ブンブン日記 2003年 8月
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8月31日(日)

土屋義彦前知事の辞職に伴う埼玉県知事選で、前民主党衆院議員の上田清司さんが無党派層を取り込み大勝した。千葉県、神奈川県に続いて、都市部周辺で非自民系の知事が誕生したわけで、都市部では無党派層が厚く、自民党の組織型選挙が効かないことが証明された。今年前半の知事選挙で僕を含めた無党派候補が相次いで自民党の組織型選挙に接戦で破れて、地方で生まれ始めた改革の芽がこのまま抵抗勢力の厚い壁に押し潰されるのかと閉塞感が広がっていただけに、改革を求める大きなうねりが健在であることを示した今回の選挙の意味は大きい。今後の課題は、こうしたうねりをいかに地方に波及させるかである。

 

8月30日(土)

美山町の蔵作橋の下で開かれた村山嘉昭さんの「川ガキ写真展」に参加する。川ガキというのは、川で遊ぶ子供たちのことで、かつては、僕も川ガキだった。僕たちが子供の頃の遊び場所は近所の山や川に決まっていたものだ。ところが、いつのまにか、山は削られ、川は汚され、山や川で遊ぶ子供たちの姿を見かけなくなってしまった。主催者の辻優視子さんによれば、川ガキはいまや絶滅寸前の貴種だそうだ。全国を歩いて、絶滅寸前の川ガキを撮り続けている村山さんの活動は、僕たちが子供の頃、時間を忘れて遊んだ、あのきれいな海やきれいな川、紅葉の美しい森を、もう一度取り戻そうという運動でもある。屈託のない川ガキたちの表情は遠く過ぎ去ったあの頃を思い出させてくれる。⇒www.kawagaki.net。夜、「ぶんどう塾」の運営メンバーで懇親会。

 

8月29日(金)

夜、福井市内の樽で開かれた「カイガイクラブ」に出席。「カイガイクラブ」とは海外勤務者のクラブである。出席者も18人と例年より少なかったし、何より、皆さんの元気がなかったのが気になった。80年代から90年代にかけて海外に雄飛したものの、その後の不況で国際業務からの撤退が相次ぎ、あの数年間は何だったのだろうと無力感にとらわれている人が多いように思われた。トインビーによれば、時代を変革する「創造的少数者」(creative minority)は、多数派に受け入れられる前に「引きこもり」(withdrawal)を経験するのだという。この引きこもり期間中に内的変容を遂げて、表舞台に「復活」(return)するのが歴史のパターンなのだそうだ。グローバル化に対する嫌悪感が強まっているが、もはや今の日本に鎖国という選択肢は残されていない。県内の国際派にも、早く復活してもらいたいものだ。

 

8月28日(木)

今日から角優和さんが事務所を手伝ってくれることになった。また一人素晴らしい力を得て、心強い。こうしてたくさんの強力な仲間たちに支えられて活動していけることは有り難い限りだ。夜、第5回目のぶんどう塾。今回は、「行政の目付け役 オンブズマンに聞く!」と題して、市民オンブズマンの観正一さんと伊藤晴美さんに市民オンブズマンの活動について話していただいた。色々と「目から鱗」のことがあったのだが、まず、オンブズマンの武器は情報公開制度だということ。情報公開制度で開示された情報に基づいて行政と「対話」していくのが基本姿勢であり、私立探偵まがいのことはしないとのことだった。次に、2002年度の福井県の公共事業の平均落札率が96.53%という高さであるということ。184億円の予定価格に対して104億円で落札された県立病院の例が喧伝されているので、公共事業の入札は「仁義なき戦い」になっているのかと思っていたら、相変わらず、談合の存在を窺わせるのに十分な状況だ。ちなみに、宮城県の平均落札率は86.77%だそうだ。一方、出席者からは、「公共事業の無駄遣いばかり責めるのではなく、地元業者が泣かされている入札制度のあり方こそ見直して欲しい」という声が相次いだ。これに対しては、「オンブズマンはスーパーマンではない。一人ひとりがオンブズマンになって、入札制度のあるべき姿を考えて欲しい」と回答されていたが、その通りである。自分たちの問題は、自分たちで考え、自分たちで解決するというのが民主主義の基本である。おまかせ民主主義から抜け出し、「公」の問題について立場を越えて考え、議論することが求められている。

 

8月27日(水)

