ブンブン日記 2003年 11月
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11月30日(日)

イラクで日本人外交官2人が殺害された。奥克彦在英大使館参事官(45)は、直接の面識はないものの、入省後、語学研修のためにイギリスに派遣されるイギリス研修組で僕の後輩に当たり、ラグビーを愛する好漢だと聞いていた。在イラク大使館の井ノ上正盛書記官(30)はアラビア語を専門とするアラビストである。日本外交を担う貴重な人材を2名なくした。いずれこうした事態が起こるだろうと予測していたが、ニュースを聞いた瞬間から他人事とは思えず気持ちがふさいでいる。これで自衛隊のイラク派遣反対の大合唱が起きるだろう。しかし、一度、首相が派遣すると言明した以上、そう簡単に撤回できないのが外交の難しいところである。まず、今回の事件で自衛隊派遣を撤回すれば、日本はテロに弱いということを証明するようなもので、いじめられっこがますますいじめられるように、かえって日本に対するテロを誘発する恐れがある。また、日本が腰砕けになれば、各国が次々に及び腰になり、連合軍によるイラク統治が瓦解する恐れもある。そうなると、イラクはまさしくテロリストの巣窟となることが予想されるが、こうした事態は国際社会にとっても、日本にとっても望ましいものではない。勿論、逆に自衛隊のイラク派遣を強行することで支払う犠牲も並大抵のものではなく、いずれにせよ、簡単には結論を出せない。今後の日本人の生き方を決める決断と言っても良い。日本の安全保障のあり方まで踏み込んだ徹底した議論が必要だ。

 

11月29日(土)

偵察衛星の打ち上げが失敗した。打ち上げの失敗となったブースターの分離失敗は「車のタイヤのボルトを締め忘れたような」初歩的なミスとされ、中国が10月に初の有人宇宙飛行を成功させた直後だけに、何とも情けない気持ちがする。打ち上げを担当したのは宇宙航空研究開発機構で文部科学省の所管だ。ちなみに、「もんじゅ」を担当している核燃料サイクル機構も文部科学省の所管である。いずれも、「日本は欧米のロケット技術に追いついた」とか「日本の技術は世界一」と言いながら、事故を起こしている。単なる偶然なのか、それとも文部科学省の制度や体質に致命的な欠陥があるのか。あるいは、他省所管の研究開発機構には同じような問題がないのか。一度、政府所管の研究開発体制の抜本的な洗い直しが必要とされているのではないか。

 

11月28日(金)

鯖江市でそば屋「だいこん舎」を営む南和孝さんが「前から一度ゆっくり話したかったので」と訪ねて来た。南さんは大学卒業後、放浪の旅に出てから、そばの修行を始める。店を出した当初は二八(小麦粉とそば粉の割合が二対八のそば)を出していたが、3年ぐらいたってようやく十割(100%そば粉のそば)が打てるようになったそうだ。身体に力が入っていると十割は打てず、力が抜けてそばと語れるようになると十割が打てるようになるという。このコツが会得できない人は何年やっても十割は打てないというからそば打ちの世界も奥深い。十割そばが打てるような政治を目指したいものだ。

 

11月27日(木)

石川県で進められていた珠洲原発建設計画が中止されるようだ。関西電力、中部電力、北陸電力の三社が共同で建設する計画だったが、電力需要が伸び悩み、さらに電力完全自由化を控えて、時間とコストのかかる同原発の計画遂行は困難と判断したとのことだ。これが福井県にとって何を意味するかというと、敦賀原電3号機、4号機も同じように計画中止に追い込まれる可能性が高いということだ。なぜなら、珠洲原発を取り巻く経営環境はそのまま敦賀原電3号機、4号機にもあてはまるからだ。また、敦賀原電3号機、4号機の建設を計画しているのは日本原電だが、日本原電は電力の小売を許されていないため、敦賀原電で発電される電力を卸買いしている関西電力、中部電力、北陸電力の三社の意向に従わざるを得ない。日本原電が敦賀原電3号機、4号機の計画中止を発表するのは時間の問題ではないか。

 

11月26日(水)

午前10時50分の便で上海を発ち、名古屋に戻る。夜6時半に福井市に着いた。たった4泊5日の旅行だったが、随分長い間、中国にいたような気分がする。西安からスタートして、南京、揚州、上海と、中国が都市化・工業化していく様子をまるでタイムマシーンに乗って見るような旅であった。当初、中国に持っていた印象と比較すると、成長スピードのギャップも、多様性の幅も予想以上に大きかった。これほど巨大で多様性のある国家の経済成長にムラがあるのは当然のことだ。中国はこれからも変わり続けるであろう。今回、感じたことは、半年後にはもはや当てはまらなくなっているに違いない。ただ一つ、確かなことは、今後、我々は巨大な隣人、中国との付き合いは避けて通れず、中国から片時も目を離せないということである。

