ブンブン日記 2004年 3月
(ご意見・ご感想はこちらからどうぞ)

3月31日(水)

朝、外に出てみると、桜が一斉に満開になっていた。自然の不思議な力を感じる。明日からの新年度スタートに備えているかのようだ。

僕にとってこの一年は大変な年だった。恐らく、これまでの人生で一番辛い一年だったと言えるだろう。幸い、皆様の暖かいご支援のお蔭で何とか乗り切ることが出来た。本当に有難うございます。

今日、久しぶりに事務所にお見えになった野尻真理さんに後援会ニュース4月号の発送作業のお手伝いをしていただいていたら、「こんなに沢山の人と会えて、こんなに沢山の人に応援してもらって、文堂さんほど幸せな人はいませんよ」としみじみとおっしゃるので、「でも、まだ一度も当選していませんよ」と応えると、「そうねぇ。当選だけが足りないわね」と大笑いになった。

明日から、市町村見聞録(通称「てくてく巡業」)が始まる。「草の根から福井を変える」という初心に戻って、もう一度、出直しである。暮らす人々の声に耳を傾け、健全な常識と広い視野を養いたい。暮らす人々の目の高さで行動し、一人ひとりが幸せを実感できる社会のあり方を考えていきたい。

いま、暮らしの中で困っている問題は何か、僕は何をすべきかを模索して参ります。どうかみなさん、今後とも変わらぬご支援・ご指導を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

 

3月30日(火)

夜、武生市四郎丸の仏照寺で開かれた持法会に行く。どこの持法会に行っても、参加者のほとんどが女性なのはどういうことなのか。不思議である。

 

3月29日(月)

ついに、西川知事が敦賀原電3、4号機の増設を了承した。この問題については、再三書いているので、くどい気もするが、この機会に幾つかの懸念を述べておきたい。

(1)まず、最大の懸念は、電力需給の長期的な見通しが不透明な中で、途中で増設工事が中断される恐れがあることだ。増設工事が中断されれば、後に残るのは破壊された自然と体質改善の遅れた地域経済である。

国の説明を聞いても、日本原電の説明を聞いても、「全面的にバックアップする」とか「必ず将来必要な電源になると確信している」といった精神論に終始しており、具体的な根拠が示されていない。増設工事中断の懸念は依然として残っていると言えよう。

(2)全世界的かつ全国的な脱原発の潮流の中で、全国に先駆けてプルサーマル計画を承認し、また、今回、敦賀原電3、4号機の増設を了承したことで、福井県は原発依存体質の特異な県であるというイメージが全国的に定着する恐れがある。

西川知事は福井県のイメージアップに取り組む意向を表明されておられるが、今回の決断がもたらすマイナスイメージの大きさを次第に実感されることになろう。また、こうしたマイナスイメージの不利益をこうむるのは福井県民全員であることも忘れてはならない。

(3)電力需要の低迷と電力自由化の中で、全国的な脱原発への流れは止められない。今回、政治的圧力で無理やり時計の針を逆に戻した福井県も例外ではない。どんなに増設をお願いしても、増設してもらえない脱原発の時代、廃炉の時代がすぐそこまで来ている。

原発が動いているうちに、原発に依存しなくても自立できる新しい産業の芽を育てる必要がある。準備工事入りに伴い、原発特需が発生することで地域経済は一時的に潤うことになるが、そのため、かえって、地域経済の体質改善はさらに遅れる恐れがある。逆説的であるが、原発特需があるうちに、原発に依存しない産業構造への転換を進める必要があろう。

 

3月28日(日)

昨日に続いて、隣村の南条町清水で開かれた持法会に行く。今日の持法会は、我が家と親戚の高木孫左エ門さんのお宅である。

生まれ育ったふるさとなので、懐かしい人たちに大勢来ていただいた。昨日お目にかかった脇本の人たちも何人か見えておられた。

同じ話をしていいものか迷ったが、「続けてお見えになる方は同じ話を聞きたいと思って来ているので、同じ話をしてかまわない」という父の言葉を思い出して、昨日と同じ話をした。

