美山町編
4月1日より1ヵ月間、美山町を「てくてく巡業」した。まず美山町役場に伺い、美山町が抱える課題について概略をお伺いした後、53の全集落を一軒一軒歩いて、様々な人のお話を伺った。
   
知られざる「奥座敷」 美山町
  01:美しいまち 美山町
02:知られざるまち 美山町
03:美しき「奥座敷」 美山町
   
てくてく巡業でお会いした美山町のみなさん
  04:上宇坂
05:下宇坂
06:芦 見
07:上味見
08:下味見
09:羽 生
   
美山町のみなさんにお聞きした 美山町 ここがポイント
  10:市町村合併
11:過 疎 化
12:農林業の振興
13:インフラ整備
   

知られざる「奥座敷」 美山町
 美しいまち 美山町
 

下宇坂の小和清水

美しい町である。美山町という名前が示す通り、美しい山に囲まれている。町の総面積の 90%が山林を占めている。古くは林業と薪炭業で栄えた町である。山沿いの集落を歩くと、軒先には薪がうず高く積まれている。依然として薪で暖を取る家が多いのである。


足羽川の向こうに見える下宇坂小学校

山だけでなく川も美しい。岐阜県境の冠山に源を発した足羽川は、池田町を縦貫し、美山町の中心部で大きな弧を描きながら、上味見川、羽生川、芦見川と合流する。

どこに行っても護岸工事でコンクリートだらけになった川が多い中で、美山町を流れる川には昔ながらの川原が残されている。 6月に鮎釣りが解禁になると、美山町の川は釣り人で溢れるという。


木立のトンネル

釣り人だけではない。上宇坂の蔵作橋のたもとはバーベキューの名所で、夏になると家族連れで過密状態になるという。最近、テレビで紹介されたこともあり、観光バスで訪れる人も出てきたそうだ。


羽生地区の東俣にある
ログハウス

美山町を歩いていると、はっとするような美しい風景に出会う。カメラを持ち歩いて写真を撮るようにしたが、次から次に撮りたい風景が出てきて困った。
美山町はどこもかしこも美しい。

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 知られざるまち 美山町
 

田植えの準備

玄関先に干されていたぜんまい

ところが、これほど美しい美山町があまり知られていない。僕自身、美山町は国道 158号線(通称「羽生街道」)沿いにある集落のことだと思っていた。美山町以外の人が美山町だと思っている国道158号線沿いの集落は、実は、広い美山町の一部でしかない。


獺ケ口を流れる足羽川

現在の美山町は、かつて大野郡の一部だった芦見村、羽生村、上味見村、下味見村と、足羽郡の一部だった下宇坂村と上宇坂村の 6村が昭和30年に合併してできたものである。

国道 158号線沿いの集落は、羽生村と上宇坂村の一部でしかなく、国道158号線を超えた先に、ほとんどの人がまだ一度も訪れたことのない40以上の集落が存在しているのである。

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 美しき「奥座敷」 美山町
 

美山町の人はこうした美山町の特徴を「奥座敷」と呼んでいる。確かに、「座敷」と呼ばれるにふさわしく、「こんなところまで」と感心させられるほど、すみずみまで手入れが行き届いている。

そして、まさしく、「奥座敷」と呼ばれるにふさわしく、この「座敷」に通される客人はほとんどいないのである。もっとも、だからこそ、美山町は今まで「奥座敷」として美しさを保ってこられたのかもしれない。

左:都会から移り住む人に空き家を斡旋している上味見の森下且善さん
右:まだまだ使える上味見の空き家

獺ケ口踏み切りより

鶏が放し飼いされている
(萌叡塾)

山奥に入って大きく広がる上味見
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てくてく巡業でお会いした美山町のみなさん
 上宇坂
 

蔵作で花見をしていた若い家族たち

美山町役場のある美山町の中心地である。美山啓明小学校は、 3年前に上味見小学校、下味見小学校、芦見小学校、上宇坂小学校が廃校となり、一つの小学校として統合されたものである。

