ブンブン日記 2004年 6月
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6月30日(水)曇りのち雨

清水町の杉谷を回る。暑さが臨界点を越えたためか、この辺りの習慣なのか、昼寝をしている方が多かった。そう言えば、子供の頃、夏休みになると腹巻をして昼寝をさせられたのを思い出した。あの頃は、村全体が昼寝をしていた。今でも昼寝の習慣は残っているのだろうか。

 

6月29日(火)晴

清水町の片山を回る。清水町の中でも、昔からの農業地域なのだろう。家々も大きい。戸数の割に、かなりの長距離を歩いた。終わりの頃には、暑さで頭が朦朧としてきた。

回っているうちに、80歳になるという方に「あんたとちょっと話がしたい」と家の中に呼び入れられた。

「自分はもう政治家は誰も信用していない。政治家で大事なのは、腕が利くことではない。どんなに仕事ができても、3人分も、4人分もできない。一番大事なことは悪いことをしないことだ」

「最初のうちは、誰も悪いことをしようなどとは思っていない。一期、二期と任期を重ねていくうちに、本人にその気がなくても、側の人間が本人を利用するようになる。頼むから悪いことだけはしないでくれ」と懇請された。情けないが、反論できない。ほとんどの国民の思いを代弁するものだと感じた。

 

6月28日(月)晴れ

今回の参議院選挙で導入された期日前投票に行く。これまでの不在者投票よりも、手続きはずっと簡素化されている。不在者投票のように封筒に入れて封をする必要はなく、投票日と同じように投票すれば良い。受付で自分の名前と住所、生年月日を申告すれば、本人確認をすることもなく簡単に投票できるので、「えっ、本当にこれだけでいいの」と心配になる。同じような不安を抱く人は大勢いるはずだから、参議院選挙が終わってから、本人確認の手続きが導入されることになるかもしれない。

 

6月27日(日)雨のち曇り

日中、雨の中、清水町の坪谷を回る。夜、鯖江市河和田の内田農産の内田秀一社長のご案内で、蛍を見に行く。内田農産は低農薬農法で55町歩のコメを作っている専業農家である。

内田社長は農薬による一斉防除の翌日、田んぼで蛙や虫が死んでいるのを見て、一斉防除に疑問を持ち出したそうだ。一斉防除を止めてから10年経って、蛍が見られるようになり、いまでは、河和田は「蛍の里」として売り出すまでになったという。

6月上旬より6月中旬まで源氏蛍の乱舞が見ることができ、 6月中旬以降、平家蛍が田んぼより大発生、7月の中旬頃まで見ることができるそうだ。

農道に車を停めて、ライトを消し、ハザード・ランプをしばらく点灯させると、一斉に辺り一帯に平家蛍が現れた。蛍は一年の内360日、地中で暮らし、最後の5日間、明かりを灯し、相手を探して交尾するのだという。ハザード・ランプを点灯させると、蛍だと勘違いして一斉に反応するのだそうだ。

内田さんのお蔭で、子供の頃の風景がようやく戻ってきた。この40年間、我々は一体何をしてきたのかという感慨に捕われる。子供たちのために、少しでも「蛍の里」を広げたいものだ。

 

6月26日(土)曇り

夜、越廼村住民センターで「テクテク巡業」の報告会。どなたもお見えにならないかもしれないと覚悟していたが、予想以上に多数、女性の方がお見えになった。

越廼村で撮った写真をスライドでお見せしながら、越廼村で感じたことを話した後、質疑応答の時間に入る。知事選のときにも感じていたことだが、女性は物怖じせずに率直に思ったことを言う。

「越廼村にこれ以上あれこれ施設を作るよりも、福井市に通勤する子供たちのために、福井市とつなぐ道路を何とか整備して欲しい。今のままでは、雪が降るたびに川底に落ちる車が出る」「茱崎漁港を整備する前に、あれだけ『あそこを開けては駄目ですよ』と言ったのに、開けられてしまった。あれでは波がまともにぶつかって、船がいたんで仕様がない」「越廼村の海はテトラポットだらけになってしまって、昔あれだけ獲れたウニが獲れなくなってしまった。福井市と合併してお金が回らなかった大丹生の海岸の方が昔のままで良い」など、本音の声が聞けて勉強になった。

