清水町編

6月から10月にかけて、清水町を「てくてく巡業」した。
まず清水町役場で、概略についてお聞きした後、各集落を一軒一軒歩いて、様々な人のお話を伺った。7月18日から福井豪雨の災害ボランティアに参加したため、一時中断したが、9月4日に再開、10月までかけて、全集落を回った。

   
田園と共存するまち 清水町 −進化するベッドタウン−
  101:進化する住宅団地
102:田園との共存
   
てくてく巡業でお会いした清水町のみなさん
  201:志津地区
202:三方地区
203:天津地区
204:グリーンハイツ
   
清水町のみなさんにお聞きした 清水町 ここがポイント
  301:市町村合併
302:中心市街地まちづくり
303:インフラ整備
   

田園と共存するまち 清水町 −進化するベッドタウン−
 田園との共存
 

清水町の田園風景

団地の多い町である。清水町だけで、大森団地、グリーンハイツ、志津が丘団地、ホープタウン田尻、清水ニュータウンと、合計5つの団地がある。清水町の約3000の世帯の内、実に半数近くがこれら団地に住んでいる。そして、これら団地のほとんどの入居者が、福井市に通勤している。清水町が「福井市のベッドタウン」と呼ばれる所以である。

これら団地が造成された時期は異なり、造成された時期が後になるほど、過去の団地づくりの教訓が生かされ、団地が進化しているのがよく分かる。


グリーンハイツの街並

茶飲み座談会の様子
(睦月神事会館)

大森団地は40年以上も前にできた、清水町で一番古い団地である。平屋の一戸建てと新築の住宅が混在している。また、歯が抜けたように空き地も結構ある。元の平屋の一戸建てが老朽化したときに新しく建て替えた家族もいるが、一戸当たりの敷地が狭いため、広い敷地を求めて団地から出た家族があるからだ。

昭和48年に造成されたグリーンハイツでは、この教訓を踏まえて一戸当たりの敷地が70坪前後とされた。これが功を奏したのか、造成時期が団塊の世代が結婚適齢期を迎える時期と重なったためか、グリーンハイツは人気を呼び、福井市に通勤する20代から30代が大挙して入居し、「福井市のベッドタウン」としての性格を決定づけることになった。

志津が丘団地、ホープタウン田尻、清水ニュータウンは、ここ10年の間に造成された新しい団地である。グリーンハイツの造成から20年経って、次第に明らかになった問題への対策が講じられている。


在田にて

団地は若い家族が一斉に入るので、入居者の高齢化と共に子供たちの世代の家族が同居できなければゴーストタウン化する恐れがある。グリーンハイツでは一戸当たりの敷地が70坪前後とされたのだが、それでも三世代が同居するには狭いという声が上がり、志津が丘団地では一戸当たりの敷地がさらに90坪前後に引き上げられた。

志津が丘団地では、敷地面積が引き上げられただけでなく、境界から1.5メートルは家を建てられないとか、屋根の上にテレビアンテナは立てられないなどの厳しい団地協定が定められている。こうした厳しい団地協定に守られて、まるで高級住宅地のような、ゆったりかつ整然とした街並みが成立している。


清水町役場周辺

昔ながらの民家

過去40年間に5つの団地を造成する過程で清水町役場に蓄積された街づくりのノウハウは貴重である。福井市、美山町、越廼村と合併後は、他の地区においてもこうした街づくりのノウハウが生かされることになろう。

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 田園との共存
 

 

住宅団地と並んで、清水町で印象深いのは、一面に広がる素晴らしい田園風景である。村の中を小川が流れる集落もいくつかあり、清水町を歩いていると随所で子供たちが川で遊ぶ風景を見かけた。


睦月神事会館

きらら館

県庁所在地に隣接して、しかも、そのベッドタウンとして、次々に住宅団地が造成されるとなると、通常、農地の宅地転用が進んで、隣接地域から市街地がじわじわ広がっていくものだが、清水町の場合は全面積の半分が森林で、また、依然として、可住地面積の70%以上を農地が占めている。


賀茂神社

加茂内

これは、住宅団地を造成するに当たって、農地の宅地転用を避けて森林を切り拓いたことに加えて、平地の広がる町東部が、福井都市計画区域に含まれ、一部を除いて市街化調整区域に指定されているためとされる。

福井市では過去、市街化調整区域に指定されていた地域でも市街化がどんどん進んでおり、福井市と隣接する三方地区(旧三方村)が昭和30年の大合併時に福井市と合併していれば、三方地区は市街化されていたかもしれない。結果的に、福井市街地のスプロール化現象が清水町で食い止められているのは幸いなことである。


茶飲み座談会の様子
(きらら館)

