ブンブン日記 2004年 1月
(ご意見・ご感想はこちらからどうぞ)

1月31日(土)

時差ぼけで朝3時に目が覚めてしまう。お酒をあおってもう一度寝たら、今度起きたときは11時だった。夜、武生市の高砂殿で開かれた年賀会に出席。武生市のスタッフの皆さんに頑張っていただいたお陰で、予想を上回って140名以上の方がお見えになった。武生高校出身の姉もわざわざこのために東京から帰ってきてくれた。仲間が集まると元気になる。年賀会が終ってから、「ろくべい」でスタッフと打ち上げ

 

1月30日(金)

朝9時半に名古屋空港に着く。空港で紛失荷物の手続きを済ませて、JR名古屋駅からしらさぎで福井県に戻る。大雪と伝え聞いていた雪はかなり解け始めておりホッとする。自宅に戻って10日ぶりにお風呂に入る。ヨーロッパで泊まったホテルにはシャワーしかなかったのである(勿論、高級ホテルにはバスタブもある)。

夜、福井市の松本公民館で「ぶんどう塾」。今回は、県会議員1年生の鈴木宏治議員を招いて県議会での奮闘ぶりについて語ってもらった。県会議員の給料引き下げを議会で提案したら、「何を言うとるんじゃ」と古参議員に大声でやじられたとか、戦後、福井県議会で議員により成立した政策条例が一本もないことなど、呆れるような政治や行政の実態の紹介を交えながら、今後とも政治・行政の意識改革に取り組んでいきたいと力強く語っていただいた。鈴木議員は旧態依然とした県議会の中で自分の主張が浮きがちで戸惑っているようだったが、いつまでも初心を忘れないで頑張ってもらいたいものだ。

 

1月29日(木)

雪のためコペンハーゲンからフランクフルトに向かう飛行機が2時間近く遅れて、フランクフルト空港で大阪行きの飛行機に乗り損ねてしまった。どうしようかと困っていたら、同じ飛行機会社の名古屋行きの便が同じように遅れていたので、ぎりぎりで名古屋行きの飛行機に乗り込むことができた。明日(30日)の「ぶんどう塾」に何とか間に合うことができてホッと一安心する。

さて、1月19日から始まった10日間の旅がようやく終わる。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長と大林ミカ副所長に素晴らしいプログラムを作っていただいたお蔭で、ヨーロッパにおける自然エネルギーの取り組みについて大体のイメージをつかめることができた。この場を借りて飯田さんと大林さんに深く感謝したい。

また、最初に飯田さんとの出会いを作っていただいた美浜町の松下照幸町会議員にも深く感謝したい。ここで若干の総括的な感想めいたものを述べることとしたい。

歴史学者のトインビーによると、文明は文明を脅かす挑戦に応戦することによって進歩するという。逆に、挑戦に対する応戦を怠れば、その文明は衰退の道をたどり、やがて滅亡することになる。さらに、トインビーは、挑戦に対する応戦は常に創造的少数者の発見を多数が模倣することによってもたらされるという。

例えば、人類の生産力を飛躍的に高めた現在の工業社会文明はイギリスで始まった産業革命を世界中の国が次から次に模倣することで広がったものである。18世紀に始まった工業社会文明は人類に未曾有の物質的繁栄をもたらしたが、20世紀後半にいたって地球温暖化という地球の破滅を招きかねない挑戦を受けるにいたった。この挑戦にいかに応戦するかが21世紀に生きる我々の課題なのであるが、この場合、応戦方法を考え出す創造的少数者は誰かというと、飯田さんによると、スウェーデン、デンマーク、オランダの三ヶ国なのだという。この三ヶ国が化石燃料及び原子力から自然エネルギーへの転換が現実的な政策であることを自ら実証し、ドイツが先進的な模倣者という役回りで、EU諸国全体を自然エネルギーへの転換に巻き込んでいる構図だという。

もちろん、電力会社や産業界の強力なロビー活動のため、国ごとに自然エネルギーへの転換の進捗状況にはばらつきがあるが、地球温暖化という工業社会文明への挑戦に対する応戦は原子力ではなく自然エネルギーでなされなければならないという点については、ヨーロッパ諸国の間でコンセンサスがあることが今回の出張で確認された。

こうした見方をすると、京都議定書の批准を拒否しているブッシュ政権下のアメリカは明らかに文明に対する挑戦を無視していることになる。では、日本はどうかというと、地球温暖化という挑戦を無視しているわけではなく、もっぱら原発の新規増設という形で応戦しようとしているのである。この応戦の仕方については賛否の分かれるところであり、すでに述べてきたようにヨーロッパ諸国は原発の新規増設という選択肢を頭から除外しており、国際社会では原子力を偏重する日本の政策は極めて奇異なものとして捉えられているようだ。

