ブンブン日記 2004年 10月
 

10月31日(日)雨

恐れていたことが現実になった。イラク武装グループに拉致されていた香田さんが遺体になって発見された。

香田さんのご両親は心労から寝込まれてしまったとのことだが、その悲痛なご心中は察するに余りある。ご家族に衷心より哀悼の意を申し上げる。

夜、檀家の方が亡くなられたので、枕経をあげに行く。普段は忘れているが、人は必ず死ぬ。最近になって、自分の命の有限性を感じるようになった。

 

10月30日(土)雨

夜、衛星第1放送で「大統領選挙を戦う夫人たち」を観る。歴代の大統領夫人の活躍ぶりを追いながら、ブッシュ大統領夫人とケリー上院議員夫人の素顔に迫るという番組だった。

ローラ・ブッシュ夫人は、もともと小学校でマイノリティの子供たちを教えていたという経験から、常に子供たちを念頭においた言動を取っている。同時多発テロ発生直後に発言を求められて、「皆さん方のお子さんに大丈夫だからと安心させてください」と咄嗟にコメントしたのは見事である。

穏やかな中にも強い芯を感じさせるローラ夫人は完璧なファースト・レディ役を演じている。支持率もブッシュ大統領をはるかに上回るという。ローラ夫人の資質もさることながら、ローラ夫人の長所を徹底的に引き出しているブッシュ陣営のしたたかさに感心させられた。

テレサ・ケリー夫人は、ハインズというアメリカ人なら誰でも知っているケチャップ会社の御曹司と結婚し、夫に先立たれて1300億円の遺産を相続した人物である。率直な物言いが災いしてローラ夫人に比べると人気はいま一つという前評判であった。

ところが、より詳しく実像に迫ると、テレサ夫人はもともとアフリカのモザンビークに医者として赴任していた家庭に生まれ、入学した大学のある南アフリカではアパルトヘイト(黒人隔離政策)に反対する運動に身を投じていたという闘士である。

ポルトガル語訛りが残る口元からは、驚くほど率直な言葉が出てきて、反感を感じるよりも、「よく言うね」と苦笑させられる。金持ちの有閑マダムだろうと思っていたが、どちらかと言えば、歯に衣着せず本音をずばずば言う浪速のおばちゃんという感じだ。

ニューヨークで働いているユダヤ系のキャリアウーマンによく見かけるタイプで、ある意味では、とてもアメリカ人らしい女性である。

才色兼備の賢夫人で誰にでも好かれるローラ夫人と、飾ることを知らぬ正直さで時に失言騒ぎを起こすが、あまり憎めないテレサ夫人。どちらがファースト・レディになってもおかしくない。大統領選挙の興味がまた一つ増えた。

 

10月29日(金)晴

鯖江市の後援会の方たちとお会いする。最近の鯖江市の様子をお聞きすると、リコール運動、出直し市長選挙と長く続いた政争がひとまず終わって、ようやく落ち着いたという安堵感がある一方で、やはり政争のしこりが色々なところで残っているようだ。早く元に戻って欲しいというよりも、新しい鯖江市のビジョンに向かって前進する中で、対立していたベクトルが次第に同じ方向に向くという姿が望ましいような気がする。新生鯖江市の行方を見守りたい。

 

10月28日(木)晴

谷垣禎一財務相が消費税を2007年度に上げる方向で検討する意向を表明した。現在の日本は、税収が45兆円しかないのに、毎年80兆円使っており、借金が増え続けるのは当たり前である。

この問題を解決するためには、道路公団や郵政事業を民営化しても駄目で、極言すれば、税収を80兆円まで上げるか、歳出を45兆円まで下げるしかない。

実は、日本の税金は世界の先進諸国の中ではアメリカに並んで低く、専門家の間では税金を上げるのは時間の問題と考えられている。しかし、税金を上げると言うと、選挙に負けるのは分かりきっているので、政治家は誰も言いたがらない。

今回、谷垣財務相が敢えて消費税の増税に言及したのは、選挙がまだ遠いので、次の選挙までに「増税は仕方がない」という世論を作ろうという深慮遠謀があるのかも知れない。相次ぐ災害の中で、見過ごされそうな一手だが、後になって局面を大きく左右する重要な布石のような気がする。

