ブンブン日記 2004年 5月
(ご意見・ご感想はこちらからどうぞ)

5月31日(月)雨

鯖江市立図書館に出かけて、中央仏教学院の年度末レポートに取り組む。鯖江市立図書館に来るのは初めてだ。蔵書は充実しているが、使える机が少ないのが難点。パソコンを利用できる机になると、6人用の大きな机が一つあるだけである。知識社会のインフラとして、自分の書斎として快適に使える図書館があって欲しいものだ。

 

5月30日(日)

越廼村の茱崎港で開かれたシーサイドフェスタに出かける。いかにも漁村のお祭りらしく、お魚だらけである。漁協の婦人部が焼いているイカは柔らかくて絶品だった。同じ福井県に住んでいるのにどうしてこういうイカが口に入らないのか不思議だ。

定置網の船が戻ってきたというので、港の方に飛んでいった。船に飛び移って、プールの中を覗いてみると、体長1メートル近いブリからタイ、アジなどいろんな魚が飛び跳ねている。船のプールから魚が港に移されると、先日、お会いした佐嶋美智代さんが一匹10キロもするブリを片手で発泡スチロールの箱に詰めている。漁師のオカミさんは働き者じゃないと務まらないと感心しながら見ていた。

フェスタの会場では、獲ってきたばかりのアジを洗面器ですくいビニール袋に入れて売り出した。「アジのフライにしたら美味しそうだ」とよほど買おうと思ったが、家に持って帰っても始末できないとあきらめた。

フェスタに行ってみて考えた。「新鮮な野菜は手に入る。でも、なぜ、新鮮な魚が手に入らないのか」。というより、「新鮮な魚を初めて見た」という驚きである。流通に問題があるのか。それとも、魚をさばけなくなった我々に原因があるのか。考えなければいけないことが山ほどある。

 

5月29日(土)

夜、美山町の町民交流館で「てくてく巡業報告会」を開く。最初、コンピュータとプロジェクターが上手くつながらなくてやきもきしていると、プロジェクターをよく使っているという清水正一さんが「よくあるんですよ」とコンピュータを再起動したら、魔法のようにつながりホッとした。

まず、美山町を歩きながら撮った写真をスライドで見てもらった。写真の整理中にどこで撮ったか分からなくなっていた写真が幾つかあったが、流石に地元の方だけあって、「あそこは西天田だ」とか「いや、そこは南西俣ではなくて、東俣だ」とご指摘いただき助かった。

質疑応答の時間になると、「日本全体に中央志向で地方切り捨てという傾向がある。福井市と合併すると切り捨てられないか心配だ」「仕事をしながら町をこうしたいと考えている我々の思いと町づくりが本職の筈の役所の人間の考えとのギャップが大き過ぎる」「いや、美山町の人間には町づくりの主役は自分たちだという自覚に欠ける。本当に熱意があれば、行政を動かすこともできる」など、時間を追うごとに熱い意見が飛び出してきた。

時間切れになってお開きにしたが、スタッフと一緒に食事しようと立ち寄った「サンブライト」には、報告会にお見えだった地元の方が数人いて、「スライドの時間が長すぎて、言いたいことの10分の1も言えなかった」とお叱りを受けた。次の報告会では気を付けなくていけない。お店を出ると、突然聞こえてきた蛙の鳴き声が心地良かった。

 

5月28日(金)

福井に戻る。夜、自宅でビデオ「24」のシーズン2を見る。シーズン2が描いているのは、同時多発テロとその後の米政府の対応に酷似した状況である。暗にブッシュ政権の対応を批判している。これほどの人気テレビ番組で大っぴらに政権批判をやられているのを見ると、ブッシュ再選はかなり難しいと思えてきた。

 

5月27日(木)

霞ヶ関と永田町の旧友たちを訪れ、内政及び外交問題について意見交換する。

 

5月26日(水)