若い家族が多く、過疎はそれほど深刻ではない。蔵作(くらつくり)を回ったときには、ゲートボール場でバーベキューをしながら花見をしている若い家族にご一緒させていただいて色々とお話を伺った。


バーベキューをごちそうになる

蔵作には彼らを主力とするソフトボールのチームがあり、毎年、県大会に出場している。美山町内の他の地域からは、同じ地域の中でソフトボールチームを結成できる人材の豊富さと結束力の強さを羨ましがられているとのことだった。

蔵作橋のたもとはバーベキューの名所で、夏になると家族連れで過密状態になるという。最近、テレビで紹介されたこともあり、観光バスで訪れる人も出てきたそうだ。

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 下宇坂
 

太陽光発電パネルのある家

福井 ICから車で10分。最初のトンネルを抜けて158号線から一歩中に入り込むと、「福井市の近くにこんな素晴らしい自然が残っていたのか」と驚くような美しい山と川に囲まれた自然が広がっている。

福井市から車で 10分という地理的条件のせいか、下宇坂には過疎の問題はないと言われる。特に、美山町で最も世帯数の多い市波には芦見地区や上味見地区から移り住む人がおり、いまでも人口が増え続けている。

美山町で最も人口が多い地区ということもあり、歴代町長にはこの地区の出身者が多い。ちなみに、現在の有塚町長も下宇坂の出身である。下宇坂を制するものは美山町を制するということらしい。

下宇坂小学校は教会のような外観でとても小学校とは思えない建物である。3つある美山町の小学校の中で最も児童数が多い。みらくる亭、楽く楽く亭、あいくい亭、そば道場など多くの公共施設が下宇坂に集中している。

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 芦 見
 

芦見地区で開かれた茶飲座談会

上味見と並んで、過疎化に苦しんでいる地区である。下宇坂地区から芦見地区に上がってくると、携帯電話も通じなくなるし、テレビもよく映らなくなる。このため今年度予算で電波塔の建設とケーブルテレビのケーブル敷設が予算化されている。


3年前に廃校になった
芦見小学校

3年前に廃校になった芦見小学校では、今年4月から「社会福祉法人コミュニティネットワークふくい」が主催する「高齢者と障碍者の美山いきがいづくり推進事業」が始まる。これは福井県内の知的障害者が1泊2日で地元の高齢者の協力を得て農作業体験研修を行うというものである。まだ真新しいまま廃校になってしまった芦見小学校の活用方法が見つかったのは喜ばしいことだ。

滋賀県から芦見地区の西中に移り住んでこられた西本光彦さんは、現在、集落のリーダー的存在として活躍しておられる。西中に引っ越してきた翌年、いきなり区長に選ばれ、意気に感じた西本さんが意欲的に区長の仕事に取り組まれたのがきっかけだという。集落にすっかりとけ込んだ西本さんも偉いが、いきなり区長に選んだ西中の人たちも偉い。

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 上味見
 

萌叡塾

足羽川ダム計画をきっかけとして過疎化が進んだ地区である。上味見小学校は 3年前に廃校になった。谷に沿って太陽が動くため日照時間が長い。また、寒暖の差が大きいので、美山町の中で最もうまいコメが採れると言われている。

美山町の中でも山奥になるが、山と山の間は広く、ゆったりした空間がある。田舎暮らしを希望する都市居住者には理想に近い環境である。中手(なかんて)の入り口にある萌叡塾(ほうえいじゅく)は美山町に移り住んだ都市居住者の先駆け的存在であり、今後、後を続く人たちが出てくるであろう。

上味見には町営の伊自良温泉がある。皮膚病に効くというこの温泉は人気があり、わざわざ県外から入りに来る人もいる。 営業が4時半までなのと食事の面がちょっと残念だが、運営費などのことを考えると仕方がないのだろう。