完成が望まれる
県道清水麻生津線

清水町で最初にできた
大森団地
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てくてく巡業でお会いした清水町のみなさん

 

清水町は昭和30年に志津、三方、天津の三村が合併してできた町である。三村には日野、天王、志津の三川が流れ、それぞれ「清水」を冠した集落があり、志津の志、三方の三、天津の津にちなんで「志三津」=「清水町」と称するようになったという。


 志津地区
大森、山内、野口、笹谷、四ツ合、滝波、本折、清水畑、平尾、上天下、下天下、加茂内、大森団地、清水ニュータウン、志津が丘)
   
 

志津が丘団地の整然とした街並

大森が中心部。他の二区と違って山間部が大部分を占める。志津地区には、清水町で一番古い大森団地と、ここ10年の間に造成された志津が丘団地、清水ニュータウンと3つの団地がある。志津が丘団地と清水ニュータウンは最近の人口増加の受け皿となっている一方で、大森団地を含む他の集落では廃屋や空地も見受けられ、人口は減少傾向にある。

加茂内は戦後まもなく戦災を受けた被災者を入植対象者として賀茂神社の裏山を開拓してできた集落である。現在の加茂内は別荘地のような雰囲気を持っている。建っている家も別荘のようなものが多い。


野口の風景

土を洗い流したじゃがいもを土間で乾かしている
 

野口は40年前の集落が瞬間冷凍されたようなところで、いまだに、萱葺きの家が残っている。また、大黒柱の見える土間にはじゃが芋がころがっている。田んぼの向こうにたなびく煙をぼんやり見ていると時間が止まったような気がした。「茶飲み座談会」で、野口について「『千と千尋』に出てくる町のようなところですね」と言ったら、「その通りです。私もそう思っていました」と同意してくれる人が何人かいた。清水町の人にとっても、郷愁を誘われる集落らしい。

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 三方地区
(三留、杉谷、田尻栃谷、朝宮、片粕、竹生、清水、和田、ホープタウン田尻)
   
 

ホープタウン田尻

和田にて

福井市に最も近い地区である。昭和30年の合併時には、片粕、朝宮は直前まで福井市との合併を主張していた経緯がある。

三留はもともと日野川、志津川、天王川の3つの川が集まる所という意味で「三溜の地」と呼ばれており、ここを中心に三つの潟があったので「三方(潟)村」となったのであろうと言われている。杉谷と並んで三方村の中心部であった。丘の上には「みとめ工業団地」がある。

和田はそこを目がけて行かなければ見過ごしてしまいそうな奥まった谷間にある集落である。それだけに、集落の結束力は強いと言われる。集落の中を川が流れていて、のどかな風景が広がっている。

グリーンハイツに近接するホープタウン田尻は、清水町の5つの団地の中で最も新しい団地である。団地の半分以上がまだ空いている。志津が丘団地よりも一戸当たりの敷地はちょっと狭い。在宅の方にそれでもホープタウン田尻を選んだ理由を聞いたら、福井市に近いという立地条件の良さだと仰っていた。

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 天津地区
(真栗、御油、島寺、風巻、小羽、片山、新保、清水山上、清水山下、在田、甑谷、坪谷)
   
 
[ふくい健康の森]を臨む風景
[ふくい健康の森]を臨む風景

清水町の東南部。福井市、鯖江市、朝日町のすべてと隣接している。平地が広がっており、そのほとんどが水田として利用されている。一面に田園風景が広がる清水町の代表的な農業地域である。

清水町役場、社会福祉センター(小羽)、きらら館、老人福祉センター(風巻)「ふくい健康の森」(島寺)などの公共施設が集中している。また、現在、中心市街地まちづくり事業が進められており、福井市との合併後も旧清水町の中心部としての性格を強めていくものと思われる。

片山にて
片山にて

片山は日野川の左岸に位置し、小谷山の山裾に大きな民家が転々と散在している。小谷山の片側に住んでいたので、片山と呼ばれるようになったそうだ。永い年月、日野川の出水と戦いながら、少しずつ水田を開墾して、今日の美田をつくった。

朝日町と隣接する在田(あいだ)は村の真ん中を川が流れる美しい集落である。子供たちが川で遊んでいた。川の水もきれいだった。敷地が広く、立派なお屋敷が多い。「在田はいいところですね」と声をかけると、「在田はいいところですよぉー」と誇りに満ちた声が返ってくる。

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 グリーンハイツ
   
 
グリーンハイツから見た風景
グリーンハイツから見た風景

グリーンハイツは、昭和48年に造成が始まった恐らく福井県最大の団地である。実際に歩いてみると、グリーンハイツは予想以上に広い。最盛期には1060戸あったそうだが、いまでも1000戸近くあるらしい。清水町全体の戸数が約3000戸だから、グリーンハイツだけで清水町の約3分の1を占めることになる。