乗る人がいなくなったので、仕方なく夫の船に乗ったという漁師の奥さんがいた。台風に遭い、死ぬ目にあって、初めて夫を尊敬するようになった。しかし、同時に、こんなことをいつまでもさせられないと思い、夫を説得して漁を辞めさせたと仰っていた。女性は偉大である。感謝。女性が納得できる仕組みでないと永続きしない。

 

6月25日(金)雨

参議院選挙公示についての新聞記事を読む。投票率が下がるのではないかとの観測がなされている。なぜなら、民主党が争点にしている「年金制度自体の問題とか、イラクの多国籍軍の指揮権がどうだとかいうのは高度な問題で、分かりにくい」(加藤秀治郎東洋大教授の談話、6月25日付福井新聞)からだという。

高度な問題というより、冷戦が終わり、世論調査で60%以上が憲法改正に賛成するような状況では、安全保障問題はもはや争点にならないと考えるべきだろう。また、年金問題については、十分争点になり得たが、民主党が三党合意に乗るという致命的な戦略ミスを犯した。いまさら、年金法の白紙撤回を唱えてもあまり説得力がない。

国政選挙を行うごとに投票率が下がるのは、二大政党制の幕開けと言われながら、二大政党間で争点になる問題があまりにも的外れだからではないか。今回、注目したいのは、むしろ、比例代表選挙で「みどりの会議」と「女性党」がどれだけ議席を取るかである。

ヨーロッパでは、「緑の党」の勢力拡大により、ヨーロッパ各国のエネルギー政策が変りつつある。「みどりの会議」の得票次第で日本の公共事業のあり方やエネルギー政策も変るかもしれない。

女性議員の数が増えると、政治が変るのは全国各地の地方議会で立証されている。女性議員の数を増やすのは、日本の政治を変える最も確実な方法である。全国各地で男女共同参画運動を精力的に展開している女性たちが本気で応援すれば、「女性の党」はかなり得票できるはずだ。男女共同参画運動が単なるパフォーマンスなのか、本気で取り組まれている運動なのか、試される機会にもなろう。

 

6月24日(木)曇り

清水町の島寺を回る。蒸し暑くて、歩いていると汗が滴り落ちた。背広の袖で汗をぬぐいながら回っていたら、見ていた方が気の毒に思われたのか、ご親切にタオルを下さった。有難うございます。

 

6月23日(水)晴

清水町の真栗を回る。「今日は」と玄関に入った途端、勢いよく飛び出してきた室内犬に足を咬まれた。

家を出てから、ズボンを上げてみたら血が出ていてびっくりした。道端の草の葉っぱをちぎって、患部に当てて応急処置。回り終えてから、コンビニで消毒剤とバンドエイドを買って手当てをする。

清水町は本当に犬が多い。飛び込み営業をされる方は十分ご注意下さい。

 

6月22日(火)曇りのち晴

台風一過、午後は快晴だった。久しぶりに県立図書館に出かけて、ニュースレター7月号の原稿を執筆する。

夜、中小産業大学で開かれた漁火会の定例会で、「これからの福井県、これからの日本」と題して講演する。質疑応答の時間で、政治不信の原因について議論する。「憲法9条に象徴されるような建前と本音のギャップが大き過ぎて、もう勝手にしてくれという気になる」という意見には説得力があった。

建前(=政治・行政の世界)と本音(=現実の世界)のギャップとも言えるし、形式知(=政治・行政の世界)と暗黙知(=現実の世界)のギャップとも言える。政治家の本来の仕事は、この2つの世界に架け橋をかけることではないだろうか。

 