ちょうど、帰国する飛行機で読んだ1月29日付の日本経済新聞の一面トップの記事は、経団連が政党評価をしたというものだった。この記事によると自民党のエネルギー・環境政策は原子力への信頼回復を評価してA,民主党のエネルギー・環境政策に対する評価は環境税への導入が掲げられているとしてDだった。

こうした記事を読むと、一般読者は原発を推進する自民党が現実的で、環境税を導入しようとする民主党が非現実的と思いがちではないかと危惧する。実際には、こうした形で電力会社と産業界によってじわじわ形成される日本の常識こそが世界の非常識になりつつあるのである。

グローバルな市場で競争力を持つ強力な産業界の存在なくしては、我々が現在、享受している物質的な豊かさを維持することはできない。しかし、グローバル化が進む中での政治の役割は、産業界が競争力を保持できる環境を整備することもさることながら、容赦のない経済のグローバル化に対応できない経済的弱者に対する目配りを怠らないことではないか。こうした意味で、自然エネルギーへの転換を単に地球温暖化という挑戦に対する応戦としてだけでなく、グローバリゼーションの中での地方の困窮化という挑戦に対する応戦として戦略的に位置づけているヨーロッパ諸国の試みから学ぶところは大きいのではないだろうか。

 

1月28日(水)

午前10時、コペンハーゲン・エネルギー環境事務所(通称「エネルギー事務所」)を訪れる。エネルギー事務所はNGOだが、ECによってデンマークの代表的なエネルギー・インフォメーション・センターとして位置づけられている。エネルギー・インフォメーション・センターとは、政府、電力会社、メーカーのいずれとも利害関係を持たないNGOで、省エネと自然エネルギーに関する公平中立な情報を提供することを目的としている。日本ではエネルギーに関する情報のほとんどが原発を推進する政府と電力会社によって供給されているのと比較すると、大きな違いである。

さて、エネルギー事務所は地方自治体や市民団体と協力しながら風力発電の普及に努めてきた。デンマークは世界第4位の風力発電大国だが、風力発電がこれほど普及した背景には3つの成功要因があるという。

まず、第一に、風力発電所の80%が一般市民に所有されていること。風力発電所建設の担い手を電力会社ではなく、一般市民としたことで国民の幅広い支持を得ることができた。

第二に、電気料金固定価格買取制度(通常、Feed -in-Tariffと呼ばれている制度)が導入されたこと。これは新しくできた風力発電所が発電する電力を固定価格で買い取るように既存の電力会社に義務付けた制度である。この制度のお蔭で、風力発電事業の採算性に目途が立ち、一般市民による新規参入が容易になった。

第三に、風力発電所が地域経済に貢献することが理解されたこと。どの地域にもある風力というエネルギー資源にお金が流れる仕組みを作ったことで地域経済が潤うようになった。今回訪れたドイツ、スウェーデン、デンマークの三ヶ国に共通する発想であり、エネルギー源を輸入石油や輸入ウランからどこにでもある自然エネルギーに転換することで、産業基盤が脆弱な地域に雇用を創出することに成功している。これこそが政治の技術(あるいは政治の芸術)と言うべきものだろう。

午後、デンマークの省エネの神様として尊敬されているヨハン・ノルゴー教授のご案内で、デンマーク電力節約トラスト(Danish Electricity Saving Trust)を訪れる。電力節約トラストは電力に課税されるエネルギー税を財源とした組織であり、電力節約を政策的に推進するのが目的である。日本のガソリン税は道路建設のために、電力税は原発推進のために使われるが、デンマークのエネルギー税は電力節約のために使われるのが面白い。

また、日本の省エネ努力というと、夏に役人がノーネクタイ姿になったり、役所の冷房の設定温度を高めにしたりするといった果たしてどれだけ効果があるのか疑問を持つような、アリバイ工作的で精神主義的なものだが、デンマークの省エネ政策には省エネの分野に競争原理を持ち込むことで省エネを進めようという基本的な戦略がある。

具体的には、省エネ水準によって電気商品にAからGまでランク付けすることで、1994年には5%だったAランクの電気商品の使用率を2003年には75%まで高めるのに成功した。Aランクの電気商品の使用率を高めるために、Aランクの電気商品を購入した場合には500クローネ(日本円で1万円)の補助金を出すなど日本ではちょっと考えられない意欲的な政策を展開している。

一般的に、日本の政策が生産者の立場で立案されるのに対して、環境先進国の政策は消費者の立場で立案されるという違いがあるようだ。電力節約トラストのピーター・カルボ部長によれば、多くの電気商品が電力多消費型の設計になっているのは、ただ単にメーカー側が省エネに無頓着なためであり、省エネの方向で政策的に競争を導入すれば、いくらでも省エネの余地はあるとのことであった。

 

1月27日(火)