 

11月25日(火)

午前中、揚州の工業開発区を視察する。要するに、工業団地である。世界中から企業を誘致するために様々な優遇措置を講じている。いまや、企業誘致は中国との競争である。日本国内にいくら工業団地を作っても、もはや企業は来ないと考えるべきだろう。午後から上海に向かう。3時間の予定が、やはり、交通渋滞で5時間以上かかった。上海周辺のインフラはすでにパンクしている。これ以上、上海への人口集中が進むと、上海は機能麻痺に陥るのではないか。さて、上海である。「上海は中国ではない」というのが、福岡さんの揚州駐在員の宮崎さんの弁である。確かに、とてもこれが同じ中国とは思えない。夜景の美しい外灘地区、いま話題のスポット、新天地などは、お洒落さという点では、東京を越えて、ニューヨークやパリに迫っていると言えるかもしれない。しかしである。整然とし過ぎているのである。治安もいい。統制が行き届いている。その分、自由闊達さを感じない。壮大なテーマパークとでも言おうか。ほんの数時間の印象だから、これから変わるかもしれないが、取り敢えずの上海の印象だ。

 

11月24日(月)

西安を出て、国内線で南京に向かう。南京市の郊外のレストランで昼食を取る。南京は20年ほど時間を進めた感じだ。貸し切りバスで揚州に向かう。途中、揚子江を渡った。対岸が見えないほどの大河を想像していたが、それほどでもなかった。南京から150キロほどの距離だそうだが、交通渋滞のため夕方になってようやく揚州に着く。揚州に来たのは、鉄鋼業を営む福岡武幸さんが今年になって開設した揚州支店を視察するためだ。途中、韓国系企業でカバンの縫製をしているアペックスに立ち寄って、工場長の利見秀雄さんのお話を伺う。中国は確かに労賃は安いが、意外に高い運送費など目に見えないコストが多くあり、直販体制を取れない限り、労賃の安さを十分生かせない。中国市場を狙っての進出なら結構だが、デフレ対策のための進出はお勧めできないというお話だった。次に、福岡さんのパートナーである揚州長江鋼業を訪れる。中国は現在、建設ラッシュで生産が追いつかない状態らしい。国全体に需要があるときは、経済は放っておいても成長するものなのだと実感する。

 

11月23日(日)

西安市内を観光する。西安は中国の四大都市(北京、上海、南京、西安)の一つ。昔は長安と呼ばれ、世界的に有名な古い都だ。紀元前11世紀から紀元10世紀にかけて、秦、漢、隋、唐など13の王朝が都をここに置いていた。1000年以上も都であったため、西安は観光資源の宝庫である。秦の始皇帝の兵馬俑、玄宗皇帝と楊貴妃が過ごした華清池、玄奘三蔵法師が建てた大雁塔などを一日がかりで観光した。中国の歴史と文化に圧倒される。中でも兵馬俑はすごい。テレビでご覧になった方もいるかと思うが、発掘された部分は全体のほんの一部である。72万人もの人間を動員して作ったものらしい。今から2000年以上も前に、兵馬俑や万里の長城を作った始皇帝とはどんな人物だったのかと思いを馳せる。

 

11月22日(土)

鯖江市の福岡武幸さんとともに中国に出かける。朝8時半に鯖江市を出て、名古屋空港へ。午後1時の便で上海まで約2時間半。中国は思ったより近い。上海空港で4時間待って、空路、西安に着いたのが夜8時50分。夕食を済ませてからホテルに着いたのは夜11時半だった。香港にも台湾にも行ったことがあるが、中国本土に来るのは今回が初めてで、見るもの聞くものすべてが目新しい。上海空港も西安空港も目の覚めるような現代的な建物で、破竹の勢いで成長し続ける中国の勢いを感じさせる。上海空港で見かける中国の若い女性たちは髪を染めていることも多く、お洒落も日本の女性と変わらない。ところが、西安まで来ると、中国の奥地に来たという感じで、タイムマシーンで40年ほど昔に戻ったような錯覚に襲われる。中国は落差が激しい。

 

11月21日(金)

