで子どもの方で立ち直るのだそうだ。さかのぼって、不登校になるきっかけはイジメが多いという。では、なぜ、イジメが深刻化しているかというと、周りの子供たちと同じでないと排除される社会の同質化現象が原因だと聞いて驚いた。個性尊重とか多様性の重視とか言いながら、実際にはどんどん子どもたちの同質化が進行しているそうだ。子どもたちのイジメは、もっとひどい大人たちのイジメ社会の反映だという声も出た。「長いものには巻かれろ」とか「出る杭は打たれる」のが大人たちの常識であるうちは、子どもたちのイジメも直らないのかも知れない。

 

7月21日(月)

九州地方の豪雨で被害者が出た。熊本県水俣市では土石流で十軒が押し流された。1988年から2年間、熊本県庁への出向で同県に住んだことがあるので、とても他人事に思えない。九州は日本列島の中でも亜熱帯に属し、本州では想像もできないような雨の降り方になる。2年間の在勤中、何度か、豪雨を経験したことがあるが、まさしくバケツをひっくり返したようなどしゃ降りが何日も続いた。熊本市内でも床下浸水になる家が何軒も出た。やはり、日本の政治の基本は治山治水なんだとこのとき思った。問題は治山治水のやり方だ。力で自然をねじ伏せるような剛のやり方もあるが、うまく自然と折り合いをつける柔のやり方もある。脱ダム宣言は剛から柔への転換を提案したものだろう。今回の災害をきっかけに、治山治水のあり方についての議論が再燃するだろうが、その動向を注意深く見守りたい。

 

7月20日(日)

終日、のんびり過ごす。

 

7月19日(土)

午後、東京から福井に戻る。夕方、今立町町会議員選挙に出馬している椿原恵さんのご自宅に激励に出かける。ちょうど、街宣車が戻ってくるところで、僕のウグイス嬢をつとめてくれた中村さんともお会いすることができた。自宅に戻って、久しぶりに掃除。

 

7月18日(金)

辻元前衆院議員が秘書給与を騙し取ったとして逮捕された。勤務実態のない2人を政策秘書として登録して、その給与を事務所経費として流用していたという事件だ。法的には国を相手に詐欺を働いたことになり、辻元前議員のやったことに同情の余地はないが、与野党を問わず同じようなことをしている政治家は多数いると聞く。「いま、なぜ」「なぜ彼女だけ?」という疑問が出てきてもおかしくない。権力側にとって都合の悪い人物だけ取り締まるということならば、憲法に書かれている「法の下の平等」が保障されていないことなる。こうした恣意的な法律の執行がまかり通ることの方がはるかに不気味だ。

 

7月17日(木)

遅ればせながら六本木ヒルズに行ってきた。同じ六本木にあるアークヒルズに毛の生えたようなものかと思っていたら、野外音楽場あり、日本庭園ありのちょっとしたテーマパークだった。パブリックスペースがふんだんにあるところは、ニューヨークのワールド・フィナンシャル・センターと似ている。事務所棟にどんな会社が入っているのかと覗いてみたら、ヤフー、楽天、インフォシークなどインターネット関連会社が数多く入っていた。ITバブルが弾けたといっても、着々と業績を伸ばしているIT関連会社があるのだ。東京の新しい観光名所になっていると聞いていたが、いたるところに観光客とおぼしき人が見られた。かくいう僕もおのぼりさんのおじさんに違いないが。

 

7月16日(水)

午後から上京。車中で、ロバート・ケーガンの「ネオコンの論理」を読む。イラク戦争をめぐる米欧の亀裂の原因は、米が強者であり、ヨーロッパが弱者であるがゆえに生じる戦略観の違いであると明快に論じている。「金槌(=軍事力)を持っていると、あらゆる問題が釘に見えてくる」のに対して、「金槌を持っていないと、どんな問題も釘であって欲しくないと願う」のだという。これを日本にあてはまると、「金槌を持っているが、小さいうえに使うことを禁じられているので、どんな問題も釘であって欲しくないと願っている」ことになる。ところが、拉致問題をきっかけに、北朝鮮が釘にしか見えなくなってきた。最近、金槌の使用を合法化しようとする動きが見えるのはそのためか。日本のネオコン派と目される安倍晋三官房副長官の発言から目が離せない。

