越廼村編
5月9日より約2週間、越廼村を「てくてく巡業」した。
まず越廼村役場で越廼村が抱える課題について概略をお伺いした後、8つの全集落を一軒一軒歩いて、様々な人のお話をおききした。
 

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厳しさに培われた「結束力」越廼村 −荒海との共生−
  101:母なる大地、父なる海
102:荒海と共に暮らす
   
てくてく巡業でお会いした越廼村のみなさん
  201:大 味
202:茱 崎
203:蒲 生
204:居 倉
205:浜北山
206:赤 坂
207:城 有
208:八ツ俣
   
越廼村のみなさんにお聞きした 越廼村 ここがポイント
  301:市町村合併
302:過 疎 化
303:水産業の振興
304:インフラ整備
   

厳しさに培われた「結束力」越廼村 −荒海との共生−
 母なる大地、父なる海
 

海と山、美しい越廼村の風景

越廼村を歩きながら、自然とは何かを考えた。


海際にのびる田

八ツ俣にある越前リゾート

山に囲まれて暮らす内地の人にとって、自然とは母のような存在である。
わらび、ぜんまい、竹の子など山の幸を無償で恵んでくれるし、田んぼや畑に手間をかければ、手間をかけた分の収穫をきちんと返してくれる。
決して裏切らない。どんなことがあっても、無限の包容力で受け入れ、傷ついた自分を癒してくれる。


捕れたてのハマチを
売っている
(シーサイドフェスタ)

10キロ近いブリを片手で
運ぶ浜の女性

ところが、海辺で暮らす浜の人たちにとって、自然とは父のような存在ではなかったのか。
晴れて機嫌がいいときは、イカやブリやワカメなど豊富な海の幸を恵んでくれるが、ちょっと機嫌を損ねると、荒れ狂って、怒りが収まるのを待つしかない。海に出ても、駄目な日は魚が一匹も獲れない。
海は気まぐれである。時には命を奪う容赦のない厳しさで、生き残るためには、結束することと掟を守ることが何よりも大切だと、無言で教えてくれる。

越廼村の人にとって自然とは、海とは、そんな存在ではなかっただろうか。

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 荒海と共に暮らす
 

海際を走る305号線

ガラガラ山(居倉)のキャンプ場

越廼村の海は外海である。
外海であるから荒れる。しかも、村には越前町や三国町のような天然の良港がない。
だから、昔から大型船を持てず、小型漁船による漁法に甘んじてきた。大型漁船が停泊できる漁港を持つのは、越廼村にとって悲願であった。

村で人が住める平地は少ない。荒海に急峻な山がすぐ迫っているという地形である。
可住面積が小さいためか、海からの強い雨風を避けるためか、家と家が肩を寄せ合うようにぴったりくっついている。
その間を狭い道路が迷路のように走っている。

そのためだろう。越廼村は宅配便泣かせの村だと言われる。慣れない人は玄関口がどこか分からず、道を行ったり来たりすることになる。その上、玄関には表札がない家が多い。表札があっても、雨風でほとんど読めなくなっている。


荒海に迫る山上の田

蒲生地区から海を望む

どうせ表札をつけてもすぐに読めなくなるから表札をつけなくなったのか。それとも、お互いにどこに誰が住んでいるか熟知している越廼村の人にとって、そもそも表札など必要ないのか。

越廼村を歩き始めて、しばらくは戸惑うことばかりだった。
迷路のような狭い道。
表札のない家。
強固な結束力。
大がかりな土木事業。

しかし、毎日のように表情を変える海を見ながら歩くうちに少しずつ理解できるようになった。
海は一人の力では到底立ち向かうことができない。
外部が戸惑うほどの強い結束力は、荒海と共に暮らす中で培われた村の風土だ。
現在進行中の大工事は、村がたどり着いた自然への手だてではなかったかと。


定置網で採られた
さかなの仕分け

定置網で採ったばかりの
イワシを売る
(シーサイドフェスタ)

漁業協同組合長と
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てくてく巡業でお会いした越廼村のみなさん