生前、父が最後に勤めた持法会が南条町の清水である。今回、僕が一人で勤めた最初の持法会が清水になるので、父の仕事を受け継ぐことができたと母が喜んでいた。

 

3月27日(土)

南条町脇本で開かれた持法会に行く。持法会というのは、仏教の教えを守るためにお寺のない地域に使僧を派遣するというもので、浄土真宗誠照寺派が400年以上にわたって続けてきた布教活動である。

3年前に亡くなった父に代わって今年から僕も使僧を勤めさせていただくことになった。僕にとって初めての持法会は南条町脇本の中山義寿さんのお宅で行われた。

中山さんは現在、県立大学で法律を教えていらっしゃるが、福井県に戻ってこられる前はニューヨークの住友商事で法務部長をされておられた。当時、直接の面識はなかったものの、僕も同じ時期にニューヨークの法律事務所で働いていたので、中山さんとは深いご縁があり、福井県に戻ってからは何度かお会いしている。

また、本山の誠照寺からは、初めての経験で緊張するだろうとお気遣いいただき、大森さんにご同行いただいた。多くの方のお世話になり、お蔭で何とか無事に大役をすませることができて、ほっと一安心。感謝である。

 

3月26日(金)

昨日、訪れた六本木ヒルズで、6歳の男の子が回転扉に頭を挟まれて亡くなるという痛ましい事故があった。昨日、お世話いただいた横山一郎さんからも「大変なことになりましたね」というメールが来た。

回転扉は欧米でもよく見かけるが、大抵、手動であり、ドアを押す人が前の人に気配りしながら利用している。自動回転扉がまだ技術的に完成されたものでないことが、不幸にもこの事故で証明されてしまった。

とにかく、事故の再発防止が最優先であり、完全に安全であることが証明されない限り、安全を確保するドアマンの立ち合いを義務付けるか、自動回転扉を禁止するのが賢明かもしれない。

 

3月25日(木)

再び上京。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長、大林ミカ副所長と一緒に外務省を訪れ、6月にドイツのボンで開かれる予定の国際自然エネルギー会議について話し合う。

その後、六本木ヒルズに行く。先日、この日記で県立図書館のことを書いたら、ダイヤモンド社の横山一郎さんから、六本木ヒルズ49階にあるアカデミーヒルズを見学してみませんかとお誘いのメールをいただいた。見学してみて納得。マイライブラリー(私の書斎)という基本コンセプトで、自宅で満足なスペースを確保できない都会人に書斎や会議室などの空間を提供している。

もっとも、このユニークな図書館は有料の会員制である。月6000円で机が、月6万円で個室が利用できる仕組みになっている。すべての机でノートパソコンもインターネットも利用できる。30代から40代前半の利用者を多く見かけた。

もちろん、有料の会員制図書館と無料の公立図書館を一緒にすることはできないが、知識社会における新しい図書館のあり方を示唆しているようで興味深かった。

 

3月25日(水)

小浜市議会が中間貯蔵庫の誘致推進決議を採択した。中間貯蔵庫というのは、原発で燃やした使用済み核燃料を一時的に保管するための施設である。一時的に保管するから「中間貯蔵庫」と呼ばれている。

使用済み核燃料であるから、普通の感覚ならばゴミである。このゴミを「一時的に保管する」のは、後で取り出すことになっているからである。

後で取り出してどうするかというと、再処理工場でバラバラにぶつ切りにした後、化学薬品でどろどろに溶かして、その中からプルトニウムを取り出すのだ。そして、そのプルトニウムを何に使うかというと、動かせない「もんじゅ」で燃やすことになっている。

ところが、「もんじゅ」で使えないから、もう一度、ウランと混ぜて、原発で燃やさざるを得なくなる。これをプルサーマル計画という。いわば、灯油にガソリンを混ぜて、石油ストーブで燃やすようなものだ。

この一連の流れを核燃料サイクル計画という。常識的に考えると何かおかしい。過去、核燃料サイクル計画に取り組んでいた米、英、独、仏はいずれも撤退して、いまだに取り組んでいるのは日本だけである。