イラクでまたテロが起きて、自衛隊のイラク派遣がいよいよ難しくなってきた。自衛隊を派遣すれば内閣支持率が落ちるのは目に見えているし、派遣を断ればブッシュ大統領を失望させることになる。まさに、「前門の虎、後門の狼」の状態で身動きが取れない。小泉首相は自衛隊の年内派遣にはこだわらないとこれまでの積極姿勢を転換させたが、どうしていいか分からないときは、取り敢えず先送りするということらしい。しかし、いつまでも先送りしていくわけにはいかない。自衛隊のイラク派遣問題は小泉政権のアキレス腱になったようだ。どう転んでも、命取りになりかねない。次の衆議院選挙は意外に近いかも知れない。

 

11月20日(木)

夜、文化会館で「ぶんどう塾」。小浜市から明通寺の中嶋哲演さんに来ていただいて、いま小浜市で議論されている中間貯蔵施設の誘致問題について話してもらった。原発には光と影がある。光は原発が生み出す巨大なエネルギーであり、影はその副産物として出てくる使用済み核燃料である。使用済み核燃料はいわば「核のゴミ」なのだが、政府は再処理してもう一度使うという建前(核燃料サイクル計画)を崩していないので、ゴミとして最終処分することなく、まだ使える「資源」としてすべて「中間」貯蔵しているのである。では、どこに貯蔵されているかというと、原発の敷地の中にあるプールに水を張ってその中に沈めてある。しかし、原発の敷地内で貯蔵できる量には限度があり、満杯になるのは時間の問題だ。そこで、原発の敷地の外に中間貯蔵施設を作ろうという話が出てきているわけである。中嶋さんは、一旦、中間貯蔵施設の建設を許せば、原発が次から次に増えていったように、今度は中間貯蔵施設が次から次に嶺南地域に押し付けられることになると深刻に憂えておられた。原発に加えて、「核のゴミ」まで嶺南地域に集中させていいものか、真剣に考える必要がある。

 

11月19日(水)

最近、ビデオの「24時間」にはまっている。アメリカのTVドラマで24時間の出来事を1時間ごとに合計24回のシリーズで描いている。次から次に新しい趣向をぶつけてくるアメリカの娯楽ビジネスの底力には感心させられる。

 

11月18日(火)

小泉首相が地方補助金の1兆円削減と地方への税源委譲の方向性を打ち出した。来年夏の参議院選挙に向けて構造改革の成果を出すことを迫られている中で、まず、国と地方の税財政改革(三位一体改革)に取り組むことを明らかにしたものだ。総選挙で民主党が18兆円の補助金を4年以内に全廃すると訴えたのも効果があったのだろう。三位一体改革というのは、(1)補助金の削減、(2)地方交付税の見直し、(3)税源委譲の三改革を同時並行で実現するというもので、非常に分かりやすく言うと、中央官庁の指図をあれこれ受けずに地方自治体が自由に使えるお金を増やすということだ。構造改革の中でも、不良債権処理の加速化や公共事業費の削減などは景気を冷え込ませる恐れがあるのに対して、三位一体改革は使われるお金の量が減るわけでないので景気に対するマイナスの影響はない。むしろ、地方のそれぞれの事情に応じた政策を実行できるので、地方経済の活性化につながる可能性がある。また、特定の業界や族議員を敵に回すわけでもない。良いことずくめのようだが、最大の問題は権限を失うことになる霞ヶ関の抵抗をどれだけ突破できるかである。小泉首相の蛮勇に期待したい。

 

11月17日(月)

イギリスのエコノミスト誌が最新号で日本の総選挙を取り上げている。「小泉総理には悪く、日本にとっては良い」結果という総括だが、なぜ、日本にとって良いかという分析がいかにも自由主義の老舗のオピニオン誌らしい。同誌は日本経済の長期停滞の原因を一言で言えば「競争の欠如」にあると一刀両断にし、返す刀でその根底にあるのが自民党の一党支配体制だと断罪する。二大政党制への移行は日本の政治に競争をもたらし、小泉首相は「聖域なき構造改革」の断行を迫られることになるから日本にとって良い結果なのだという。構造改革については、諸説紛々として、一体、何が構造改革なのか分からなくなってきているが、構造改革の元祖とも言うべきサッチャー流の構造改革とは、要するに、低生産性部門に競争原理を持ち込むことだというのがよく分かる。

 

11月16日(日)

