ブンブン日記 2003年 3月

3月31日(月)

朝7時半に事務所を出発してしばらくしたら、長野県の小林誠一さんから電話がかかってきた。「午前3時過ぎに田中知事が高木さんにメールを出しているからすぐ確認して欲しい」という。早速、車を止めてコンピュータを起動。メールを確認すると、「訪福に関して詳細を詰めてください」というものだった。隣に座っている薮ちゃんが、「文ちゃん、よかったね」とにっこり。田中知事が来るのは4月5日(土)の夕方だが、明日から「田中知事来る!」と宣伝活動に入れるのが大きい。睡眠不足による疲れもいっぺんに吹っ飛んでしまった。越廼村、越前町、織田町、宮崎村、朝日町、鯖江市と回る。越前町、織田町、朝日町ではチャリンコ部隊も出動した。鯖江市河和田では次から次に人が飛び出してきてくれた。鯖江支部の準備態勢は完璧に近い。世論調査の結果では丹南が弱いとあるが実感としてない。

 

3月30日(日)

朝10時半から福井市のショッピングセンター・コパの前で最後の出陣式。天候にも恵まれ、嶺北各地から大勢の人が集まった。その後、松岡町、永平寺、美山町、福井市と回ったが、引継ぎがうまくいかず、福井市に入ったときには1時間40分遅れて4時過ぎていた。大票田の福井市に力を入れなければならないのに、これでは何をしているのか分からない。それでも、チャリンコ部隊と合流して、福井駅前、だるまや西武前、フェニックス通りを自転車で走る。夜、光陽中学と至民中学で選挙戦に入ってから初めての個人演説会。出陣式と重なったこともあり、ほとんど電話かけしなかったというが、それにしても多くの人に来ていただいたものだ。しかし、体育館はちょっと広すぎた。選挙戦の序盤で体育館を使うのは時期尚早だったかも知れない。今日は反省材料がいっぱい出た。夜11時、今日海外旅行から帰国したばかりの田中知事と連絡を取る。日程の調整がなかなかつかないらしい。深夜1時過ぎに田中知事にメールを出す。

 

3月29日(土)

薮ちゃんの依頼でわざわざ駆けつけてくれた「日本一のうぐいす嬢」田中真由美さんと初めて街宣車に乗った。次々飛び出す名文句もさることながら、驚いたのは、この人が「走るうぐいす嬢」「交通整理するうぐいす嬢」であることだ。人影を見つけて僕が車から飛び出していくと、彼女も一緒についてくる。最初、僕が名刺を配っていたら、「名刺は私が配りますから、候補は両手で握手してください」と名刺をもぎ取られた。一緒についてきて、「候補、右前方です」とか「後ろの家のお母様」とか言うものだから、飛び出そうとすると、事故に会わないようにその場で交通整理をしてくれる。いやはや、大変なものだ。どんな仕事でも工夫の余地は無限にあるものだとほとほと感心した。12時から坂井町で出陣式。夜6時から丸岡町で出陣式。日に日に熱気を帯びてくるのが不思議だ。

 

3月28日(金)

出陣式ラッシュの日。朝8時、鯖江市で出陣式。お昼の12時、武生市で出陣式。午後4時、南条町で出陣式。夕方6時、大野市で出陣式。夜7時半、勝山市で出陣式。鯖江市の出陣式を終えてから自転車で回りだしたら、反応がすごく良い。これだと思って、武生市からチャリンコ部隊を結成。チャリンコ戦術は現場での偶然から生まれた。武生市の出陣式が終わってから、約30台のチャリンコ部隊と市内を走り回っていたら、武生市内の商店街を歩いている西川候補とぶつかった。まわりの陣営幹部が渋い顔で携帯電話をかけていた。ところで、この日、愛車ハリアーの走行距離がついに10万キロを超えた。5年前に福井に戻ってきたときに、雨が降っても雪が降っても福井県中どこでも飛んで行けるようにと選挙のために買った車だ。10万キロ走るのが一つのめどだと思っていたが、告示日の翌日、超えたのは幸先が良いと思いたい。

 

3月27日(木)