 大 味(おおみ)
 

大味地区の風景

福井市から清水町を抜けて越廼村に入って最初にぶつかる集落が大味である。武周ヶ池から流れる大味川が日本海に注ぐ河口に開けた集落である。    

越廼村で唯一といわれる平地では従来、農業が営まれてきたようだが、現在では越廼中学校が建っている。修学旅行でオーストラリアに行く越廼中学校では、福井市と合併すると、オーストラリアに行けなくなるのではないかと子供たちが心配しているそうだ。


大味の越廼中学校
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 茱 崎(ぐみざき)
 

茱崎・蒲生地区

完成間近の茱崎港

大味から越前海岸に沿って南下すると茱崎である。茱崎と蒲生は一体化しているので、外部の者には区別がつかない。便宜的には、役場より北が茱崎で、役場より南が蒲生ということか。茱崎・蒲生地区は越廼村の中心地であり、最も活気がある。新築中の家も何軒か見かけた。

耕地の少ない茱崎は昔から海に生き、漁業を中心に生計をたてた地区とされる。主として一本釣り、延縄、刺し網が行われてきたが、現在ではイカ釣りを中心に、定置網、刺し網も行われている。


マリンパレスこしの

大型漁船を停泊できる漁港として昭和27年から進められてきた茱崎漁港の整備がようやく終わろうとしている。茱崎漁港のすぐそばに、若者の定住を目的として建てられた村営マンション「マリンパレスこしの」がある。

漁業の発展は水産加工業の発展を促した。地元で獲れたイカ、サバ、スケトウダラを加工してきたが、現在はニュージーランド産のイカ、ノルウェー産のサバ、北海道産のスケトウダラを加工している。

茱崎漁港と茱崎地区

ノルウェー産の鯖

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 蒲 生(がもう)
 

蒲生地区

茱崎と隣接する地区。茱崎と同様、耕地が少なく、昔から漁業・水産加工業の地区として発展してきた。

昭和20〜30年代にはスケトウダラの延縄が盛んだったが、スケトウダラが不漁となってから蒲生漁港も廃れていった。現在、蒲生漁港は、漁業集落環境整備事業の一環として一部が埋め立てられつつあり、跡地には温泉施設が建てられることになっている。

砂浜で美しい蒲生海水浴場は越前海岸でもっとも海がきれいだと言われる越廼村の観光スポットである。毎年夏には県内外から訪れる海水浴客で賑わっていたが、阪神大震災をきっかけに客足が激減しているそうだ。


埋め立てが進む蒲生

工事中の砂浜

階段式の護岸コンクリート
を建設中の蒲生地区の砂浜

現在、蒲生地区の砂浜を階段式の護岸コンクリートに変える工事が進められている。前町長の時代に決められた計画だそうだが、「お偉方のすることは分からない」という不満の声も聞こえた。漁港を埋め立て、海水浴場の砂浜をなくしてしまったら、蒲生地区は漁村でも観光地でもなくなってしまうのだろうか。

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 居 倉(いくら)
 

居倉の風景

蒲生地区を越前海岸に沿ってさらに南下すると居倉である。海際の道路から30メートルほど山を登ったところまで、家がびっしり建っている。一番上の家からは遠くまで日本海を見渡すことができる。


居倉の頂上付近から

海が見えるガラガ
ラ山のキャンプ場

居倉は越前水仙発祥の地とされる。原産は中国で対馬暖流により運ばれ、居倉海岸に打ち上げられたものが自然繁殖したと言われている。「水仙ドーム」「水仙ミュージアム」「水仙の里温泉」など水仙の名前を冠した公共施設がある。


ワカメの手入れをする
居倉の人たち

ワカメのメカブは
栄養満点

浅海漁業が盛んで、魚介類(うに、さざえ、あわび)、海藻類(わかめ、もずく、岩のり)が豊富に採れる。居倉を回っている途中、わかめを干している人たちに多く出会った。

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 浜北山(はまきたやま)
 