グリーンハイツの街並

造成してから30年以上経っているので、団地は若い家族中心という固定観念に反して、住民の方は高齢者が多い。団地は若い家族が一斉に入るので、入居者も一斉に高齢化して、いずれゴーストタウン化する恐れがあると言われている。しかし、グリーンハイツでは老朽化している家屋も見られたものの、三世代が住めるようにと建て替えが着々と進んでいた。グリーンハイツは生きている。ゴーストタウン化はしないという実感を得た。

グリーンハイツが街として生きているというもう一つの証拠は、町内会活動が活発であることだ。SSTランドで仲間とバーベキューをしているとき、グリーンハイツ3丁目と4丁目の町内会の皆さんと偶然、一緒になった。町内会のバーベキューは大変な盛り上がりようだった。また、今年6月に行われた市町村合併についての住民の意向調査においても、グリーンハイツの回答率が72.5%と最も高かった。住民意識が高いことに加えて、町内会活動が活発なためと見られる。

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清水町のみなさんにお聞きした 清水町 ここがポイント
  「てくてく巡業」の初日の6月7日に、まず清水町役場を訪れ、齋藤三哲町長にお会いして、清水町が抱える課題について伺ったところ、市町村合併を最大の課題として挙げられていた。全体としては、清水町についてはおよそ次の3点が課題としてあげられるだろう。

 市町村合併
 

福井市、鯖江市、美山町、清水町、越廼村の5市町村では、平成17年2月1日に対等合併する予定で合併協議が進められてきたが、突然、鯖江市が福井市との合併を白紙にしたことで5市町村の合併協議は暗礁に乗り上げ、6月には5市町村の法定合併協議会が解散されることになった。

5市町村の合併白紙を受けて、清水町では6月に合併に関する意向調査が全有権者8,468人を対象に実施され、5,504人(64.8%)が回答した。その結果は、「福井市と合併」が65.8%、「合併しない」が19.9%、「分からない」と「不明」が合わせて14.3%であった。

その後、7月18日に発生した福井豪雨で福井市と美山町に大きな水害が出たため、一時は合併特例法の期限内での合併が危ぶまれたものの、現在では平成17年秋に美山町、清水町、越廼村が福井市に編入合併する方向で非公式に合併協議が進められている。

清水町は福井市、鯖江市、朝日町、越廼村と隣接しているが、「福井市のベッドタウン」との性格を有するなど生活面での結びつきは福井市が最も強い。清水町役場の資料によれば、清水町の住民は買い物の90%、医療の90%、通勤・通学の約50%を福井市で行っている。福井市との合併は既定路線として住民に受け入れられているという印象を受けた。

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 中心市街地まちづくり
 

志津、三方、天津の三村が合併してできた清水町には、ヘソがない、言い換えれば、核になる中心市街地がないと言われてきた。

そこで、現在、天津地区のきららパークと県道の間に中心市街地をつくろうという事業が進められている。具体的には、14町歩の田んぼを取得して、公共ゾーンと商業ゾーンの敷地を造成し、公共ゾーンには保健センターを建設して、現在の老人福祉センターと社会福祉センターを保健センター内に移転するとともに、商業ゾーンにはショッピングセンターを誘致する計画が進められている。

市街化調整区域の該当地域であったことから、農地転用の手続きに手間取ったとのことであるが、ようやく許認可の手続きを終え、平成16年度予算において、用地取得のために1億9200万円、敷地造成のために7200万円の予算が計上されており、平成16年度予算の目玉となっている。

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 インフラ整備
 

平成22年度の目標人口を現在より約2600人多い13000人と想定して、着々とインフラ整備を進めている。上下水道については13000人規模で整備しており、整備率は100%である。

きらら館で開かれた「茶飲み座談会」では、清水町は周りの市町村からのアクセスが悪いという声が多く出された。斉藤哲三町長にお会いしたときも、「清水町には国道が一本もないほか、高速道路からのアクセスが悪く、企業誘致で他の市町村に負けた事例がいくつかある」と仰っていた。

具体的には、清水町役場のある小羽から片山経由で福井市の江守の里に抜けて、国道8号線と最短ルートで結ぶ県道・清水麻生津線の完成が強く望まれている。

情報化社会に対応するため、ケーブルテレビの整備が進められており、9月14日現在の加入状況は、ケーブルテレビの加入世帯数が1246世帯で加入率が44.2%、ケーブルインターネットの加入世帯数が603世帯で加入率が21.4%となっている。

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