ブンブン日記 2004年 8月
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8月31日(火)晴

アテネオリンピックが閉幕した。同時に暑かった夏も終わろうとしている。今年の夏は福井豪雨で始まり、続いて美浜原発事故と災害に襲われた。暗い夏で終わるところが、アテネオリンピックにおける日本選手の活躍で気分を明るくしてもらったのは幸いだった。いよいよ、明日からは9月。学校は新学期を迎える。子供たちと同様、大人たちも心機一転、頑張りたい。

 

8月30日(月)曇り後雨

台風16号が接近。夕方から強い風が吹き出した。風で吹き飛ばされそうなので、衛星テレビのアンテナをベランダから外して、家の中に入れた。福井豪雨の被災地で土砂崩れが起きないか心配である。

 

8月29日(日)曇り

辻嘉右エ門鯖江市長のリコールが成立して、辻市長が失職した。自ら撒いた種とはいえ、リコールという形で職を追われる辻市長の気持ちはいかばかりかと同情を禁じえない。

そもそも、今回のリコールは何のためのリコールなのかよく分からない。当初は、福井市との合併反対が大義名分だったが、福井市との合併が白紙になると、今度は辻市長の市政運営が槍玉に上がった。

市政運営のやり方に不満があるのならば、1年半後に行われる市長選挙で信を問えば済む話ではなかったのか。感情的にもつれた権力闘争がリコールの形を取ったという印象を受ける。

鯖江市には市長選挙をめぐる怨念の抗争があると聞く。政治の世界は究極的には権力闘争の世界なので、怨念をなくすのは無理なことかも知れないが、否が応でも怨念の抗争に巻き込まれざるを得ない鯖江市民が不幸である。

 

8月28日(土)晴

ハンマー投げで金メダルを取ったハンガリーのアヌシュ選手にドーピング疑惑が持ち上がっている。ドーピングがばれればメダルを剥奪されることが分かっているのにドーピングがなくならないのは、第一にドーピングに効果があるからだろうし、第二にばれないドーピングの事例があるからだろう。室伏選手のお父さんによれば、血液検査をすればごまかしようがないとのことなので、血液検査を義務付けるべきなのだろう。

 

8月27日(金)晴

夜、衛星第2放送で「チャイナタウン」を観る。最初に観たのは20の時だから、もう29年も経っていることになる。この作品を撮った後、米国から追放されたロマン・ポランスキー監督の作品である。ワンカット、ワンカットが完成された絵のような芸術作品だ。個人的には、この映画の中のジャック・ニコルソンが一番いいと思っている。

 

8月26日(木)曇り

佐賀地裁が諫早湾干拓事業の差し止めを命じる仮処分を決定した。諫早湾干拓事業というのは、有明海の諫早湾を全長約7キロの堤防で閉め切り、湾内を干拓して農地を造成する公共事業である。総事業費が約2460億円の巨大事業で、94%の工事がすでに完了していたという。

佐賀地裁が完成間際の干拓事業を差し止めたのは、諫早湾を堤防で閉め切ったことで、有明海の環境が悪化、特産のノリが大不作になるなどの漁業被害が出たという漁業者の主張を認めたからである。

そもそも諫早湾干拓事業には、耕作放棄地が拡大しているときに、巨額の費用を投じて農地を造成する必要があるのかという疑問がある。農地を造成する必要がなくても、農地を造成する公共事業が止まらないのは、農地造成など構造改善事業のための予算が「聖域」として一向に減らされないからであろう。

小泉首相がいくら「聖域なき構造改革」を唱えてみても、いまの日本の政治にはこうした矛盾を改める力がまだまだ弱い。これまで国側に有利な判決を出す傾向にあった裁判所が、近年、行政判断に介入する「積極司法」に転じ始めたのは心強い。日本の構造改革には裁判所の応援も必要である。

 

8月25日(水)曇り

アテネオリンピックで金メダルを期待されていた野球が銅メダルに終わり、残念に思っているのは僕だけではないだろう。アテネオリンピックも閉幕まで残すところ数日。気がつくと、猛暑だった夏も終わりに近づき、秋風が吹き始めている。気分を一新して、再び地道な活動を開始したい。

 