いよいよ告示日。さわやかな快晴。12時から小浜市で出陣式を行った。南進北攻という古来からの戦略を採用したものだが、同時に嶺南重視の姿勢も示す狙いがある。小浜市で知事候補者による出陣式が行われたのは史上初めてのことらしい。小浜市での出順式を皮切りに、3日かけて県内11箇所で出陣式リレーをすることにした。小浜市の出陣式には、県内全域から160名のボランティアスタッフが集まった。出陣式の後、チャリンコ部隊と共に小浜市内に繰り出した。続いて、敦賀市と今立町で出陣式。


3月26日(水)

告示日の前日。前日くらいゆっくりしようということで、一日すっかり空けておいてもらったのだが、公約の最終的な詰めやマニフェストの財源部分の記者発表などで、結局、慌しく一日を過ごした。いよいよ、明日から選挙戦かと思うと感慨深いものがある。4年前の落選から長いようであっという間に過ぎたような気がする。この間、支持者の皆様には、陰になり日向になり、様々な形で支えていただいた。ここまで来られたのは、皆様のお蔭と、身にしみて感じております。本当に有難うございます。今回、負けたらご支持していただいた皆様に本当に申し訳ない。いや、82万福井県民の方に申し訳ない。これから生まれてくる福井県民の方に申し訳ない。私には今回、かつ責任がある。一人でも多くの方に伝える責任がある、と感じています。残された時間、一分一秒も無駄にせずに、全身全霊で戦っていきます。明日から福井県中を走り回りますが、僕の姿を見かけたら気軽に声をかけてください。ところで、明日から公職選挙法により、このホームページが更新できなくなる。世の中が変っているのに、世の中の仕組みが変っていない最たるものだが、規則は規則。守らざるを得ない。というわけで、「ブンブン日記」は継続しますが、4月14日までアップできません。4月14日に、17日間のエキサイティングなドラマの模様をご報告します。それまで、皆さん、ごきげんよう。

 

3月25日(火)

告示日まであと2日。時間がどんどんなくなってくる。スタッフとの打ち合わせやマスコミ各社からのアンケートの回答などに追われて、最近はずっと睡眠時間が4時間ほどしか取れていない。お蔭で4年ぶりに体重が73キロ台まで落ちた。ところで、マニフェストを記者発表した際、財源について「県の財政当局と話ができず、現状把握が困難で難航中」と語ったのが記事にされて、意外な波紋を呼んだ。県の財政課が「聞きに来てもいないじゃないか」と言っているというのを記者の方から聞いて、早速、事務所の人に行ってもらったら、「中長期財政計画」や過去5年分の予算案説明資料などの資料をくれた。夜、福井市森田地区での最後の「ぶんどう塾」を終えてから、深夜までかかってマニフェストの財源部分を仕上げた。また、「全国で3番目に高い県職員給与」の根拠は何かとの問い合わせが寄せられているが、地方公務員の給与水準を示すラスパイレス指数に基づくものである。都道府県のラスパイレス指数(一般行政職、平成13年4月1日現在)の順位は、1位静岡県、2位群馬県、3位福井県となっている。

 

3月24日(月)

午後12時半からNHK取材。原子力政策や新幹線問題について42秒〜45秒で話して欲しいという。1秒少なくても、1秒多くても駄目とNGが出て、何度も取り直した。こんな制約の中で働いているNHKのアナウンサーは本当に偉い。その後、NHKで政見放送の録画取り。続いて、FBCで政見放送の録画取り。政見放送の録画取りが終わってほっとするのもつかの間、夜7時から県民会館で知事選立候補予定者3人による公開討論会。これまで3人で行った討論会の中では、もっとも討論らしい討論になった。ただし、惜しむらくはテレビが入っていない。この模様がテレビで放送されたら、選挙に対する関心はもっと高まるだろう。

 

3月23日(日)

春らしい陽気の中で、合計3つの「ぶんどう塾」をこなした。まず、午前10時から三国町で「ぶんどう塾」。続いて、午後3時から武生市の事務所で「ぶんどう塾」。50名近い人がお見えになっていたが、チラシだけで集まってきたというから驚きだ。そして、夜7時から福井市の社地区で三つ目の「ぶんどう塾」。支持者の皆さんもだんだん熱気を帯びてきた。気がつけば、告示日まで4日。投票日まで3週間。時間がたつスピードが突然加速してきたような気がする。飛び去る時間に惑わされずに、「いま、ここ」に全力集中する。

