ブンブン日記 2004年 2月
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2月29日(日)

民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦が書いた「南無阿弥陀仏」を読む。民藝というのは、一般民衆の手で作られ、民衆の生活に用いられる品物のことであり、柳宗悦は全国を行脚して民藝品の美を発見し、日本民藝館を開設した人物である。その柳宗悦がなぜ、「南無阿弥陀仏」を書いたのか。

柳宗悦は優れた民藝品に触れるうちに、「偉い芸術家が作ったものではなく、無学な職人たちの手で作られた民藝品に美しいものが多いのはなぜなのか」と考えた。

そして、「これらの品の美しさは、決して自力に由来したものではないことが分かる。凡夫の作る下品の器に救いが果たされるのは、どうしても他から何らかの力が加わっていることを意味する。他力とは何なのか。そう尋ねないわけにゆかぬ」と浄土思想に近づいていったのだという。

「事実を見ると、在銘の品よりも無銘の品に救われているものが遙かに多い」「自力の天才によいものが出来るなら、他力の凡人にはなおさら出来る」と柳宗悦は言う。目から鱗が落ちるような示唆を与えられた本であった。

 

2月28日(土)

試みに息子の名前をインターネットで検索してみたら、HPが一発で出てきて驚いた。今年になってから、仲間と一緒に日記を公開しているようだ。親子で同じことをしているというのもおかしなものだ。「NYで働いていたある弁護士」などと書いてあるが、これは僕のことだろうか。僕も話題になっているのかと、ちょっと安心する。

 

2月27日(金)

オウム真理教の松本智津夫被告に対する判決要旨を読んで、あらためて事件の異常さ、おどろおどろしさに驚いた。しかし、最も驚かされるのは、事件の全容が明らかになった今も、「アレフ」と名称を変えてオウム真理教が存続していることであり、松本被告を教祖として帰依している信者が多数いることである。

地下鉄サリン事件が起きた1995年当時、僕はニューヨークにいた。地下鉄サリン事件、その後、容疑者として登場したオウム真理教については、ニューヨークでも大々的に報じられたが、興味深いのは「日本でこんな異常な事件が起きた」という取り上げられ方でなく、「日本でもカルト事件が起きた」という取り上げられ方だったことだ。

なぜなら、アメリカには約5000のカルト集団があると言われており、日本でも報じられた集団自殺などのカルト事件が多発しているからだ。何でも社会の責任にするのは好きではないが、カルト事件が起きる背景には共通の社会状況があるようだ。

未来学者のアルビン・トフラーは「第三の波」(1980年)の中で、工業社会の衰退の中で行き場と生きる意味を失った孤独な若者がカルト集団に惹きつけられるだろうと予言している。理系出身者が目立ったオウム真理教の若い信者たちは松本被告が提供する「意味の世界」に惹きつけられたのだろうか。

オウム真理教事件は、大量殺人をなぜ防げなかったのか、裁判をもっと早くできないのかなど多くの課題を司法当局に残した。同様に、我々にも、これまで保障されていた「行き場と意味」を失いつつある個人に対して、新しい「行き場と意味」が見つかる世界を構築するという課題が残されている。

 

2月26日(木)

ここしばらく春めいていた陽気が冬に逆戻り。身辺が慌ただしくなる中、事務所を訪れる人が増えてきた。

 

2月25日(水)

大阪ガスが、液化天然ガス基地建設を断念して、予定地だった敦賀市樫曲の中池見湿地と同湿地内に同社が造成した保全エリアの施設ならびに維持管理協力金として4億2千万円を敦賀市に寄付することになった。

大阪ガスの液化天然ガス基地建設は敦賀市が1992年に誘致したものだが、中池見湿地には貴重な動植物が生息するほか、地球の5万年の歴史が分かる50メートルにも及ぶ泥炭層があり、敦賀市の市民グループが中池見湿地の保全運動を展開していた。

僕は1999年、この市民グループの人たちからのお話で、コスタリカで開かれたラムサール会議に出席したという縁がある。「蜘蛛博士」の斉藤慎一郎さんも一緒だった。ラムサール会議のプレ会議で中池見湿地の保全を訴えた結果、国際的な泥炭湿地の専門家たちによって「中池見声明」が出されたという経緯がある。