6月21日(月)台風

台風が来るというので、てくてく巡業をお休みしたが、台風らしい雨風はほとんどなかった。

夜、ずっと見逃してきた名作「炎のランナー」(1981年)を借りてきて観る。いまから80年前のパリ・オリンピックで金メダルを取った2人のイギリス人のお話である。

1人はケンブリッジ大学で法律を勉強するユダヤ人学生。ユダヤ人に対する社会の偏見と戦うために100メートルで金メダルを取ろうと努力する。勝つためにプロのコーチを雇う勝利第一主義が大学で物議を醸す。

もう1人はスコットランド人の牧師。自分の名誉のためではなく、早く走る才能を与えてくれた神の恩寵に応えるために走る。100メートルの決勝が日曜日に行われることを知って、100メートル種目を辞退する。

対照的な生き方に優劣を加えることなく、2人の苦悩と栄光を淡々と描いている。有名な俳優は一人もいないが、脇役にいたるまで一人ひとりの個性が光っている。音楽も素晴らしい。

 

6月20日(日)曇り

実家がある鯖江市下新庄で毎年恒例の浅水川の土手刈りを行う。僕がいる14組は電動の草刈り機が多いためか、毎年、仕事が終わるのが早い。朝6時から始めて約1時間半で終わった。向こう側の土手はまだ半分も終わっていなかった。ちょっと気の毒だったが、仕事が終わると皆、さっさと家に帰った。

朝食を済ませてから、今度は越廼村へ向かう。10時15分に住民センターで待ち合わせて、「ありがとうポスティング」を行った。福井市日の出でお好み焼き屋「一期一会」を営む大竹口さんと一緒に蒲生地区の山側をポスティングした。僕が半分も終わらないうちに、「もう終わりました」と大竹口さんが走ってきた。残りを手伝ってもらったので、あっという間に終わってしまった。旅館「海」で皆とゆっくり昼食を取って、自宅に帰る。

 

6月19日(土)晴

清水町の本折(もとおり)、平尾を回る。回っているうちに、大正12年生まれの81歳のご婦人にお会いした。矍鑠とされたご婦人で、「こんな世の中だから、頑張って貰わないと困ります。私たち年寄り向けの福祉はもう十分過ぎるほどあります。若者一人ひとりの自立心を養うようにお願いします」と凛とした口調で仰っていた。恐れ入って、「分かりました」と退出して1時間ほどしたら、「俺のおふくろに説教されたんだって」と旧知の方から電話がかかってきた。世の中は狭い。

 

6月18日(金)曇り

夜、清水町のキララ館で開かれた「茶飲み座談会」に出席。合併問題についての住民説明会が開かれ、住民アンケートが行われた直後ということもあって、合併問題について活発な意見が出された。大方は合併やむなしというものの、中に「合併しないで困るのは役場だけ。住民は合併しなくても構わない」という人もいた。

16日の日記に書いた野口について、「『千と千尋』に出てくる町のようなところですね」と言ったら、「その通りです。私もそう思っていました」と同意してくれる人が何人かいた。清水町の人にとっても、郷愁を誘われる集落らしい。

昨日書いた清水畑の田んぼの埋め立てについては、専業農家の方が「埋め立て後、田んぼにする人、畑にする人、宅地にいる人に分かれていると聞いているが、どうなるか注目している」と仰っていた。

インフラ整備について、清水町は周りの市町村からのアクセスが悪いという声が多く出された。斉藤哲三町長にお会いしたときも、「高速道路からのアクセスが悪く、企業誘致で他の市町村に負けた事例がいくつかある」と仰っていた。

確かに、道路整備については需要があるようだ。しかし、便利が良くなるからという理由で道路を作っていたらキリがない。道路整備の優先順位について客観的な基準を作る必要があるのではないかと感じた。

 

6月17日(木)晴

真夏日のような暑さの中、清水町の清水畑を回る。清水町の中でもっとも越前海岸に近い地域である。

ダンブカーが次々にやってきて道沿いの田んぼに土を捨てている。その後をブルドーザーがならしている。こんなところに新しい団地を作るのかと思って向かいの家の人に聞いたら、「若い人が田んぼをしなくなったので、何の計画もなく埋めているだけですよ」とのことだった。