8月24日(火)曇り時々雨

芦原温泉の不当表示問題で、旅館名の非公表が波紋を呼んでいる。県は旅館名を明らかにすると経営に大きな影響が出るとして公表しなかった模様だ。

温泉の不当表示は別に人身事故につながる訳ではない。したがって、旅館名を公表して温泉地から退去を余儀なくされるようなペナルティを与えたくないという当局者の気持ちは分からないでもない。

しかし、このまま旅館名の情報開示がなされることなくうやむやに終われば、観光地としての芦原温泉の信用は決定的に損なわれることになろう。地域間競争に敗れて、観光地としての集客能力が落ちれば、芦原温泉の旅館全体の経営に大きな影響を与えることにもなる。

不祥事が起きた場合の最優先事項は、徹底的な情報開示である。「旅館が自発的に名前を出して謝罪することが望ましい」にしても、地元の旅館組合、観光協会、あわら市、県も情報公開に向けて何らかの手を打つべきではないか。

 

8月23日(月)曇り時々雨

女子レスリング72キロ級の浜口京子選手が準決勝で負けたときは大変残念だった。しかし、3位決定戦での見事な勝ちっぷりとその後の父子そろってのインタビューには感動した。

素早く気持ちを入れ替え、3位決定戦に集中して銅メダルを獲得。マットと銅メダルにキスをして、「金メダル以上の経験をしました。レスリングが大好きです」というコメントで、観るものすべてをさわやかな気持ちにしてくれた。浜口選手を励ました父親のアニマル浜口さんは、浜口選手の態度が日本国民全体に与える影響を考えたのだろう。

日本には、「勝って兜の緒を締めよ」という勝者の振舞い方についての教えはあるが、敗者の振舞い方についてはあまり語られない。欧米には、「勝者は謙虚に、敗者は気品を持って振舞え」という言葉がある。そのせいだろうか。勝者の弁よりも敗者の弁が脚光を浴びることすらある。

人生の99%は敗北である。その敗北をどう受け止めるかで、人は偉大にも凡庸にも、また、幸福にも不幸にもなる。今回、浜口京子選手とアニマル浜口さんは、敗北をどう受け止めるかという素晴らしいお手本を示してくれた。

 

8月22日(日)曇り時々雨

夜、女子マラソンを観るつもりだったが、眠たくてつい寝てしまった。夜中の3時に起きてテレビをつけると、野口みずき選手が金メダルを取っていた。

金メダル以外だったら、「高橋尚子が出ていたら」と言われるのは間違いない状況の中で、よくも金メダルを取ったものだ。今回のアテネオリンピックでは、こうしたプレッシャーの中で見事に結果を出す選手たちの活躍が目立つ。

精神力だけではプレッシャーには勝てない。科学的データに支えられた猛練習を乗り越えたという自信と、猛練習に鍛えられた肉体が共にプレッシャーに押し潰されそうな精神を後押しするのだろう。

日常生活の中で様々なプレッシャーに負け続けている我々が、アテネオリンピックで活躍する若者たちから学ぶものは大きい。

 

8月21日(土)晴

朝夕、めっきり涼しくなって、ようやく酷暑の夏が終わるとホッとしている。最近になって、早朝、近所を散歩するようになった。県立美術館の裏にある自宅から県立歴史博物館横の幾久公園まで10分ほど歩く。公園のグラウンドを何周か走って、また、自宅まで歩いて帰る。早朝、散歩していて出会う人たちは、昼間会う人たちとも、夜会う人たちとも違う。庭の草木に水をやるおばあちゃん。夫婦で散歩している初老のご夫婦。公園でラジオ体操をしている人たち。刀をゆっくり振り回して、太極拳の練習をしている初老の男性。いずれも、早起き組は年配の方々だ。自分もついに同じグループに属するようになったのかと少々複雑な気持ちである。

 

8月20日(金)曇り

男子100キロ超級の鈴木桂治選手と女子78キロ超級の塚田真希選手が金メダルを取った。今回、日本は柔道だけで8個の金メダルを獲得。柔道日本は完全に復活したようだ。特に、男子100キロ超級の鈴木桂治選手が得意の足技で金メダルを取ったことに大きな意義があるような気がする。

僕は柔道の権威でも何でもないが、高校の部活で柔道を教えていた父がオリンピックの柔道を見るたびに、「あんなものは柔道ではない」と腹を立てていたのをよく覚えている。東京オリンピックの無差別級で神永選手がオランダのヘーシンクに負けて以来、華麗な立ち技で一本を決める日本本来の柔道が次第に影を潜めていったからだ。