この「中池見声明」が大阪ガスにどの程度、影響を与えたのかは分からない。しかし、大阪ガスはガス需要の低迷を理由に2000年に建設計画の10年延期、 2002年には建設計画の中止を発表した。

河瀬一治市長は、世界的に重要な湿地とし ての認知につながるラムサール条約への登録をめざし、中池見湿地の保全に取り組むことを表明している。ラムサール会議で会った泥炭湿地の専門家たちの見解では、中池見湿地の重要性からいって日本政府が申請さえすればラムサール条約への登録はまず間違いないという。ラムサール条約への登録をきっかけに敦賀市が「原発の町」から「環境の町」に生まれ変わっていくことを期待したい。

注)ラムサール条約について→ 
http://homepage2.nifty.com/jpcc/ramsar-iran.html
ラムサール条約コスタリカ大会/中池見湿地保全に関して→
http://homepage2.nifty.com/jpcc/ramsar2.html

 

2月24日(火)

夜、後援会の執行部会。前回はヨーロッパ出張で欠席したので、今年初めての執行部会になる。県内9ヶ所で開いた年賀会についての反省を行うとともに、4月以降の計画について話し合った。

 

2月23日(月)

夜、福井市みのり地区の昭和幼稚園で開かれた「ぶんどう塾」に出席。新人議員奮闘記パートIIIで福井市議会議員の堀川秀樹さんの予定だったところ、急遽、都合が悪くなったとのことで、前回、中心市街地活性化問題について話していただいた大森哲男福井市議会議員に再度、ご登板いただき、今回は福井市の合併問題を中心に話していただいた。国の財政状況が悪くなる中で行政の効率化を図っていくためには市町村合併は避けて通れない。しかし、現在の福井市の合併協議は「はじめに中核市ありき」で進められており、肝心の中核市のビジョンについての真剣な議論がなされていない。ここに来て鯖江市との合併が揺れているのは、中核市のビジョンについての共通の理解がないためだということであった。この日、福井市議会で酒井哲夫市長は合併特例法の期限延長の可能性に触れたうえで、合併の時期や枠組みに変更もありうることを示唆しており、福井市の合併問題は一挙に流動化してきた。

ところで、一昨日の日記で、「めぐりあう時間たち」について、「どなたか、一体どういうお話なのか解説していただけないものだろうか」と書いたら、早速、読者の方からご友人が書かれたという映画評が寄せられた。一読して絶句。映画評そのものが一つの素晴らしい文学作品になっている。映画評を書かれたご本人はクリスタル・ラインというHP(http://www.mitene.or.jp/~t-square/)も持っていらっしゃるので、ご関心のある方は一度覗いてみてください。映画評はトップページの「Captain's Log; 映画寸評」から入ります。

 

2月22日(日)

鯖江市の幸町二丁目公民館で開かれた「井戸端ぶんどう塾」に出席する。福井市との合併に揺れる鯖江市だが、地区によって合併に対しては温度差がある。「井戸端ぶんどう塾」が開かれた神明地区は福井市に近いこともあって、参加者のほとんどが福井市との合併に賛成だった。しかし参加者の方にとっては、自分たちの暮らしにどんな影響があるかよく分からない合併問題よりも、じかに影響がある年金問題の方に大きな関心があって、もっぱら年金問題の話に花が咲いた。年金問題については、皆さん一様に不安を抱いている。今度「ぶんどう塾」で専門家の方を招いて、真剣に年金問題について考えてみたい。

 

2月21日(土)

夜、名作との評判の高い「めぐりあう時間たち」を借りてきて観る。1923年にロンドン郊外に住む『ダロウェイ夫人』執筆中のヴァージニア・ウルフ、1951年にロサンジェルスで『ダロウェイ夫人』を読んでいる主婦、2001年にニューヨークでエイズの天才詩人の受賞を祝うパーティを計画している編集者の三人の女性のある一日を並行して描いている。自殺願望の人物ばかり出てきて、何だか訳が分からないうちに終ってしまった。どうやら、原作のマイケル・カニンガム『めぐりあう時間たち』、さらにはヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読まないと、よく分からない映画らしい。どなたか、一体どういうお話なのか解説していただけないものだろうか。