 

3月22日(土)

朝7時、福井市の中央卸売市場。2回目ということもあって、大歓迎された。午後1時から、大野市の事務所で「ぶんどう塾」を行ってから、大野市各地で街頭演説。勝山市の新しい事務所に立ち寄ってから、夜、松岡町での後援会発足式に出席する。時間がいよいよなくなってきた。マスコミ各社のアンケートや取材も集中してきており、移動の車の中でしか回答を考える時間がない。試験前の切羽詰った状況に似ている。もっと時間に余裕のあるときにあれもしておけば良かった、これもしておけば良かったと後悔しても、後の祭り。時間は公平なので、時間管理の勝負になる。

 

3月21日(金)

朝9時半、今立町での事務所開きに続いて、今立町の市野々で「女性ぶんどう塾」。午後、池田町の誠徳寺のお彼岸の集まりでご挨拶させていただいた。4時から県庁の県政記者クラブでマニフェストを記者発表する。公約についての細かい質問が数多く出た。夜、坂井町で「ぶんどう塾」。坂井町の東長田地区で17年の長きにわたって福井空港拡張計画の反対運動を展開されていた長谷川さんが、「これまで福井県は東京の方ばっかり向いて、県民の方を向いていなかった」と仰っていたが、一同、その通りだと深く共感した。

 

3月20日(木)

午前中、なかなか日程の調整がつかずに行けなかった三方町に出かける。さて、帰ろうとしたら、敦賀から今庄区間の北陸高速道が不通だという。仕様がなく8号線に回ったら、大変な渋滞で敦賀から武生まで3時間半かかった。このため、3時から県庁の県政記者クラブで行う予定だったマニフェスト発表ができなくなってしまった。記者の皆さん、申し訳ありませんでした。夜、春江町で「ぶんどう塾」を開いてから、片町のホリーズで若者たちが企画したハニービーズナイトに出席。若者たちに人気のあるディスクジョッキーを2人招いてのイベント。こうしたイベントが盛り上がるのは通常夜11時を過ぎてからだそうで、深夜になってからステージに上がってディスクジョッキーとトークを交わした。ところで、この日、米英によるイラク攻撃が始まった。今回のアメリカ主導によるイラクへの武力攻撃については反対である。はじめから「武力行使ありき」の結論があったようで、納得できない。国連安保理を武力行使の正当化のための手段として使おうとしている態度が見え見えであった。こうした米国の独善主義的な行動は、国際社会の反発を招き、結果的に国際社会の安定を損なうことになると思われる。

 

3月19日(水)

午後3時から、福井テレビで政見放送の録画取りがあった。政見放送は本番一発勝負で取り直し駄目という厳しいものなので結構、緊張する。西川さんも山川さんもすでに収録済みということで僕が最後だった。百点満点とはいかないが、大きな言い間違いもなく無事にすんでほっとした。夕方6時半から、福井県経営品質賞の知事賞を取られた福井キャノンの玉木洋社長の祝賀会があったので、冒頭少しだけ出席。4年前に玉木社長から勧められて、僕自身、経営品質賞を勉強して認定セルフアセッサーという資格を取得した。最近では、三重県や高知県が経営品質賞の考え方を取り入れて、行政経営品質の向上に取り組んでいる。福井県庁も抜本的な行政システムの改革に取り組む時期だ。夜7時から本部事務所で大東地区の「ぶんどう塾」。産業の活性化策についてホットな議論になった。

 

3月18日(火)

夜、敦賀市で「ぶんどう塾」。支持者の皆さんの熱心な働きかけのお蔭で80名近くの方にお集まりいただいた。敦賀市にはどうしても入り込めないと思っていたが、最近、急速に支持基盤が拡大している感じだ。福井市の本部事務所に戻ったら、まだ、執行部会議中だった。告示日が近づいているので、決めることも増えている。まだ、出来ていないことばかり目につく時期だが、焦りは禁物。一つひとつ、具体的に課題をクリアしていくしかない。