しかしこの計画にはこれまでに何兆円というお金をつぎこんでいる。負け続けているギャンブルと同じでいまさら止めるわけにはいかない。そこでさらにお金をつぎ込むことになる。そのお金に釣られて、この無謀な計画を推進しようという人たちが出てくる。

韓国の盧武鉉大統領が、実兄が賄賂を受け取ったことを追及されて、「いい大学を出て社会的地位のある人が、何も知らない田舎者の兄に頭を下げてお金を渡すようなことはやめてほしい」と切り返していたが、日本政府もそろそろお金で国民を釣って無理を通すような政策は止めてもらいたい。

 

3月23日(火)

夜、後援会の執行部会議。昨年の知事選からほぼ1年が経ち、再スタートを切るためにこれから何をすべきか話し合う。

 

3月22日(月)

「負け組の星」と呼ばれ、人気沸騰中のハルウララが予想通り106連敗目を飾った。この日、高知競馬場には全国から「ウララツアー」の参加者など約1万3千人が殺到、メディアも国内外の約90社、約400人が取材したというから面白い。

デビュー以来106連敗中のハルウララに人気が集まるのは、ハルウララに競争社会の中で思い通りにならなくても頑張り続ける自分の姿を投影する人が多いからだろう。いまの世の中は勝ち組と負け組に二極化しているなどと言われるが、自分が負け組だと思っている人口の方が圧倒的に多いのである。

今年1月にヨーロッパを訪れたとき、自分の生活が保障されているという安心感から来る落ち着きを漂わせた北欧諸国の人々を見て、すべての分野でグローバルスタンダードが当たり前になりつつある競争社会とは違ったもう一つの社会のあり方を強く意識させられた。

通常、「持続可能な社会」と呼ばれるあり方だが、小泉内閣の「聖域なき構造改革」が想定する社会とはまったく違った社会のあり方である。ハルウララ人気は今とは違った社会のあり方を模索する声なき声が一つの形となったものではないか。ハルウララ人気が意味するものは何か考えたい。

 

3月21日(日)

調べ物をするために昨年オープンした県立図書館に行った。立派な建物である。図書館の中も広々としている。利用者も結構いる。顔見知りの人にも出会った。本好きのお気に入りの場所として、早々と地位を確立したようだ。図書館員の方も親切だった。

あえて注文をつければ、閲覧用の机がちょっと小さいかなという印象を受ける。また、パソコン利用者のためにコンセントが使えるパソコン専用の机も20ほどあったが、パソコン人口の増加とともにあっという間に足りなくなるだろう。すべての机にコンセントをつけた方が良かったのではないか。

この背景には、おそらく、本を貸し出す場所としての図書館という基本コンセプトがあるのだろう。「図書館の本を閲覧しない人は机の利用をお断りします」などと書かれている。自宅に満足な書斎がない社会人や学生に書斎を提供するというコンセプトだったら、もっと違った対応になっていただろう。

もっとも、スペースはふんだんにあるので、これからいくらでも改善することが可能だ。工業社会から知識社会への転換を進めていくうえで、図書館が果たす役割は大きい。知識社会のインフラとして、県立図書館がさらに充実していくことを期待したい。

 

3月20日(土)

福井市の善照寺で開かれた「ぶんどう塾」に出席。今回は、月刊「農業経営者」編集長の昆吉則(こんきちのり)さんにわざわざ東京から来ていただいて、農業問題についてお話を伺った。

昆さんのお話のテーマは、農業事業者がいかに誇りを持った経営者として自立するかということである。その裏返しとして、いまの日本の農家の農業経営者としての在り方に対する問題意識がある。

昆さんは、日本の農業界は共産主義下のソ連と同じようなところであり、戦後の日本農業は、農林省が実質的な経営者で農家が経営権のない工場長のような形で運営されてきたという。

1972年をピークとして日本人のカロリー摂取量は減少傾向に転じており、食料不足から食料余剰の時代に転換している。これを反映して、国レベルでは農政の対象が農業従事者から消費者に移っているが、県や市町村レベルでは消費者よりもむしろ農協など農業関係者の職を確保する観点から農政が進められている。