父によると、柔道の中でも最も柔道らしい技は足技なのだそうだ。重心がもう一方の足に移動する直前に足を払うと、自分よりはるかに大きい相手を倒すことができる。今回、元々100キロ級の鈴木桂治選手が自分より20キロも30キロも重い外国選手をぽんぽん投げ飛ばすのを見るのは爽快な気分だった。

柔道が国際化する過程で、一旦は技の切れ味を失って弱くなっていった日本柔道が、国際的な武者修行を続ける中で、変則柔道にも通用する技の切れ味を取り戻した。アテネオリンピックでの日本柔道の活躍は、グローバル化の中で自らを外に開きながら自らを深めるという生き方の見事なお手本を示してくれた。

 

8月19日(木)曇り

ライブドアの堀江貴文社長がオリックスと近鉄が合併した場合は新球団を設立すると発表した。先に、堀江社長は近鉄買収に手を上げたものの、断られていた。今度も、新球団が日本プロ野球組織に参加できるかどうか微妙な状況だ。

一連の動きを見ていると、まず、「よそ者は仲間に入れない」という球界首脳の結論ありきという印象を受ける。大リーグに一流選手も人気も奪われ、日本プロ野球界が衰退の危機を迎えているというのに、相変わらず自分たちにとって都合の良い環境を優先している球界首脳の姿勢には呆れさせられる。

日産自動車を再建したカルロス・ゴーン社長や全国各地で活躍する改革派首長の例を見ても、組織や地域を活性化するのは、俗に「よそ者、若者、馬鹿者」と言われる人たちだ。「よそ者、若者、馬鹿者」のすべての要素を満たしている堀江社長には、その斬新な発想と手法で、ぜひとも、日本のプロ野球界を活性化してもらいたい。

しかし、周囲のものが「お手並み拝見」とばかりに拱手傍観していたら、「よそ者、若者、馬鹿者」はムラ社会の中で陰湿ないじめにあって野垂れ死にしてしまう。「よそ者、若者、馬鹿者」の力を生かすには、応援団の存在が欠かせない。まずは、ライブドアの新球団が日本プロ野球組織に参加できるように応援していきたいものである。

 

8月18日(水)晴

関西電力が運転する原発の点検漏れが次々に見つかっている。これはもう、関西電力の管理体制がズサンというよりも、意図的に点検を怠ってきたということではないか。

関西電力にしてみれば、費用のかかる原発を新たに建設する気はない。償却がほとんど終わった原発をダマシダマシできるだけ長く使いたいというところだろう。下手に人間ドックに入って悪いところが見つかったら困るので、敢えて人間ドックには行かないという心理状態に似ている。

当面の再発防止策としては検査体制の強化ということであろうが、すぐに出てくる問題は老朽化した原発をいつまで動かすのかという問題である。どんなに検査体制を強化しても、耐用年数を過ぎれば事故は起きやすくなる。

原発の耐用年数は通常約40年とされているが、現在、経済産業省はこれを60年に書き換えようとしている。電力会社や電力会社寄りの経済産業省が老朽化した原発をできるだけ長く動かそうとするのは分かるが、安全確保を最優先する県や立地自治体としては、「40年以上動かしても安全です」という電力会社や経済産業省の言い分をこれ以上鵜呑みにするわけにはいくまい。次の県議会ではこうした点も議論して欲しいものだ。

 

8月17日(火)曇り時々雨

体操男子が28年ぶりに金メダルを取った。柔道女子63キロ級の谷本歩実選手も金メダルである。アテネオリンピックでの日本選手の活躍には本当に感動と勇気を与えられる。

実は、日本はもう下り坂に入ったのではないかと思っていた。東京オリンピックの日本選手の活躍を知る世代にとっては、東京オリンピックがピークである。経済も高度成長期だった。

その後のオリンピックにおける日本選手の活躍はだんだん尻すぼみになってきたという印象である。経済もバブル期を越えて、長い停滞期に入った。政治もいつまでたっても変らない。オリンピックも駄目、経済も駄目、政治も駄目。戦後復興期のハングリー精神を失って、日本はこのまま衰退していくのではないかと暗澹たる思いに捕われていた。