午前中、ストックホルム市でエコタウンとして再開発されたハマビィ地区を訪れる。ハマビィ地区はもともと市街地に隣接する寂れた工業地帯だったが、2004年にストックホルムに誘致する予定だったオリンピックの選手村として再開発が計画された。オリンピックの誘致は失敗したが、エコタウンとしての開発は続けられ、現在ではエコタウンのモデルとして全世界から見学者が訪れる地区となっている。

よく、「循環型社会を創る」とか言われるが、循環型社会が一体どのようなものなのかはよく分からない。しかし、このハマビィ地区に来ると、「なるほど、循環型社会とはこういうものか」と納得させられる。まず、街から出されるゴミのうち、燃えるゴミは廃棄物発電所に送られ、発電と地域暖房及び地域冷房の燃料として使われる。また、生ゴミ及び下水からはバイオガスが取り出されて、各家庭の台所に調理用ガスとして供給される。ハマビィ地区に建ち並ぶ個性的なマンションには、太陽光発電や太陽光熱など様々な環境技術が駆使されているし、建設そのものにもリサイクル資材が使われている。中心市街地と結ぶ公共交通機関も、路面電車、バス、フェリーと充実している。さらには、街の住民が共同で車を使いあうカープールという仕組みもある。現在では、180人の住民が十数台の車をインターネットや電話で予約しながら共同で使っているそうだ。街の住民の構成としては、ほとんどが35〜45歳の子持ち家族とのことだった。日本でも環境特区としてこうしたエコタウンを開発する可能性があるかも知れない。

正午、スウェーデンの国会議事堂を訪れ、国会内の食堂で、緑の党のインゲゲルド・サリネン議員、政策スタッフのチャールズ・ベルコウさん、フレデリック・アンドバーグさんと昼食を取りながら、スウェーデンのエネルギー政策の現状と問題点についてお話を伺った。

ところで、スウェーデンの政治状況を簡単に説明しておくと、現在のスウェーデン政府は、社会民主党、緑の党、左党(旧共産党)の連立政権である。緑の党は内閣には参加していないものの、社民党が過半数を維持するためには不可欠な存在なので、ちょうど日本の公明党のように政権内で一定の影響力を有しているという状況である。

さて、スウェーデンは、原子力発電の是非について1980年に国民投票を行い、2010年までに脱原発すると決定した。ところが、脱原発を順調に進めるためという理由で、国民投票直後からの数年間で原発を2倍に増設。電力供給の中で原子力が占める割合は45%まで高まった。その結果、電力料金が下がったため、電気による室内暖房が急速に広がるなど国民一人当たりの電力使用量が大幅に増えてしまった。12基あった原発を1基減らしたものの、2010年までにゼロにするのは困難な状況で、現在、電力会社と脱原発のスケジュールについて交渉中とのことだった。

また、1996年の電力自由化についても、バイオマス発電などのグリーン電力の新規参入が容易になった一方で、電力市場の寡占化が進み、巨大になった電力会社が自然エネルギーへの投資にあまり熱心でないなど、当初の思惑とは違った方向に事態が進んでいる。

今後の政策課題は二酸化炭素の排出に課税する環境税の導入だが、製紙業や鉱物資源などのスウェーデンの基幹産業は適用除外になる見込みのため、一般家庭にしわ寄せがいくことになりそうで苦慮していると語っていた。

スウェーデンのように環境先進国と言われている国でも、電力会社や産業界の強力なロビー活動に阻まれ、エネルギー政策の転換を進めるのは容易なことではないと改めてエネルギー問題の難しさを思い知らされた。

夕方5時10分の飛行機でデンマークのコペンハーゲンに移動。1時間ほどの飛行時間。ヨーロッパ国内を動き回るのは国内旅行をする感覚である。コペンハーゲンの街に入ると、自転車に乗っている人が多いのが目につく。ホテルに着いてから、近くのニューハウンと呼ばれるお洒落な場所(「新しい港」という意味の旧い港街)に出かけて夕食を取る。

 

1月26日(月)

スウェーデンに留学経験のある環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長のご紹介を受けて、ストックホルムから鉄道に40分乗り、エンシャピンという人口2万人の町のエネルギー公社を訪れた。

この町では、電気と暖房が100%バイオマスによって供給されている。いままでよく分からなかったバイオマス発電について、エネルギー公社のエディ・ヨハンセン社長が分かりやすく説明してくれた。

バイオマスとは植物生物から生成されるエネルギーを指していうが、要するに薪(たきぎ)のことである。したがって、バイオマス発電というのは、薪を燃やしてお湯を沸かし、その蒸気でタービンを回して発電する仕組みである。

エンシャピンにある発電所では薪ではなく木材をチップ状にしたものを燃やして発電していた。また、沸かしたお湯をただ発電に使うだけでなく、地下に埋められたパイプを通して町中の家庭や施設に配り、地域全体を暖房しているのである(通常、コジェネと呼ばれる仕組みである)。さらに驚かされるのは、町が所有するこのバイオマス発電所の建設費用の45億円のほとんどが民間資金でまかなわれていることだ。

