スタッフ日記 2003年 8月

8月28日(木)

皆さん、こんにちは。8日のガーデンパーティに参加した後に、東京に戻り準備を整え本日28日より事務所に入りました。YokoさんとNaomiさんが模様替えをしてくれていたおかげで、パソコンをセットして直ぐに臨戦体制に入りました。私の家内が福井県出身で、今までより更に経済的豊かさと心の豊かさが両立する「田園知識圏」である福井県を創造するぶんどうさんに共感して福井に来ました。
これからは皆さんと一緒にぶんどうさんを盛り立てて行きたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願いします。
Mr.スミス
 

8月28日(木)

男女共同参画に関する南越地区の研修会に出席する機会がありました。ものの見事に行政のお膳立てってかんじの、あっけない集会でした。全体でたったの2時間半しかないのに、講演+グループワークの内容。おまけに、開会式での来賓挨拶やら、グループ内での自己紹介やら、余計なものに時間をくって、肝心のところは尻切れトンボ。ひたすら時間に追われた印象しか残らない研修会でした。
研修内容も当然不活発。踏み込んだものになるはずもなく、総論で賛成して各論はお茶を濁して終わり。いわゆる「頭で分かっているだけのキレイゴト」です。一所懸命参加しようと思えば思うほど、からまわりして、だんだんばかばかしくなってしまいました。
休憩時間、年配の男性がぼそぼそと冗談交じりにつぶやいた「ますます女が強くなって男は肩身が狭くなる」という言葉に、福井県での男女共同参画社会の将来をみた気がしました。推進員と名の付く人でさえ、こうなんですから。
まるっきり時間の無駄というかんじのこんな研修会でも、開催されたことで、県の事業として一歩前進と評されるのでしょうね。中途半端に開催して間違った認識をお互いに強めていったり、キレイゴトにとどまって具体的な対策まで検討しない自己満足を繰り返したり、そんなやりかたで「福井県は男女共同参画が進んでいます」といわれたら、ほんとうに、やるせない気持ちになります。
それでも、まったくないよりはましだと思わなければならないのでしょう、たぶん。こういう集会になってしまうのが、行政主導の限界というものなのでしょうし。やはり、ほんとうに何とかしたいなら、別の方向からの動きが必要なのですね。いろいろと、かんがえさせられる研修会でした。
ガーベラ
 

8月22日(金)

来週から新しいスタッフが来て下さるので事務所を模様替えしました。あまり整理整頓の得意でない私とNaomiちゃんなので、掃除する時は一気にしないと出来ないのです。まだ、最終的にきれいになってませんが、28日までには綺麗にしたいと思います。風水も考えて、入り口にお花でも飾りたいと思います。
Yoko
 

8月19日(火)

夏の連休、家族でキャンプに出かけ、帰宅後たまった新聞をまとめて読んでいた。
その中で目に飛び込んできたのは「福商PLに勝つ!」の大見出しだった。「あぁ、PL、負けたんやなぁ」思わずつぶやく。大阪出身の私にとっては、福商が勝ったことよりPLが負けたことの方が大きかった。お祭り騒ぎで大きく報道されている福商の様子。記事を前に、福井万歳と手放しで喜ぶ波に乗りきれない自分がいる。何ともいえない寂寥感を味わった。
少数派ゆえの僻みだと、人は言うかもしれない。しかし思うのだ、大多数のもつ感覚に入りきれないで、奇妙な寂しさ、いらだちを覚えている者は、どこでも必ずいるはずだ、と。「普通」という言葉の中に入り、皆が同じ感覚をもっているという安心感で生きている人の多さ。皆が同じ「普通の」感覚をもっているという前提で、大多数にあわせて進んでいく社会。その中で「普通」になりきれなかった少数の者たちが抱える居心地の悪さ。心や体に不自由がある者、外国籍の者、県外出身者、被差別部落の民・・・。何らかのレッテルを貼られ、「普通」でないとされてしまった者たちの、なんと多いことだろう。「普通である」とは、いったいどういうことなのだろうか。みんなそれぞれ違っていると認めあうことは、本当に可能なのだろうか。
たかが甲子園の高校野球。しかし、その奥で熱くなる人間性が、少し怖くなる。
ガーベラ
 