清水畑からさらに越前海岸に向かうと、一旦、福井市になってから越廼村になる。行政区分上、福井市に当たる山中に産業廃棄物の最終処分場をつくるために山を崩して出てくる土を捨てているそうだ。

間接的にせよ、産業廃棄物を捨てる場所を作るために、農地を埋めていることになる。清水町の農業委員会はこんな話を許可したのだろうか。てくてく巡業をしていると、工業によって農業や漁業がずるずる押し込まれている「この国のかたち」が見えてくる。こんなことで本当にいいのか、考え直す時が来ているのではないか。

 

6月16日(水)晴

清水町の野口、笹谷、四ツ合を回る。野口は13日の日記で「別荘地のような所」と形容した加茂内のさらに奥にある、40年前の集落が瞬間冷凍されたようなところで、いまだに、萱葺きの家が残っている。また、大黒柱の見える土間にはじゃが芋がころがっている。加茂内から野口に抜けると、目の前が急に開けて、見晴らしが良くなる。田んぼの向こうにたなびく煙をぼんやり見ていると時間が止まったような気がした。

夜、大森の睦月神事会館で開かれた「茶飲み座談会」に出席。珍しく、役場の方がお見えになって、積極的にご発言いただき、とても参考になった。役場の方がいると、どうしても他の出席者の方から行政批判が飛び出すことになる。これに対して、「町の人は評論家ではなく、街づくりの当事者になって欲しい」と真摯に訴えていらしたのに感銘した。

 

6月15日(火)晴

さわやかな快晴の日が続く。今日は清水町のてくてく巡業をお休みして、越廼村のてくてく巡業報告を完成させた。てくてく巡業を始めて、もう2ヵ月半になる。歩くうちに、てくてく巡業は自分に与えられた「行」だと考えるようになった。「行」だから、歩いているときは努めて何も考えないようにしている。只管打坐ならぬ只管打歩である。前後裁断して、一歩一歩、一軒一軒に集中する。一日、一日、毎日をこんな気持ちで過ごせたらいい。

 

6月14日(月)晴

清水町の山内を回る。山内は志津が丘団地に隣接している集落である。不思議なことに空家が多いので、ご在宅の人にどういう訳か聞いてみたら、「若いもんは、みんな志津が丘に行ってしまうんや。うちの息子も志津が丘にいる」と仰っていた。

志津が丘団地は、清水町の団地の中でも新しいもので、これまでの団地の反省を踏まえて作られていることから人気が高いそうだ。清水町の初期の団地であるグリーンハイツからも移り住む人がいるという。

人口を増やすために作られた志津が丘団地が、周りの集落の過疎化を促しているという皮肉な現象が起きている。近くに魅力的な場所ができると、自然に人はそこに移り住む。魅力的な場所に人が移り住むのは止められない。過疎化対策にしても、街づくりにしても、いかに魅力をつくるかが鍵になるということのようだ。

 

6月13日(日)晴

鬱陶しい梅雨空とは打って変わった、さわやかな快晴の日だった。県立博物館のミュージアム・カフェで昼食を兼ねた遅い朝食を取った後、清水町に出かけて、滝波と加茂内(かもうち)を回った。

滝波は昔ながらの集落である。滝波川を上流に遡ると滝波ダムがある。どういう訳か犬が多く、どの家に行っても吠えられて難儀した。

加茂内は清水西小学校の横の道を山側に入っていったところにある。狙いをつけて行こうと思わなければ、誰も行かない集落だろう。山の中を切り開いたような場所だ。団地とは趣が違う。

住民の松田登喜男さんが、「加茂内は別荘地のような所です」と仰っていたが、まさしく別荘地である。建っている家もまるで別荘のようなものが多い。住んでいる人も清水町の外から移り住んできた人が多いようだ。清水町が意欲的に様々な街づくりの実験を行っているのが分かる。