ところが、アテネオリンピックでの柔道日本、体操日本の復活。いずれも、これまでの成功体験をかなぐり捨てて、ゼロからのスタートが功を奏した。「やればできるじゃないか」と多くの人が勇気付けられているに違いない。「貧しさの中でのハングリー精神」とは違う、「豊かさの中での卓越」に挑む若者たちの登場にも励まされる。日本も捨てたものではない。

 

8月16日(月)曇り

芦原温泉で井戸水を沸かして「温泉」と不当表示している旅館が見つかった。「温泉」の不当表示は別に人身事故につながるわけではないが、芦原温泉という観光地の「クオリティ」に対する信頼を損なう。再発防止策としては、当面、不当表示に対する規制強化ということになろうが、もっと重要なのは失われた信頼をいかに回復するか、信頼の対象となる芦原温泉のクオリティをどう再構築するかということであろう。

 

8月15日(日)曇りのち晴

終戦記念日。例によって、閣僚による靖国神社参拝がニュースで取り上げられた。毎年、終戦記念日になると、首相や閣僚による靖国神社参拝問題が起きる。そして、その度にアジア諸国の対日感情が悪化する。こんなことをいつまで繰り返すのだろうか。

終戦記念日に靖国神社を参拝するのは、祖国のために命を捧げた英霊たちに礼を尽くすためだ。大義が何であろうと祖国のために命を捧げた方たちに残されたものが礼を尽くさなければ、誰も命を懸けて国を守らなくなる。

問題なのは、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることと、靖国神社が神道の宗教施設であることである。このため、「日本はアジア諸国への侵略戦争を正当化するのか」、「政教分離の原則をないがしろにして『神の国』イデオロギーを復活するのか」と疑われるのである。

戦没者を追悼するのは当たり前のことでも、そのやり方がアジア諸国の神経を逆なでしているのだ。したがって、良き隣人であろうとするならば、アジア諸国が納得する戦没者の追悼方法を考えるべきであろう。新たな戦没者追悼施設を建設しようという公明党の提案はその一つとして真剣な検討に値するのではないか。

 

8月14日(土)晴

鯖江の誠照寺で、3年前に亡くなった父の埋骨を行う。昨年、納骨した父の遺骨を骨壷から取り出して、土に還すというものである。父の骨を一つひとつ頬に押し当てて、「お父さん、さようなら」と言っている母の横顔を見ていたら、涙が止まらなかった。

アテネオリンピックを観る。柔道女子48キロ級の谷亮子選手、男子60キロ級の野村忠宏選手が金メダルを取るのをハラハラしながら観ていた。日本中から期待されながら結果を出すというのは大変な精神力である。2人の選手から大きな勇気をもらう。

 

8月13日(金)晴

家族と一緒に南条町清水に出かけて、毎年、恒例のお墓参りをする。

 

8月12日(木)晴

関西電力の藤洋作社長が経営責任を問われて、辞任させられそうな気配である。何度も書いているように、今回の事故で関西電力の責任は免れない。しかし、これまでさんざん「地域振興のために原子力は必要だ」と言っておきながら、事故が起きると「裏切られた」とばかりに、関西電力一人に責任をなすりつけるのは違和感がある。「もんじゅ」事故の際にも、ビデオ隠しなど動燃(現在の「核燃料サイクル機構」)の対応の悪さもあってもっぱら動燃の責任が追及された。しかし、関西電力や動燃は、言わば原子力政策という「とかげ」の尻尾であって、とかげの尻尾切りで満足していては本当の問題解決にはつながらない。真相究明、責任追及、再発防止は相互に密接に関係がある。事故の原因も責任も関西電力だけに押し付けていては、真の再発防止にはつながらないことを認識すべきである。

 

8月11日(水)晴

一昨日、大きな事故が起きた場合の対応は、@真相究明、A責任追及、B再発防止の3点セットと決まっていると書いたが、美浜原発事故についての政府の対応、マスコミの関心も、真相究明と責任追及から再発防止に移りだした。

ところで、真相究明と責任追及のパターンは事故の種類により千差万別だが、再発防止のパターンは判で押したように決まっている。安全管理に関する規制強化である。予想通り、経済産業省の原子力安全・保安院は二次系配管の共通の管理指針作りに乗り出すことを決めた。