 

10月27日(水)雨のち晴

新潟中越地震で生き埋めになった母子3人の救出の模様を見ていて、19年前の日航機の御巣鷹山墜落事故を思い出した。あの時も、当時、中学生の川上慶子さんがヘリコプターで救助される姿を見て、日本中が喜びで沸き返った。

か弱いと思われている子供が、大事故になると巨大な生命力を発揮する。小さな命を生かす偉大な力を感じさせられる。

それにしても、地震の力は凄まじい。震度6の余震で新幹線の車体が浮き上がる映像を見て、怖くて家の中に入れないと言っている被災者の方の気持ちが良く分かった。この先、余震はいつまで続くのか。余震が収まらないと、復旧活動も手につかない。

台風にしても、地震にしても、来ると分かっていても、人間の力ではどうすることもできないのがもどかしい。結局、人間が生かされるのも、生かされないのも自然次第という厳粛な事実を突きつけられているような気がする。

 

10月26日(火)雨

アメリカ大統領選挙が11月2日の投票日まであと1週間と迫った。アメリカの大統領選挙は、4年ごとに11月の最初の月曜日の次の火曜日に行われることになっている。

最近の各種世論調査の平均支持率はブッシュ大統領が48.6%、ケリー上院議員が45.4%で、ブッシュ大統領が約3ポイント、リードしている。反ブッシュが圧倒的に多い我々外国勢から見ると不思議な気がする。

ケリー上院議員がリベラルなインテリ層や若者に人気があるのに対して、ブッシュ大統領は保守的なアメリカの田舎で圧倒的に人気があるのだという。勝敗はどちらが多いかで決まる。

ケリーを支持している知り合いのアメリカ人に言わせると、「携帯電話しか持たない若者が増えているのに、固定電話で行われる世論調査はあてにならない」と強気である。なるほど、そうかも知れないが、その若者が実際に投票所に行くかどうかもあてにならない。今年の大統領選挙も最後の最後までもつれそうだ。

 

10月25日(月)晴

福井市農業委員会の農地不正転用事件がかなり話題になっている。昨日、運動会を訪れたときに、福井市役所のOBという方が、「あんな話は氷山の一角だ」と仰っていた。

ところで、日本がこの40年間に公共事業で作った農地は110万ヘクタール。一方で、この間に240万ヘクタールの農地を失っているという。半分は宅地とか工業用地に農地を転用してしまい、あとの半分は農業が衰退したので耕作放棄をして山に返っているのだそうだ。

しかも、農地を作るのに毎年約1兆円使っているから、110万ヘクタールの農地を作るのに約40兆円使ったことになる。それで、なおかつ、差し引き130万ヘクタールの農地が消滅しているのだから、気が遠くなるような無駄である。

この背景には、農産物の輸入による食料自給率の低下とモータリゼーションによる市街地の郊外へのスプロール化がある。郊外に住む土地持ちの農家の人にしてみれば、余った農地を宅地や事業所用地に転用してもらいたいと願ったとしても不思議ではない。

もちろん、農業委員会による不正は見過ごせないが、その背後にある構造的要因に目を向けなければ、今後も農地転用は続くだろう。我々が取り組まなければならない「構造改革」は山ほどある。

 

10月24日(日)晴

清水町のグリーンハイツと福井市の社南地区の運動会、福井市和田地区の公民館祭りを訪れる。快晴の中、多くの方とお話することができて楽しかった。

新潟県・中越地震の被災状況が次第に明らかになりつつある。死者23人に負傷2100人、建物損壊3900棟と、阪神大震災以来の被害だ。

今回、被災地の状況を見ていてあらためて痛感するのは、通信手段の大切さである。緊急電話網を整備していても、電話が不通になれば使えない。携帯電話も災害時には頼りにならないことが良く分かった。

危機管理の基本は、指揮(Command)、管理(Control)、通信(Communication)の3Cと呼ばれる。なかでも、通信が機能しないと、現場の状況を把握できないので、指揮を執ることができず、いつまでも状況を管理することができない。