 

6月12日(土)晴

清水町の大森を回る。清水町は福井市のベッドタウンで、人口も増え続けているので過疎化とは無縁だと思っていたが、あちらこちらに廃屋や空家があるので意外な気がした。どうやら、清水町には過疎地域と新興ベッドタウンの両方があるようだ。

集落のはずれに団地があった。40年以上も前にできた清水町で一番古い団地だという。平屋の一戸建てと新築の住宅が混在している。また、歯が抜けたような空き地も結構ある。

近所の人に事情を聞いたら、元々、町が地主から土地を借りて、町営住宅を建設した。その後、町が土地を買い取り、土地を売り出したとのことだった。

つまり、推察するに、平屋の一戸建てが元々の町営住宅で、住民の中には借り主のままの人もいるし、買い取った人もいる。また、買い取った人の中には、古くなった元の町営住宅を取り壊して、新しい家を建てた人もいる。買い取られないまま住民が亡くなり、後に住む人がいなくなると空き地になってしまうのだろう。大森団地から学ぶものは多い。

 

6月11日(金)雨

夜、福井市のバードグリーンホテルで開かれた福井県倫理法人会主催の経営倫理講演会に参加する。「繁栄の王道」と題した芝寿司の梶谷普弘社長のお話が面白かった。

芝寿司は梶谷社長のご両親が昭和33年に創業されたものだという。東芝の電気釜を売っていたときに、実際に炊いてみせたご飯を何とか利用できないかとお母さんがお寿司にして売り出したのが始まりだそうだ。

最初は、「東芝寿司」という名前だったそうだが、「お宅のお寿司を食べると舌がピリッとする」と言われて、「東」を取って「芝寿司」になったというから面白い。

現在では、北陸3県でお弁当を売っており、37億円の売り上げがあるとのことだった。金沢市で運動会が行われるときには、全町内会の8割、約2万食のお弁当の注文があるという。約2万食の注文をこなす能力もさることながら、ここで驚かされたのは、雨天でキャンセルされると2万食がパアーになるというリスクを負いながら、「雨天キャンセルOK」の原則を打ち出されていることだ。

「自分の都合ではなく、あくまで相手の都合に合わせて、不可能を可能にする」という梶谷社長の不屈の精神には感動した。

 

6月10日(木)

清水町の大森を回る。11時ごろ、数人の小学生が川遊びをしていた。傍にいる女性に挨拶したら、「総合学習の時間で、清水町を探訪しているところです」と仰っていた。

清水ニュータウンというできたばかりの団地があった。住んでいるのはほとんど新婚さんというだけあって、洋風のお洒落な家ばかりだった。時々、在宅の人がいると、「応援していたのに残念でしたね」と言われて素直に喜んだ。

しばらく歩くと、善福寺にぶつかった。高校時代に国語を教わった安野先生のお寺である。また、同じ浄土真宗誠照寺派でもある。ちょうど、安野先生がいらして、「まあ、一服していきなさい」とお茶と奥様手作りのお菓子をご馳走になった。

知事選のときに応援していただいた会社にもご挨拶に伺った。社長はあいにく留守だったが、事務所の方たちに歓迎された。清水町でも、これまでとても暖かく迎えていただいている。感謝である。

 

6月9日(水)晴

山口治太郎美浜町長が中間貯蔵施設を誘致する意向を表明した。一方、小浜市では中間貯蔵施設の誘致の是非をめぐって、市長選挙が行われようとしている。

原発が15基も集中立地している嶺南地域における政治の争点はどうしても原発絡みになってしまう。しかし、政治の争点が「原発」そのものから「中間貯蔵施設」に移っている点に注目したい。

つまり、原発事情に詳しい嶺南地域では、電力をめぐる状況から今後、原発増設が困難であることが分かっているのである。嶺南地域の関心は、すでに、脱原発時代の地域活性化のあり方に向けられていると言っても良い。