トインビーの「歴史の研究」を読む。と言っても、「歴史の研究」そのものは13巻に及ぶ大著なので、読書家のサマベルによって2巻に要約されたサマベル版の、そのまた、第三章の「文明の成長」部分を読む。 トインビーによれば、文明は「挑戦(チャレンジ)と応戦(レスポンス)」によって生まれ、成長する。挑戦と応戦とは、ある社会が環境の激変や戦争などによって、その存亡にかかわる脅威を与えられたときに(挑戦)、創造的に対応しその脅威を乗り越えること(応戦)である。文明崩壊の危機に対して有効な応戦ができなかった文明は滅亡していく。さて、トインビーの文明論を現代日本にあてはめるとどうなるか?いま、日本社会が受けている挑戦の一つは、冷戦の終了に伴う世界経済の構造的変化(より具体的には中国経済の成長)という環境の激変である。この挑戦に応戦するためには、工業社会から知価社会への転換が必要だが、そのための人や金などの資源配分の変更が、既得権益を守ろうとする政官業のトライアングルに阻まれてなかなか進まないということになろうか。トインビーを読んでいると、つくづく、何千年も同じようなことを繰り返している人間は愚かだなぁという感慨にとらわれる。夜、福井市の執行部会。

 

8月26日(火)

バグダッドの国連事務所爆破をきっかけに、ブッシュ大統領の不支持率が49%まで上がっているという。このままイラク情勢が泥沼化すると、来年のブッシュ大統領の再選は難しくなる。湾岸戦争に勝ちながら、経済不振でクリントンに敗れた父親の二の舞になりかねない。こうした米国の情勢が日本の政局にも影響を及ぼすことは必至だ。民主・自由党は国連を重視する外交を掲げて、米国一辺倒の小泉・自民党を攻撃するだろう。国際情勢も国内情勢も10年前と似通ってきた。これからの一年間で何が起きてもおかしくない。夜、本部事務所で第2回執行部会。

 

8月25日(月)

ニューヨークでお洒落な焼き芋屋さんを経営していた坂井浩一さんとお会いする。様々なトッピングをした焼き芋が健康志向のニューヨーカーに受けたのだそうだ。欧米には焼きジャガイモにサワークリームをトッピングして食べる習慣があるので、新鮮な意外性を持って受け入れられたのだろう。順調に進んでいたビジネスが同時多発テロで一瞬にして乱気流に巻き込まれた。現在は福井市の西武前で店を構えているそうだが、近い将来には東京に店を出して、いずれ、全国展開したいとのこと。アイデアとやる気があれば何でもできるというサクセスストーリーを是非とも作ってもらいたいものだ。

 

8月24日(日)

中島道子さんの「濃姫と熈子 信長の妻と光秀の妻」を読む。明智光秀とその家族は、丸岡町長崎の称念寺門前で暮らしていた時期があるのだという。今から300余年前、「奥の細道」の旅にあった芭蕉は、越前の長崎の称念寺門前で、光秀の落魄中における妻熈子のエピソードに感動して、「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せん」という句を詠んでいるのだそうだ。光秀はここで寺子屋を開いていたが貧しく、連歌会を主催することになった際、妻の熈子が自慢の黒髪を切って売り、客をもてなしたという。その後、光秀は朝倉義景に仕官するものの、義景の優柔不断さに愛想を尽かして、織田信長に乗り換え、「本能寺の変」に発展していくことになる。ちなみに、丸岡町で生まれた三女の玉子は後に細川忠興に嫁ぎ、有名な「ガラシャ夫人」になる。明智光秀がこれほど福井県と縁の深い人物であるとはまったく知らなかった。福井県にはまだまだ多くの物語がありそうだ。

 

8月23日(土)

県立大学で開かれた「県民投票を実現する会」に出席する。県民投票とは、「もんじゅ」再開についての是非を問う県民投票である。「議会制民主主義の欠陥を補う住民投票」と題する基調講演があり、講師は姫野雅義さん。徳島市で吉野川可動堰建設についての住民投票を実現させた方である。徳島市を流れる吉野川には、250年前に作られ、今でも使われている第十堰と呼ばれる堰があるのだという。ところが、100年に一回の洪水を想定して、第十堰を壊して、新たに可動堰を建設する計画が持ち上がったところから、「250年大丈夫だった第十堰があるのになぜ?」という素朴な疑問が市民の間に湧き起こったのだそうだ。住民運動を通して、徳島市民は、本来、住民のためであるべき公共事業が、住民の代表であるはずの議会を通した途端に住民の考えと全く違ったものとして立ちはだかることに気がついたのだという。続いて、行われた3つの分科会の一つでは、僕が「民主主義と国策」というテーマで発表した。公共事業については、少なくとも、住民に選ばれた地方議員や国会議員が、その動機に疑問があるにせよ、真剣に議論をしている。公共事業をめぐる問題は、議会制民主主義が公共事業についての民意を反映していないところにある。ところが、原子力政策については、文部科学省と経済産業省の一部の原子力官僚が作った計画が、国会で議論されることもなく、「国策」として国民に押し付けられている。つまり、原子力政策については、市民参加はおろか、議会制民主主義も機能していないというのが実情なのである。エネルギー政策がどう形成されているかを知れば、その社会の民主的成熟度を測ることができると言われているが、日本の民主主義の成熟度はお寒い限りである。