福井西別院で開かれた中央仏教学院の通信教育生を対象とした学習会に参加する。通信教育だけだとなかなか勉強に身が入らないので、月に一回開かれている。午前は浄土真宗の概要についての講義。午後は浄土真宗の三部経の一つ「観無量寿経」についての講義だった。「観無量寿経」は法事のときによくあげられるお経だが、そこで何が説かれているかについては「阿弥陀経」や「大無量寿経」ほど取り扱われないのはどういう理由からなのだろう。夜、知人の結婚式に出席。

 

11月15日(土)

春江町の焼き鳥屋「すずめ」の親爺さん、「きゅうちゃん」こと中川久衛門さんの四十九日に出席する。親類縁者だけでなく、近所の人や友人、知人を招いた大変賑やかな四十九日だった。同じ福井県でも土地によって法事のやり方まで違うのにあらためて驚く。帰りのタクシーの中でも、運転手さんときゅうちゃんの思い出話をしていた。

 

11月14日(金)

夕方、えちぜん鉄道に乗って芦原町に行く。英単語の本を熱心に読んでいる高校生の姿を見て自らの高校時代を思い出す。芦原町で開かれた坂井郡支部会議に出席。来年1月に開催予定の年賀会について話し合う。

 

11月13日(木)

社民党の土井たか子党首が衆院選の大敗の責任を取って辞任を表明した。今回の大敗の直接の原因は二大政党化に埋没したことだろうが、より巨視的に見ると、社民党の退潮は89年に冷戦が終わったことに起因する。自民党と社会党が日本の安保政策をめぐって対峙する55年体制は、米ソ対立の冷戦構造が国内政治に投影されたものであった。したがって、冷戦が西側の勝利に終わった段階で、社会党はいずれ消えゆく運命にあると見ていた。予想したとおり、冷戦終了後、安保政策をめぐる対立軸は説得力を失い、社民党と名前を変えても以前と同様に「護憲」を叫び続けるなかで、国民の支持と共感を急速に失っていった。しかし、社会民主主義の役割が終わったわけではない。冷戦以後の大きな問題は、グローバリゼーションにどう対応するかという問題であり、ヨーロッパ諸国では市場経済の活力を生かしつつもグローバリゼーションの弊害を乗り越えようとする「第三の道」が社民勢力によって真剣に模索されている。いずれ、社民党は民主党に合流するものと思われるが、社民党のもう一つの柱である「社会的に弱い者を守る政治」が二大政党化とグローバリゼーションの中で失われないように存在感を発揮してもらいたいものだ。

 

11月12日(水)

福井キャノン創立30周年記念のビジネスソリューションフェアで名古屋市立大学教授の川崎和男さんの記念講演を聞く。「ビジネスを変えるデザイン経営戦略と産学連携」というテーマで、デザインが付加価値ではなく、本質的な全体価値を創り出すという観点から、製品開発を進めるべきだというお話だったが、深遠すぎてとても全部は理解できなかった。川崎さんは製品開発とは手続きであり、問題にぶつかるごとに自分自身が変っていくプロセスだと面白いことを仰っていた。おそらく、川崎さんとデザインとの関係がそうなのだろう。川崎さんがインダストリアルデザイナーから経営コンサルタント、学者と活動領域を広げるにつれ、川崎さん自身が変容を遂げ、それとともにデザインの定義そのものが変っていったのではないか。言い換えれば、川崎さんはビジネスにおける知のあり方そのものを問うているのであって、デザインという言葉にこだわるのはむしろ誤解を招くかもしれない。目先の課題に対する表面的な回答を追うのではなく、問題の本質を深く直感して、その根源的な解決を考えるような知のあり方がこれからのビジネスには求められており、そのための産学連携を模索すべきだというのが川崎さんのメッセージのように思えた。

 

11月11日(火)