右上:浜北山、左下:居倉

浜北山は居倉から登った、標高70〜100メートルの海岸段丘上にある集落である。日本海を一望に見渡せる眺望が素晴らしく、県外企業の保養所が建てられている。


浜北山にある保養地

過疎化と高齢化が進んでおり、半分以上が一人暮らしの女性であった。素晴らしい眺望を活かして、高級住宅地や別荘地として再開発するのも可能であろう。

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 赤 坂(あかさか)
 

赤坂の温泉

居倉から山を登り、林道を5分ほど走ると赤坂に着く。標高220メートルの海岸段丘上にある集落である。越廼村で最も過疎化が進んだ集落とされている。海を見渡せる丘の上に、簡易保険の融資で建てられた温泉施設がある。


赤坂に向かう途中で

赤坂への行き帰り、林道を走りながら、毛細血管のようなインフラを維持することの大変さと大切さに思いを馳せた。

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 城 有(しろあり)
 

城有の専西寺のご住職夫妻

赤坂から一旦、居倉に戻る途中で、再び西に山中に入っていくと城有がある。標高280メートルの海岸段丘上にある集落で、越廼村の中でも最も高所に位置する。この地区に残っている中世山城の跡が越前一向一揆に破れて信濃へ逃亡した本多広孝の城跡と伝えられていることから、城有と呼ばれてきたという。

専西寺の境内

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 八ツ俣(やつまた)
 

八ツ俣の風景

越前リゾート:
プールの向こうにテニ
スコートと海が見える

城有から降りてくると、標高130メートルの海岸段丘上に八ツ俣がある。昔からの集落は過疎化が進んでいるが、越廼村で一番という眺望を誇る緩斜面には「越前リゾート」という高級リゾートクラブがあるほか、自然愛好家が移り住みだしている。今後、別荘地として発展していく可能性がある。

八ツ俣にあるログハウス

そのログハウスからの展望

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越廼村のみなさんにお聞きした 越廼村 ここがポイント
  「てくてく巡業」の初日の5月9日に、まず、越廼村役場の菊本導勇(きくもとみちお)助役にお会いして、越廼村が抱える課題について伺ったところ、やはり、

の4つが課題としてあがった。

 市町村合併
 

福井市、鯖江市、美山町、清水町、越廼村の5市町村で平成17年2月1日に対等合併する予定で合併協議が進められてきたが、突然、福井市と鯖江市の合併が白紙になったため、福井市、美山町、清水町、越廼村の間の合併も流動的な状況になっている。

まず、合併の枠組みについてである。本来、丹生郡である越廼村がなぜ、福井市と合併することになったのか。合併白紙を受けて、今後、合併の枠組みに変更がないのか。

これについては、平成14年に合併について村民のアンケートを取ったところ、80%以上が福井市との合併を希望しており、福井市以外との合併は考えられないとのことであった。行政区域は丹生郡であっても、生活圏は福井市ということらしい。その意味では、福井市との合併には無理がない。

対等合併(=新設合併)か吸収合併(=編入合併)かという問題については、美山町や清水町で対等合併から吸収合併に方向転換した福井市に反発が出ているのに対して、越廼村では吸収合併でもやむを得ないという声が多い。

この背景には、越廼村の大変厳しい財政事情がある。財政を担当している金森光隆総務課長に平成16年度予算について伺ったところ、20億円の歳入のうち、村税収入はわずか1億円で全体の20分の1。4年前には10億円あった地方交付税が毎年減らされてきており、今年は8億3000万円という状況である。

今後とも、現在レベルの地方交付税が維持されるのであれば、これまで通り独立してやっていく自信はある。しかし、三位一体改革でこれ以上減らされるのなら、合併しなければやっていけないとのことであった。つまり、背に腹は代えられない。また、現実を正確に把握しているということである。

では、吸収合併に対する不安がないかというとそうではない。「幹(=福井市)だけ太くなって、枝(=周辺町村)は切り捨てられるのではないか」という不安がある。具体的には、まず、現在10人いる議員数が確実に1人に減らされる。同様に、役場の職員数も減らされるのではないかという不安がある。