 

8月22日(金)

明日の「県民投票を実現する会」の分科会で発表することになっている「民主主義と国策」のテーマについて準備する。日本の原子力政策がどのように作られているか、についての発表である。よく、原発推進は「国策」と言われるが、誰が一体、「国策」を決めるのか。国の政策である「国策」を決めるのは、主権者である国民であって、官僚ではないはずだ。ところが、日本の原子力政策を実質的に決めているのは、文部科学省(旧科学技術庁)や経済産業省(旧通産省)などの一部の原子力官僚である。そして、こうした原子力官僚を頂点に、東大、京大、阪大、東北大などで原子力を勉強した仲間たちが、電力会社や核燃料サイクル機構、原子力産業、学界に散らばり、原子力推進という価値を共有する「原子力ムラ」を形成している。「原子力ムラ」で作られる原子力政策がはたして「国策」なのか。「国策」論議に惑わされてはならない。

 

8月21日(木)

三国町出身の歴史作家の中島道子さんと三国町のご実家でお会いする。三国町で事務局長をしていただいている辻人志さんの高校時代の恩師であることからご紹介いただいた。中島さんが高校教師を辞めて処女作を出版したのが55歳で、雑誌社から執筆依頼が来るまでに10年かかったそうだ。75歳の現在までに20冊出版されているとのことで、「65歳から現在までの10年間が私の人生の華です」とのお言葉には勇気づけられた。「織田信長が安土城を築城してから『本能寺の変』まで3年、豊臣秀吉が大阪城を築城してから死ぬまでに7年、徳川家康が江戸城を築城してから死ぬまでに13年。人間が本当に活躍できるのは良くて10年です。ピークの10年をどこにもってくるかが、工夫のしどころです」とのことだった。

 

8月20日(水)

福井商業が岩国に負ける。4回、稗田が崩れたときには、事務所の近くの「まさ季」で昼食を取っていた。お店の人が総立ちで見ていた。死球を出すたびに、「あぁー、また、デッドボールや」と悲鳴が上がる。10点取られた時点で敗色濃厚。この日は行く先々で、福商の試合が話題に上った。リリーフの斉藤投手が予想外の好投を見せたこともあり、「もっと早く、ピッチャーを代えとけば良かった」という声も聞かれた。北野監督としては、「よくぞ、ここまで戦った」という思いだろう。夜、敦賀で世話人会。

 

8月19日(火)

気象庁が梅雨明け宣言の取り消しを検討しているそうだ。相変わらず梅雨前線が停滞しているためだという。だからなのだろう。お盆を過ぎてから、急に暑くなってきたが、同時にひどい湿気だ。夜、幹事会。

 

8月18日(月)

夜、福井市の花堂地区で「井戸端ぶんどう塾」。大学院生と社会人一年生が僕の話を聞きたいという珍しい集まりだった。最初は福井県のあり方について議論していたが、そのうち、勉強はどうすべきか、仕事にはどう取り組むべきか、というような話になった。僕の話を聞きたいと言ってくれる若者がいるのは不思議な気がする。どれだけ役に立つのか分からないが、これまで学んだことを伝えていきたい。

 

8月17日(日)

コンピュータウイルス「ブラスター」の感染を防ぐために、事務所のコンピュータの駆除ソフトを最新版に更新する。ダウンロードに手間取り、夕方までかかってようやくすべてのコンピュータの作業を終えた。

 

8月16日(土)

福井商業とPL学園の試合を見る。一点を追うハラハラどきどきの試合だった。9回表代打の山田がヒットを打ったときは、「やった!」と叫んだ。しかし、9回裏二死からPL学園にヒットが出たときは嫌な予感。稗田が4番の松本から三振を取るまで安心できなかった。今回、自分も含めて「PL学園には勝てるはずがない」と思って見ている人が多かったのではないか。いや、今回に限らず、我々福井県人は大舞台で福井県人が活躍するのを「どうせ駄目だろう」と思いながら見ている。福井商業の球児たちがそんな閉塞感を打ち破ってくれた。「やればできる」という自信を福井県人に与えてくれた福井商業の球児たちに心から「ありがとう」とお礼を言いたい。

