ブンブン日記 2003年 2月

2月28日(金)

体調を崩されて入院されていた大野市の松井巽後援会長が良くなられたというので、済世会病院にお見舞いに行った。ご長男の松井郁夫さんによれば、ずっと僕のことを気にされていて、細かな助言をされていたという。ところで、松井郁夫さんは、民家の再製を手がけたり、歴史と伝統を生かした街づくりを進めることで全国的にも有名な建築家だそうだ。ご縁というものは、どこでどうつながるか分からない。夜、芦原町で二つの会合でご挨拶させていただいた。 外に出て見上げると星の綺麗な夜だった。

 

2月27日(木)

朝6時半、福井市の中央卸売市場に出かけた。見学したいと事務所からも5名のスタッフが同行した。魚市場と野菜市場の両方を回ったが、どこに行っても歓迎された。市場の中に食堂街のようなものがあって、回っていたらロシア人だらけの食堂にぶつかった。どういうことかと戸惑っていたら、いきなり、「高木ぶんどうさんですね。応援していますよ」と流暢な日本語で声をかけられて、さらに驚いた。隣のお店の人の話では、たまたま訪れた見学者のようだったが、あのロシア人はどうして僕を知っていたのだろうか。

 

2月26日(水)

午前、芦原町の美松で開かれていた福井県老人会連合会でご挨拶させていただいた。すると、出席者の一人が立ち上がって、「県老連は西川前副知事を推薦しているのに、なぜ、ここに来た」と抗議されたので、「大野市の松井巽老人会会長のご紹介で伺った。すべての県民が何らかの業界に属しているが、県民一人ひとりが自分の中の『業界の常識』よりも『市民の常識』を優先させないと、民主主義は機能しないのではないか」と答えると、一斉に会場から大拍手。司会者も、「いまのご質問で大いに盛り上がりました」と合いの手を入れてくれた。夜、福井市の六条地区で出前「ぶんどう塾」。初めて入る地域だが、約40名の方にお集まりいただいた。ここ数日、「ぶんどう塾」が熱気を帯びてきたように感じるが、単なる思い過ごしであろうか。

 

2月25日(火)

朝、美浜町の銀水を出て、小浜市に向かう。9時から、若狭地区の事務所開き。小浜駅のすぐ近くという立地の良さもさることながら、思わず入ってみたくなるような楽しい雰囲気がかもし出されている。若狭地区の皆さん、有難うございます。小浜市内を回ってから、今度は敦賀市に向かう。敦賀市の事務所を見て、これまた驚いた。気比神宮近くの目抜き通りの交差点に、「本気で改革。変わらなきゃ福井県」というオレンジ色の看板がでかでかと張り出されている。商工会議所の真向かいということもあって、「商工会議所に喧嘩を売っているのか」と言われているそうだ。夜、本町会館で出前「ぶんどう塾」。60名以上の方がお見えになった。7つの市の中で一番出遅れていた敦賀市だが、ここに来て急速に支持が拡大しているのを肌で感じる。

 

2月24日(月)

午前11時、ワシントンホテルで朝日新聞による知事選候補者座談会があった。座談会と言っても、同じ質問に対して次々に答えていくだけなので、候補者同士の議論にはならない。選挙ということになると、公平性とか中立性という観点から、テレビにしても新聞にしても、どうしても限界があるものらしい。夜、美浜町の「どんぐり倶楽部」で出前「ぶんどう塾」を開く。美浜町長選挙の翌日というのに、30名ほどの方にお集まりいただいた。原発依存体質の町のあり方に疑問を感じている町民の方が半分近くいることを知って、「やはり、そうだったか」と心強く感じた。

 

2月23日(日)