また、越廼村と地続きの福井市の殿下地区の道路が合併前の30年前とほとんど変っていないことから、合併後は新規のインフラ整備どころか既存のインフラについてもこれまで通り維持していけないのではないかとの心配もある。

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 過 疎 化
 

菊本助役によれば、役場に入ったときに3500人だった人口が現在は1800人に半減しているそうだ。歴代村長が「あらゆる政策が過疎化対策である」とおっしゃってきたというから、戦後の越廼村の歴史は過疎化との戦いと言っても良い。

過疎化と高齢化は全集落で同時進行しているが、大味、茱崎、蒲生、居倉などの海辺の集落に比べると、浜北山、赤坂、城有、八ツ俣など山間部の集落はより深刻な過疎化と高齢化に苦しんでいる。

浜北山などは半分以上が一人暮らしの女性だった。あと10年もたつと、山間部の集落が廃屋だらけになるのは目に見えている。そのとき、たとえ1軒になっても山間部の集落を維持していくのか、それとも、思い切って廃村にしてしまうのか。これからいよいよ財政事情が厳しくなる中で、難しい選択を迫られることになる。

城有のてっぺんにある専西寺のご住職が「自分の土地はどんなに条件が悪くても手間をかけて手入れするものです。しかし、人が住まなくなったところを整備する費用は、人が住めるように維持する費用の数倍かかりますよ。何でも効率化一辺倒で、幹を太くして枝を切り捨てていくと、日本の国土は荒廃します」と警鐘を鳴らされていた。

その一方で、茱崎・蒲生地区では、最近、若い人たちが戻り出しているという。そのせいであろうか。茱崎・蒲生地区を歩いていると、新築中の家を何軒か見かけた。住宅地図とはまったく違う名字の新しい家が建っていることも多い。

金森総務課長によると、不況のせいで福井市では若い人たちが生活できないため、親元に戻ってきているのだという。確かに考えてみると、車のローンに保険料とガソリン代、さらに携帯電話料金を払って、そのうえ毎月5、6万円の家賃は払えるものではない。

できれば地元で暮らしたいという若い夫婦の潜在的な需要を踏まえて、2年前に越廼村役場が「マリンパレスこしの」という村営マンションを建てたところ、大変好評だという。3DK(89.35平方M)で家賃が月額3万3千円というから格安である。12戸すべてに入居しているのももっともだ。村民からは、第二、第三の村営マンションを建ててほしいという要望があるようだ。

ところで、先ほど、浜北山、赤坂、城有、八ツ俣など山間部の集落はより深刻な過疎化と高齢化に苦しんでいると書いたが、その一方で、八ツ俣には、大阪のリゾート会社(グリーンフィールドクラブ)が経営する「越前リゾート」という会員制の高級リゾートクラブがある。

このリゾートクラブは大変素晴らしいもので、全国的に見てもトップクラスに属するものではないだろうか。また、浜北山にあるスズケンの保養施設も素晴らしいものだ。越廼村の保養地としての高い潜在力を示すものと言えよう。

このほか、八ツ俣には越前海岸を一望に見渡せる眺望に引き付けられて、移り住んできた大学の先生が2人おり、今後八ツ俣は別荘地として発展していく可能性もある。また、浜北山から見る眺望も素晴らしく、浜北山も別荘地や高級住宅地として生まれ変わる可能性が十分ある。

もっとも「越前リゾート」に一歩足を踏み入れると、会員制クラブ特有の排他的雰囲気が漂っていて、地元から隔離されたリゾートや別荘だらけになっても困ると感じた。地元社会に完全に溶け込むのは無理にしても、地元社会に刺激を与え、地元経済を潤すような保養地や別荘地のあり方を考える必要がある。

※後に、「越前リゾート」には台所がなく、宿泊客の食事はすべて地元の旅館に発注されているため、地元経済に貢献していると聞いた。

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 水産業の振興
 

越廼村は江戸時代から漁業と水産加工業で栄えてきた村である。今回、越廼村を訪れてみて、漁業や水産加工業について様々なお話を伺ったが、漁業には農業に負けず劣らず複雑で難しい問題があることが分かった。