もっとも、脱原発時代の活性化策の議論が依然として中間貯蔵施設の誘致の是非に終始しているところに問題がある。脱原発時代の活性化の切り札は、原発を超えたところに求めるべきではないか。脱原発時代の社会は脱工業化社会であり、知識社会であることを忘れてはならない。

 

6月8日(火)

越廼漁業協同組合の北崎寿男組合長のお宅を訪れ、漁業問題について詳しくお話を伺う。

過去20年間で、漁獲量が約3分の1に減っている。乱獲が主な原因とされるが、魚は獲りすぎだから減るというものでもない。水温の上昇(過去20年間で3度上昇)による魚種の変化も大きい。昔、この辺で獲れた魚は北上してしまい、暖かい海にいる魚が獲れるようになっている。

毎年、水揚げが落ちている上に、魚価が下がっているので、漁民の生活は苦しくなるばかりだ。魚価が下がっている原因としては輸入魚の増加が大きいが、流通の問題など様々な要因が絡んでいる。

これからは、「作り育てる漁業」ということで、十数年前からひらめと車えびの放流を行ってきており、今でもひらめが獲れるのは放流のお蔭だと考えている。残念ながら、イカを養殖する技術はまだない。

お話を伺えば伺うほど、漁業の難しさが分かってくる。

 

6月7日(月)梅雨入り

朝から蒸し暑くて、「いよいよ梅雨だ」と思っていたら、案の定、梅雨入りしたようだ。気候の急な変化に体がなかなか適応できない。

清水町の「てくてく巡業」一日目。例によって、まず、清水町役場を訪れ、町政の課題についてお伺いする。齋藤三哲町長が快くお会いしてくださった。

清水町の課題は、何といっても、合併問題とのことだった。今週、齋藤町長自らが住民説明会を行うとともに、もう一度、すべての町民に合併についての意向調査を行うと仰っていた。

「市町村合併はそれぞれの市町村が抱えている色々な問題について正すべきを正す好機だと考えています。現在の首長職を次の踏み台と考えておられる若い首長さんには難しいかもしれませんが、「私」があっては合併を成功させることはできません」というお言葉に深い感銘を受けた。

また、平成22年度の目標人口を13000人と定めて(現在の人口は10674人)、着々と街づくりを進めている姿勢にも感心した。欧米で「成長管理」と呼ばれている手法である。詳しくは、清水町の「てくてく巡業報告」に譲ることにするが、清水町には他の市町村の参考になる街づくりのノウハウの蓄積がある。先生は身近なところにいるものだ。

 

6月6日(日)曇り

清水町の一斉ポスティング。朝一番で福井市和田地区の運動会を回った後、美山町の市波で行われていたお祭りに出かける。お祭りを回ってみて、知名度が上がったのを実感する。その後、清水町へ。一斉ポスティングは済んでいたので、SSTランドのバーベキューで皆さんに合流。僕が顔を出した途端に小雨が降り出し、「やはり雨男だ」と言われる。越前海岸の「マーレ」でガーデンパーティの打ち合わせをしてから帰宅。久しぶりに体を動かして気分爽快な一日だった。

 

6月5日(土)晴

県立図書館で越廼村の「てくてく巡業報告」に取り組む。平屋作りのせいか冷房が効きにくく、午後になると暑くて集中できない。問屋団地の事務所に行って、たまっている仕事をする。

 

6月4日(金)晴

福井市議会で第2会派から議長が選ばれた。最大会派以外から議長が選ばれたのは、福井市議会では珍しいことらしい。一方、福井県議会では、現職の議長に対する不信任決議案が可決されたばかりだ。いずれの議会も議長人事をめぐって紛糾している。

一連の騒ぎを見て不思議に思うのは、「議長とはそれほどなりたいものなのか?」「それほどなりたい議長は、一体、何をしているのか?」ということである。知事や市長、議員が何をしているのかは大体、見当がついても、議長が何をしているのかはよく分からない。