 

3月17日(月)

15日になくなられた大野市の松井巽後援会長の葬儀に出席。享年77歳ということなので一昨年亡くなった父と同い年だ。ご長男は48歳で私と同い年。年恰好から言っても、松井会長はまさしく父親のような存在だった。15歳で満州鉄道の車掌になられたということを聞いたが、そんなお話も直接お伺いしたかった。何とも残念である。ところで、米、英、スペインが安保理決議案を取り下げたようだ。ブッシュ大統領がイラクに「フセイン政権が退陣しない限り、攻撃する」という最後通牒を突きつけたと聞いて、ハルノートを思い出した。ハルノートというのは、第二次大戦直前にアメリカのハル国務長官が日本に突きつけた最後通牒だ。当時の日本政府には到底呑めない無理難題が列挙されていた。アメリカの独善主義はいつになっても変らないという印象だ。アメリカのイラク攻撃が始まれば、アメリカの株価は下がるだろうし、連動して日本の株価も下がるだろう。そうなると、いよいよ金融破綻の恐れが出てくる。経済の舵取りも難しくなるが、同時に政治の舵取りも難しくなる。間違いなく、今年は激動の年になる。

 

3月16日(日)

午後、宮崎村で「ぶんどう塾」。「ここに来ると、明日から村八分にされる」と周りの目を気にしながら、多くの方に来ていただいた。何とか自由にものが言える福井県にしたいものだ。大野市に向かって、松井会長のお通夜に出席。勝山市の事務所に立ち寄ってから、永平寺町の「ぶんどう塾」に向かう。次々と突っ込んだ質問が出てくるので驚いた。政治に関心がないわけではない。馬鹿馬鹿しくて、これまで本気で政治に関わる気がしなかったというのが本音のような気がする。「ぶんどう塾」が終わった後、皆さんと金龍で食事。

 

3月15日(土)

大野市の松井巽後援会長がなくなられた。つい先日まで精力的にご案内していた だいていたのに信じられない思いだ。最後まで僕のことを気にされていたとい う。松井会長のご恩に報いるためにも、この選挙、絶対負けられない。午後の鯖 江市横江地区での「ぶんどう塾」に続いて、夕方から武生市の事務所前で街頭演 説。今立町で開かれていた会合でご挨拶させていただいてから福井市の鮎川に向 かい、夜7時から「ぶんどう塾」。

 

3月14日(金)

朝、鯖江市8号線沿いのハニー前で街頭演説。陽気がだんだん春めいてきて、街頭演説も随分やりやすくなった。金津町、三国町、池田町を回ってから、夕方、またもや、鯖江市のアル・プラザ前で街頭演説。車の中から手を振ってくれる人が日に日に増えているのは気のせいか。夜、金津町で「ぶんどう塾」。「じっくり、あんたの話を聞くと納得することばかりだが、このやり方では間に合わないのではないか」と聞かれたので、「金津町の吉崎御坊にいらした蓮如上人は、講と呼ばれるミニ集会と御文章と呼ばれるパンフレットで布教に成功したと聞いている」と答えると、皆さん納得された。蓮如上人の例を持ち出すのは僭越かも知れないが、遠回りのようでも口コミが最も効果的ではないか。

 

3月13日(木)

夜、福井市足羽地区の西光寺で「ぶんどう塾」。家がお寺ということもあって、お寺に来るとホッとする。地元の人たちの熱心な働きかけのお蔭で80名以上の方にお集まりいただいた。西光寺は柴田勝家とお市の方の菩提寺だそうで、「ぶんどう塾」が終わってから、奥様に柴田勝家の馬印など勝家とお市の方のゆかりの品物を見せてもらった。福井県にも素晴らしい歴史があるのに、あまり知られていないのは残念なことだ。郷土の歴史を子供たちに教えるなど、やるべきことは山ほどある。

 

3月12日(水)