上京。JRの中でルソーの「社会契約論」を読む。この本は高校時代に倫社の授業で読まされたのだが、とても難しくて理解できなかった。その後、折に触れて繰り返し読んでいるものの、相変わらず、読み進むのに骨が折れる。「少年老い易く、学成り難し」。これがどうも人生の真実らしい。

 

5月25日(火)

快晴で勿体ない気がしたが、休養をとることとした。中央仏教学院の期末レポート作成に取り組む。

 

5月24日(月)

快晴を利用して越廼村の写真撮影に出かけた。これまで悪天候のため撮影できずにいたので、目星をつけていたスポットを撮影して歩く。

居倉から登るガラガラ山のキャンプ場を訪れると、一昨日に訪れた越前リゾートに匹敵するような素晴らしい眺望が広がっている。ただし、門は閉められ、草はぼうぼうだった。

ガラガラ山から城有に向かう途中、林道の溝掃除をしているご婦人たちに出会った。シルバー人材センターから派遣されているという。「最近、シルバー人材センターからの仕事がなくて困っている」とおっしゃるので、「ガラガラ山のキャンプ場は草ぼうぼうでしたよ」と応えると、「あそこの草刈りは年に2度やから。でも、役所から頼まれないと行けませんしね」と笑っておられた。

また、キャンプ場内のバーベキュー施設もキャンプ場に宿泊しないと利用できない規定のため、結局、越廼村の人は利用できないのだという。恐らく、越廼村の限られた予算の中からはキャンプ場の維持管理費用を捻出できないということなのだろう。折角、素晴らしい施設があっても、維持管理費がネックになって十分活用できていないのは残念である。

城有から八ツ俣を経て海岸に降りる途中でログハウスがあった。ちょうど、ご主人の広部さんが外で作業をされていたのでご挨拶すると、海を指しながら、「ここは越廼村のベストスポットで、よく、観光写真が撮られるんです」「職場の同僚がこの上に家を建てたのでここを紹介してもらいました」と説明してくださった。広部さんによれば、家を建てることができる場所はまだ十分あるとのことなので、今後、こうした形で、少しずつ自然愛好家が移り住んでくるのかもしれない。

 

5月23日(日)晴

福井市内の区民運動会を回る。麻生津(あそうず)、清明(せいめい)、豊(みのり)地区を回って、約1400名の方とお会いすることができた。多くの方に「応援しています」と声をかけられ、大いに励まされる。

 

5月22日(土)晴のち曇り

越廼村の浜北山、赤坂、城有(しろあり)、八ツ俣(やつまた)を回る。いずれも海から少し山に入ったところにあり、過疎化と老齢化が進んでいた。浜北山の半分以上は女性の一人暮らしという状況だった。

あと10年もしたら、これらの集落はどうなるのだろうか。城有の専西寺のご住職が、「福井市と合併したら、効率化、効率化で、幹だけ太くなって、枝は切り捨てられるのではないか」と心配されていたのが心に重く残った。

しかし、山の上からの眺望は素晴らしい。日本海が一望に見渡せる。過疎地として見放すのでなく、高級住宅地や別荘地としての開発も可能ではないか。

そう思って回っていたら、八ツ俣(やつまた)から降りる途中で越前リゾートという会員制の高級リゾートクラブにぶつかった。駐車場には神戸ナンバーや大阪ナンバーの外車がとめられてあった。

フロントの女性に事情を聞いたら、大阪に本拠がある会員制のクラブということであった。「やはり、別荘地としての開発はありうるのだ」と確認する一方で、会員制クラブ特有の排他的な雰囲気が漂っていて、地元から隔離された別荘やリゾートクラブだらけになっても困ると感じた。越前海岸の素晴らしい環境を生かし、地元も潤う活性化策を何とか探し出す必要がある。

 

5月21日(金)快晴

久し振りの快晴。越廼村の居倉(いくら)を回る。海際の道路から30メートルほど山を登ったところまで、家が建っている。一番上の家からは遠くまで海を見渡すことができる。