まず、越廼村で行われている漁業の種類である。イカ釣りが主な漁業で、ほかに刺し網、定置網もやっている。

イカ釣りの操業区域は、漁船の大きさにもよるが、19トンクラスの船だと北海道から九州まで日本海全域である。技術については全国一と評価されているようだ。

イカ釣りは真夜中にイカ釣り船に電灯を煌々とつけて行う。光に群がるイカの習性を利用した漁法である。夜、越前海岸を走ると、水平線上に点々と灯る漁り火を見ることができる。

刺し網というのは、文字通り、海底に「刺す」網であり、海底近くを泳ぐヒラメなどの魚が取れる。定置網というのは、同じ場所に網を仕掛けて、決まった時間に網を揚げるものだ。今頃だと、ブリ、タイ、アジなどの魚が取れる。

以前は、海を網でぐるりと巻いて魚を獲る巻き網も行っていたそうだが、巻き網は5隻の船で行う経費の嵩む漁法であり、採算が合わなくなったので10年前に廃業したという。

ところで、隣の越前町や三国町ではカニを獲っているのに、越廼村ではカニを獲る底引き網が行われていない。同じ日本海なのに、獲る魚の種類に違いが出るのはなぜかというと、保有している漁船の種類が違うからである。

では、なぜ、漁船の種類が違ってくるかというと、越廼村の海は外海で荒れるうえに越廼村には天然の良港がないため、大型の漁船を持つことができなかったからだそうだ。一方、天然の良港を持つ越前町や三国町では昔から大型の漁船を持つことができたということらしい。

したがって、大型漁船が停泊できる漁港を持つというのは越廼村の漁業関係者の悲願であり、昭和27年以来進められてきた茱崎漁港の整備が今年完了するとのことで、ようやく長年の悲願が達成されることになる。

ところが、ようやく大型漁船が停泊できる漁港ができてみると、その漁港に停める肝心の漁船があまりないという皮肉な現象が起きている。漁獲量が年々減るとともに、漁業に従事する人も漁船の数も減ってきているからである。

具体的には1983年に3,838tあった越廼村の漁獲量が2001年は1,214tと約3分の1に、漁業を営む経営体の数が95から46に、漁船の数が120隻から46隻に約半減している(平成13年2月北陸農政局福井統計事務所「福井県水産累年統計」、平成15年1月「福井県漁業の動き」より)。

では、なぜ、漁獲量が減ったのか。主な原因としては、漁船の大型化・機械化による乱獲が挙げられている。浜で刺し網を手入れしていた漁師の方が、「グラウンドのような広さを網で囲んで一網打尽に取るのだから、無理もない。イカは一年もん(一年で成長する魚のこと)だが、親まで獲ってしまうんだから、獲れなくなるのは当たり前だ」と自嘲気味におっしゃっていた。

一方、越廼漁業協同組合の北崎寿男組合長は、「魚は獲り過ぎで獲れなくなるものではなく、水温の上昇による魚種の変化が大きい」と海の環境変化を挙げる。北崎組合長によれば、過去20年間で海水の温度が3度上昇しており、このため、昔、沿岸で獲れた魚が北上してしまい、暖かい海にいるサワラなどの魚が獲れるようになっているとのことだった。

なお、水温上昇の原因としては、地球的規模の温暖化に加えて、嶺南地域に集中立地している15基の原発から海に捨てられる冷却水の影響が考えられるが、因果関係についての調査は行われていない。しかし、過去140年間の地球温暖化による地球の平均気温の上昇が0.6度前後であることを考えると、原発による影響がないとは言えない。

漁獲量が減った原因について、「海岸をテトラポットで埋めたため、浅瀬がなくなり、魚が産卵できなくなったせいではないか。子供の頃は、産卵で海岸が泡だらけになっていた」とおっしゃる方もいる。護岸工事が生態系を崩して漁獲量を減らす原因になっているのだとしたら、生態系の維持や回復の観点から、護岸工事のあり方を見直す必要もある。