朝から一日がかりでポスター撮影。ヘアー・メイク、カメラマン、デザイナー、 プロデューサーなどいろんな業種の人たちと、あれやこれや議論しながら仕事をするのは楽しい。僕はモデル役をつとめるわけだが、まわりから注文される「いい表情」を作るのはなかなか難しい。モデルさんの仕事も大変だと実感した。夜、今庄町で「ぶんどう塾」。地元の南条町の隣町でご縁が深いこともあって、予想以上に多くの方にお集まりいただいた。雰囲気もほとんど地元と変わらない温かいもので有難かった。帰り道に南条町の事務所に寄ったら、10名近くの人が集まっていた。毎週水曜日の定例会のためらしい。各地で自発的な動きが出てきたのはとても心強い。

 

3月11日(火)

午前中、県庁記者クラブで候補者のプロフィールについてのインタビューがあった。候補者の人柄を知るために行われる恒例のもので、「趣味は何か」とか、「好きな俳優は誰だ」とか色々聞かれた。夜、福井市の棗地区で「ぶんどう塾」。この地区ではいま魚あらリサイクル施設の建設問題が大きな問題となっている。棗地区の皆さんの話によると、昨年になって、突然、降って湧いたような話で、到底、納得できないということだった。県側は今年度中に着工しないと、国からもらった補助金を返さなければならなくなると言っているようだが、ごり押しすると福井空港の二の舞になりかねない。一度、白紙に戻して、仕切り直す必要があるのではないか。ところで、この日は僕の48歳の誕生日。福井市の本部事務所に戻ったら、執行部会の後、全員でハッピーバースデイを歌って祝ってくれた。思いがけず、プレゼントももらって嬉しい夜になった。

 

3月10日(月)

若狭巡業を終えて、福井市に戻る。超過密日程で少々疲れたので、一日ゆっくり過ごす。

 

3月9日(日)

昨夜、熟睡できたお蔭でようやく風邪が治った。午前10時、高浜町で「ぶんどう塾」。ちょうど同じ時間に福井市内の事務所開きがあったので、携帯電話から事務所内の会議用に電話につないでご挨拶させていただいた。高浜町の皆さんに大声で「こんにちは!」と言ってもらうと、福井市内の事務所からも「こんにちは!」という声が返ってきた。午後、小浜市内の加斗地区での「ぶんどう塾」を終えてから、この日開通したばかりの舞鶴若狭自動車(小浜西―舞鶴東間24.5キロ)を走って舞鶴市を訪れてみた。舞鶴市は軍港として栄えたところだが、終戦直後は大陸からの大量の引揚者を受け入れた場所としても知られている。来る日も来る日も帰らぬ息子を岸壁で待っていた「岸壁の母」は舞鶴港での実話に基づいたものだという。満州から引き揚げてきた母も舞鶴に着いたのかと携帯電話で母に聞いたら、「お母さんは博多」と言っていた。夜6時、8時と、大飯町で続けて2つの「ぶんどう塾」を開いた。若狭地区で最後となる夜8時からの「ぶんどう塾」には60名以上の方にお集まりいただいた。冒頭、「拉致被害者を救う会」の池田欣一会長に感動的な応援演説をいただいた。原発立地地域であるにもかかわら ず、漸進的な脱原発路線への転換を訴える僕の話に真剣に耳を傾けてくれた。若狭の人たちの心に僕の声が届き出した。

 

3月8日(土)

PHS電話の電波が弱く、昨日から「ブンブン日記」を送れない。「田園知識圏」をつくるためには、いつでもどこでもインターネットできる快適な情報・通信環境を整備することが必要と痛感する。午前、小浜市奥田縄(おくだの)地区で「ぶんどう塾」。午後、名田庄村で「ぶんどう塾」。夜、上中町で「ぶんどう塾」。昨日と比べると、少し余裕のあるスケジュールでゆっくりできた。ひきかけていた風邪もおさまってきた。

 

3月7日(金)

午前中、勝山市を回って、午後から小浜市に向かう。午後2時半、小浜市遠敷地区で「ぶんどう塾」。58名の方にお集まりいただいた。続いて、小浜市内のスナック「ドール」で若い女性を集めての「ぶんどう塾」。18名。フクセンの嶋口茂和社長のご自宅で夕食を取りながら「ぶんどう塾」。11名。さらに、クレヨン設計で「ぶんどう塾」。18名。合計4つの「ぶんどう塾」(合計105名)をこなす超ハードなスケジュール。わざわざ、福井市から女性の会「れいら」の出水裕子会長が出向いてくれて、小河事務局長のお宅で深夜まで談笑した。