このため、県と市町村の間には防災行政無線が整備されているが、今回は、故障していたり、自家発電装置を備えていなかったりしたため、機能しなかったという。

福井豪雨の際は、衛星携帯電話が活躍した。衛星携帯電話も停電だと使えないが、簡単に移動できるので近くの発電機と接続すれば使えるようになる。技術の進歩に合わせて、防災時の通信体制をもう一度チェックする必要がある。

 

10月23日(土)晴

夜、清水町のきらら館で「てくてく巡業報告会」を開く。参加者の方から、新潟で大きな地震があったようだと聞く。

自宅に戻ってからテレビをつけて新潟地震についてのニュースを見る。しかし、停電しているうえに、電話もつながらないので、被災地の状況はほとんど何も分からない。

平成に入って最大の被害を出した台風23号の直後に、今度は新潟の大地震である。地球に異変が起きているとしか思えない。

 

10月22日(金)晴

福井市農業委員会の事務局が農地法違反で家宅捜索を受けた。農地転用などの許認可に絡んだ不正の疑いが持たれているという。農業委員会は、農地の売買や貸借、転用などについて、農地法に基づく許認可業務を行っている。本来、農地を守るための農業委員会が、不正に農地転用を進めていたとしたら残念である。市街地の郊外へのスプロール現象を招いた背景には、農業委員会の不正もあったのかと愕然とさせられる。

 

10月21日(木)晴

台風23号の被害が次第に明らかになってきた。死者68人、行方不明20人の被害で、115人の死者・行方不明者が出た1979年の台風20号以降、最悪だという。

福井県でも、美山町の折立で復旧間近の家に濁流が流れ込むなど、各地で被害が相次いだ。これまでのところ人的被害の報告がないのが、不幸中の幸いである。福井豪雨の経験が様々なところで生かされたのだろう。

福井豪雨と今回の台風23号で感じたのは、住民を含めた福井県全体の危機対処能力は意外に高いのではないかということだ。外務省で危機管理を担当していたときに分かったのは、対策本部がどんなに頑張っても、最終的に危機管理は現場の一人ひとりの判断に大きく依存することである。

通常、保守的と言われる福井県の風土は、別の角度から見れば、何ごとにも慎重で地域の結束が固いと言い換えることもできる。油断は禁物だが、福井県の危機対処能力の高さは誇ってもいいことではないか。

 

10月20日(水)暴雨

台風23号到来。朝からひどい雨と風。3ヶ月前の福井豪雨の悪夢がよみがえる。TVでニュースを見ると、県内各地で避難勧告が出ている。一時は、鯖江市の河和田川の堤防が決壊したというニュースも流れてぞっとした。美山町の清水正一さんに電話したら、やはり、足羽川が増水して公民館に避難し始めているとのこと。台風はいくら警戒を強めても、避難するくらいしかできないのでもどかしい。何とか持ちこたえて欲しいと祈りながら夜を過ごす。

 

10月19日(火)雨

終日、雨。台風23号が接近しているためだ。上陸すれば10個目。人里にクマが出てくるのも、台風の影響だそうだ。木の実がなる広葉樹が減っているなか、猛暑で木の実のできが悪かったうえに台風で落ちたことが大きな原因だという。台風は人間の力でどうすることもできないが、山の方は人手と時間をかければ何とかなる。政治の基本は治山治水と言われる。福井豪雨による水害やクマ騒ぎは、治山のあり方に再考を求めているのではないか。

 

10月18日(月)晴

ソフトバンクが福岡ダイエーホークスの買収に名乗りを上げた。かねてから、「ライブドアの背後にはソフトバンクがいる」「ライブドアの仕事はソフトバンクの露払いではないか」などと囁かれていた。

ソフトバンクの孫正義社長はインターネット業界の先駆け的存在であるだけでなく、在日韓国人ということもあって、これまで嫌というほど辛酸をなめてきている。

いきなり、球団買収に名乗りを上げても、警戒されて相手にされない。まず、先兵であるライブドアが突撃して、ある程度の地ならしができたところで、大御所が出てくるのではないかという話だった。

真偽のほどは定かではないが、ライブドアや楽天に球団設立ができるのならば、ソフトバンクが球団を買収してもおかしくないという世論の環境は確かに整った。いずれにせよ、シーズンオフの楽しみがまた一つ増えた。