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 下味見
 

3年前に廃校になった
下味見小学校

上味見と同様、足羽川ダム計画が過疎化を招いたと言われており、下味見小学校は 3年前に廃校になった。東河原(ひがしこうばら)で会ったおばあちゃんが、「足羽川ダムの話が持ち上がってから、若いもんがみんな出て行ってしもうた。足羽川ダム計画がどれだけ人心をまどわせたか分からない。偉い人はそういうことをちゃんと考えてほしい」と切々と訴えていたのが心に重く残った。

西河原(にしこうばら)では、思いがけず、高校時代の同級生のお母さんにお会いした。「昨年の知事選のときにうちの息子が学校で一緒だったと電話をかけてきました」とおっしゃるので、詳しく聞いてみると、絵が上手いと評判だった田中博文さんだった。

高校時代からプロ顔負けの絵を描いていたが、現在では、日立製作所で工業デザイナーとして活躍されており、 500系の新幹線をデザインされたというから恐れ入る ( 後で聞いた話では、田中さんはこのデザインを認められ宮中で表彰されたそうだ)。田中さんのあの素晴らしい感性が育った背景には、下味見の自然豊かな環境があるのだろう 。

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 羽 生
 

神戸から東俣に移り住んでいる
山本竹司さん

国道 158号線沿いで過疎の問題があまり深刻でない集落と、過疎化で悩む集落が併存する地区である。

間戸(まと)では子供たちが遊んでいる姿を見ることができる。間戸は自由な気風のため、お嫁さんのきてが多く、子供の産地として知られている。羽生小学校では間戸の子供たちが一番多いという。

南西俣(みなみにしまた)の尾野俊夫さん ご一家は大阪から嫁いでこられたお嫁さんのご両親と同じ敷地内で暮らしておられる。ちょうど、お嫁さんのお母さんの川上万里子さんがご在宅でゆっくりお話を伺うことができた。

大阪から移り住んで早 10年。当初、何でもはっきりモノを言う性格が町の人となじまずいろいろとあったが、いまでは雪解けの川のせせらぎや鶯の鳴く声に、四季の変化を感じることができる自分に喜んでいるとおっしゃっていた。

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美山町のみなさんにお聞きした 美山町 ここがポイント
  美山町役場の石田一司助役に美山町が抱える課題について伺ったところ、

の4つの問題があるとおっしゃっていた。美山町を回るときには、この 4つの問題を念頭に置くようにした。

 市町村合併
 

現在、美山町が直面する最大の問題である。福井市、鯖江市、美山町、清水町、越廼村が来年の平成 17年2月1日に対等合併する予定で5市町村よりなる法定合併協議会の中で合併協議が進められてきたが、突然、福井市と鯖江市の合併が白紙になったため、福井市、美山町、清水町、越廼村の間の合併も流動的な状況になっている。

まず、対等合併か吸収合併かという問題がある。これまで一貫して、対等合併を主張してきた福井市の酒井哲男市長が、鯖江市との合併白紙を受けて、残り4市町村との合併を、「精神的な対等合併」という表現で吸収合併とする意向を表明したことで波紋を広げている。

有塚達郎町長、石田一司助役は、「合併特例債の適用、地方交付税の現状維持を得たいので、残りの 4市町村で、たとえ吸収合併になっても、予定通り来年2月1日に合併できればと願っている」との意向である。

これに対して、吸収合併になれば、議員数を 1人に減らされる議会からは反発が出ている。

「鯖江市との合併が白紙になった段階で、酒井市長が『残りの 4市町村で対等合併を進める』と表明すれば、これほどガタガタしなかった。吸収合併となると、3町村ではそれぞれ議員を一人に絞らなければならなくなるが、どうやって絞ったらいいか分からない。3町村長が吸収合併をそれぞれの議会に諮れば、『ちょっと待った』ということになるだろう」(A町会議員)

ところが、ほとんどの町民にとっては、「対等合併か吸収合併か」という以前に、一体、何がどうなっているのか分からない。「 5市町村との合併を進めると言っていたのに、突然、合併が白紙になった。どうして、合併が白紙になったのか。また、この先、どうなるのか、町からは何の説明もない。きちんと説明してほしい」という声を多く聞いた。