このように、漁獲量が減った原因としては様々なものが考えられるが、排他的経済水域(沿岸より200海里)の導入により、以前のように世界中どこまでも魚を追っていく漁業が展開できなくなったこともあり、乱獲防止の目的も併せて、現在では「資源管理」型漁業が進められている。

「資源管理」型漁業がどんな漁業かというと、漁業者から見ると、「これをしてはいけない」「あれをしてはいけない」という規制だらけの漁業である。具体的には、同じイカを釣るにしても、福井県、石川県、富山県と漁場が異なるごとに許可を取る必要があるし、漁船の種類によっても、「沿岸」か「近海」と漁場を割り当てられる。また、魚の種類によって、予め、その年の漁獲量を決めておいて、その分を獲ってしまえば、後は禁漁にするというTAC制度も導入されている。

また、越廼村では10年前から「中間育成施設」で「つくり育てる」漁業も進められている。具体的には、小浜の水産試験場で卵から孵したヒラメやクルマエビの稚魚を、他の魚の餌食にならないように、越廼村の「中間育成施設」である程度の大きさまで育ててから海に放流している。北崎組合長によると、越廼村で獲れる7割程度が放流魚であり、いまでも、ヒラメが獲れるのは、放流のお蔭であると感謝しているとのことだった。

もともと越廼村は漁業に加えて、水産加工で繁栄した村である。地元で取れるイカ、サバ、スケトウダラの塩蔵品を作っていたのである。ところが、茱崎地区の水産加工場を回って驚いた。

イカはニュージーランド産、サバはノルウェー産、スケトウダラは北海道産である。水産加工場があっても、地元で獲れた魚が扱われていないところに、現在の水産業が置かれている厳しい状況が窺われる。漁獲量の減少と輸入水産物の増大を象徴する水産加工業の現状である。

幸いなことに、ここに一つの希望がある。現在、越廼村の漁業協同組合では、越廼村で獲れるイカを何とかブランド化したいと考え、生きたままのイカを船上で処理する「沖漬けスルメイカ」の作成が進められている。

昨年、作った3000匹の沖漬けスルメイカはすべて売り切れ、今年は注文に生産が追いつかない状態というから頼もしい。僕も見本をもらって食べてみたが、いま獲れたてのように柔らかくて甘く、絶品だった。福井県と言えば「沖漬けスルメイカ」と言われるようなブランド品に育ってほしいものだ。

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 インフラ整備
 

現在、越廼村では大改造が進められている。蒲生・茱崎地区の漁業集落環境整備事業として進められているもので、茱崎地区においては長年の懸案である大型漁船が停泊できる茱崎漁港の整備を完成させるとともに、蒲生地区については、海を埋め立てて生まれる公有地に温泉施設を建設するというものである。

また、いま、越廼村の中を走っている国道305号線を外に出して、埋め立て地の海沿いに走らせる予定になっている。さらに、越前海岸でもっとも美しいとされる蒲生地区の砂浜を階段式の護岸コンクリートに変える工事も進められている。

平地がほとんどなく、海岸に急峻な山がせまる越廼村で、新しい公共施設を建てようとすれば、山を崩すか、海を埋めるしかない。険しい山の上に公共施設を建てるのは村民に負担がかかるということで、海を埋めたのだろう。

大方の村の方には理解されているようだが、子供の頃から親しんだ海を埋めることに複雑な感慨を抱く村の方もいるようだ。こうした大改造が海の生態系を崩すことにならないのか気がかりだ。

道路は国道305号線一本だけなので、大きな道路整備の必要はないとされる。しかし、合併後も浜北山、赤坂、城有、八ツ俣に行く道路の整備は必要と思われる。

携帯電話、テレビの電波状態は、海辺で何も遮るものがないので良いそうだ。ただし、行政テレビを映せるようにケーブルTVのケーブル敷設費を今年度予算に盛り込んだとのことだった。

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