 

2月20日(金)

県が2004年度当初予算案を発表した。一般会計は5003億円で、2003年度当初予算案と比較すると約150億円のマイナスである。小泉内閣が進める三位一体改革の影響で地方交付税が222億円削減されたのがひびいたようだ。

さて、予算の中身を見てみると、(1)箱物建設の原則凍結、(2)成果主義に基づいた既存事業の見直し、(3)医療・福祉・教育事業へのシフトなど、これまでの箱物行政からソフト行政への転換が見受けられ、時代の流れに沿ったものとして評価できる。

しかし、さらに細かく見ていくと、色々と疑問点が出てくる。例えば、成果主義に基づいた既存事業の見直しといっても、具体的にどの事業を廃止・縮小したのか分からない。特に県民は無駄が多いとされる巨大公共事業に大きな関心を持っている。具体的に、どの公共事業を廃止・縮小したのか明らかにしてほしいものだ。

また、医療・福祉・教育へのシフトについても同様である。昨年、鳴り物入りで導入されたフレンドリーバスに乗っている人はほとんどいないし、また、施設から在宅介護への復帰事業についても利用者はほとんどいないと聞く。すでにこれまでに実施されている事業については勿論、今回の予算で導入される新規事業についても、その具体的な成果をきちんと県民に明らかにしてもらいたい。成果主義はあくまで県民に開かれたものでなければ意味がない。

予算編成過程への県民参加についても疑問がある。「県民の声」を事業に反映したとされるが、市町村役場や業界団体はその「声」の内容についてあらかじめ県から細かく指示されていたと聞く。成果主義にしても、県民参加にしても、どうもパフォーマンスが先行しているようだ。西川県政の真価が問われるのはこれからである。

 

2月19日(木)

めっきり春めいてきた。福井市内に残っている雪も急速に解けだしている。晴天にも拘わらず、一日、事務所でたまっている仕事をこなす。

 

2月18日(水)

今国会初の党首討論で、小泉総理と民主党の菅直人代表が自衛隊のイラク派遣、道路公団改革をめぐって真っ向対立したと報じられている。 しかし、むしろ、注目すべきは菅代表が冒頭で農業問題を取り上げたことではないか。



農業問題について菅代表がどういう質問をしたのか新聞各紙では報じられていないので、インターネットであちこち調べてみると、次のようなやりとりだった。
(菅代表)安心できる安全な食べ物を欲する国民の声が強くなっている。食料自給率は30年前、日本60%、英国46%、今は日本40%、英国74%と、同じ島国で工業国として発展してきた両国が逆転している。自民党農政は失敗したのではないか。
(小泉首相)農家を考えての施策が思うように進んでいなかった。改善の余地がかなりあると思う。
(菅)私も昨年から各地を視察して農家の皆さんの話を聞くと、自民党政府の農政を評価する声はなかった。多くはいろいろ問題がある、将来が不安だ、後継者がいないという声ばかりだった。次の参院選までに私自身の責任で民主党の農林業、農山村の再生プランをマニフェストとして国民に提示したい。総理も小泉マニフェストという形でプランを出して欲しい。
(小泉)農業改革、食料政策は必要だと思うので、民主党の提案は歓迎するし、良い点はどんどん取り入れたい。

 自衛隊のイラク派遣問題は重要だが、国の根幹である安全保障問題をめぐって与野党が対立するのは、冷戦時代に日米安保体制をめぐって与野党が対立した構図と変らず、政権交代したら安全保障政策が180度転換するのでは、国民としては危なっかしくてとても政権交代に踏み切れない。

米大統領選挙の動向を見ても、イラク戦争を最大の争点にしようとしたディーン・バーモント州知事が脱落して、経済問題に焦点を当てたケリー上院議員が民主党の指名争いでほぼ勝利を収めようとしているのは、「外交問題は水際まで」という健全な常識が働いたものだろう。