政治の仕事は東京からお金をぶんどってくることではなく、未来に向かって人々を励ますことではないか。もはや保護のいらない農家を保護するよりも、やる気のある農業経営者の海外進出を励ますような役割を担ってほしいということであった。

昆さんの視点は、月刊誌「農業経営者」の編集長というお立場もあり、一貫して自立した(自立すべき)農業経営者のものである。専業農家の方に語る内容としては、「まさしくその通り」と思うのだが、問題は9割以上の農家が兼業農家ということである。「ぶんどう塾」が終わった後、昆さんを囲んで専業農家の方々と懇親会を開いたが、多様な農業のあり方を認める社会であって欲しいという結論に落ち着いた。

 

3月19日(金)

夕方、福井に戻る。福井駅に降り立つと、東京より肌寒い。それでも、あと10日で桜が咲くそうだから、例年より暖かいということだ。春に感謝。

 

3月18日(木)

夜、高校時代からの友人で知識経営のコンサルティングをしている紺野登さん、元々鯖江の会社で2年前に東京に本社を移した白崎コーポレーションの白崎弘隆社長と食事をする。トヨタの経営陣は、いつ会っても、「うちは、いつ潰れてもおかしくないんです」と冗談抜きに言うのだそうだ。今の世の中に勝ち組はいない。トヨタのような危機感を持ち続けている企業や組織のみが生き残れるという。自らの危機意識はどうかと自問する。

 

3月17日(水)

上京。考えごとをしていたら、あっという間に着いてしまった。これ以上、時間を短縮する必要があるのかなと改めて思う。

 

3月16日(火)

鯖江市の辻嘉右エ門市長が福井市との合併を白紙にすると正式に表明した。福井市との合併の是非を問う住民投票を求める署名(実質的には福井市との合併に反対する署名)が2万7千名に達しており、合併撤回は時間の問題だった。

今後の焦点は、福井市については、鯖江市を除いた4市町村でこのまま合併するのか、それとも、新たな合併の枠組みを求めるのかという点になる。また、鯖江市についても、どことも合併しないまま孤高を保つのか、それとも、新たな合併の枠組みを模索するのかという選択が待ち受けている。

一方、美山町、清水町、越廼村は鯖江市を除いた4市町村での合併を望んでいるが、これは来年3月末までに合併しないと4月に町長選挙をやらざるを得なくなるなど(美山町)の固有事情をそれぞれ抱えていることから、新たな合併の枠組みを模索することで合併時期が遅れることを懸念しているためのようだ。

とにかく、時間がない。しかし、時間がないからといって、首長が強引に合併を進めると、土壇場で市民にしっぺ返しを食う。首長の高度なリーダーシップが要求されるところだ。

といっても、こうしたことは目まぐるしい変化に即応していかないとすぐに顧客に見放される民間企業の世界では当たり前の話だろう。自治体経営でもようやく真の経営センスが求められる時代になったということかもしれない。

 

3月15日(月)

いろんなことがあった。まず、マラソンで高橋尚子さんが落選したという話。理屈では仕方がないかなと分かっても、やっぱり残念という感情が残る。これでアテネ・オリンピックを見る楽しみが半減したという人は一杯いるはずだ。こんなゴタゴタが起きないように、陸連は事前に「内申書よりも一発勝負の試験を重視する」と明言すべきではなかったのか。

福井県政でも大きな動きがあった。敦賀原電3、4号機の増設問題については、2月3日の日記で詳しく書いたように、電力需給の長期的な見通しが不透明な中で、途中で増設工事が中断される恐れがある。西川知事は、「計画推進を国が全面的にバックアップすると確認された」としているが、国がどのような形でバックアップするつもりなのか確認したのだろうか。

「もんじゅ」の改造工事入りに関して、「現段階で判断できる状況にない」としたのは妥当なところである。「もんじゅ」の原子炉設置許可処分を無効とする名古屋高裁判決に対する最高裁の判断如何で、「もんじゅ」を含む核燃料サイクル計画そのものの存立基盤がなくなる恐れがあるからだ。