居倉ではなぜか、ワカメを手入れしている人を多く見かけた。漁港はあるが、大きな船の姿は見えない。同じ越廼村の集落でも、取れるものが微妙に違うのかもしれない。

夜、事務所で会議。29日に予定されている美山町の「てくてく巡業」報告会に向けての準備作業について話し合う。

 

5月20日(木)

夕方、田原町駅から越前鉄道に乗って三国祭りに出かける。結構、混んでいて、「越前鉄道も大したものだ」と思っていたら、三国神社駅で女子高校生たちがどっと降りた。

三国駅で辻人志さんとお会いして、三国祭りを見学しながら三国神社近くの辻さんのお宅まで歩いた。雨が降っているのに大変な人出である。山車にぶつかると前に進めない。それでも、人出は例年の10分の1だという。

辻さんのお宅でご馳走になる。そのうち、辻さんのジョギング仲間の方々もお見えになって、マラソンの話になった。

福井県の女子マラソンの記録を持っているという東さんに、「東京マラソンや名古屋マラソンで、後のことを考えずに最初から飛ばしたら何キロくらいトップで走れますか?」とぶしつけな質問をしたら、「3キロなら自信はあります。でも、残りの39キロは歩くことになります」と仰っていた。オリンピックに出るようなトップランナーはその位、早いものらしい。

 

5月19日(水)

越廼村最大の集落である蒲生地区をようやく回り終える。最後の家を回り終えた途端に雨が降り出した。近くのお店に飛び込み、傘を借りる。

途中、越廼中学の子供たちが、福井市と合併すると、予定通りオーストラリアに修学旅行に行けるかどうか心配しているという話を聞いた。

詳しくお話を伺ったところ、大阪で成功された越廼村出身の方が遺言で越廼村の教育委員会にまとまったお金を寄付された。しかも、10年以内に使い切るようにという指示があったという。

村の教育委員会で相談した結果、オーストラリアに修学旅行に行くことになり、昨年から実施されて越廼中学の子供たちは大喜びだそうだが、福井市と合併して越廼中学が福井市の国見中学や殿下中学と合併することになると、オーストラリアへの修学旅行がどうなるか分からないと心配しているということであった。合併に関する不安は常に現実の具体的な暮らしに密着している。

 

5月18日(火)

越廼村の蒲生地区を回る。今、越廼村では大改造が行われている。すでに、茱崎港の整備が終わり、現在、進められているのは蒲生地区の埋め立てである。埋め立て地には他のどの市町村でも見られる町営の温泉が作られる予定である。

蒲生港の埠頭に腰掛けて、埋め立て工事をぼんやり眺めている初老の男性がいた。「今日は」と声をかけると漁師の方だった。これまで使ってきた自分の漁港が埋め立てられているのだという。

「これから茱崎港を使えと言われても、あんなところまで歩いていく気はしない。これがいいことなのか悪いことなのか、自分には分からない」と呟くように仰っていた。

浜辺で網を手入れしている男性に出会った。刺し網に絡みついた藻を取っているのだという。綿からナイロン製に変ったので、これでも、随分、網の手入れは簡単になったのだそうだ。

漁獲高は、やはり、年々減っているそうだ。「グラウンドのような広さを網で囲んで一網打尽に取るのだから、無理もない。イカは一年もん(一年で成長する魚のこと)だが、親まで獲ってしまうんだから、獲れなくなるのは当たり前だ」と自嘲気味に仰っていた。漁業が「管理」されるのも仕方のないことなのかもしれない。

 

5月17日(月)

昼、足羽山の上にある「万惣」で昼食。越前海岸沿いにあるお気に入りの喫茶店「マーレ」のオーナーの内田喜通さんが、最近、出したお店である。毎年、夏に開いているガーデンパーティを今年は「マーレ」で開かせてもらおうと、内田さんにお願いするために「万惣」を訪れたのである。