民主党が本気で政権交代を考えているのならば、安全保障問題を対立軸にするのも、都市対地方という対立軸を作るのもあまり現実的とは思えない。むしろ、日本が抱える都市対地方、過密対過疎という問題をどう解決すべきかという政策の違いで対立軸を作るべきではないか。今回、菅代表が食料自給率の問題を取り上げたことが、そうした戦略転換への第一歩となることを望みたい。

 

2月17日(火)

夜、後援会の幹事会に出席。県内9ヶ所で開かれた年賀会についての反省などを行った。年賀会が終わった後、全般的に後援会の皆さんの士気が上がっているのを感じる。有難いことだ。風邪も治ったことだし、そろそろ県内行脚を再開したいと考えている。

 

2月16日(月)

英エコノミスト誌最新号が、「ついに回復へ、日本経済」という巻頭論文を掲載した(http://www.economist-japan.com)。同誌によると、(1)対中輸出の増加などによる企業業績の好転、(2)企業リストラの進展、(3)日銀の金融政策の成功などにより、今回の景気回復は持続可能なものになりそうとのことだ。過去に「失望続きの日本」という巻頭論文を掲載したこともある辛口の同誌に今度の景気回復はどうやら本物らしいと言われると、「本当かな」という気になってくる。しかし、誰でもおこぼれにあずかれた過去のような景気になるとは到底思えない。むしろ、大都市と地方、大企業と中小零細企業の格差はもっと広がるのではないか。一人ひとりが豊かになり、幸せを実感できる政治経済の仕組みに構造改革していく努力は怠れない。

 

2月15日(日)

今年最後の年賀会を鯖江市の御園飯店で開く。鯖江市では昨年の知事選の敗戦の痛手が大きく、年賀会の開催そのものが危ぶまれた時期もあったが、支持者の方の懸命なご努力のお蔭で何とか開催することができた。当時の仲間が集まると、同じ釜の飯を食って戦った仲間だけに、すぐに打ち解け、なごやかで暖かい雰囲気に包まれた年賀会になった。これでようやく県内を一巡することができた。昨年の知事選挙のお礼が一通り終わり、再出発のスタート台に立てた気がする。県内各地の支持者の皆さんには大変お世話になりました。本当に有難うございます。

 

2月14日(土)

鯖江市誠照寺の持法会(じほうかい)の集まりに出席する。持法会というのは、お寺のない集落に本山が使僧(発主の使者)を派遣して、仏法を維持するという布教活動で、誠照寺派が代々行ってきたものだという。亡くなった父が持法会のメンバーだったこともあり、僕にも使僧として働いてみないかと声をかけていただいた。今日の集まりでは、どんな装束にするかとか、どのお経を読むかとか、細かな作法の打ち合わせをした後、会食になった。ほとんどが父の世代の方の集まりで、父の法話はとにかく長くてどこで止めてもらうか苦労したなど、父の思い出話を聞くのは楽しかった。

 

2月13日(金)

すっかり忘れていたが、明日がバレンタインデーとのことでいくつかチョコレートをいただいた。僕にまでお気遣いいただいて申し訳ない気がする。今日、明日と日本全国で様々なドラマが展開されていることだろう。ところで、アメリカではバレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈るという習慣はない。バレンタインデーは、女性が男性にチョコレートを贈るどころか、男性が女性に贈り物をする日ということになっている。高校時代にアメリカにホームステイ留学したときには、小学校の先生をしているホストマザーが受け持ちの子供たちからもらったプレゼントを手に一杯抱えて帰宅したのを覚えている。ニューヨークで働いていた頃、郊外の自宅に帰るために列車に乗ると、グランドセントラル駅で買ったバラの花束を握りしめて奥さんや恋人が待つ家に急ぐビジネスマンたちで満員だった。どちらが女性にとっていいのかは分からない。いずれにせよ、あまり負担にならずに、気軽に楽しめる日であってほしい。

 

2月12日(木)

鯖江市の年賀会に向けて鯖江市を回る。鯖江市の支持者のところに行くと、どこでも福井市との合併の話になる。一昨年から辻市長のリードで進められてきた福井市との合併の雲行きが最近になって急速におかしくなってきている。住民不在で合併の話が一方的に進められたことに対する不満や中核市になると課税される事業所税に対する不安が一挙に噴き出している。結婚直前になってこのまま本当に結婚していいのか不安になるマリッジブルー現象なのか、合併の条件を有利にするための駆け引きなのか、あるいは、すでに破談を想定して軟着陸方法を模索している状況なのか、予断を許さない。百戦錬磨の辻市長がこの難局をどう乗り切るのか注目したい。