 

7月15日(火)

夜、福井市内の問屋団地内で第3回「井戸端ぶんどう塾」を開く。50代以降の中高年が20代の若者をひっぱってきた集まりだった。長崎や福井の事件の直後なので、中高年層からどうしても教育の話が出る。若者たちは最初、鬱陶しそうな顔をして聞いていたが、そのうち耳を傾け出した。僕も若い頃は年配の人と関わるのが苦手だった。塾へ来てくれた若者たちも大人たちに混じって政治や教育の話など聞きたくなかったに違いない。しかし、大人たちは嫌がる若者たちと積極的に関わっていく責任がある。自分たちが失敗の中で学んだことを伝える義務がある。そんな思いであれこれ話した。よくも2時間近くも我慢して聞いてくれたものだ。若者たちに感謝したい。

 

7月14日(月)

久しぶりに福井県が全国ニュースのトップになったと思ったら、福井市内で手製爆弾が爆発したというニュースだった。情けないことに福井県が全国ニュースになるときは、いつもこうした事件か事故の類である。そうは言っても、この事件、色々と興味深い。まず、容疑者が無職の元作業員で、「高校時代にいじめられた同級生に仕返しをしようとした」と話していることだが、グローバル化による工業社会の衰退の中で行き場と生きる意味を失った孤独な若者の姿が見えてくる。そして、「インターネットで爆弾の作り方を見た」というところに、無力感に苛まれ、恨みを持つ個人が巨大な破壊力を持ちうる情報化社会のパラドックスが見える。この構図を地球規模にまで拡大した事件が、2001年9月11日に起きた同時多発テロではないか。同時多発テロとは、グローバル資本主義を諸悪の根源と考えるイスラム原理主義者が、彼らにとって悪の象徴である世界貿易ビルを破壊した事件である。いずれの事件も犯人を制裁するだけでは根本的な解決につながらない。これまで保障されていた「行き場と意味」を失いつつある個人に新しい「行き場と意味」が見つかる世界を構築するのが我々の課題ではないか。

 

7月13日(日)

福井県で唯一の日本百名山「荒島岳」を登る。5月21日に西勝原を訪れたとき、「そらのあお」で林郁恵さんに「荒島愛山会」への入会を勧められてサインしたのがきっかけだ。何事も、反社会的行為でない限り、「誘われたら断らない」ことを原則としているため、荒島登山のファックスが送られてきたとき、つい「登る」と返事してしまった。ところが、登り出してから、後悔した。一緒に登った方に聞くと、荒島は県内で一番登るのが大変な山なのだという。しかも、登山は35年前に父と一緒に冠山を登って以来である。途中で一度、引き返そうと思ったが、はるかにご高齢の方や若い女性がすいすい登っていくのが悔しくてやっとのことで頂上までたどり着いた。朝7時にスタートして、頂上に着いたのが10時半。それでも通常よりも30分早いペースだそうだ。頂上までは何とか天候がもったが、下山のときは雨に降られた。夕方から「林湊」で荒島愛山会の設立総会。67ヶ月間、毎月、荒島を登り続けている発起人の高松誠さんによれば、荒島は「日本中、どこにでもある裏山の代表」なのだそうだ。その後、懇親会。激しく降りしきる雨の音を聞きながら就寝。

 

7月12日(土)

夕方、三国町の駅ビル内の喫茶店「モーリス」で後援会三国支部の発会式。選挙で知り合った仲間たちが集まった。今度、三国に戻ってくる予定の角優和さんご夫妻も東京から駆けつけてくれた。僕は車を運転しなければならないので、ノンアルコール・ビールで乾杯。選挙後3ヶ月で、新しい後援会支部を立ち上げていただき、とても心強く、有難い。お開きの後、翌日の荒島岳登山に備えて、西勝原に向かう。11時過ぎに民宿「林湊」に到着。

 

7月11日(金)