なぜ、そんなことが可能かというと、1996年に電力市場が自由化されたことで、誰でも電力市場に参入することが可能になり、発電した電力をその時々の実勢価格で売ることができるためだ。そのうえ、発電量によって政府から支給されるグリーン電力証書を消費者に売ることでも収益を上げることができる(スウェーデン国民は消費電力の7%までグリーン電力を購入することが法律で義務付けられている)。

つまり、エンシャピンのエネルギー公社はエンシャピンの町民に電力と暖房を供給して料金収入を得られるだけでなく、余剰電力とグリーン電力証書を広く市場で売ることでも収入を得られるのである。実によくできた仕組みだ。

しかし、ヨハンセン社長によれば、バイオマス発電の最大の利点は地域で雇用が生まれることだという。バイオマス発電の燃料は木材であり、100%地域で調達できる。エネルギー源を石油からバイオマスに転換したお蔭で、これまで中東諸国に払っていたお金を地域で林業に従事している人に払うことができるようになった。

スウェーデンと同じように石油資源を中東諸国に依存せざるを得ない日本も、エネルギー源をバイオマスに転換することで中山間地に雇用を創出できるはずだ。このやり方はうまくいくと自信を持ってお勧めしたいと熱っぽく語ってくれた。

いま、日本社会が抱える最大の問題は、グローバリゼーションに地方がいかに対応するかという問題だが、北欧諸国は我々が気づかないうちにしっかりこの問題への解決方法を考えてくれていた。有難いことだ。

ヨハンセン社長にバイオマス発電所や熱供給を受けている病院を案内してもらった後、鉄道に乗ってストックホルムに戻る。午後、スウェーデン最大のNGOであるSNW(自然保護団体)を訪れ、エコ認証の仕組みなどについて説明を受ける。

福井県の大雪は取り敢えずおさまっているようでホッと一安心。皆さん、お気遣いいただき有難うございます。

 

1月25日(日)

終日、ストックホルムの街を歩き回った。まず、昨日の日記での前言を撤回しておこう。やはり、ストックホルムは北欧で最大の偉大な都市である。一日、自分の足で歩いてみて、随所に様々な工夫が凝らされているのが良く分かった。

街全体に「人間が主で車が従」という基本的な考え方が貫かれている。街を動き回る交通手段として、まず、徒歩、次に、バス、その次に地下鉄、最後に車という順番で街全体がデザインされている。

例えば、街の中を流れる川沿いにあるのは歩道であり、車道は高架となっているか、下をもぐらされている。川を横切る橋を渡るにも、川沿いの歩道から橋の歩道にうまくつながっていて、車に遠慮しなくても、歩きながら街の中を自由自在に動けるようになっている。観光スポットとなっている川の中に浮かぶ島の中の旧市街地から現在の中心市街地までずっと歩いていける。

いや、というより、車が完全にブロックされている。勿論、車でも行けるのだが、車は目抜き通りの外側を走る構造になっている。「いやはや恐れ入りました」という感じである。

ところで、Mr. スミスこと角さんのスタッフ通信によると、福井県は大雪らしい。一体、どの位の大雪なのか。鯖江の実家の屋根の雪降ろしをしなくて良いのか、ちょっと心配である。

 

1月24日(土)

ベルリンからコペンハーゲンを経て、スウェーデンのストックホルムへ。

飛行機で隣り合わせた方がたまたまドイツ文部省の中等教育の責任者だった。ストックホルムで開かれる教育関係の国際会議に出席するとのことだった。旧東ドイツ地域における教会離れについて何か対策を講じているのか聞いてみたら、旧東ドイツ地域における宗教、文化、伝統の喪失は深刻な問題で、旧東ドイツ地域における小学校で宗教教育を始めたという。政教分離の問題は生じないのかと聞いたら、宗教の授業への出席は強制ではないので問題はないとの答えだった。

ドイツは決断が早く、やることが果敢である。また、いま、一番頭を悩ましている教育問題は何かと聞いたら、それは学力低下の問題だというので、抱えている悩みはすべて日本と同じですねと笑った。

午後1時過ぎにストックホルムに着く。一面、真っ白の雪だったが、ベルリンのような肌を刺すような寒さはない。ホテルの部屋でようやく高速のインターネットがつながりホッとする。これまでの「ブンブン日記」はすべて正田さんのコンピュータを借りて送っていた。イーサネット・ケーブルがつながるとEメールの設定も日本とまったく同じで使えるのでとても便利だ。武生市の村上幹夫さんからのメールによると、大阪ガスが敦賀市に対して中池見湿地の全面寄付を申し出たそうだ。時代の風が変りつつあるのを感じる。