 

2月11日(水)

勝山市で今年8回目の年賀会。勝山市の皆さんのご尽力で予想以上に多くの方にお集まりいただいた。また、色々な問題についての僕の考えを聞きたいということで、今回、「質問タイム」という時間が設けられた。お陰で支持者の方々と掘り下げた議論をすることができた。年賀会が終ると、出席していただいた方々との距離が縮まるのを肌で感じる。支持者あっての候補者である。支持者の方との絆が強くなったと感じられると、元気になる。僕だけの独りよがりに陥らないように今後とも切磋琢磨していきたい。

 

2月10日(火)

大長山で遭難した関学大生が記者会見をして、「多くの人にご迷惑をおかけした」と陳謝した。また、関西学院大の平松一夫学長も勝山市役所や県庁などを訪れて、お礼と謝罪をしたとのことである。

こういう事件が起きたときの日本社会の対応パターンは、(1)真相究明、(2)責任追及、(3)再発防止の三点セットと決まっている。まず、真相究明については、平松学長が「なぜ事故がおきたのかワンダーフォーゲル部が検証して報告書を提出してもらい、社会に公表したい」としている。責任追及についても、当事者の学生を含め大学関係者が何らかの処分を受けることになろう。

心配なのは再発防止である。日本社会では、事故が起きるたびに再発防止を口実に様々な規制が作られる。その結果、何のリスクも取れないがんじがらめの社会が出来上がってきた。再発防止を強調するあまりに、若者たちが萎縮しないかと心配である。

どんなに綿密な計画をたてても、事故が起きるときは事故は起きる。事故が起きたときのセーフティネットとして様々な制度があるのだ。冒険心の旺盛な若者や起業家がある程度のリスクを取るのは容認して、不幸にも失敗したときには社会全体で助けるという、失敗に寛容な社会であって欲しいものだ。

 

2月9日(月)

明後日に予定されている年賀会のために勝山市に行く途中、ヘリコプターが2機山に向かって飛んでいった。遭難した学生を救助に行くのだろうと思って見ていたが、14人全員が無事救助されたそうでめでたいことだ。勝山市ではどこに行ってもこの遭難の話で持ちきりだった。自分たちの住んでいるところが突然、全国ニュースになるのだから無理もない。夜、福井市の県職員会館で「ぶんどう塾」。今回は福井市議会の大森哲男議員を招いての新人議員奮闘記パート IIである。福井市の中心市街地で生まれ育った大森さんは、「使い捨ての街にしてはいけない」と、(1)都心の創造、(2)産業の創造、(3)新しい教育の創造、(4)中核市としてのビジョンの創造を訴えて福井市議会議員に当選した。町衆が市政に無関心すぎたことが福井市の荒廃を招いた。一人ひとりの市民ができることから取り組んでいかなければ街は良くならないと深刻な危機感を持って訴えられた。県政の話にしても、市政の話にしても、聞けば聞くほど呆れるような話のオンパレードである。この国を改革するのは容易なことではない。

 

2月8日(日)

年賀会のために小浜市に行って驚いた。三方町あたりから雪が少なくなってきたなぁと思っていたら、上中町を越えると雪がまったくない。雪がないどころか、お日様が出てぽかぽかしている。若狭地区の皆さんのご尽力のお蔭で年賀会も盛況で、嶺北地域から出かけた10名ほどの応援部隊の皆さんの気持ちもすっかり温かくなった。「この調子じゃ、福井の方も晴れているかも知れない」と期待しながら帰路についたが、敦賀市のあたりから雪が降り出した。同じ福井県でも違うものである。

 

2月7日(土)

正午より大野市で年賀会。朝から雪が降り続いているところをお集まりいただき恐縮した。なごやかな年賀会だった。この日、大野市の積雪98センチ。しかし、大野の人によるとこの程度は大雪と言わないらしい。それでも、屋根の雪降ろしをしている人をあちこちで見かけた。福井市まで帰り道、新雪におおわれた森の木々が美しかった。