内田さんは製材所を経営しており、家を建てるのが本職なのだという。仲間と海釣りをするのが趣味で、釣ってきた魚を仲間と食べるために作ったのが「マーレ」で、初めはお店にするつもりはなかったそうだ。ところが、お店にしてみたら予想外に当たって、いまでは「お客さんに差し上げた」と思っているとのことだった。

2ヶ月前に開店したばかりの「万惣」も、口コミですでに「知る人ぞ知る」人気店になっているようだ。元々、「作るのが好き」で自分が好きなものを作ると当たってしまうらしい。新しい時代は内田さんのような人に創られていくのだろう。

 

5月16日(日)雨

福井市内の区民体育祭を回る予定だったが、雨で中止。久しぶりに自宅で読書。静かな休日を楽しむ。

 

5月15日(土)曇り時々晴

越廼村の茱崎を回り終え、蒲生(がもう)地区に入る。昨夜、茶飲み座談会でお会いした佐嶋美智代さんのお宅を訪れ、ご主人に漁業問題について詳しくお話を伺う。

水温が一度違うだけで、漁場はあちこち移動するのだそうだ。今年は、イカ釣りの魚場が排他的経済水域の外に出てしまっているので、沿岸漁業の許可しか得ていないイカ釣り舟は漁場に出かけることができず、水揚げが落ちているのだという。

海には素人には見えない様々な線引きがなされているらしい。これを「管理漁業」と呼ぶそうだが、漁業が予想以上に規制の多い産業であることを知る。

夕方、福井市内の木田神社のお祭りに出かける。

 

5月14日(金)曇りのち晴

越廼村の茱崎(ぐみざき)を回る。茱崎に入ってすぐに、イカの塩水漬けの作業をしているお店にぶつかった。昔は地のイカだったそうだが、現在、扱っているイカはニュージーランド産だという。また、働いている人の半分が中国人の女性だった。

その隣のお店では、サバのへしこを作っていた。驚いたことに、てっきり県産品だと思い込んでいたサバも地のものではなく、ノルウェー産だという。地のものは高いうえに(浜で一匹1500円)、脂がのっていないのだそうだ。サバ焼きのサバもほとんどノルウェー産だというから、愕然とさせられる。

さらに歩いていくと、今度はスケソウダラの塩漬けをしている加工場があった。このスケソウダラは北海道産だという。水産加工場があっても、地元で獲れた魚が扱われていないところに、現在の漁業が置かれている厳しい状況が窺われる。

夜、茶飲み座談会。ご主人が漁師をしている佐嶋美智代さんは、越廼村で獲れるイカをなんとかブランド化したいと考え、友人の北葺a代さんと共に、生きたままのイカを船上で処理する「沖漬けスルメイカ」を4年がかりで作り出したという。

昨年、作った3000匹の沖漬けスルメイカがすべて売り切れ、今年は注文に生産が追いつかない状態というから心強い。地の魚を使った水産加工の取り組みが進んでいることを知り、安心する。このほか、完成間近の新漁港についてや福井市中央卸売市場の問題など多岐に亘ってお話を伺わせていただいた。

 

5月13日(木)雨

一日中、雨。県立図書館に行って、これまで先延ばしにしてきた仕事に取り掛かる。

 

5月12日(水)

突然、葬式の知らせを受け、てくてく巡業を中断。その後、事務所でたまった仕事を片付ける。夜、福井市木田の三六で久しぶりに「井戸端ぶんどう塾」。木田商店街の店主さんが何人かいて、福井市の中央卸売市場の話となる。中央卸売市場の取扱高が年々減っているため、最近では産地から相手にされず、いい品物を入荷できなくなっているという。そうなると、市場で仕入れざるを得ない街中の八百屋さんや魚屋さんの品揃えが悪くなり、客足がますます遠ざかるという悪循環に陥ることになる。地産地消、流通、中心市街地の空洞化という諸問題は密接に絡み合っているということらしい。

 