電気事業連合会が原子力発電の使用済み燃料の再処理を含む核燃料サイクルの総事業費が約19兆円に膨らむとの試算を明らかにした。この試算にもとづけば、原発の発電コストは1キロワット当たり6.4円となり、石炭火力(6.5円)や天然ガス火力(6.4円)と変らず、原発の発電コストは割安だと言っていた根拠が崩れることになる。電力事業の自由化が進められる中で、再処理費用を電力料金に上乗せするのは、新規参入事業者に対する競争力をそぐことになるので電力会社としては消極的で、政府に負担を求めていかざるを得ない。電力業界がこれまでうやむやにしてきた再処理費用を今回あえて明らかにしたのは、政府に明確にメッセージを送るためだと推測する。では、どういうメッセージかというと、「電力業界としては、これ以上、採算が合わない原発を推進することはできません。もし、政府がどうしても原発を推進したいのなら、国民の税金で進めてください」というものだ。福井県内の原発をめぐる議論は、相変わらず「原発は必要か、必要でないか」というものだが、たとえ、原発が必要であっても、民間事業としては推進できない段階に来ている。今後、原発をめぐる議論は、国策レベルでは、採算の合わない原発事業を莫大な借金を抱える中で巨額の税金を投入してでも進めるのか、というものになっていこう。答えは、小泉内閣が構造改革を本気で進めるつもりならば、ほとんど自明である。福井県としては、こういう外部環境の変化を踏まえて、いつまでも「15基体制の維持」というお題目を唱えるのでなく、原発の新規増設は困難という前提の下での地域づくりに転換していくべきではないか。

 

11月10日(月)

戦い済んで夜が明けて、落選された候補者の方々はどんな思いで朝を迎えただろうか。落選の経験しかない僕は、どうしても落選された方の気持ちを思ってしまう。人が変るのは、大病するか、倒産するか、牢屋に入ったときだと言われるが、これまでの自分の生き方を全否定されるという意味では落選も同じような経験だと思う。ケネディとの米大統領選挙に敗れ、2年後のカリフォルニア州知事選挙にも敗れた後、6年後に奇跡的に米大統領の座を射止めたものの、ウォーターゲート事件で辞任という波乱万丈の人生を送ったニクソン元米大統領が回顧録の中でこんなことを書いている。「多くの人が敗北を受け止めることができず凡庸になっていく。人は敗北を乗り越えてこそ本当の人間になる。人生における敗北とは諦めることである」。

 

11月9日(日)

夜、福井市に戻り、選挙速報を見る。自民が苦戦。民主と公明は善戦。共産、社民、保守新は敗戦というところだろう。「自民党おごるな。民主党もっと頑張れ。共産・社民・保守新は退場しろ」というのが有権者のメッセージだと見る。福井県の投票率は64.81%と戦後最低だったが、全国の中では福井県の投票率が最も高かったというから驚く。福井県の有権者の政治意識は高く、また、確実に変りつつあるという印象を受ける。特に1区、2区では組織型しめつけ選挙の効果が激減している。したがって、今回、自民党が県内3つの選挙区すべてで勝ったとはいえ、必ずしも保守王国健在とは言えず、やり方次第で県内の政治情勢は一気に流動化する可能性があるのではないか。

 

11月8日(土)

金曜日の夕方に不在者投票をすませ、小松空港から飛行機で福岡市に向かう。福岡市立南市民センターで開かれた「竹田青嗣さんと哲学書を読む会」に参加するためだ。竹田青嗣さんは明治学院大学の教授でニーチェ、フッサール、ハイデガーなど難解と言われる哲学について大変分かりやすい本を書いている。実は、しばらく前から、ヘーゲルの「精神現象学」を読んでいるのだが、どうにも行き詰っていた。竹田さんのホームページを見ていたら、年に二回、福岡市で行われている読書会で、今回はヘーゲルの「精神現象学」を扱うとのことなので思い切って参加することにした。何の勉強でも行き詰まったときは、本当に分かっている人の話を聞くと目から鱗が落ちるように分かるようになる。読書会、懇親会、二次会と竹田さんをつかまえて根掘り葉掘り聞きまくった。竹田さんの快刀乱麻を断つような回答にも感心したが、学生時代にバンドでボーカルをやっていたという竹田さんの歌が上手いのにも恐れ入った。

 

11月7日(金)

福井市内のテアトル・サンクで「マトリックス・レボリューションズ」を見る。予想外にガラガラ状態だった。マトリックス人気がそれほどでもないというより、あちこちにシネマ・コンプレックスを作り過ぎて映画館が供給過剰になっているのだ。少ない観客の半数近くが高校生だった。なるほど、交通弱者は郊外のシネマ・コンプレックスには行けないわけだと合点する。映画そのものは一応この作品で完結することになっているのだが、一体、どう完結したのか、映画館を出た後でその解釈をめぐって議論が白熱しそうな謎めいたものとなっている。正と反、陰と陽、善と悪の対立が弁証法的に止揚される世界とでも言おうか。監督のウォシャウスキー兄弟はヒュームやフッサールを愛読する哲学愛好家だけあって、哲学的寓意に満ちたものになっている。

 

11月6日(木)