行政に携わっている人間は基本的に活字人間なので、合併白紙の経緯は新聞に詳しく書いてあるから住民は当然、分かっているだろうと思いがちだが、自分の足で歩いてみると世の中には新聞を読む人の方が少ないことがよく分かる。面倒でも、こまめに集会を開いて、納得してもらえるまで口頭でじっくり説明する必要があるのではないか。

また、美山町の人にとって、市町村合併の最大の懸念材料は除雪である。福井市との合併について聞くと、異口同音に「いままで通り、除雪をちゃんとしてもらえるかどうか心配だ」という答えが返ってくる。「除雪が心配なので、福井市よりも、池田町と合併してもらいたい」という人がいるくらいだ。

吸収合併になると、町道が区道に格下げになるのではないかと心配する人もいた。区道に格下げになれば、道路の維持費を区で捻出しなければならなくなり大変だという心配である。

市町村合併は日々の暮らしにどんな影響があるのか。日々の暮らしで行政に期待しているサービス(例えば、除雪)が合併で低下することはないのか。合併問題は、あくまでも暮らす人々の目の高さで具体的に考え、粘り強く語りかけていかないとうまくいかないと感じた。

(後日、有塚達郎町長に合併問題について伺ったところ、「『合併後も除雪はこれまで通りきちんと行われます』といくら説明しても町民の方は除雪のことが心配のようです。また、町道の区道の格下げなど非常に専門的な話を持ち出されて心配されるので我々も驚いています」と仰っていた。)

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 過 疎 化
 

「過疎化と高齢化が同時進行している。 53の集落があるが、いずれも20戸ほどである。20戸では村祭りもできない。集落合併を検討している。都会からのIターンの受け入れも検討すべきと町民に話している」(石田一司助役)

美山町には、下宇坂、上宇坂、芦見、下味見、上味見、羽生の 6地区あるが、このうち過疎化がひどいのが芦見と上味見である。一目で分かる廃屋がいたるところにある。

また、芦見地区を歩いていると、周りとは場違いに近代的でひときわ立派な建物が目に付く。これが平成 6年に完成して、10年もたたないうちに廃校になった芦見小学校である。

3年前に上味見小学校、下味見小学校、芦見小学校、上宇坂小学校の4校が 廃校となり、新たに美山啓明小学校として統合されたのである。 まだ真新しい芦見小学校を見上げていると予想以上に早くて厳しい過疎の現実がまざまざと迫ってくる。

芦見地区では、毎日、福井市から小学生のお孫さんの子守りをしにやってくるおじいさんの姿を見かけた。事情がよく呑み込めないので詳しく話を聞くと、お嬢さんが美山町の人と結婚して、小学校低学年のお孫さんがいる。ご主人のお母さんと同居しているが、お母さんはご高齢でとてもお孫さんの面倒をみることができない。

若夫婦は共働きしているので、お孫さんが小学校から帰ってきて、若夫婦のどちらか一方が帰ってくるまでお孫さんの相手をしているのだそうだ。なぜ、そんなことをしなければいけないかというと、近所に子供がいないために、学校から帰ってきても遊び相手がいない。

また、 3年前に学校が統廃合されて、遠くの美山啓明小学校にスクールバスで通っているため、学校でずっと遊んでいることもできない。小学校4年生になれば何とかなるが、それまでは、危なくて一人で放っとけないので、おじいさんが面倒をみに来ているということだった。

上味見と下味見の過疎化を招いたのは足羽川ダム計画であるという。将来、水没する恐れがあるということで、積極的に子供たちを福井市や県外に出したために過疎化を招いたとのことだった。

芦見や上味見では、一人暮らしのお年寄りも多い。そのほとんどがご主人に先立たれた女性である。家の前で畑仕事をしているおばあちゃんに「お子さんは?」と尋ねると、「福井市に家を構えている」という方が多い。

「いまは、まだ、自分が何とか家を守っているが、自分が死んでからは誰も面倒を見るものがいなくなる」という不安を抱えながらの生活である。このまま、あと 10年も経つと、いよいよ廃屋が増えるのは目に見えている。