ホテルで一息ついた後、ストックホルムの街に出かけた。スウェーデンの首都だというのに、人口が少ないせいか、日本の地方都市のような雰囲気だ。社会保障が充実しているので、あくせく競争する必要がなく、都市住民特有の何かに追い立てられているような切迫感を感じられないためかも知れない。ホテルの受付で最も賑やかだと教えられた界隈で、昼食と夕食兼用の食事をしてからホテルに戻る。夜、もう一度、街に出ようと思っていたが、一週間の疲れがどっと出て、寝てしまった。

 

1月23日(金)

日独自然エネルギー会議の2日目。日独における自然エネルギー導入の様々な取り組みが紹介された。多くの事例発表を聞いているうちに、いくつか大事なことが分かってきた。

まず、自然エネルギーの普及には、供給、技術、需要の3つが必要であること。どういうことかと言うと、自然エネルギーには、水力、風力、太陽光発電、太陽光熱、バイオマス、地熱などがあるが、こうした自然エネルギーを活用するには技術開発と技術の普及が必要だ。

例えば、新築するマイホームを太陽光発電にしたいと思っても、妥当な値段の太陽光発電パネルが必要だし、また、建築業者がどうしていいか分からなければお手上げである。また、需要というのは、少々お金がかかっても環境保護のために太陽光発電パネルを取り付けたいという消費者が必要だということである。

ドイツでは、自然エネルギーによって作られた電力はグリーン電力と呼ばれ、通常の電力よりも割高なグリーン電力をあえて購入する消費者がいることが自然エネルギー普及の大きな力となっている。

また、グリーン電力証書という仕組みもある。これは、実際にはグリーン電力を使えない地域でも、グリーン電力証書を買うことで、つまり、割高の電力料金を払うことで、グリーン電力を買ったことになる仕組みである。

日本でも企業向けにグリーン電力証書の販売がすでに始められており、正田剛さんが経営する日本自然エネルギー株式会社の主な業務は企業向けのグリーン電力証書の販売である。グリーン電力証書の売り上げ代金は風力発電の建設資金などに使われるため、実質的にグリーン電力を買ったことになるのである。

正田さんによれば、現在は営業効率を上げるために環境保護に熱心な企業(より正確には、環境保護の姿勢が自社のイメージアップにつながると考えている企業)向けに販売しているが、将来は一般消費者に向けても販売したいとのことだった。このほか、自然エネルギーを導入するための実務的なノウハウが色々分かって有益だった。

午後2時に会議が終了。日独の主催者と一緒に鉄道に乗ってベルリンに帰ってきた。窓の外を通り過ぎる田園地帯には電信柱も看板もない。夕陽に照らされてゆっくり回る風力発電の風車が美しかった。夜、ベルリンの街に出かけて、皆で打ち上げの夕食をした。ベルリンの建物は大柄なドイツ人の体格を反映しているせいかいずれも巨大である。ライトアップされた荘厳なベルリンの街を歩いていると、第二次大戦前に逆戻りしたような錯覚に襲われた。

 

1月22日(木)

午前中、マルティン・ルター大学で日本語を勉強している2人の学生にウィッテンベルグの街を案内してもらって、ルターが扉に挑戦状を貼り付けたという教会などを訪れた。ガイド役の学生に「教会は行くの?」と聞いたら「教会には行かない」という。「では、お父さんやお母さんは?」と聞くと、「お父さんもお母さんも行かない」と答えるので驚いた。後でドイツ側の主催者に聞いたら、ドイツ国民の教会離れは深刻で、特に共産党が宗教を否定した旧東ドイツ地域がひどいという。「なるほどそうか」と思って聞いてみると、ウィッテンベルグも2人の学生の出身地も旧東ドイツ地域だった。

ルターが宗教改革を起こしたプロテスタントの聖地ともいうべき場所で教会離れが起きているのは皮肉である。しかし、ドイツに来てみてもう一つ気づいたことは、ドイツ人には理性的で合理的なところがあると同時に、ロマンチックで神秘主義的なものに憧れるところがあるということだ。青春時代に読んだヘルマン・ヘッセやシュタイナー教育で有名なシュタイナー、哲学者のヘーゲルやハイデッガーにはロマンティシズムや神秘主義の側面がある。ドイツで脱原発が進められ、自然エネルギーが促進されている背景には、こうしたドイツ国民の気質があるのかも知れない。

午後から日独自然エネルギー会議。日独の自然エネルギー関係者が集まり、日独の状況を把握するとともに、自然エネルギー促進に向けて日独協力の可能性について話し合うのが目的。

1日目は、日独の全般的な状況について発表がなされた。なかでも圧巻だったのは、ドイツ議会で自然エネルギー促進の中心的役割を果たしている緑の党のハンス・ヨセフ・フェル議員の発表である。