 

2月6日(金)

帰国して1週間。ようやく時差ぼけが直ったようだ。ところが、風邪は治らない。インフルエンザだと最近解禁になった特効薬ですぐ治るらしいが、今年の風邪はぐずぐず長引くそうだ。熱が出るか、のどが痛くなるかのどちらかで、僕の場合はのどが痛くなっている。明日、明後日と年賀会なので、早目に就寝する。

 

2月5日(木)

土曜日に開催予定の大野市の年賀会に向けて、準備していただいている大野市の支持者の方のところにご挨拶に伺った。大野市は雪深かった。1時間ほど話して、車に戻ると10センチ近くの雪が積もっていた。西勝原の林沙代子さんのお宅を訪れたら、西勝原そのものがすっぽり雪に埋まっている感じだった。手作りのおはぎをご馳走になりながら窓の外で降りしきる雪を見ていたら、雪に埋もれて生活していた子供の頃を思い出した。

雪が降ると街には出て行けなくなる。雪に埋もれた村には何ものにも邪魔されない静謐な時間が流れる。雪が降る日には、雪が降る日の時間の使い方があった。お金やモノを追いかけるだけの生活とは違う暮らしがある社会を何とか構築できないかと林さんと話し合った。

 

2月4日(水)

松岡町、永平寺町、上志比村の吉田郡三町村合併が白紙になった。また、この日、鯖江市でも福井市との合併について賛否を問う住民投票を目指す「鯖江市を守る市民の会」の設立総会が開かれた。春江町と坂井町の合併白紙に続いて、このところ、あちこちで合併協議のほころびが出始めている。福井県内でもこの調子だから、恐らく、全国規模で市町村合併にまつわる大騒動が巻き起こっているのだろう。

これまでの日本社会の仕組みは、東京にお金を稼げる人が集まって、そこで稼いだお金を政府が税金で吸い上げて、地方にばら撒くというものであった。いわば、東京にお金を稼げる人が集まって、そこで稼いだお金を地方に仕送りしていたのである。ところが、いまや、この仕組みが破綻している。

国全体で700兆円以上もの借金ができて、これまで通り、地方に仕送りできなくなっている。だから、毎年、公共事業費が減らされるし、市町村合併が進められている。市町村合併というのは、もう、これまでと同じように仕送りできないから、相手は誰でもいいから、とにかく、結婚して生活費を下げてくれということだ。

通常、結婚する場合には、お互いの相性であるとか、将来の生活設計を見極めようとするものだが、今回の市町村合併では、合併特例債という期限付きの結婚奨励金に目がくらまされて、一番大事な本人同士の、つまり住民同士の意思確認がおろそかになっている。だから、合併直前になって、二の足を踏むケースが相次ぐことになる。

住民同士の意思確認を十分行わずに早急に合併を進めようとした首長に責任があるとも言えるが、元はといえば、愛情なき結婚、理念なき結婚を無理やり推し進めている国の方に責任がある。合併特例債の期限である来年3月までに合併しようとすると、今年6月の各市町村議会で合併を議決するのが一応の目途となる。したがって、6月議会が近づくにつれて合併協議の破綻が全国的な規模で表面化することになるだろう。そうなると、市町村合併の見直しが今年の夏の参議院選挙の大きな争点として浮上してくるかも知れない。

 

2月3日(火)

本日付の県内各紙によると、県会自民党は新幹線問題と切り離して原発問題を段階的に進めるよう西川知事に申し入れたそうだ。

これが何を意味するかというと、新幹線問題は石川県の松任までの段階整備で決着が着きそうだということである。いまさら原発問題と取り引きしようとしても無駄なので、虻蜂とらずにならないように敦賀原電3、4号機の増設だけでも確保しようというのが県会自民党の腹なのだろう。

新幹線問題と原発問題については、昨年の知事選以来これまで事態の推移を見守ってきたが、事態の帰趨が大体明らかになったので、ここで再度、考え方を明らかにしておきたい。