午前中、外国法事務弁護士として執務。福井県内では珍しく、専門の金融取引に関する話だった。国際金融の世界というのは一見、合理主義の塊のように見えるが、内情はニューヨークのウォールストリートやロンドンのシティの金融界で起きた様々な過去の「事件」の際の取り決めごとの集積である。したがって、グローバルスタンダードと言っても、所詮は狭いムラ社会の決まりごとの押し付けのようなところがある。誠に迷惑な話だが、世界の中で経済活動を続けようと思うならば、避けては通れない。ムラ社会がもう一つのムラ社会と出会う。グローバル化のもう一つの側面だろう。

 

7月10日(木)

遅れて延び延びになっていた武生市内の挨拶回り。ご挨拶に伺わなければならない方がまだまだいらっしゃるが、なかなか回りきれない。選挙でお世話になったすべての方にお礼のご挨拶をしようと思うと、理論的には、選挙準備にかけた時間とほぼ同じ時間かかることになる。故大平正芳元首相が「日本の政治は挨拶に始まり、挨拶に終わる。政治とは挨拶のことだと言っても過言ではない」と仰っていたことが思い出される。

 

7月9日(水)

長崎市の男児誘拐殺人事件で12歳の中1男子が補導された。なぜ、12歳の子供が4歳の子供を裸にして投げ捨てなければいけないのか。6年前、神戸市で起きた連続児童殺傷事件で14歳の中学生3年生がつかまったときにも唖然としたが、何かが根底から変ってしまっているようだ。それが何かと言語化しようとすると、子供たちの恐るべき感受性の欠如とでも言うべきであろうか。昨日のブンブン日記と今回の事件に触発されて、あるお母さんからメールをいただいた。「これからの世の中、頭の能力(顕在意識)というよりも頭の底辺に隠されている潜在意識の部分をフルに活用し生き抜く力を、そして自分を愛し他人を愛する人としての学びを、自由に相手を尊重しながら、実体験し自分の力を信じる子どもたちの生き方でないと、生き抜くことはできないと思います」「軍隊のような右向け右の教育現場で柔軟な心を持った子供が育つとは思えません」「喜怒哀楽の意味をもう一度実感し、心から笑い、泣き、自分の中のものを自分自身が責任をもって解放できるそんな教育現場であって欲しいと思います」。現在の教育には、学力向上以上のもっと切実に取り組むべき課題があるように思える。それが何か、そして、そのためには、学校は、親は、社会はどうしたらいいのか、皆さんと一緒に真剣に考えていきたい。

 

7月8日(火)

夜、福井市の文寿殿で、「迷える15歳、教育の現場では今」と題して第3回ぶんどう塾を行う。現職の中学校の教頭先生とカウンセラーの方にご出席いただいて、僕がコーディネーターを務めながら、不登校児の実態や教育現場について語っていただいた。その中で、子供たちに自信を持たせることが大切と考えている教育現場と、学校区の全県一区化を進めるなど学力向上が急務と考えている県の教育委員会の立場の違いが明らかになってきた。僕が小さい頃から変わらない知識偏重教育は見直されるべきである。いい学校に行って、いい会社に入ったところで、いつリストラされるか分からない世の中だ。あっという間に役に立たなくなる知識を詰め込むことよりも、子供たちが夢を持つようになることや人ときちんと関われるようになることの方がよっぽど重要だ。どんな子供たちを育てたいのか、学校や行政まかせにしないで、自分たち自身がきちんと考えて発言していくことが求められているのではないか。

 

7月7日(月)

アマゾンから本が届いたので、一日、読書をして過ごす。

 

7月6日(日)

休日を利用して、幹事会の有志と一緒に小浜市、敦賀市の支持者を訪ねて歩く。朝9時に出て、夜8時までかかったが、車の中で色々話し合えて良かった。

 

7月5日(土)

11時、ある会社から依頼を受けて営業マン向けに「冷戦後の世界経済」と題して講演。デフレ経済、イラク戦争、北朝鮮情勢などについて話した。夜、福井市内の松村さんのご自宅で「井戸端ぶんどう塾」。新幹線問題、駅前周辺問題などについて話が弾んだ。

 

7月4日(金)