フェル議員は、地球温暖化を防ぐためには自然エネルギーの比率を高めることが不可欠としたうえで、自然エネルギーはコスト高と思われているが、地球環境に対する負荷を考えると石油や石炭などの化石燃料の方がコスト高であり、また、過去6年間にドイツ国内で13万人の新規雇用を生み出すなど、自然エネルギーは失業率低下、雇用増大にも役立つとする。

さらに、イラク戦争に見られるように、地球上の多くの戦争の原因はエネルギーの争奪であり、エネルギー源を中東に偏在する石油から自然エネルギーに転換していけば、戦争の危険性も少なくなる。いま、求められているのは地球規模のエネルギー革命であり、少数の人が大きく儲けている現在の経済構造から、多くの人が小さく儲ける経済構造に転換する必要があると力説した。

フェル議員は、草の根の市民運動から這い上がってきた政治家であり、一つ一つの言葉に重みがあり、説得力があった。会議が終わった後、北海道ニセコ町の逢坂誠二町長と「政治家はかくあるべし」と語り合った。

 

1月21日(水)

月曜日から始まった自然エネルギー欧州会議の最終日(僕は2日目から出席)。2020年までにEU域内の自然エネルギーの比率を20%まで高めるなどの結論を得て、午後1時半に終了した。

この2日間で分かったことを簡単に説明しておくと、地球温暖化にいかに対処すべきかというのがそもそもの出発点。地球温暖化を防ぐには二酸化炭素の排出量を減らすしかない。二酸化炭素を出さないエネルギーには、大きく分けて、原子力と自然エネルギーがあるが、EUは原子力ではなく自然エネルギーの比率を高めることで二酸化炭素の排出量を減らすという政治的合意に達した。

1997年には自然エネルギーの比率を2010年までに12%まで高めるという目標を設定。この目標を達成するためEU各国はこれまで様々な努力を展開してきた。今回の会議では、そうした各国の取り組みを紹介するとともに、様々な問題点について議論し、さらに目標を20%まで引き上げた(ちなみに,日本の目標は2010年までに1.35%というもの)。

自然エネルギーの比率を高めることで、新しい産業と雇用を生み出し、これまでの大量生産・大量消費・大量廃棄型社会とは全く違う新しい社会を創り出すのだというヨーロッパ諸国の並々ならぬ決意と情熱が伝わってきた。

会議が終わってから、電車に乗って「ベルリンの壁」を見に行ってきた。「ベルリンの壁」はほとんど壊されていて、いまはほんの一部が残されているだけだった。何の変哲もない壁で、一緒に行った正田さんは「世界三大がっかりの一つだ」と冗談を言っていたが、壁の前でお互いに写真を取り合った。

その後、日独自然エネルギー会議に出席するため、鉄道でウィッテンベルグに向かう。約1時間半の鉄道の旅。ヨーロッパの列車はアナウンスがなく突然止まるので、危うく降り忘れるところだった。ウィッテンベルグはマルティン・ルターが住んでいた街で、世界遺産になっているそうだ。

ドイツ側の主催者と共に夕食。遅れて、北海道ニセコ町長の逢坂誠二さんが参加。夕食が終わって、宿舎に着いたところで、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんたちが到着した。

 

1月20日(火)

時差ぼけで朝4時に目が覚めてしまう。アイオワ州で開かれた米大統領選挙民主党予備選の結果が気になってCNNにチャンネルを回すと、番狂わせでケリー上院議員が勝っていた。インタビューに答えるケリー上院議員の話を聞いていて、「やはりそうか」と思った。

いま、世界の一般的な受け止め方は、軍事的にも経済的にもアメリカの独り勝ちというものだ。しかし、実際のところは、かなり多くのアメリカ国民はグローバリゼーションに取り残されて経済的に苦しんでいるのだ。ケリー上院議員はそこに焦点を当てて選挙戦を戦ったらしい。日本の地方に住んでいる感覚とぴったり一致する。

ホテルの朝食で、日本自然エネルギー株式会社の正田剛社長、環境エネルギー政策研究所の大林ミカ副所長と合流して、自然エネルギー欧州会議(European Conference for Renewable Energy)に出席する。

ECが主催するこの会議にはヨーロッパ各国から官民のエネルギー関係者数百名が出席している。テーマ毎に各国からの専門家が壇上に上がり、夫々5分の発表を行ってから質疑応答を行うという方式。

一日中、会議に出席して、ロビーで湯水のように溢れる資料に目を通していると、大体、ヨーロッパのエネルギー事情が見えてくる。

夜、ベルリン市役所で開かれたドイツ環境省主催の歓迎レセプションに出席した。「緑の党」の闘士であったというトリティン環境大臣に、「6年間、脱原発を訴えているが、なかなか理解してもらえない」と語りかけたら、「ドイツの場合は、『緑の党』を結成してからエネルギー政策の転換にこぎつけるまでに20年以上かかった。我々と同じような頑固さで頑張って欲しい」と励まされた。

 