 

10月17日(日)晴

今年一番の快晴の中、後援会の方と一緒に清水町の「ありがとうポスティング」を行う。僕は志津が丘団地でまだ回っていない地区を担当した。ポスティングを終えてから、きららパークで開かれていた「こべんた祭り」に立ち寄る。

リコール成立後の出直し鯖江市長選挙では、予想通り、前県会議員の牧野百男さんが当選した。2倍以上の得票差を付けての圧勝だった。これで、牧野新市長も鯖江市の職員の方も、心機一転、堂々と新しい市政に取り組めることになった。

下馬評で圧倒的に不利だった辻嘉右エ門前市長は出馬しないという選択もあったが、それでは、牧野新市長も鯖江市の職員の方も市政を転換する大義名分に乏しく後味が悪かっただろう。負けると分かっている選挙に敢えて出馬してケジメをつけた辻前市長は政治家として立派だった。

今後の鯖江市の最大の課題は、何と言っても政争に終止符を打つことだ。前市長派を干し上げれば、怨念の抗争が復活するのは目に見えている。市町村合併の流れに取り残された鯖江市にそんな余裕はないはずである。

 

10月16日(土)晴

敦賀市短期大学で開かれた2004国際湿地シンポジウムに参加する。有明海の諫早湾干潟や伊勢湾の藤前干潟など全国各地の湿地保護団体からなる日本湿地ネットワークの主催により開かれたものである。敦賀市ではNPO法人ウエットランド中池見の方々が受け入れに当たった。

1999年にコスタリカで開かれたラムサール会議に出席したときにお世話になった方々と久しぶりに再会した。イギリスからわざわざリチャード・リンゼイ・イーストロンドン大学教授も駆けつけてくれた。

ラムサール会議で出された中池見湿地保全のための緊急アピールはリンゼイ教授に起草していただいたものだ。学者としての科学的知識と実際に政治を動かすためのツボを熟知している不思議な人物である。

原発を抱えていて、市民が声を上げるのが難しい敦賀市で、中池見湿地の保護運動をここまで引っ張ってきたのは、笹木智恵子理事長を始めとするウエットランド中池見の方々の献身的なご努力である。

次は、中池見湿地のラムサール湿地登録である。これが実現すれば敦賀再生に向けての大きな原動力になる。環境省から担当課長と担当係長の方もお見えになっていたので、このシンポジウムが湿地登録実現に向けてのきっかけとなって欲しいものだ。

 

10月15日(金)曇り

終日、自宅に閉じこもって資料と格闘する。小泉内閣の「構造改革」が何だったのか検証するためである。小泉首相の語り口は歯切れが良く、颯爽としている。しかし、政権発足以来の小泉内閣の足跡を追っていくと、「構造改革」とは一体何だったのか、いよいよ分からなくなる。道路公団の民営化が失敗だったことは明らかになりつつあるし、ほとんどの国民がいまだに、なぜ郵政事業の民営化が必要なのか分からないでいる。この3年間、そしてまだしばらく続く何年かは、日本にとってどういう意味があるのだろうか。

 

10月14日(木)雨

アメリカ大統領選挙の最後のテレビ討論が行われた。世論調査の結果は、大方の予想通り、ケリー上院議員が優勢だったようだ。しかし、世論調査通りにいかないのが選挙の怖いところである。11月2日の投票結果が出るまでは、予断を許さない。

 

10月13日(水)晴

プロ野球の新球団設立に名乗りを上げているライブドアの堀江貴文社長の「稼ぐが勝ち」を読む。「会社をつくるのはカンタン」「老人は若者に金を貸せ」「気づいたヒトの勝ち」「若いうちほどカンタンです」など刺激的な言葉が並んでいる。近鉄買収をオーナー会議に拒絶されて、「この国を悪くしている旧世代の『壁』がはっきり見えたような気がします」「やはり、僕たち世代やもっと若い世代がチャレンジしていかなければだめなのです」と威勢がいい。日本再生の鍵を握るのは、「よそ者、若者、ばか者」であるのは間違いがないようだ。