夜、河野村で出前「ぶんどう塾」を開く。河野村に着いた途端、サイレンが鳴って、「火災発生。消防団員は緊急出動してください」というアナウンスがあった。すると、一斉に村のあちこちでざわめきが起きて、サイレンを鳴らした消防車が通り過ぎていった。浜の村らしい出来事だった。河野村の人は南条町の人に似て、何となくおっとりとした感じだった。昔から北前舟の寄港地として栄えたところから来る気質らしい。考えてみると、河野村は海から嶺北の内陸地域に荷を運ぶ最短ルートに位置している。同じ越前海岸でも越廼村、越前町、河野村とそれぞれ個性が違っているところが面白い。

 

2月22日(土)

午後2時より、「高木ぶんどうを囲むヤムチャ年賀会」を大野市有終会館で開く。約230名の方にお集まりいただいた。支持者の女性たちが一週間以上も前から手作りの料理を準備してくださったお蔭で、「のっぺい汁」や「里芋の田楽」などの郷土料理がずらりと並んだ。今年10ヵ所目で最後の年賀会ということで、県下全域から数十名のボランティアスタッフが集まって、年賀会が終わった後は、皆で勝山市の左義長祭りに繰り出した。そして、夜7時半から、福井市内の事務所で年賀会の打ち上げを行う。大阪から藪ちゃんも駆けつけてくれ、各地域の代表たちが次々に椅子の上に上がって決意表明を行って、最高に盛り上がった。

 

2月21日(金)

朝、福井市産業会館前で街頭演説。その後、福井市内の企業回りをする。夜、会合が3つも重なって、嬉しい悲鳴を上げる。外に出る機会がどんどん増える一方で、様々な団体からアンケートが寄せられるようになってきたが、じっくり回答を考える時間がなかなか取れない。メールに返信する時間も欲しいし、体がいくつあっても足りない状況になってきた。他の方はどうされているのだろうか。

 

2月20日(木)

朝、福井市の中央市場前で街頭演説。予想外に多くの人が車の中から手を振ってくれた。午前、午後と坂井郡を中心に回る。夜、丸岡町の竹田地区で、「竹田の厚揚げ」で有名な谷口屋さんの二階を借りて出前「ぶんどう塾」を開く。竹田地区には林業に携わっている方が多く、林業に関する話題に質問が集中した。ところで、今日も朝から共同通信の記者さんによる追っ駆け取材があった。いつも、なぜか、猛烈に忙しい日に当たってしまってお気の毒なのだが、面白がって取材していただいているので有難い。

 

2月19日(水)

午前、「朝市のおんちゃん」こと福田敏雄さん、午後、前田裕一さんのご案内で大野市を回る。夜、福井市内の事務所で「ぶんどう塾」を開く。若い女性が数名来てくれたことは、ぶんどう塾では珍しい光景だった。続いて、若者たちと「若者ぶんどう塾」の打ち合わせをする。いま一番悩んでいることは何かを一人ひとりに語ってもらったら、「新しい仕事を始めたけど、どうすればお客さんに満足していただけるか悩んでいる」とか「親の仕事を手伝っているが、努力がそのままお客さんの増加につながらず悩んでいる」とか、予想以上に人生や仕事に真剣に取り組んでいるので驚くと同時に嬉しくてさわやかな気持ちになった。「近頃の若者たちは何を考えているのか分からない」という危惧は杞憂だった。新しい日本を担う世代がしっかり育っている。若者たちを信じていこうと思いを新たにした。

 

2月18日(火)

金津町、坂井町を回る。夜、芦原町の藤野厳九郎記念館で芦原・金津・三国町の出前「ぶんどう塾」を開く。藤野厳九郎先生は、魯迅が東北大学で留学生として医学を勉強しているときに、自分の授業の理解に苦しんでいる魯迅を見かねて、毎回、魯迅のノートを添削・修正されていたという方だ。魯迅はこの恩を終生忘れず、藤野先生に対する敬愛の念を「藤野先生」という作品に残すのである。「藤野先生」という作品については知っていたが、その藤野先生が芦原町のご出身であることは、つい最近になるまで知らなかった。福井県が藤野先生のような素晴らしい人物を生んだのは誇りである。そんな昂揚した思いで、お集まりいただいた60名の方に福井県の将来について語りかけた。