水曜日に回りきれなかった鯖江市議会議員候補者の事務所を回る。それでも、場所が分からず、回れない所があった。市町村の議員選挙は政策論争というよりも地区別対抗という色彩が濃い。どの陣営もノボリを立てているので、ノボリの数が多いところを目がけていくと、選挙事務所にたどり着く。選挙でノボリを立てるのは源平合戦のようで時代錯誤だと思っていたが、それなりの効用があるものだ。

 

7月3日(木)

 敦賀市の中池見湿地を訪れたスウェーデン農科大学のヨン・イエルー教授(泥炭地生態学)と同大学院生のディラン・クライムさんの通訳をする。中池見湿地の保全を訴えるために4年前に一緒にラムサール会議に出席した蜘蛛博士の斉藤慎一郎さんに依頼されたものだ。中池見はあいにくの雨だったが、かつての仲間たちとテントの中で食事をしたり、湿地の中を歩き回るのは楽しかった。生態学を勉強している人と話をしていると心が洗われるような思いがする。
 夜、執行部の準備会合が開かれた。第一回執行部会議に向けての準備会合だが、ここまで漕ぎ着けるのが大変だった。2度にわたって深夜まで議論していただいた幹事会の皆さんに心から感謝したい。また、遠方よりはるばるご出席いただいた県内各地の皆さんにも心からお礼申し上げたい。会議は大きな波乱もなく予定通り円滑に進んだ。何とか無事に再スタートできそうだ。

 

7月2日(水)

 日中、大橋巧さんのご案内で鯖江市議会議員候補者の事務所を回る。知事選で手伝っていただいた方にあちこちの事務所でお会いした。お礼ができて良かった。夜、福井支部会議。議事進行がかなり円滑になって、7時半に始まった会議が9時ちょっと過ぎに終わった。その後、東谷さんご夫婦と早川さんご夫婦と「福井山」でちゃんこ鍋を食べる。
  自宅に戻って、テレビを見ていたら、東京都で「色覚バリアフリー」に取り組むというニュースが流れていた。まず、手始めに路線ごとに色分けしている地下鉄路線図をもっと見やすくするということだった。実は、僕は赤緑色弱で色分けによるグラフとか図が苦手である。子どもの頃から異常視される色弱検査が嫌で仕様がなかった。グラフとか図が苦手なのは仕方がないとあきらめていたが、今回のニュースは「目から鱗」である。赤緑色弱などは実生活で大した障害にならないが、多くの「障害」を持っている方が様々な実生活上の不便さを「仕方がない」とあきらめているのだろう。バリアフリー社会を実現させるためには、何が正常で何が異常かという思い込みの見直しが必要だ。

 

7月1日(水)

7月1日付の日本経済新聞の一面トップに東京ガスが横浜市に120万−150万キロワットの大型火力発電所を建設して、2009年から発電を始めるという記事が載っていた。同様に、大阪ガスは2008年の運転開始を目指して大阪府で160万キロワットの火力発電所を建設中とのことだ。ちなみに、こうした火力発電所の建設コストはいずれも1000億円以下であり、同規模の出力の原子力発電所の建設コストの数分の一ですむ。すると、電力自由化でガス会社との厳しい競争にさらされる電力会社が果たして数倍の建設コストがかかる原子力発電所を今後、建設できるだろうか。敦賀原電3、4号機増設を計画している日本原電が発電した電力は関西電力、中部電力、北陸電力の各電力会社に5:4:1の割合で売られているが、すでに、最大のお得意先の関西電力が売電計画の見直しを持ちかけているという。そうなると、当然視されている敦賀原電3、4号機の増設の見通しが途端に立たなくなる。なぜならば、日本原電は3、4号機増設に必要な6500億円の資金調達ができなくなるからだ。日本原電の親会社である9つの電力会社は増資を断っていると聞くし、不良債権に悩む銀行が採算の目途が立たない大型プロジェクトに6500億円もの融資をするだろうか。原発問題はこれまで国や県の判断で決定される政治問題として捉えられてきたが、これからはむしろビジネスとして成立するかどうかという経済問題になる。問題は、こうした大きな環境変化に政治が対応できているかどうかである。


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