 

10月12日(火)曇り

アメリカ大統領選挙の第一回テレビ討論で、ブッシュ大統領が背中の無線受信機を通し、耳に隠したイヤホンから助言を受けていたのでは、とのうわさが流れているそうだ。米国屈指の有力紙であるニューヨーク・タイムズとワシントン・ポスト両紙が記事にしているので、ブッシュ陣営に与える打撃は大きい。第二回テレビ討論はほぼ互角の勝負だったとされるが、第三回テレビ討論の直前にこういう記事が出るのは、アメリカのメディアがはっきりとケリー陣営に肩入れしていることを示すものであろう。

 

10月11日(月)曇り

福井市のブランカで行われた知人のお嬢さんの結婚式に出席する。結婚式の主役は、もうとっくに同世代から子供の世代に代わっている。時間が経つのは早いものだと思っていたら、テーブルで隣り合わせた方が83歳で現役の社長さんだった。「若さを保つ秘訣は何ですか」とお聞きすると、「ケセラセラです。過去のことはくよくよせんことです」と仰っていた。

 

10月10日(日)晴後曇り

福井市の一光(いかり)地区の運動会を訪ねる。晴天・雨天にかかわらず体育館の中で行われるというので、どんなところかと思ったら住民が全部合わせても50人足らずという過疎地であった。

100人近くの方がお見えだったが、半数以上がわざわざこのために実家に里帰りした人たちだった。

一光地区をさらに越前海岸に向かって走ると、パナウェーブ研究所が来たことで全国的に有名になった五太子にぶつかる。巨大なビニールハウスのようなパナウェーブ研究所の姿を見かけた。

山を越えて海まで突き抜けてから、越前海岸を北上するとほとんどの集落で一斉に秋祭りが行われていた。秋たけなわである。夕方、自宅の近くを散歩すると、金木犀の香りがいたるところでした。

 

10月9日(土)曇り

気候の変わり目ということもあってか風邪気味。ほとんど病気にはならないが、年に一度風邪をひくことがある。大事をとって、早寝する。

 

10月8日(金)雨

高知県の橋本大二郎知事に対する辞職勧告決議が可決され、橋本知事が辞職した。初当選した1991年の知事選で、元後援会事務局長が後援会長から1億円を借り、県のダム工事を受注した建設会社からの資金をその返済に充てたという疑惑が持たれているためだ。

2002年に長野県の田中康夫知事が不信任決議を可決されて辞職。出直し知事選で圧勝したという先例がある。しかし、田中康夫知事に対する不信任決議が脱ダム宣言を中心とした県政のあり方に異議を申し立てたものだったのに対して、今回の辞職勧告決議は1億円の裏金疑惑をめぐるもので橋本知事の形勢は不利である。

週刊誌の記事によれば、1億円は集めた選挙資金の一部だったというから、事実だとすれば最初の知事選に1億円以上のお金を使ったことになる。当時、橋本大二郎知事はNHKのニュースキャスターを務めており、抜群の知名度と人気があった。何故、選挙にそんなにお金を使う必要があったのか不思議である。

一方、実兄の橋本龍太郎元首相が1億円献金隠し事件で野党から国会での証人喚問を求められて、苦境に陥っているのも偶然とは思えない。結局、「同じ穴のムジナだったのか」と少なからずがっかりしている。

 

10月7日(木)晴後曇り

午前中、県立図書館で「てくてく巡業報告(清水町編)」をほぼ書き上げる。午後から清水町に出かけて、撮り損ねていた写真を撮る。清水町について書いた後に歩くと、これまで見えなかったものが見えてきて面白い。

 

10月6日(水)晴

自宅にこもって、「てくてく巡業レポート(清水町編)」の執筆に専念する。涼しくなったので、読書したり、モノを書いたりしやすくなってきた。しかし、いつもすらすら書けるわけではなく、締め切りに追われて原稿を書く作業は苦しい。てくてく巡業と同じようなつもりでコツコツやり続けるしかない。

 