安全管理を徹底すると、そのためのコストがどうしても上がる。これまで他のエネルギーと比較して割安なエネルギーとされてきた原子力が実は割高であることが明らかになってきた。使用済み燃料を再利用する核燃料サイクル計画についても割高であることが明らかになって、同計画の見直しが進められている。今回の美浜原発事故で原子力発電事業は二次系配管の安全管理という新たなコスト高要因を抱え込むことになった。

電力自由化の中でコスト削減を求められる電力事業者としては、今後、さらに割高になる原発事業からは手を引きたくなるだろう。そのとき、経済産業省はどうするのだろうか。あくまで原発を推進するために電力自由化そのものを見直すのか。それとも、原発事業を採算度外視の国営事業とするのか。あるいは、いよいよ脱原発路線に転換するのか。美浜原発事故の余波は予想以上に大きいものとなるだろう。

 

8月10日(火)晴

美浜原発事故の真相がだんだん明らかになってきた。86年に米国サリー原発で起きた同様の事故をきっかけに、関西電力は二次系配管を検査する指針を作成したものの、破損した配管部分は検査対象から洩れ、このことを子会社から報告された後も、関西電力は9ヶ月にわたって放置していたというものだ。

こうした展開から、今後、関西電力が責任を追及されることは免れず、国からは業務上過失致死傷という刑事上の責任を、被害者の家族からは損害賠償という民事上の責任を追及されることになろう。

しかし、昨日も書いたように、単に関西電力の責任だけを追及すればすむという話ではない。関西電力によれば、「すり減る可能性があるところだけでも数千箇所ある」ということであり、そのうち一箇所破損するだけで今回のような惨事につながるリスクのある原発を「安全だ」と言って積極的に動かしている国に責任はないのだろうか。

また、電力自由化が進めば、激化するコスト競争の中でさらに原発の安全性が犠牲にされる恐れがある。こうした状況が十分予見される中で、これまで通り、国や電力事業者の説明を鵜呑みにし続ければ、県や立地自治体の責任も問われることになろう。

 

8月9日(月)晴

美浜原発3号機で蒸気が洩れ、4人が死亡、7人が重軽傷を負うという事故が起きた。二次系の配管に穴が開いて、そこから蒸気が洩れたらしい。

こうした事故が起きた場合の対応は、(1)真相究明、(2)責任追及、(3)再発防止の3点セットと決まっている。真相究明とは、事故が何故起きたかの究明である。直接的には、破損した配管を76年の運転開始以来、一度も検査せず、交換もしていなかった関西電力の安全対策の欠陥に求められようが、間接的には、電力自由化を巡るコスト競争から、原発の稼働率を上げるために、定期検査に要する期間を短くしたり、定期検査の間隔を空けて、安全性を犠牲にしているという電力各社の事情がある。

したがって、責任追及についても、単に関西電力の責任を追及すればすむという話でもなくなってくる。一方で電力自由化を進めてコスト競争を煽り、もう一方で高コスト体質の原発を推進する経済産業省の責任を追及する声も出てこよう。

福井豪雨の水害に際しても感じたことだが、想定水量を超えたり、工学上のあるミスが生じると、大災害が起きるというのは、設計思想そのものに問題があるのではないか。再発防止を考えるに当たっては、治水システムやエネルギー・システムの設計思想そのものに遡った抜本的な見直しが必要ではないかと感じている。

 

8月8日(日)晴

美山町の下味見で募集していた「農業ボランティア」に参加する。福井市議の堀川秀樹さんたちとご一緒させていただいた。農業ボランティアというのは、まだ手付かず状態の農業用水路や田畑を復旧しようというもので、各被災地のボランティアセンターが閉鎖された後にあらためて募集されたものだ。一週間ぶりに訪れた美山町では、これまで不通だった道路が開通しているなど、かなり復旧作業が進んでいた。

午前中は西河原で田んぼのゴミ取り。午後から横越で排水溝の泥かきをした。排水溝に沿ってずっと進んでいくと、川の向こう岸が池田町の下池田だった。川傍の家の一階部分はほとんど流されている。

復旧作業がまったく手付かずなのは、取り壊すしかないと早々に諦めたためだろう。このままいくと、下池田は廃村になるかもしれない。足羽川ダムの話が再燃するのも間違いない。池田町の下池田、美山町の下味見、上味見の行方を注意深く見守る必要がある。