ところが、プルサーマル計画の再開を了承したのは不可解だ。ちょっと話がややこしくなるが、プルサーマル計画というのはプルトニウムをウランに混ぜて軽水炉で燃やす計画である。なぜ、こんなことをするかというと、プルトニウムは原爆の材料になる極めて危険な物質で、本来、保有が禁じられているので、とにかく、無理をしてでも使い切る必要があるからだ。

では、なぜ、そんな厄介なプルトニウムを抱えるようになったかというと、「もんじゅ」で使うためにわざわざ使用済み核燃料を再処理して取り出したためである。ところが、「もんじゅ」が事故を起こしてプルトニウムが使えなくなったので、プルサーマル計画の話が出てきているわけだ。

ここまで書くと、それでは、プルサーマル計画は必要だと思われるだろう。しかし、計画を進める前に確認しなければいけないことがある。それは、今後とも、使用済み核燃料から引き続きプルトニウムを取り出すのか、止めるのかということである。プルトニウムを取り出すから、プルトニウムを使わなければいけなくなる。プルトニウムを取り出さなければ、使う必要もなくなるのである。

要するに、核燃料サイクル計画を進めるのか、断念するのかという議論である。この議論を棚上げにしてプルサーマル計画を進めるのは、暗黙に核燃料サイクル計画を認めることになる。

「もんじゅ」の改造工事入りについては、核燃料サイクル計画についての最高裁の判断を待つとする一方で、プルサーマル計画については、暗黙に核燃料サイクル計画を認めるのは論理的に矛盾している。したがって、プルサーマル計画についても、「もんじゅ」の改造工事入りに関する判断と同じく、「現段階で判断できる状況にない」とすべきであった。

敦賀原電3、4号機の増設問題についても、プルサーマル計画についても、福井県の良識を全国に発信する千載一遇のチャンスだったが、そのチャンスをふいにしたのは残念としか言いようがない。

 

3月14日(日)

1月のヨーロッパ出張以来、崩していた体調が何とか回復してきたので、数ヶ月ぶりに泳ぐ。そのためか、極めて快調である。夜、「れいら」(高木ぶんどう後援会の女性部)の打ち合わせ。用意していただいた手料理をいただきながら、談論風発する。

 

3月13日(土)

2003年の世界の半導体市場が前年比14.2%増の1817億ドルと急成長した中で、日本勢が急伸しているという。日立製作所と三菱電機の合弁会社ルネサステクノロジが三位になったのをはじめ、東芝、松下電器、ソニーが業界の平均を上回る伸びをみせているそうだ。

80年代半ばから90年代初頭までは日本の半導体業界は世界を席捲する勢いだった。ところが、危機感を抱いたアメリカが政治問題化して、86年には日米半導体協定が結ばれた。

これをきっかけに、日本がそれまで進めていた産官学連携を中断すると、アメリカはシリコンバレーを中心に猛烈に巻き返し、気がつくと世界の半導体市場はインテルの独壇場になっていた。

「アメリカにしてやられた」という気もするし、「驕れる者は久しからず」という気もする。いずれにせよ、随分、高い授業料を払わされたものだ。

その因縁の半導体市場で、日本勢が巻き返していると聞くと、素直に嬉しくなる。景気は勝ち組と負け組の間で二極化しているが、勝ち組が出てきたことだけでも喜ばねばなるまい。

 

3月12日(金)

韓国国会が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に対する弾劾訴追案を可決した。大統領の弾劾理由は、(1)特定政党(ウリ党)への支持発言により法治主義を否定した、(2)自身と側近の不正腐敗により国政運営の正当性を失った、(3)国民経済と国政を破綻させた、などとされる。

特定政党を支持する発言をしたといっても、ウリ党は大統領の与党であり、大統領が自分の政党を支持するのは当たり前の話である。大統領と側近に不正腐敗があったとするならば、いきなり、弾劾訴追ではなく、まず、国会で調査委員会を立ち上げるなり、司法当局による介入を要請すべきだろう。国民経済と国政を破綻させたという点については、4月に行われる総選挙で争われるべきことである。