1月19日(月)

関西空港から13時間でフランクフルトへ。フランクフルトは雪だった。お蔭でベルリン行きの便がキャンセルになり、フランクフルト空港で足止め。ところで、フランクフルト空港の中にカジノがあるのは驚いた。ベルリンに着いたら、どういうことなのか事情を聞かなくてはならない。2時間待たされてから、何とか代わりの便でベルリンに着いたものの、僕の荷物はフランクフルトに置き去りになってしまった。空港で紛失荷物の手続きを済ませてからタクシーでホテルに向かう。途中、ベルリンの壁があったところを通り過ぎた。ここに冷戦を象徴する壁があったのかと思うと感慨深い。ホテルは旧東ベルリン地区にあった。街並みが古く趣がある。夕食を取ってから就寝。

 

1月18日(日)

芦原町の「はいや松風園」で開かれた坂井郡の年賀会に出席する。懐かしい戦友たちが一同に会して、皆、元気になった。年賀会の最中はスタッフは食事を取れないので、終ってから日之出屋に食事に出かけた。夜、続いて、芦原町のパストラル青雲閣で開かれた支持者の会社の新年会に出席。毎年、一泊しているが、明朝4時55分のJRに乗らなければならないので今日は早目に失礼させていただいた。ベルリンで開かれる自然エネルギー国際会議に出席するため明日(19日)から30日までヨーロッパに出かける。会議の模様はベルリンからご報告します。ご期待ください。

 

1月17日(土)

月曜日からのヨーロッパ出張に備えて、事務所で一人で英語の名詞を作る。ところが、自分の画像がコンピュータのどこに保存されているか分からない。ようやく名詞のデザインができたと思ったら、今度はプリンターが動かない。次は、インクジェット用の台紙をレーザープリンターで使うと、紙の表面がめくれてしまうなどハプニングの連続だった。いつも何事もなくたんたんと処理している長谷川なおみさんの有難みが身に沁みて分かった。有難うございます。夜、「ぶんどう塾」委員会の新年会。

 

1月16日(金)

新年に入ってから、僕の動向が色々と取り沙汰されているようで身辺が騒がしくなってきた。午前中は千客万来。午後は年賀会の準備のため敦賀に出かける。

 

1月15日(木)

芥川賞が綿矢りささん(19)、金原ひとみさん(20)の2人に決まった。数年前、バーチャル社会への過度の傾斜が言語喪失を招くという批判があったが、ネット世代が予想に反して活字に強いことを証明してくれた。Eメールや携帯メールが普及して、文章を書くことに抵抗がない若者が増えている。このホームページにときどき投稿してくれる高校生のマコトさんの文章を読んでも、我々の世代にはない伸び伸びしたリズムと感性があって感心させられる。日本社会の情報化が遅れているのは日本人の言語能力が衰えているためではないかと一部では危惧されているようだが、どうも杞憂に終わりそうだ。日本の将来はそれほど暗くないと思えてきた。

 

1月14日(水)

日本でも放映され大人気となった韓国のTVドラマ「冬のソナタ」の主演女優と会うツアーなるものがあるそうだ。ところが、主演女優のチェ・ジウさんは多忙のため当初から断っていたことが明らかになって問題になっている。会うか会えないかが日本の「ニュース」になってしまった以上、何らかの形で会えることになると思うが、こんなことがニュースになるくらい、最近の韓国ドラマに対する人気はすさまじい。実は、僕も衛星2で放送された「冬のソナタ」を見ていた。すれ違いが延々と続く典型的なメロドラマなのだが、次にどうなるか気になって、ついつい最後まで見てしまった。また、先日見た「ラストプレゼント」という韓国映画にも唸らされた。ストーリー展開が素晴らしいのもさることながら、日本のドラマだったら気恥ずかしくなるような「純愛」にひきつけられてしまう。韓国のドラマを見ていると、逆に日本のドラマの軽薄さとも言うべき底の浅さを感じる。韓国政府が日本文化の輸入に抵抗する際に挙げていた「日本文化の悪影響」とはこのことだったのだろうか。

 

1月13日(火)

1月12日付の日刊県民福井によると、福井市が郊外に新築する建造物について「建ぺい率」を引き下げる方針を固めたそうだ。「建ぺい率」というのは、敷地面積に対する建築物面積の割合を示すもので、「建ぺい率」を引き下げると敷地いっぱいに建物を建てられなくなるので隣の家との間隔が広くなる。開発を促進させる「中心市街地」と自然環境を保つ「郊外部」を明確に分けて、市民に「住みやすさ」を実感してもらうのが狙いだという。これまで福井市は「コンパクトシティ」をあるべき都市像としながら、実際には、野放図な郊外の市街化を許してきた。これから求められるのは、コンパクトで楽しい密度の高い中心市街地とその周辺に広がる美しい農村環境、自然環境という組み合わせである。今回の福井市の試みがコンパクトシティへの具体的な一歩となることを期待したい。