西河原で清水正一さんとお会いした。今日の農業ボランティアで下味見地区の復旧作業はあらかた目途が立ったので、ボランティアの受け入れも今日が最後になるだろうとのことだった。今回の水害で、清水さんは西河原、東河原地区のボランティアの受け入れを一手に引き受け、八面六臂の活躍をされた。長い間、お疲れ様でした。

 

8月7日(土)晴

福井市のユー・アイふくいで開かれた「政治を学ぶ会」で民主党の前国対委員長、野田佳彦さんの話を聞く。権力は腐敗する。どんな政党、どんな首長でも長期政権になれば腐敗する。いまの日本に必要なのは政権交代できる政治の仕組みであるという主張には賛成である。但し、肝心の安全保障問題やエネルギー問題についての民主党の政策は今後、練り上げていくというものであった。

夜、サッカーアジア杯の決勝を見る。見ていてハラハラさせられる。2点目がすっきりしたものでなかったので、3点目が取れて本当に良かった。2対1のまま勝っていたら、相当もめることになっただろう。

 

8月6日(金)晴

久しぶりに事務所に行き、たまった仕事を片付ける。

 

8月5日(木)雨のち曇り

福井市の月見地区に行く。最初は床下の泥出し。床板をはずしてみたらほとんど泥がないので、何もせずに帰ってきた。次は畑の泥の除去作業。といっても、カチカチになってチョコレートのようになった泥を手で丁寧にかき集めるという作業である。大した量ではないと思っていても、作業を終える頃には土嚢の山ができていた。

福井市のボランティアセンターは今日で終わりということで、作業を終えて帰ってくるとセンターのテントはすでに撤去されていた。スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

 

8月4日(水)晴

一乗地区に行く。朝倉氏遺跡の武家屋敷の復旧作業に従事する。カチカチに固まって浮き上がっている泥を手でバケツに入れて除去する作業である。遺跡の発掘作業と同じような繊細さが要求される。参加した高校生たちが無心に手を動かしていた。一乗地区のボランティアセンターは今日で閉められる。地元の方たちが過労で倒れることのないように、また、復旧作業が順調に進むことを祈るばかりである。

 

8月3日(火)晴

一乗地区の浄教寺に行く。復旧が遅れていたお宅の納屋の泥出しと、傍を流れている小川の土砂の除去作業をした。小川の土砂を除去するとき、バケツリレーなるものを初めてやったが、予想以上に仕事がはかどるので驚いた。チリも積もれば山となるというか、積小為大というか、作業がまったく中断しないのが大きな効果を生むらしい。

それにしてもボランティアの力は偉大だとつくづく思う。仕事に取り組む姿勢が真剣そのものだ。そうした姿勢に感化されて、これまでの仕事観が変る人もいるようだ。 ボランティア活動を通じて我々は大切なことに気づかされている。

 

8月2日(月)晴

お盆の檀家回りをする。

 

8月1日(日)晴

美山町の蔵作に行く。蔵作でケアマネジャーをしている女性とご一緒した。段ボール箱一杯に詰まった野菜を抱えていた。なるほど考えてみたら畑の野菜は全部土砂の下敷きになっている。野菜不足になっている美山町の人には何よりの支援物資だった。現場に精通している人ならではの知恵だと頭が下がった。

土砂出しを手伝ったお宅で「蔵作の中で引越しを考えている人はいませんか」と聞いてみると、「一人もいんやろ。昔やったら廃村やったね。ボランティアのお蔭や」と仰っていた。あの美しかった蔵作がなくなったら美山町はどうなるのだろうと心配していたので、それを聞いて心底ホッとした。

ところで、美山町のボランティアセンターはあさっての火曜日には閉められるという。帰りのバスに乗る時、見送りの人が「後は地元の人間でぼちぼちやります」と仰っていたが、実は心配である。蔵作は今回の福井豪雨で最大の被害を受けたにも拘らず、蔵作の人が遠慮深いため、あまりボランティアが入っていない。当初から比べると復旧作業は随分進んだものの、まだまだである。今日も、側溝の泥出しが終わらぬままに出てきてしまった。もうしばらくボランティアの力を活かす何らかの工夫の余地があるのではないだろうか。


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