何だか、長野県の田中知事や徳島県の大田知事に対する不信任投票を彷彿とさせる。弾劾案を主導した2野党は、「党利党略で国政を混乱に陥れた」と批判されても仕様がない。弾劾訴追案の可決により、むしろ、両党は総選挙で窮地に追い込まれるだろう。その結果、かえって、韓国政界の改革が進むことになるかもしれない。

韓国は、経済にしても、政治にしても振幅が大きく、見ていてハラハラさせられるが、結果的に改革がどんどん進んでいく。日本はその逆で、社会が爆発する寸前に、見せかけの改革が進められるので、結局、閉塞状況から抜け出すことができない。社会的な混乱を招くことなく、本物の改革を進めることはできないものだろうか。

 

3月11日(木)

49歳の誕生日。数え年だと50になる。孔子によれば、天命を知る年齢だ。さて、僕は自分の天命を知っているかと自問すると、内心、忸怩たるものがある。寿命が延びたので、人生7掛け説を唱える人もいる。この説にならえば、50を7掛けして35が当時の年齢になる。すると、「三十にして立つ。四十にして惑わず」の中間になるから、ちょうどいいところか。

 

3月10日(水)

久しぶりに小浜に行く。天気が良かったので、ちょっと早めに出かけて、三方五湖周辺のレインボーラインをドライブした。若狭湾と三方五湖が一望できる山の上で駐車して、しばらく、ボーっとしていた。夜、高浜町のレストラン安土山(あづちやま)で小河紀久生さんご夫妻、お嬢さんの一恵さん、岡拓司さんご夫妻、藤本哲朗さんご夫妻に、一日早い僕の誕生日のお祝いをしていただいた。どうも有難うございます。標高80mほどのなだらかな山の上にあるレストラン安土山は若いご夫妻が経営するフランス料理のお洒落なお店で、高浜の海岸が見渡せる。お料理はもちろん、ここから眺める夜景が素晴らしい。高浜町に行く機会があったら、一度、立ち寄ってみてください。お勧めします。HP(http://www10.ocn.ne.jp/~azuchi/)もあります。

 

3月9日(火)

夜、県民会館で開かれた「ぶんどう塾」に出席。今月の「ぶんどう塾」は「自然との共生」がテーマである。今回はその第一回目で、地球生物会議会員の江端久美子さん(鯖江市)に「私たちのライフスタイルに関わる動物たち」と題して、食と環境について話してもらった。

江端さんは、我々が大量生産・大量消費・大量廃棄というライフスタイルを享受している陰で、畜産動物、家庭動物、野生動物がいかに悲惨な待遇を受けているかを詳細に説明。狂牛病や鳥インフルエンザが発生するのは、我々の飽食を満たすための飼育方法に根本的な原因があることを浮き彫りにしてくれた。

江端さんの話を聞いていると「肉食はすべて駄目」という気になってくるが、別に「肉食を止めなさい」と言っているわけではなく、我々の際限のない欲望を満たすための行き過ぎが問題なのだという。江端さんが理想とするのは、ご飯と野菜や焼き魚、味噌汁、漬物といった昭和37年頃の食生活であり、「自分の体にいいものは三里四方にある」として地産地消と日本食を勧めておられた。

1月のヨーロッパ出張では、地球温暖化問題が示しているのは、大量生産・大量消費・大量廃棄型のライフスタイルを維持するためのエネルギー政策が持続可能でないことだと分かった。同様に、狂牛病や鳥インフルエンザ問題は、現在のライフスタイルを維持するための農業政策も持続可能でないことを示しているようだ。

 

3月8日(月)

浅田農産会長夫妻が自殺した。何とも痛ましい限りである。どうしてこんなことになってしまったのか。鳥インフルエンザが騒がれている最中に大量の鶏が死んでいるにもかかわらず、「腸炎だと思った」と通報しなかった。この通報の遅れが鳥インフルエンザの感染拡大を招き、厳しい責任を問われることになった。