■「福井をコラむ」で清水さんが「福井のための魯迅のすすめ」を書いてくださっています。

 

2月17日(月)

朝、前夜回り切れなかった大野市議選当選者のお宅に伺う。挨拶回りでいらっしゃらないかと思ったら、皆さん、夜遅くまで祝杯をあげていたらしく、ようやく起き出したところだった。天気も快晴で、当選した翌日の気分は格別のものだろう。僕も早くそういう気分を味わいたいものだ。午後から、野坂後援会長のご案内で福井市内の企業回りをする。

 

2月16日(日)

午後3時、織田町のオタイコ・ヒルズで出前「ぶんどう塾」を開く。途中、外で騒いで乱入しようとする人がいたので、後で事情を聞くと妨害しようとしたのではなく、「なぜ、自分たちの会合で挨拶してくれないのか」という少々お酒の入った方の抗議だったそうだ。夕方、鯖江市杉本町の親友会でご挨拶させていただいてから芦原町に向かい、「まつや千々」で開かれていた花柳瑞穂先生の新年会でご挨拶させていただいた。夜8時から美山町の後援会発会式に出席。その後、大野市議会議員選挙の開票を待って、当選者の事務所に当選お祝いに出かけた。織田町の「ぶんどう塾」から共同通信の記者の方が2名同行させて欲しいと追っかけてこられたが、すべての日程が終わったときには夜12時を過ぎていた。さぞ、お疲れになったことと思う。ご同行ありがとうございました。

 

2月15日(土)

福井市、武生市、鯖江市を回る。夜、福井市の清水元茂さんの「そば会」に出席したら、20〜30代の若者ばかりで驚いた。40代後半になって、「どんなに頑張っても自分たちの世代にできることには限界がある。若い世代に託すしかない」と思うようになってきた。若い世代に積極的に関わって、政治や社会についての彼らの関心を高めるのも我々の責任なのかも知れない。

 

2月14日(金)

越廼村を出て、丸岡町、三国町を回って、福井市に戻る。夜、平安閣で敬愛会(山下清会長)主催の「知事候補者と語る会」に出席。3人の候補者全ての話を順番に聞いていくとのことで、僕がトップバッターだった。来週は共産党の山川さんだそうだ。約40名の方が参加されて、2時間みっちり質疑応答した。その後、久しぶりに福井市高木町にあるバー「Ryu's」に顔を出す。オーナーの榎さんはドラムもキーボードもこなすミュージシャンだ。お店に来ていた若いカップルと話していたら、インターネットのサイトで知り合って近く結婚するのだという。我々の知らないところで、世の中はどんどん変わっている。

 

2月13日(木)

午前中、読売新聞、FBCテレビの取材を受ける。午後、新たに支持者になっていただいた武生市の方にご挨拶に伺ってから、越廼村に向かう。越廼村役場を訪れて刀禰村長と千本議長にご挨拶したら、お二人が村の事情を詳しく説明してくださった。夜、越廼村住民センターで初めての試みである「泊り込みおらが村ぶんどう塾」を開く。ほとんど飛び込みで開いたようなものだが、約25名の方にお集まりいただいた。質問も多く出て、盛り上がりのある「ぶんどう塾」になった。冒頭、「今日、越廼村で泊まるつもりで来ましたが、まだ、泊まるところがないんです」と言ったら、上山政章さんが「うちに泊まれ」と、ご自分の経営されている旅館「海」に案内してくださった。上山さんのお宅で夜遅くまで話しこんだ後、日本海の波の音を聞きながら床に就いた。

 

2月12日(水)

野坂後援会長のご案内で福井市内の企業を回る。夜、リライムで若者たちとの「ぶんどう塾」を開く。自分一人の楽しみを追求するだけでなく、少しでもいいから自分の時間やエネルギーを他人のために使って欲しいと語りかけた。1人でも多くに伝わってくれたことを願う。若者たちへのアプローチはどうするのがベストなのか試行錯誤しながらではあるが、物分りのいいおじさんはあまり演じたくない。いつの時代でも若者たちに必要なのは、乗り越えるべき価値を体現した頑固親父ではないのか。若者たちと話しながら、とうとう自分も頑固親父を演じなければいけない年代になったのかという感慨に駆られた。