 

8月15日(金)

アメリカとカナダで大停電が起きた。時を同じくして、新種のコンピューターウイルス「ブラスター」の感染が拡大しだしている。新たな同時多発テロの発生と思いたくなるが、コンピューターウイルスの方はともかく、大停電については、ブッシュ大統領はテロの可能性を否定している。2つの事件に共通しているのは、ネットワーク型システムの脆弱性ということだろう。世の中全体で、中央がすべての情報を管理・統制する中央集権型システムから、自然発生した無数のネットワークの中で情報が自由自在に飛び交うネットワーク型システムに移行しつつある。インターネットはネットワーク型システムの典型だし、アメリカとカナダの電力供給体制も電力自由化の流れの中で、急速にネットワーク化が進んでいる。中央集権型システムと比べて、ネットワーク型システムの方が柔軟性にすぐれ、効率的である反面、生成発展しつつあるシステムの中身が一体どうなっているのか分からないという脆さがある。だから、一旦システムに異常が生じたときにどこをどういじったらいいのか分からなくなる。こういう事故が起きると、すぐに、「だから、行き過ぎた(電力)自由化は危険だ」という声が上がることが予想されるが、社会システム全体のネットワーク化への流れを止めることはできない。さまざまなシステムのネットワーク化を促進しながらも、ネットワーク型システムの脆弱性をいかに克服するかという点に力を注ぐべきだろう。

 

8月14日(木)

午後、クライアントの依頼で外国法事務弁護士として執務。事務所にいると、お盆なのに訪ねてくれる方がいらっしゃる。今年のお盆は同窓会もなく、のんびりと時間が過ぎていく。

 

8月13日(水)

毎年恒例のお墓参り。南条町清水にある清照寺と高木家の墓参りをする。墓参りが終わってから、家族揃って食事をしようと武生市に入ったら、お祭りの最中だった。和食以外のものが食べたいという母の希望に沿って、パニエで夕食を取る。

 

8月12日(火)

名古屋からの帰途、「バカの壁」で一躍ベストセラー作家になった養老孟司さんの新作「養老孟司の『逆さメガネ』」を読む。現代の病は、都市化(=脳化=意識化)による「こうすればああなる」という思い込みにある。現実には、「こうすればああなる」ものばかりではないのだが、そういうものは現代人(=都会人)にとって「現実」ではなくなる。例えば、子供は「こうすればああなる」があてはまらない存在であり、だからこそ、子供の存在は意識の中で消されてしまう。これが少子化の根本原因であるという。養老孟司さんにかかると、深遠な哲理もごく当たり前の話になる。本当に分かっているからできる神業である。

 

8月11日(月)

30年来の友人である共同通信の矢高則夫さんに誘われて名古屋に行く。矢高さんがニューヨーク在勤中に親しくしていた中日新聞の真能秀久さんと一緒に飲もうということだった。2001年9月11日の同時多発テロの時にはお二人ともニューヨークにいたそうだが、「被害者が当事者になったようなもので、とにかく大変だった」とのことだった。当時、ニューヨークにいる人は皆、自分が狙われたと思ったそうだ。食欲がなくなるとか夜眠れないという障害が出たとのことで、現場にいた人たちが受けた精神的ショックの深刻さが窺えた。

 

8月10日(日)

台風が過ぎて、久しぶりにからっとした夏らしい日になった。昼過ぎに、越前海岸に出かけていった。海を一望に見渡せるカフェ「マーレ(Mare)」で海の音を聞きながらぼうーっとしていた。空を見上げると、白い線を引きながら飛行機が飛んでいた。自宅に戻って、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を読む。

 

8月9日(土)

夜、博多から丸岡町議選に駆けつけてくれたウグイス嬢の田中真由美さんの慰労会を開く。田中真由美さんは4月の知事選のときに手伝っていただいた「日本一のウグイス嬢」だ。丸岡町議選では色々と行き違いがあったようだが、選挙戦が終わって満足感で一杯だった。人を見かけると田中さんが街宣車から降りて候補者と一緒に走るので、「負けてはならじ」と選挙戦後半にはすべての候補者が走るようになったようだ。こういう話を聞くと、福井県は保守王国というよりも、要するに外部からの刺激が足りないだけではないのかという気がしてくる。まだまだ情報量や刺激が絶対的に不足している。臨界点を超せば、量から質への転換が始まるはずだ。