それで、知り合いの議員さんに、議長のどこにそんなに魅力があるのか聞いてみた。すると、まず、国会の議長と県議会や市町村議会の議長は、まったく性格が違うという。

すなわち、国の仕組みは議院内閣制なので、国会の議長も総理大臣も同じ与党(議会の過半数を占める政党)から選ばれることになり、同じ政党人として議長は総理大臣を助ける役回りを担うことになる。ところが、地方自治体の首長は議会ではなく、直接、住民に選挙で選ばれるので、議長には議会と無関係に選ばれた首長を助ける義理はない。

つまり、首長と議会は対峙する構図になり、議会の代表である議長は、議会に予算案を通してもらわなければ何もできない首長と同等の立場に立つことになる。要するに、議長になると、知事や市長に対して予算案を通す代わりに、「あれをしろ」「これをしろ」と交渉できる力を持てることが最大の魅力らしい。

こう考えてくると、会派の意味も明らかになってくる。会派とは、自分たちの要求を役所に通すための利益共同体であって、ある特定の政治理念や政治心情を共有する理念共同体ではない。いや、利益共同体と理念共同体を兼ねているものかも知れないし、もともと、理念共同体であったものが、いつのまにか、利益共同体になってしまったのかも知れない。今度は、会派について知り合いの議員さんに聞いてみたいものだ。

 

6月3日(木)晴

暑い日だった。県立図書館で越廼村の「てくてく巡業報告」を書く。やはり、漁業のところは難しい。時々、図書館の中をぶらぶらして、参考資料を物色する。農業関連資料と比べると、漁業関連資料ははるかに少ない。試験前になるとやたらに本が読みたくなったのと同じ心境で、気がつくとまったく関係のない本を取り出して読み耽っている。来週からは清水町の「てくてく巡業」が始まる。締め切りに追われる作家のような気持ちを味わっている。

 

6月2日(水)晴

長崎県の佐世保で起きた小6女児の殺害事件は、暗くて、重くて、悲しい事件である。一体、どうしてこういう事件が起きるのか。

朝、テレビのワイドショーを見ていたら、ネット社会の危険性という切り口でこの事件を解説していた。インターネットの世界では、感情がエスカレートしやすいという指摘である。

確かに、面と向かっては言えないことも、顔が見えないインターネットの世界では書いてしまうということがある。「怒って書いた手紙は一晩寝かせろ」という金言があるが、手紙の場合は怒り狂って書いても、宛名を書き、切手を貼って、投函するまでの間に冷静になって、結局、出さないという利点がある。

ところが、メールの場合は「送信ボタン」をクリックするだけで送信されてしまうから、取り返しがつかないことになる。「あんなことを書くんじゃなかった」と僕自身も何度も苦い思いをしている。

養老孟司さん流に言うと、「身体性」が軽視されて、「脳化」が進んでいくと、こういう現実離れした事件が起きてしまうということかも知れない。

インターネットの普及とともに、我々の社会の「脳化」も加速している。今回の事件が示しているのは、本来、「自然」に近いはずの子供の世界も急速に「脳化」しているということではないのか。

 

6月1日(火)晴

県立図書館に行って、越廼村の「てくてく巡業」レポート作成に取り掛かる。漁業問題は未知の領域なので、どんなものに仕上がるか自分でも分からない。

ところで、6月1日付の福井新聞に「バカの壁」で有名な養老孟司さんのインタビュー記事が載っている。養老さんのお父さんが大野市出身とは知らなかった。

その養老さんが、福井など地方都市の「壁」を「都市化」だと言い切っているところに「わが意を得たり」と喜ぶ。以前から唱えている「福井県は2周遅れのトップランナーを目指すべきだ」と同趣旨ではないか。

養老さんによれば、「都市化」とは「脳化」のことであり、「日本人はバカンスを理解していない」という。ちなみに、バカンスとは頭を空っぽにするという意味だ。田舎をいたずらに「都市化」して「脳化」するのでなく、頭を空っぽにできる田舎の価値を見直せということである。


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