 

2月11日(火)

大野市の松井巽(たつみ)後援会長のご案内で大野市と和泉村を回る。大野市は 市議会議員選挙の真っ最中で選挙カーが所狭しと走り回っている。選挙カーを見かけると同種相憐れむの心境で「頑張ってください」とつい手を振ってしまう。飛び込みで何ヶ所かの選挙事務所にご挨拶に伺ったが、どこでも大歓迎された。山崎参院議員が出馬を断念したせいなのだろうか。夜、案内されるがままに公民館を訪れたら、何と30名の方がお待ちになっていた。じっくり話を聞きたいというので、急遽、「ぶんどう塾」を開くことになった。その後、人を集めてくださった方のご自宅で大野の郷土料理をご馳走になった。実に充実した大野の一日 だった。

 

2月10日(月)

朝9時から日刊県民福井の取材を受ける。予定の30分を大幅にオーバーして約1時間半に及んだ。これからマスコミによる取材が増えてくるが、有難いことだと感謝している。その後、東谷昭一さんのご案内で福井市を中心に回る。

 

2月9日(日)

朝、勝山市鹿谷地区の「雪祭り」に参加してから、芦原町のグランディア芳泉で開かれた「高木ぶんどうを囲む年賀会」に出席。約500名の方にご出席いただいた。今年に入って開いた年賀会はこれで9ヶ所。ご出席いただいた方は合計で5000名を超えた。年賀会を終えると、その地域が目に見えて強くなるのが分かる。また、県内各地から集まってくるボランティアの皆さんの結束も回を追うごとに強まっている。午後4時から、芦原町の居酒屋「ハハ」で坂井郡の実行委員会の皆さんの打ち上げに参加。その後、池田町に出かけて、夜7時から出前「ぶんどう塾」を開く。池田町は父が武生高校池田分校の新任教師として青春時代を過ごした場所だ。柔道部を創設して県大会優勝に導いた話を父の生前、何度も聞かされた。集まられた40名の方の中には父の教え子の方もいて、何だか父に見守られているような気がした。

 

2月8日(土)

丸岡町の竹田地区を回る。丸岡町でも石川県境に近い山奥の集落である。以前は林業で栄えたとのことで、昔ながらの立派な民家をいくつも見かけた。車の通りが少ないためか、犬が堂々と道路に寝そべっている。しかも、次々と三匹も寝ていたのには驚いた。午後3時から、常山酒造で行われた新酒「黎明」の「初絞りの儀」に出席した。「黎明」は美山町の有志が酒米の田植えから始めて一年がかりで造り上げた美山町の初めての地酒である。こうしたユニークな地域おこしの取り組みが行われている一方で、福井市との合併が着々と進められている。市町村合併の流れの中で、地域の個性を埋没させない工夫が必要だと感じさせられた。夜、鯖江市の現代美術館で出前「ぶんどう塾」。文化意識の高い方が集まったこともあって、活発な意見交換が行われた。

 

2月7日(金)

山下健治さんと高岡秀樹さんのご案内で丸岡町を回る。お二人とも「ブンブン日記」を毎日読まれているとのことで、何でも知っているのには驚いた。後援会の事務所もすでに立ち上がっており(8号線沿いの元喫茶店「ローラン」)、丸岡町の支持者の皆さんのご努力に頭が下がった。夜、鯖江市の新横江地区の区長会で挨拶をさせていただいた後、自宅に戻り頼まれていた原稿を書く。TVでは「バック・トゥー・ザ・フューチャー・パート3」が流れていたが、そう言えば、マイケル・J・フォックスはあのシリーズ以来あまり見かけない。どうなってしまったんだろうか。

 

2月6日(木)