10月5日(火)雨

低インシュリンダイエットで14キロ瘠せたという人の話を聞いて、早速、自分も始めることにした。インシュリンに食べたものの栄養を蓄積する働きがあるとは知らなかった。血糖値が急上昇するとインシュリンが必要以上に分泌されて、血液中の糖を脂肪に変えてしまうそうだ。早食いが太るのも、甘いものを食べると太るのも、皆、血糖値が急上昇するためだと知って、妙に納得する。血糖値が急上昇するような食べ方や食べ物を避けるというのが低インシュリンダイエットだ。お肉を食べても、お酒を飲んでもOKというのが嬉しい。

 

10月4日(月)曇り

イチローが262安打という大リーグ記録を作ってシーズンを終了した。イチローがシスラーの257本を破ったとき、熊本市内で若者に人気のある並木通りを歩いていた。土曜日であるにもかかわらず、「テレビでイチローを見ているため、今日は人通りが少ない」と商店街の方が仰っていた。

ある人から、「イチローは相対的価値ではなくて、絶対的価値を目指している」と聞いたことがある。相対的価値というのは他人との比較の上での価値という意味で、首位打者を取るとか、さらには、大リーグ記録を作ることも相対的価値になる。

絶対的価値というのは、イチローにしか分からない打者としてのある状態のことである。イチローには、悟りを得ようと修行する修験者、剣の道を究めようとする武芸者のような雰囲気が漂っている。

絶対的価値を追求する過程で、相対的価値も実現できるというのが理想的な状態である。しかし、相対的価値が実現できないと、なかなか人から評価されないので、精神的に追い詰められて、絶対的価値を追い続けることができなくなる。イチローの真似をするのは難しい。

 
 

10月3日(日)曇り

後援会で久しぶりに福井市足羽地区を中心に一斉ポスティングを行う。あいにく、福井市本郷地区の運動会と重なったので、僕自身は運動会回りをする。全児童37人の運動会で、周りに駐車している車の数の方がはるかに多かった。運動会回りを終えてから、足羽川原で行われていたフードフェスタでポスティング組と合流した。今にも降りそうな天気だったが、雨が降らずにすんだのは幸いだった。

 

10月2日(土)曇り

午前中、人間都市研究所の冨士川一裕社長にお会いして、熊本市の再開発プロジェクトをご案内いただく。また、冨士川さんの事務所で、熊本市の中心市街地の歴史と現状について体系的なお話を伺った。

その後、冨士川さんの仲間で街づくりコーディネーターの前崎弥生さんに「上の裏」と呼ばれる人気スポットをご案内いただいた。「上の裏」というのは、「上通り」の裏側に当たるところで、いま、最も注目を集めている地域とのことだった。

前崎さんによれば、仕事をしてもらうのに2年待ちというカリスマ工務店主がいて、潰れかかった民家のオーナーを説得しては、次々にお洒落なお店にリフォームしているのだそうだ。

なるほど、通常ならば、駐車場になっていてもおかしくない所に、呆れるほど個性的なお店が点在している。佐世保市の竹本理事長とは違った形の仕掛け人が街を生まれ変わらせているのである。

午後3時半、熊本空港から飛行機で大阪に向かう。サンダーバードで福井駅に着いたのは夜7時半だった。

 

10月1日(金)曇り

午前中、昨夜に引き続き、竹本理事長に佐世保市内の観光名所をご案内いただいた。竹本理事長は佐世保が好きで好きでたまらないのである。「一人でも多くの人に佐世保を好きになってもらいたい」という強烈な思いを感じた。

午後からJRで熊本市に向かう。熊本は僕にとって第二の故郷である。1988年から1990年までの2年間、外務省から熊本県庁に出向していた。政治の道に踏み込んだのは、その時の体験がきっかけと言っても良い。今回、熊本を訪れるのは5年ぶりである。

熊本県庁で大型店の出店規制の取り組みぶりについての説明を伺った後、県庁の隣にある「テルサ」で、当時、一緒に仕事をした懐かしい仲間たちと同窓会をした。商工観光労働部の村田信一次長の音頭で実現したものだ。この5年間で起きたことを公私にわたって詳しく説明する。

一次会が終わった後は、中心市街地の「下通り」に出かけて、夜遅くまで飲み明かした。かつての戦友たち一人ひとりから元気をもらう。感謝である。


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