まず、新幹線問題についての知事選における僕の立場は、若狭回り1500億円、米原経由1000億円といわれる巨額の地元負担に見合う経済効果があるか、じっくり検証したいというものであった。

新幹線はあった方がいいのは決まっている。しかし、何事も費用負担との見合いである。また、国全体で700兆円以上もの借金を抱える中で「聖域なき構造改革」を進める小泉内閣が、内閣の公約と逆行するような新幹線建設を積極的に進めるとは到底思えなかった。やはり事態は予想通り進んでいるようだ。昨年以来のあの福井県をあげての陳情活動は一体何だったのかと疑問に思う県民は多いはずだ。

次に、新幹線問題と原発問題との取り引きという点である。こうした取り引きは、霞ヶ関の各省庁に複雑かつ巧妙なネットワークを張り巡らしていた田中角栄氏が総理大臣か自民党幹事長であったならば、氏特有の貸し借り関係多重決済機能を駆使することで、成立させることが可能であったであろう。しかし、現在の日本の政治状況でこうした取り引きが成立するとは思えない。なぜならば、いまの日本では、新幹線問題を所管する国土交通省・財務省と原発問題を所管する経済産業省を調整できる仕組みも政治家も存在しないからである。また、経済産業省内部でも、原発を推進する原子力官僚と電力自由化を推進する事務官僚という内部対立があるのも見過ごせない。

そのことにようやく気がついたのか、これ以上押してみても新幹線問題に進展がないとあきらめたのか、今回、県会自民党が新幹線問題と原発問題の切り離しを申し入れたのは正しいといえる。

ただし、敦賀原電3、4号機の増設にゴーサインを出すことについては異論がある。仮に、政治的に増設を許可したとしても、実際に増設できるかどうか不透明なためである。よく、原発推進は国策、国策と言われるが、原発建設は公共事業ではない。民間会社が行う事業である。民間会社が行う事業であるから、採算の目途がたたなければ実現しない。そして、現時点で敦賀原電3、4号機の採算の目途はたっていない。

なぜならば、知事選の際にも説明したように、中国経済の急成長で工場が中国に移転して産業界の電力需要が低迷している。このため各電力会社は一般家庭の電力需要を伸ばそうと、最近、オール電化住宅なるものの促進に躍起なのはご存知のことと思う。また、電力自由化で製鉄会社やガス会社の電力市場への新規参入が相次いでおり、逆に電力の供給力は増えているという状況である。

こうした中で、今回、日本原電が敢えて増設に踏み切るのはなぜなのだろうか。理解に苦しむところである。いくら国策といっても、日本原電が経営不振に陥っても国が助けてくれるという保障はまったくない。「政治的な圧力をかけられたので見切り発車しましたが、銀行がお金を貸してくれないのでやっぱり止めました」と途中で中断されても困るのである。敦賀原電3、4号機の増設を進めるに当たっては、日本原電も福井県も増設が十分採算が合うもので途中で中断して県民に迷惑をかけることがないことをきちんと説明してもらいたいものだ。

 

2月2日(月)

帰国してから、時差ぼけが治らないうちに、今度はいま流行っている風邪をひいてしまったようだ。夕方まで、自宅にひきこもって欧州出張のレポートをまとめていた。夜、事務所で「ぶんどう塾」。「ヨーロッパにおける自然エネルギー考」と題して、出張報告を行った。

ところで、このHPのオープンスペースで、「政治信念、大きな問題に対する具体的な考え方、そのように考える哲学を示すべきだ」とのご指摘がなされている。まさしく、その通りである。大きな問題に対する具体的な考え方については、取り敢えず、「福井県への思い」というコーナーで昨年の知事選挙の際のマニフェストにおける「よくある質問」とそれに対する回答を掲載した。

また、政治信念や政治哲学については、毎年、恒例になっている年賀会で発表してきているが、今年の各地区での年賀会が終った段階で、過去に遡って掲載することとしたい。いましばらくお待ちいただければ幸いである。

 

2月1日(日)

前日、よく寝たので時差ぼけはもう大丈夫と思っていたが、やはり、朝3時になると目が覚めてしまう。午後1時から敦賀市のまるさん二階で開かれた年賀会に出席。なごやかな雰囲気の中で再出発を誓った。


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