午前中、野坂後援会長のご案内で福井市内の企業を回る。午後、齋藤嘉積さんのご案内で三国町を回った後、橋本達也さんのご案内で芦原町、金津町を回る。夕方、芦原町のビッグマート前で街頭演説。夜、三国町で大野市の支持者にご紹介いただいた方と夕食。三国町の田中恭子さんに同席してもらったら、お互い旧知の間柄で大いに盛り上がった。

 

2月5日(水)

笠松茂さんのご案内で春江町を回る。情勢が変わったせいか、町の雰囲気はかなり変わっている。笠松さんの話でも、知名度が上がって随分回りやすくなったということだった。夜、福井市宝永地区で出前「ぶんどう塾」を開く。これで3日連続の「ぶんどう塾」。ペースがどんどん上がりだした。車で回っているときも、秘書の携帯にひっきりなしに電話がかかってくる。まわりの方がいつも気遣ってくださることだが、これからいよいよ体調管理が大切になってくる。

 

2月4日(火)

米野実さん、山本克彦さんのご案内で南条町、今庄町を回る。高校時代の同級生が嫁いでいる今庄町の堀口酒造に立ち寄る。「いまでも文学少女?」と聞いたら、「いまは、文学おばさんよ」とのことだった。夜、福井市木田地区で出前「ぶんどう塾」を開く。木田地区は比較的弱い地域だが、地区の支持者に精力的に働きかけていただいたお蔭で40名近くの方がお見えになった。その後、事務所で開かれていた執行部会議に駆けつける。

 

2月3日(月)

夕方6時、武生市の国分寺で豆まき。かみしも姿で豆まきをするのは生まれて始めての経験で楽しかった。豆だけでなく、お餅やお菓子をばら撒く。子供たちに向かって投げるのだが、手を伸ばして全部取ってしまう心ない大人がいて困った。夜7時半から東武外科内科クリニックで出前「ぶんどう塾」。いつもと違って、参加者がそれぞれ政治や街づくりについての思いを語り、後で僕がコメントするという形式だった。即興で思いついたことを話したが、終わってから「いつもより良かった」と喜んでいただけた。こういう形でどれだけ浸透するのか不安なところもあるが、僕の考え方をきちんと判ってもらうにはこの方法が一番だ。

 

2月2日(日)

午前11時より鯖江市響陽会館で「高木ぶんどうを囲む年賀会」を開く。当初お客様は800名の予定だったが、僕が話すときにはあの広い響陽会館がすし詰め状態で1000名は超えていたのではないか。昨年の鯖江市の年賀会もそうだったが、福岡武幸さんが率いる鯖江市の皆さんの企画力はすごい。歌あり、踊りありの盛り沢山のプログラムでほとんどの方が閉会まで残られて楽しまれた。裏方でご婦人方が奮闘して料理された豚汁も大好評だった。また、僕の義理の姉が(演歌歌手:畠山みどり)東京から駆けつけてくれた。会場の度重なるアンコールに応えて4曲も歌ってくれた。金曜日から日曜日にかけて、敦賀市、今立町、鯖江市での年賀会、また、福井テレビの収録もあってハードな3日間だったが、序盤戦の大きな山場を乗り越えた感じだ。

 

2月1日(土)

午後2時から、今立町のもくせい会館で、「高木ぶんどうを囲む年賀会」。隣の池田町からも含めて約150名の方にお集まりいただいた。今立町はとても文化のある町で、志を持った方々が多い。小さな町なのに、マルイチセーリングや井上リボンなど福井県を代表するような企業がある。遠回りのように見えても、文化こそ最大の原動力であると身をもって教えてくれる町だ。夜9時から、福井テレビで「知事選候補者討論会」の収録。福井テレビに着くなり、木下ディレクターが「第2ラウンドやるって言ったでしょ」と出迎えてくれた。イラストレーターの小林さんや大石さんが夜なべして作ってくれたフリップ(解説用のパネル)が使えるかどうか心配だったが、使うことを快諾してくれたのでホッとした。ああ言えば良かった、こう言えば良かったと思うところばかりだが、まずまずの出来ということか。

 
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