道で会ったおばあちゃんが、「足羽川ダムの話が持ち上がってから、若いもんがみんな出て行ってしもうた。足羽川ダム計画がどれだけ人心をまどわせたか分からない。偉い人はそういうことをちゃんと考えてほしい」と切々と訴えていたのが心に重く残った。

では、過疎化にはどう対応したらいいのか。美山町では立派な小学校を建てることで若者たちを引き止めようとした時期もあったようだ。廃校になった芦見小学校、上味見小学校、下味見小学校はいずれもまだ十分使える立派な建物である。

これに対して、美山町議会の高瀬信夫・副議長は、「過疎化にお金をつぎ込む時代はもう終わった。人が便利なところに移り住むのは止められない。集落の集団移住も検討すべきだと考えている」とおっしゃっていた。

若者たちの流出が続く一方で、都会から移り住む人たちもいる。上味見の中手(なかんて)の入り口にある萌叡塾(ほうえいじゅく)は、 20年前に都会から移り住んだ4人のOLたちがつくりあげた自給自足のコミューンである。

一人ひとりが自給的な暮らしをすることが、現代社会の問題を解決することになるとの信念のもとに、 5人それぞれが手仕事(竹工、機織、表具、衣縫い、炭焼)をしながら、田畑を耕し、鶏を飼い、パンを焼き、自家製のビールとハムを作っているという。

羽生地区の東俣(ひがしまた)に行く途中にあるログハウスに住む山本竹司さんは定年退職後、単身、神戸から移り住んでこられたのだという。元々、幼少期に三国町で過ごしたことがあって福井県に戻ってきたが、美山町とは縁もゆかりもないのだそうだ。

いまは、毎日、一人で静かに本を読んだり、音楽を聴いたりして暮らす悠々自適の生活を送られている。中米のグアテマラにも家を建て、冬はグアテマラで過ごされるというから羨ましい限りである。

美山町役場では、こうした都市居住者の自然志向に着目して、町のホームページで町内各地の空き家を写真付で紹介している( http://www.f-miyama.com/akiya/akiyajyouhou.htm )。 ちなみに、このホームページを見て今年 3月には神奈川県から西村彰夫さんご夫妻が神当部に引っ越されてきた。 また、上味見の森下且善さんのように、都市から移り住もうとしている人に空き家となった適当な民家を斡旋・再生するのを仕事とされている方もいる。

美山町役場がすでに取り組んでいるように、今後、都市居住者の移住を積極的に進めるのは有効な過疎対策と思われる。その場合、大切なのは地元の人たちの受け入れ姿勢であろう。

俗に、「地域を活性化するのは、よそ者、若者、馬鹿者(=頑固者)」と言われるが、新規居住者を「よそ者」扱いせずに、「よそ者」のパワーを生かして取り込んでいくことが重要であると思われる。

ここで面白いのは羽生地区の間戸(まと)の例である。間戸は狭い谷あいの中の集落であり、物理的条件としては他の過疎地域と大差ないのだが、美山町ではお嫁さんの来手が多く、子供の産地として知られている。僕自身、間戸に行って子供たちが無邪気に遊ぶ姿を見て驚いた。最近では、どこに行っても、子供の遊ぶ姿などめっきり見かけなくなったからである。

羽生地区の人にその訳を聞くと間戸には自由な気風があるためだそうだが、では、なぜ、自由な気風が育まれたかというと、昔から冬場に杜氏として出稼ぎに出る者が多く、外の世界を知る者が増えたためだそうだ。過疎対策というと、ハード面ばかり語られるが、実はこうしたソフト面の方が大事ということである。

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 農林業の振興
 

美山町は古くから林業の町である。町の総面積の約 90%を山林が占めている。しかし、安い外材の輸入で国産材が太刀打ちできず、林業従事者が激減している。平成12年国勢調査によれば、林業従事者はわずか29人、就業者比率は1%である。