危機管理で最も大切なのは初動だと言われる。まず、危機が発生したときに、危機と認識できるかどうか。それもどの程度の危機か正確に認識する必要がある。次にその危機に対して、正しい措置が取れるかどうかが危機管理のポイントになる。

仕事で危機管理を担当した経験からいうと、危機が重大なものであればあるほど、一刻も早い通報と情報公開が必要になってくる。重大な危機に対処するには、できるだけ早く、できるだけ多くの人を巻き込むことが重要だからだ。

ところが、往々にして、事態の深刻さを認識すればするほど、自分の責任を問われるのが怖くなって、危機の存在そのものを隠したくなってくる。ここに危機管理の落とし穴がある。

浅田会長が本当に腸炎だと思って通報しなかったのか。内心、鳥インフルエンザではないかと疑いながら、怖くて通報できなかったのかは今となっては分からない。ただ、「なぜ、もっと早く通報しなかったのか」と最後まで自分を責めたであろうと思うと胸が痛む。

 

3月7日(日)

衛星2で「華麗なるギャツビー」を観た。二十歳そこそこでこの映画を観たときは、つまらなくて途中で映画館を出てしまった。いま観てみると無理もないと思う。二十歳そこそこの青年には理解できなかったというよりも、まだバブル経済を経験していない日本人には、この映画のメッセージは届かなかったのではないか。

舞台は1920年代のアメリカ。20世紀にアメリカが最初に経験するバブル期である。貧しさゆえに恋人のデイジー(ミア・ファロー)に裏切られた青年(ロバート・レッドフォード)が財界をのしあがって、今は人妻となっているデイジーを取り戻そうというお話である。

主人公は「華麗なるギャツビー」であるが、著者のF・スコット・フィッツジェラルドが描こうとしているのはデイジーに代表される当時の富裕層の空虚さである。80年代のバブル経済を経験して、ようやく1920年代のアメリカの時代の空気を理解できるようになった。

ところで、アメリカはこの直後に大恐慌に襲われ、当時の共和党政権は無策を問われて、1932年に民主党のフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任する。

自由放任経済の下で貧富の格差が行き過ぎると、これを是正するために民主党政権が誕生するというのがアメリカ政治のパターンである。1992年にクリントン政権が誕生したときにも同じような時代背景があった。

そう考えてみると、現在のブッシュ政権下でどれだけ貧富の格差に対する不公平感が高まっているかで、11月の大統領選挙の結果を占うこともできよう。同じ歴史は繰り返さないが、歴史から学ぶことはできる。

 

3月6日(土)

長嶋茂雄前巨人軍監督が脳こうそくで倒れて、大騒ぎになっている。まさしく、国民的英雄である。他の人が代わろうと思っても代われない、途方もない力が長島監督にはある。一日も早いご回復を祈りたい。

 

3月5日(金)

北陸放送の報道特別番組「告白−私がサリンをまきました−オウム10年目の真実」を見る。教祖を追い詰めた林郁夫受刑者(平田満)と自白に導いた刑事(西田敏行)との567日を描いている。慶応医学部卒の心臓外科医だった林郁夫が、人の命を救いたいと思えば思うほど、医学の壁に突き当たり、オウム真理教に入信した果てに殺人者になっていった過程を見事に描いている。刑事を演じる西田敏行がいい。プロとはこういうものだと教えてくれる。

 

3月4日(木)

春の雪。そう言えば、こんなタイトルの小説があった。三島由紀夫が最後に書いた4部作の1冊だったと記憶している。春の雪の中、昨年の知事選以来の1年を振り返る。

 

3月3日(水)

アメリカ大統領選挙でケリー上院議員が2日火曜日(「スーパーチューズデー」)に行われた10州の予備選で9州を制し、民主党の大統領候補となることが確実となった。11月2日の大統領選挙に向けて、保守派のブッシュ大統領とリベラル派のケリー上院議員がアメリカの将来像について論戦を戦わすことになる。

大統領選挙が行われる年はアメリカ国民にとって特別な年だ。ブッシュ大統領とケリー上院議員だけでなく、アメリカ国民全体が保守派とリベラル派に分かれてアメリカのあり方について議論するのである。