 

1月12日(月)

福井支部の年賀会を福井市内のワシントンホテルで開く。400名以上の方にご出席いただき、大盛況だった。マスコミの方も何人かいらしていた。年末年始、一生懸命考えた僕のスピーチも好評でホッとした。毎年、福井市の年賀会が一番緊張する。福井市の大舞台を想定してプログラムを考えるので、福井市の年賀会が終わると一段落ついた気がする。年賀会が終わった後、スタッフ全員でワシントンホテルの5階のチャイナテーブルで打ち上げをした。皆さんのお蔭で、再起の年と位置づけていた2004年のスタートを無事きることができた。有難うございます。

 

1月11日(日)

鯖江市の実家がある下新庄町の新年会に出席。実家に泊まる。

 

1月10日(土)

夜、福井市内の藤島第2町内会に出席する。隣に座っていたおばさんに、「政治家になろうとする人は、一遍や二遍負けたぐらいでふにゃふにゃーっとしてもたらあかん。しぶとぉーう、何が何でも、食らいついていかなあかんやー」と励まされた。

 

1月9日(金)

来週月曜に予定されている福井市の年賀会のために袋詰めを行う。参考資料を500部作って封筒に詰めるという作業だ。何人ものボランティアの方に手伝っていただいて楽しく作業を終えた。

 

1月8日(木)

午前、外国法事務弁護士の仕事をする。午後、昨年の福井市年賀会にご出席された方々に出す葉書の宛名貼りをする。イベントの成功というのは、事前のこうした細々とした作業をどこまでやるかで決定されるのだろう。

 

1月7日(水)

福井テレビの年賀会に出席。お会いする人ごとに「これからどうするのか」と聞かれた。夕方、勝山市のお通夜に出席した後、福井市にとんぼ返り。夜、福井市の全体会議。来週月曜日の年賀会にむけて入念に準備する。

 

1月6日(火)

事務所に来られた方とお話したり、年始のご挨拶に伺ったりして、一日過ごす。

 

1月5日(月)

仕事始めの日。小浜市で開かれた京福設備の年賀会に出席する。京福設備は若狭地区で事務局長をしていただいている小河紀久生さんが経営する会社だ。建設業界はどこも厳しい。どの業界でも勝ち組と負け組に分かれつつあるが、その過程で負け組が倒産すると、不良債権(不渡り手形)という形で勝ち組の経営基盤も揺るがすことになる。本来、負け組にならなくてもよい企業まで負け組にしないようにする工夫が必要だ。また、負け組をそのまま放っておいたら、ますます悪い世の中になる。不幸にも負け組になった人を別の世界で何とか勝ち組にする仕組みをつくるのが政治の仕事だ。小河さんの挨拶を聞きながら、そんなことを考えた。

 

1月4日(日)

南条町で年賀会。甘酒あり、ぜんざいありのなごやかで家族的な年賀会だった。南条町に来るとホッとする。「南条町では息を抜いて、他で頑張ってください」などと声をかけられる。やはり、故郷はありがたい。

 

1月3日(土)

終日、翌日に迫った年賀会の挨拶を考える。毎年、唸りながら考える。政治家のスピーチは歴史に残るものなので、歴史の風雪に耐えるものを書こうという気負った気持ちで書いている。尤も、そんな大それた気持ちだから、なかなか、筆が進まないのかもしれない。

 

1月2日(金)

イラクに応援出張している外務省の同期の宮家邦彦・臨時代理大使からメールで年賀状が届いた。「大晦日の夜も近くのレストランで大爆発があり、久しぶりに爆風(空気が揺れるので直ぐ判ります)を経験しました。CNNの実況放送を見ていると、何か他人事のようで自分がいまその現場から1キロ以内にいるなんてとても思えません」「いま私たちの大使館を守っているのは主としてイラク人の屈強で勇敢な若い警備員たちで、何故か自国の自衛隊は守ってくれません。丸腰の我々がイラク人と米軍に守られて、武装した自衛隊が大使館を守れないというのも何か腑に落ちません」などと書かれている。外交官の仕事をしていると、「日本の常識」は「世界の非常識」であることを度々実感させられる。大使館員そして自衛隊の方々のご無事を祈るばかりである。

 

平成16年 元旦(木)

新年、明けましておめでとうございます。順境の時に悪い種が蒔かれ、逆境の時に良い種が蒔かれるという。そうだとすれば、昨年、良い種が蒔かれているはずだ。今年は再起の年と位置づけたい。みんなが幸せを実感できるまでは、ネバーギブアップ!福井県に生まれてきて良かったと思える福井県になるまでは、ネバーギブアップ!子供たちが胸を張って福井出身ですと言えるようになるまでは、ネバーギブアップ!僕はあきらめない。本年もよろしくお願いします


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