 

3月6日(木)

月刊「ウララ」の取材を受ける。福井県を売り出すCMを作るとしたら、そのキャッチコピーは何にするかとか、起用するイメージ・キャラクターは誰にするかとか、若者向けの情報誌らしい質問ばかりでこちらも楽しかった。夜、福井市の神明地区の「ぶんどう塾」。驚いたことに200名以上の方がお集まりになった。声かけしてくださった神明地区の皆さん、有難うございました。風邪のひきかけの悪い予感がするので、自宅に戻って休む。最近、僕の体調を気遣ってもらって、支持者の皆さんから様々な健康食品をいただいている。「時間のあるときに立ち寄ってください」と鍼灸マッサージの方からもメールをいただいている。皆さん、本当に有難うございます。ご厚意に感謝しながら、あと38日、全力疾走します。

 

3月5日(水)

福井新聞社で知事選候補予定者による座談会が開かれた。福井テレビ(2回)、朝日新聞に続いて4回目。質問もほぼ同じだし、顔ぶれも同じなので、誰が何を言うか、大体分かるようになった。夕方5時、福井市のショッピングセンター・コパの前で街頭演説。車の中から手を振ってくれる人が随分増えてきた。

 

3月4日(火)

夜、越前町で「ぶんどう塾」を開く。思いがけず30名以上の方がお見えになったので驚いた。質疑応答の中で、越前町の過疎化の深刻さを訴えられた。「武生市や鯖江市にもっと早く行ける道路を作って欲しい」という声が上がる一方で、「いや、道路よりも越前海岸をもっと魅力的にすることの方が大事だ。護岸工事をやり過ぎて、海も夕陽も見えない現在の越前海岸は何の魅力もない」という声も出された。どの地域も難しい問題を抱えているが、過疎化に悩む「浜」の問題も深刻である。皆で知恵を出し合い、力を合わせていかなければならない。

 

3月3日(月)

夜、上志比村で「ぶんどう塾」。予想を上回り、30名以上の方にお集まりいただいた。最近、昼食、夕食にありつけないことが多く、「ぶんどう塾」が終わってから、スタッフと一緒にラーメンを食べに行った。9時以後、飲み食いするのは太る原因だと言われているのに、すべての日程が終わるのは夜が更けてからになるのでつい食べてしまう。こうした不規則な生活がたたって、一度、痩せたものの、また、体重が増えてきた。あと41日、体調管理と共に体重管理も必要だ。

 

3月2日(日)

午前9時、春江町で開かれた坂井郡六町の囲碁大会でご挨拶させていただいた。高校生の参加者が男性と女性それぞれ1名ずついて、2人とも五段の腕前だというのには驚いた。大会が始まる前の高校生同士の囲碁をしばらく見ていたら、見たことのない布石を打つので、「最近はこんな布石があるの?」と声をかけたら、「江戸時代にも打たれた布石ですが、最近は若手棋士の間でも使われています」という流暢な答え。新しい世代がすくすく育っていることを頼もしく感じた。午前11時、敦賀市の事務所開き。手作りの牛丼がおいしかった。午後2時、武生市の事務所開き。こちらはぜんざいが出た。どこに行っても手作りのボランティア選挙が根付いている。各地に拠点が次々とできて、皆の士気が上がってきた。

 

3月1日(土)

午後1時、丸岡町で事務所開き。約90名の方がお集まりになった。丸岡町は地区の後援会長のリーダーシップの下に急速に強くなっている感じだ。夕方、国際交流会館で藤島高校同窓生が組織する「藤高会」の発足式が開かれた。高校の同級生や同窓生は、同じ釜の飯を食った頼りがいのある仲間だ。とても有難い。夜8時から、丸岡町の支持者のおひとりが声をかけてくれた仲間向けに「ぶんどう塾」が開かれた。予想以上に多くの、しかも老若男女の方にお集まりいただいた。人と人とのご縁をつないでいく草の根ボランティア選挙の裾野が広がりつつある。

 
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