「昔は、杉の木を一本売って片町で豪遊することができ、親に隠れて山の木を売るドラ息子がいた」(石田一司助役)というから、隔世の感がある。

しかし、林道整備は相変わらず続けられている。今年度予算でも、過疎対策として林道整備の予算がついている。また、美山町森林組合には、円柱加工、防虫防腐加工が可能な近代設備の加工場がある。

つまり、美山町には広大な森林資源があり、それを有効活用するための投資がいまでも続けられている。ところが、美山町の森林資源が有効活用されているとは言い難い。

なぜか。一言でいえば、「森林資源に対する需要がない」(小林森幸・美山町森林組合長)からである。

林業不振の原因は需要不足にあると明らかなのに、国・県・町の予算が相変わらず供給能力の向上に振り向けられているのは不思議である。もっと、森林資源の需要を掘り起こすために予算が使われるべきであろう。

例えば、美山町の小中学校に木造校舎が一つも見当たらないのは何故なのだろうか。むしろ、美山町の小学校には現代的で奇抜なデザインのコンクリート製のものが多い。

「子供たちに夢を与えたい」という前々町長のご意向によるものと聞いたが、せっかく、「木ごころの里」で生まれて育つ美山町の子供たちには木造校舎の中で「木ごころ」を教えてほしかったと思うのは僕だけであろうか。

美山町の農業事情については、 JA越前美山の伊井敏孝組合長によれば、「専業農家は7、8軒で4、5町歩コメを作っている程度。後はほとんど2種兼業農家で4、5反程度コメを作っているに過ぎない」とのことであった。

伊井敏孝組合長は、今年 3月31日にNTTを退職して、4月1日から正式に組合長になったというざっくばらんな方で、「これまで通りの補助金漬けの農政ではもうやっていけない。サラリーマンとの所得差が拡大しすぎた。昔は、サラリーマンの初任給はコメ3俵分だったが、現在ではコメ10俵分である。日本人がコメを食べなくなったという食生活の変化も大きな原因である」と語っておられた。

美山町は典型的な中山間地で農業経営の大規模化を進めるのには無理がある。農業振興についても林業と同じく、鍵を握るのは地元の農産物に対する需要をいかに高めるかである。

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 インフラ整備
 

美山町は広々している。言い換えれば、人口が少ない割に土地が広い。これを数字で検証すると、美山町の可住地 1ha当たりの人口密度は6.2人である。福井県全体では11.2人であり、35市町村の中では人口密度が高い方から数えると27番目である。

人口が少ない割に土地が広い地域のインフラ整備は大変だ。無駄な道路を作っている余裕はない。だからなのだろう。道路は必要なものだけ作っているという印象を受ける。他の地域を回っているときに時々、見受けられるような無駄な道路というものがない(もっとも、林道については検証していない)。

石田助役によれば、道路整備は一段落して、現在、ケーブル TVのケーブルを敷設しているとのことだった。また、携帯電話用の電波塔も建設する予定とのことであった。

確かに、芦見地区に入ると、携帯電話も通じないし、自動車についているテレビもよく映らない。電波塔の建設もケーブル TVの導入も納得のいく予算措置である。

特に、今後、都市居住者の誘致を進めようとするならば、道路整備もさることながら、どんな山奥に行っても都会と同じように仕事ができる快適な情報通信環境を整備することが重要になってくる。

また、現実問題として、福井市と合併して電子入札制度が適用されるようになれば、大量のデータ通信が可能なインターネット環境を整備する必要が出てくる。

今回、美山町はケーブル TVの加入料が通常5万円のところを思い切って無料にしたとのことであり、こうした措置により高速のインターネット環境が美山町のすみずみまで整備されることを期待したい(注:ケーブルTVのケーブルはインターネットにも利用できる)。

過疎化と高齢化が同時進行していることから、お年寄りなど交通弱者のための交通整備も重要な課題である。美山町は、京福バスへの補助として年間 1300万円払っているほか、今年、バスを購入するため700万円予算をつけた。

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