 

8月8日(金)

真夏恒例のガーデンパーティを福井市立美術館横の下馬公園で開く。今年で4回目になる。おりしも台風10号が接近しており、中止にするかどうか迷ったが、何とか天候がもちそうなので思い切って決行した。雨に備えてかなり大きなテントも用意した。ジャズバンドの方にも無理を言って来ていただいた。100名来ていただければ良いと思っていたが、台風が来るというのに300名以上の方がお見えになって驚いた。雨もひどくなるどころか、時が経つにつれ晴れ上がってきたから不思議である。とにかく無事にできて良かった。そして、わざわざご出席いただいた方に喜んでいただいたのが何より嬉しかった。

 

8月7日(木)

台風10号が上陸しそうな気配だ。この時期に台風が上陸するのは、小笠原高気圧の勢力が弱いからだろう。梅雨明けが遅れたと思ったら、今度は季節外れの台風上陸。一体どうなっているのか。

 

8月6日(水)

三国町で第4回「井戸端ぶんどう塾」を開く。どういう話の流れか、石鹸の話になった。環境問題に関心のある主婦の間では、水の汚染につながる界面活性剤を含む合成洗剤ではなく、石鹸を使うというのが常識なのだそうだ。夜、福井支部の全体会議。

 

8月5日(火)

田中真紀子前外相が不起訴処分になった。辻元前衆議院議員のケースとの違いについて検察当局は色々理屈をつけて説明しているが、要するに「与党はいいが、野党は駄目」と取れる。これでは法律が何のためにあるのか分からず、権力側は何をしても良いことになってしまう。日本社会では「勝てば官軍」が当たり前のようになっているが、そもそも司法は「多数の横暴」と言われる行政と立法の権力濫用をチェックするためにある。法律は弱者を守るためにあるのであって、弱者をいじめるためにあるのではない。こうした大人社会のやり方が、子どもたちをイジメに追いやるのではないか。

 

8月4日(月)

夜、福井市の事務所で久しぶりに僕が話す「ぶんどう塾」を開く。(1)デフレ経済をどう克服するか、(2)北朝鮮問題はどうなるか、(3)民主・自由党の合併で政治はどうなるか、について話す。この日、ちょうど福井市の花火大会と重なり、どーん、どーん、という花火の音が聞こえていた。今年一番暑い日だったかも知れない。ようやく夏らしくなった。しかし、天気予報を見ると、また、すぐに崩れそうな気配だ。夏は夏らしく思い切り暑いのがいい。

 

8月3日(日)

朝4時半起床。6時2分発のサンダーバードに乗るつもりで新大阪駅に直行したが、6時2分発のサンダーバードがない!10時までに小浜に着かなければならなかったので、どうしたものか、しばらく考えていたが、思い切って小河さんのお宅に電話したら、早起きの奥さんが、「7時49分発の新快速に乗ってください。9時3分に近江今津まで迎えに行きます」とおっしゃってくれた。なるほど、大阪から小浜に行くには、湖西線で滋賀県の近江今津まで行って、そこから車で北上するのが近いのだ。目から鱗であった。11時から支持者の会社のバーベキューに参加。午後はゆっくりして、夜、小河さんのお宅で夕食会。

 

8月2日(土)

大阪の難波で開かれた関西改革会議「大阪から日本を変える運動」に出席。元松下政経塾副塾頭であり、現在志ネットワーク・青年塾を主催する上甲晃さんが「大阪がこのままでは駄目になる」という危機感を抱いて呼びかけたものだ。上甲晃さんの門下生など数十人の同志が集まって、大阪をどうしたら良いかについて話し合った。僕自身は妻が大阪出身という以外は大阪とはあまり縁がないのだが、福井県知事選挙で「何でも行動隊長」を務めてくれた薮原秀樹さんが呼びかけ人の一人ということもあって声をかけられた。会議が終わってから、ふぐ料理屋の関門海で打ち上げ。最終列車で福井に帰るつもりが、「えぇーっ!!帰るの!!」と皆に引き止められ、三次会まで付き合うことに。もう帰らなくてもよいという解放感で、ついつい飲み過ぎてしまった。

 

8月1日(金)

羽水高校の生徒が総合教育の課題ということで、自転車に乗ってインタビューにやってきた。外国法事務弁護士とはどんな仕事で、どうしたらなれるのか、などとノートを取りながら聞いていた。「そもそも、どうして僕に関心を持ったの?」と聞いたら、「荒島岳で父が高木さんに会ったんです」と言われてびっくりした。世間は狭いとつくづく感じる。


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