大統領選挙が行われた1972年にアメリカにホームステイ留学したとき、現地の高校では、世界史の授業をつぶして、現職のニクソン大統領派と民主党のマクガバン上院議員派に分かれて生徒同士でディベートが行われた。家に帰ると、食卓でも大統領選挙の話。「なるほど、これが民主主義か」と感心した。

アメリカ大統領選挙の行方は世界全体に大きな影響を及ぼす。冷戦時代には、「代表なくして課税なし」をもじって、「代表なくして核戦争なし」という冗談が交わされた。アメリカ国民とともに、アメリカの将来、そして日本の将来について考えたい。

 

3月2日(火)

夜、衛星2で「フィラデルフィア」を観る。エイズのため不当解雇された弁護士(トム・ハンクス)が雇い主だった弁護士事務所と法廷で闘う話である。アメリカでは一般人が裁判に参加する陪審制度のため裁判に対する関心が高く、映画でも裁判を扱った法廷ものが多い。

ちょうど、この日、司法改革関連九法案が閣議決定された。目玉は、国民が裁判員として刑事裁判に参加する裁判員制度である。専門家でない市民の考えを裁判に反映させる一方、市民に司法への理解を深めてもらう目的で、陪審制度や参審制度を参考にしながら考案されたものだ。

法律の専門家でない一般市民が裁判に参加して大丈夫かと思われる方も多いと思う。しかし、お手本とされた陪審制度の根底には、「専門家の常識」よりも「市民の常識」で下される判断の方が正しいという考え方がある。言い換えれば、司法界という「業界の常識」ではなく、「市民の常識」で行われる裁判が陪審制度である。

もっとも、裁判員制度は、裁判官に混じって市民が裁判する制度であるから、「業界の常識」に加えて「市民の常識」も裁判に反映させようという制度と言えるかもしれない。

ところで、裁判員制度について自民党では国民に対する負担が重いと問題になったそうだが、これは「国民に対する負担」と考えるよりも「民主主義のコスト」と考えるべきだろう。

どんな人でも、自分の判断で目の前の人間が有罪になるかと思うと厳粛な気持ちになるはずだ。権力を行使される側から権力を行使する側に立つことで見えてくるものもある。

トクヴィルは「陪審制度は人々に社会への義務感を養い、利己主義がはびこるのを防ぎ、しかも無料で常時開設の学校として人々の判断力を形成し、知能を拡充する」と述べている(『アメリカにおけるデモクラシ−』)。

裁判員制度の導入で、「市民の常識」が深まり、「業界の常識」をリードするような社会になることを期待したい。

 

3月1日(月)

「平成の大合併」県内第1号となる「あわら市」が誕生した。県内各地の合併協議が土壇場で次々に暗礁に乗り上げる中で、芦原町と金津町の両町が兎にも角にも合併までこぎつけたことそのものが快挙である。

これから両町が「あわら市」として完全に一体化するまでには様々な困難が待ち受けているだろうが、合併にこぎつけた手腕を発揮して、今度はぜひとも合併の成果を挙げてほしいものだ。

ところで、今年1月にヨーロッパに出張に出かけて、近年、欧州連合(EU)では、未知の社会を創造するための方法論として「公開方式による政策調整」(Open Method of Coordination)と呼ばれる手法が使われていることを学んだ。

これはどういう方法かというと、まず、欧州連合(EU)の政府に当たる欧州委員会(EC)が政策の大枠と政策目標を示して、細かな政策手法については各国に任せる。各国は示された政策目標を達成するために様々な政策実験を行い、その過程と成果についての情報を公開する。その中の成功事例から各国が学びながら、欧州連合(EU)全体が政策目標に向かって進んでいくというやり方である。

「平成の大合併」についても同様のやり方を適用できるのではないか。すでに、市町村合併についての政策の大枠と政策目標は示されている。県内各地の法定合併協議会の試行錯誤の事例も豊富である。足りないのは成功事例についての情報の共有化である。「あわら市」の合併成功から他の市町村が学べることは多いはずだ。


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