5月11日(火)雨のち曇り

小雨の中、越廼村の大味地区を回る。可住面積が小さいためか、海からの強い風を避けるためか、家と家が肩を寄せ合うようにぴったりくっ付いている。その間を狭い道路が迷路のように走っている。玄関口がどこか分からず、道を行ったり来たりした。

ところで、5月11日付の日本経済新聞によれば、国の原子力委員会(近藤駿介委員長)は原子力開発利用長期計画を抜本的に見直すとのことだ。

使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを燃やす高速増殖炉の実用化は当面断念し、通常の原子力発電所で使うプルサーマル発電を主軸にすることや、使用済み燃料を長期保管する国営施設の建設などを検討する見通しのようだ。

これは、これまで国策、国策と言い張ってきた核燃料サイクル政策を抜本的に見直すということであり、世界の流れからすれば当然のことである。ご存知の方も多いと思うが、僕は一貫して「もんじゅ」を含む核燃料サイクル計画の見直しを訴えてきた。

しかし、今後、通常の原子力発電所で使うプルサーマル発電を主軸にするというのは大いに疑問である。「もんじゅ」で使うことを前提にすでに30トンものプルトニウムを取り出してしまっているので、これを何とか始末しなければならないのは分かるにしても、まず、使用済み燃料を再処理するのを中止して、これ以上、プルトニウムを生産するのを止める必要がある。

もっとも、核燃料サイクル計画という巨大タンカーは急に止められない。核燃料サイクル計画のゆるやかな終焉プロセスが始まったということだろう。

 

5月10日(月)

越廼村のてくてく巡業の一日目。美山町のときと同じように、まず、越廼村役場を訪ね、菊本導勇(きくもとみちお)助役に越廼村が抱える課題について概略を伺った後、越廼村漁業協同組合とJA越前丹生越廼村支店でも、詳しくお話をお聞きした。

(1)合併問題、(2)過疎問題、(3)水産業の振興、(4)インフラ整備が主な課題という点では、美山町が抱える課題と共通点がある。しかし、同じ一次産業でも農業と水産業では色々と事情が異なることが分かった。

例えば、地産地消を進めようとしても、大漁だと福井市の中央卸市場では捌ききれず、値崩れが起きてしまう。ちなみに2日前の土曜日にハマチが大漁で何千箱も獲れたそうだが、福井市では捌ききれずに大阪と富山に持っていったとのことであった。それでも、福井県内ではハマチの値崩れが起きているという。

また、後継者問題にしても、農業の場合は定年後に田舎に戻ってきても間に合うが、漁業の場合は、定年後にやろうとしても間に合わない。

さらに、漁業協同組合の林茂参事によれば、農業と漁業の最大の違いは漁業には政治力がないことだそうだ。そういえば、「農林族」という言葉はあっても、「水産族」という言葉は聞いたことがない。農業問題に負けず劣らず漁業問題も難しい。

 

5月9日(日)雨

越廼村の一斉ポスティング。美山町の一斉ポスティングに続いて、またもや雨に降られてしまった。全県下からご参加していただいた方の中から「雨男は誰だ」という声が上がる。

ポスティングは2時間ほどで終わって、その後、清水町のSSTランドでバーベキューを行った。バーベキューをする頃には雨も上がった。体を動かした後、仲間と食事をするのは楽しい。

 

5月8日(土)晴

美山町の南野津又(みなみのづまた)、神当部(かんとべ)、河内(かわち)を回る。南野津又では、阪神大震災をきっかけに大阪から引っ越してきた森本義次さんにお会いした。

また、神当部では、美山町役場のホームページの空家情報を見て、今年3月に神奈川県から引っ越してきた西村彰夫さんご夫妻にお会いした。「町の人にはとっても親切にしてもらっている」とのことで嬉しく思う。

河内を回って、いよいよ、美山町の53集落のすべてを回り切ったことになる。明日の越廼村の一斉ポスティングの前日に回り切れてホッと一安心である。

夜、大野市の旧六呂師小学校で開かれた恒例の「山の幸を祝う会」に出席。大野ならではの山菜に舌鼓を打つ。

 