経済アナリストのリチャード・クー氏がこれまでの著作の集大成とも言うべき「デフレとバランスシート不況の経済学」を出した。リチャード・クー氏の主張は、現在のデフレ不況はバブル崩壊で多額の借金を背負った日本企業がいっせいに借金を減らそうとしているために日本経済が需要不足に陥っていることによるものというものである。したがって、経済を安定させるためには、その需要不足分を政府が積極財政で穴埋めすべきであるという結論になり、亀井静香氏などいわゆる「抵抗勢力」の理論的支柱になってきた。しかし、本書を読んでみると、クー氏は頭から構造改革に反対しているわけではない。経済の安定を保つためには積極財政が必要だとするとともに、借金返済が終わった企業が魅力的な投資機会を国内で見つけることができるように構造改革を進めるべきだと論じている。デフレ不況克服の処方箋は、構造改革か積極財政かという二者択一ではなく、両者のベストミックスであるというクー氏の主張は説得力がある。何より、構造改革派と積極財政派の双方の言い分を聞いてぐちゃぐちゃになった頭の中を整理するにはうってうけの本である。

 

11月5日(水)

投票日まであとわずかだというのに衆議院選挙がさっぱり盛り上がらない。最初は自分が当事者でないためだろうと思っていたが、各陣営の選対関係者の話を聞いても盛り上がっていないらしい。「運動が上滑りしている」とか「有権者が白けている」というコメントを頻繁に聞く。全般的な傾向としては、組織の締め付けがきかない無党派層がどんどん拡大しているらしい。自民党と民主党の対立構図が強まる中で、無党派層が拡大しているのは不思議な現象だ。「笛吹けど踊らず」。いずれの政権公約にも魅力を感じていない有権者が多いということか。最終的には、選挙結果を見てみないと分からないが、「一体、どんな曲だったら踊るというのか」と政党関係者は悩んでいることだろう。

 

11月4日(火)

民主党が政権交代した場合の閣僚予定者を発表した。榊原英資慶大教授が財務相、田中康夫長野県知事が地方担当相と、「これなら本当の改革ができるのではないか」と期待を抱かせてくれる陣容だ。面白いのは、「主権は国ではなく地方にある」という田中知事の主張で、地方担当相が「地方分権担当」ではなく「地方主権担当」となったことだ。これはまったくその通りで、いつまでも地方が国のいいなりになっているようでは、日本の再生はおぼつかない。地方こそ政治の現場であり、現場で新しい政策を次々に実験して、国の政策を引っ張っていくような国のあり方に転換する必要がある。実際に現職知事が閣僚を兼任できるかどうかは分からないが、地方自治体の首長は皆、「地方主権担当大臣」の心意気で仕事をすることが大事ではないか。

 

11月3日(月)

武生市文化センターで開かれたピアニストの村上弦一郎さんが率いる室内管弦楽団のコンサートに行く。クラシックの生の演奏を聴くのは久しぶりだ。すべてを忘れて音に浸れるのがいい。6時半から開かれた演奏家たちの打ち上げにも参加させてもらった。演奏家たちの素顔は、とても若くて無邪気だった。

 

11月2日(日)

福井市中藤地区の公民館祭りに出かける。昔ながらの鎮守の杜の祭りはあまり見かけなくなったが、福井市内各地での公民館祭りが盛んなのには驚く。春に行われる区民運動会も大賑わいだし、公民館を核とする地域活動は活発だ。19世紀にアメリカを訪問したフランスの外交官アレクシス・ド・トックヴィルが名著「アメリカの民主主義」の中で、「アメリカの民主主義を支えるものは小単位の自治活動だ」と書いているが、日本でもこうした活発な地域活動があるにもかかわらず、日本の民主主義が「おまかせ民主主義」や「おねだり民主主義」になってしまうのが不思議だ。活発な公民館活動を民主主義のリハビリにつなげる何らかの工夫が必要なのだろう。

 

11月1日(土)

8時に丸岡町の公設温泉「霞の郷」に集合して、竹田川上流の丈競(たけくらべ)を登る。南丈競山(1065m)と北丈競山 (964.3m)が背丈を競いあうように見えるから、丈競(たけくらべ)と呼ばれている。登りが5キロで約3時間、降りが約2時間半。7月13日に荒島岳を登ったときはボロボロ状態だったが、今回は回りの景色を楽しむ余裕があった。あれから一念発起して朝走るようにしているのが良かったのかも知れない。夕方、「霞の郷」に戻って、皆で温泉に入ってから解散。天候にも恵まれ、さわやかな一日を過ごせた。


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