8月16日(土)

久しぶりに「重い」テレビ番組を見ました。NHKのスペシャルものです。
昭和の初期のカラーフィルムを公開していました。私の両親が生まれる前から敗戦後までの日本の様子が、静かに、静かに、流れています。そこに映し出されているのは、映画でも再現ドラマでもない、ほんもののいのち。
いま笑いかけていた子どもは、生き残ることができたのでしょうか。いま通り過ぎた兵隊さんは、無事に帰ってこれたのでしょうか。いま光った明かりの下で、どのくらいの家が、人が、焼けてしまったのでしょうか。無邪気に日の丸の旗を振る群衆を前に、胸がつぶれました。そして我が身を思います。
もしこの時代に生きていたら、私は「嫌だ」と言えたでしょうか。悪いと分かって、だめだと分かって、己の心に正直に生きたでしょうか。むごいことだと、いま言うことは簡単です。してはいけないと、叫ぶことも簡単です。でも、皆を巻き込むほどの大きな流れになった中で、それができるでしょうか。
人は、かくも愚かです。弱い、弱い、存在です。そして、思います。
この弱さ、愚かさに気づくことこそが、人としての新しい道を拓くはじまりなのだと。
祈りにも似た、望みをつないで。
ガーベラ
 

8月13日(水)

ガーデンパーティは300人近くの方が参加して下さり大成功でした。ジャズバンドもとてもお洒落。久しぶりに集まった人々がとても楽しそうでした。パーティが始まる頃は小雨が降ってましたが、集まった方々は雨などモノともせず久しぶりのリユニオンにテント内は盛り上がっていました。その熱気が通じたのかしばらくしたら雨もやみ、久しぶりの文堂さんのスピーチに皆、聞きいりパーティは終わりました。
Yoko
 

8月11日(月)

週末、子どもたちのリクエストでディズニーのトレジャー・プラネットを観に行った。 冒険小説「宝島」の宇宙バージョンだ。 最近のディズニーアニメは、ここ何年か前まで制作していた「古典モノ」とは違い、その発想にはいつも驚かされる。 こじんまりと常識化してしまった極めて凡な思考回路を持つ私には、言うまでもないが、思いもつかない想定である。そう思いながら観終わってもまだ、貧困な「宇宙」という定義にこだわってる私に、「あれは全くの別世界の話として観るの!」と中二の息子。「え〜、でも"銀河系を越えて"って言ってたが〜」と懲りずに反発する母。 すると彼は「宇宙に限らず、そもそも今目にしているものなんて、しょせん人間界からだけで見たモノであって、 そんなもんを基準にしようとすることが傲慢なんやって!」(・・・ すごっ)母は「は〜い。ごぉめんなさ〜い」と言う他なく、そのまま大人になってほしいと願った。
Pea
 

8月7日(木)

 長い夏休みがやっと半分にさしかかろうとしています。そろそろ時間をもてあましはじめた娘たち。ひまつぶしのネタを提供するためにずいぶん時間を取られ、自分の仕事の時間がなくなって焦り気味の私。それでもなんだか久しぶりに自分の子をちゃんと観察している気がします。ずいぶん大きくなったような、まだまだ子どもなような。よく考えたら、ちょっと前まではずっとそうでした。子どもとかかわることが自分の中の大半を占めていたんですよね。いつのまにか手がかからなくなったからと、見ているようで見えていなかったのかな。
 わたしはわたし、あなたはあなた。でもわたしたちは、たしかに親子。
ガーベラ
 

8月5日(火)

暑い。7月の日記の頃に戻りたい。仕事をするエネルギーがすべて奪われてしまうような気がする。外の方が風が吹いてて気持ちよかったりする。
それにしても暑い。
naomi

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