5月7日(金)晴

美山町の境寺、朝谷を回る。その後、美山町森林組合の加工場に行き、工場長の八杉健治さんにあれこれ詳しく説明していただいた。県外からも注文が来ているのでどうやって営業しているのか聞いたところ、営業は三谷商事に委託しているとのこと。うまいやり方だと感心する。

 

5月6日(木)晴

小浜市から福井市に戻る。事務所で美山町見聞録の編集の打ち合わせ。

 

5月5日(水)

午前中、美山町の西天田、東天田を回る。その後、小浜市に向かう。夕方から小河さんのお宅で若狭地区の支持者の方とバーベキューを楽しむ。

 

5月4日(火)雨

山登りの予定だったが雨のため中止。県立図書館に行ったら満員だった。中央仏教学院の期末レポートの仕上げに追われる。雨の日は罪悪感を感じることなくデスクワークに没頭できるので快適である。

 

5月3日(月)曇り

市波を回る。昨日の午後から始めて、ようやく美山町で最大の集落の市波を回りきることができた。ほっと一息というところである。

木ごころタウン市波という団地があった。団地といっても11の敷地のうち、家が建っているのは6軒である。それでも美山町で唯一の団地だ。美山町の他の集落からだけではなく、福井市からも移り住んでいるようだ。

そう言えば、羽生地区で茶飲座談会を開いたとき、過疎対策のため上宇坂の町役場の周辺に団地を造成すべきではないかという意見も出ていた。しかし、団地は一時しのぎにはなっても、時間の経過とともに廃れていきがちである。団地についても持続可能な形というものを追求すべきであろう。

市波を歩いているうちに、有塚達郎町長のお宅にぶつかった。ちょうど、有塚町長が外で何やら仕事をされていたのでしばらくお話させていただいた。美山町を回っての感想を聞かれたので感じたところを二、三申し上げたら、それぞれについて「なるほど」と納得のいく回答をいただいた。さすがに為政者の方は深く考えているものだと感じ入る。

 

5月2日(日)晴

快晴だったので、撮り損なっていた写真を撮りに上宇坂の蔵作橋に行く。その後、下宇坂の三万谷、三万谷別所を回る。天気が良いので、ほとんどの人が農作業に出ていた。もっとも、コシヒカリを植える人は連休明けまで待つらしい。昨年から遅植えを進めているJAが5月6日までコシヒカリの苗を配らないそうだ。いま、田植えされている苗は花越前である。三万谷と三万谷別所を回り終えて、市波のJAを覗いてみたら何人も人がいる。「今日もやっているんですか」と声をかけたら、「農繁期ですからやっています」との答え。それもそうだ。田植えの真っ最中であると納得した。

 

5月1日(土)

大久保、福島、奈良瀬を回る。一斉に田植えが始まっている。昨日と打って変わって、ほとんどの田んぼに水が引かれている。

大久保から福島に行く途中に大きな太陽発電パネルの塔が建っている家があった。不思議に思って、庭で花の世話をしているご主人にお話を伺った。藤島高校で地理を教えておられる山口誠さんは、地球上の問題は環境と食糧問題に行き着くと考え、太陽光発電パネルを取り付けたとのことだった。

また、トイレはバイオマストイレで、水洗の水がまったくいらず、肥料に変えているそうだ。「日本の政治は理念ではなく、金で動くから駄目だ。どうしてこんな簡単な理屈が分からないか理解できない」と山口さんは語るほどに激してくる。思いがけず同志に出会った心境であった。

最後に奈良瀬に行くと田植えを終えたばかりの渡辺輝尚さんが猪避けを取り付けていた。電流を流して、猪を感電させる仕組みである。福井市から田植えの手伝いに来た息子さんに「触ってみますか」と言われて、恐る恐る触ってみたらビリッときた。これなら猪もびっくりだろう。うまく考えたものである。


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