ブンブン日記 2003年 1月

1月31日(金)

夜6時半より敦賀市のプラザ万象で「高木ぶんどうを囲む年賀会」を開催。敦賀市には原電1、2号機に加えて、「ふげん」、そして、いま、焦点になっている「もんじゅ」がある。原子力政策の見直しを訴えている僕の話を一体どれだけの人が聞きに来てくれるか不安だったが、角埜修一後援会長、和田一郎副会長を始めとする支持者の献身的なご努力が実って、約270名の方がお集まりになった。「もんじゅ」問題、敦賀原電3、4号機の増設問題についての持論を正面からぶつけたが、皆さん、真剣に聞いてくださった。敦賀の人にとっては自分たちの生活に直に関わる切実な問題だけに、僕のメッセージも深く受け止めていただいたように感じた。波紋がどう広がっていくか耳をすませたい。

 

1月30日(金)

雪の中、野尻章博さんと一緒に福井市内を回る。昨日に懲りて、ゴム長靴で回った。暖かくて、とても気持ちがいい。今度は、いつまでも脱げそうになくなってきた。昨日から、スーパーボランティアこと藪ちゃんの特命全権大使として、大阪から大ちゃんが来てくれている。組織の弱点を探し出して、改善策を講じるために来てもらっているのだが、大ちゃんが携わった選挙の中で我々の後援会組織ほどスタッフが充実していて結束力が固い組織はないのだそうだ。横浜市長選挙のときのエピソードを大ちゃんが身振り手ぶりで話してくれるのを聞いて、スタッフが笑い転げている。「あとは、もう、みんなで楽しくやっていくだけですよ」というのが大ちゃんのメッセージだった。

 

1月29日(水)

この冬一番の冷え込みと大雪。吹雪の中、小林幸一マルイチ・セーリング社長のご案内で今立町を回った。完全防水という触れ込みのブーツを履いていたが、膝まで積もった雪の中を歩いているうちに、水がしみこんできて靴下がびしょ濡れになってしまった。やはり、雪の日はゴムの長靴に限ると痛感した。時宗の成願寺を訪れたら、ご住職と奥様が大歓迎してくださった。奥様は中学時代の恩師の峰山先生である。炬燵に入っておいしいお茶をいただきながら、しんしんと雪が降り積もる境内を眺めていたら、遠く子供の頃を思い出した。

 

1月28日(火)

坂井郡を回る。坂井町に開設する後援会事務所で働いてくれる朝倉さんにお会いした。三国町の辻人志さんのジョギング仲間でとてもさわやかな女性だった。夕方、ショッピングセンター・コパの前で街頭演説。夜、事務所で執行部会。山崎参院議員の知事選出馬断念を受けての対応策を話し合い、これまで通り草の根ボランティア選挙に徹していくことを確認した。執行部会が終わっても、小さな輪がいくつもできて話し込んでいる。ボルテージが上がる一方で一向に下がる気配がない。仲間がどんどん増えていくのは嬉しいことだ。

 

1月27日(月)

山崎参院議員が知事選への立候補を断念すると表明した。我々としては、これまで通り草の根ボランティア運動に徹していく。何があったのか詳しいことは分からないが、自民党の派閥争いが福井県まで持ち込まれたという話も聞く。今回の知事選挙は、こうした『業界の常識』で動く政治から『市民の常識』で動く政治に転換する大きなチャンスだ。午後になって、今度は、「もんじゅ設置許可無効」という衝撃的な名古屋高裁判決が飛び込んできた。これはシビリアンコントロール(「民主的統制」)が働いていない現在の原子力行政に司法が待ったをかけた画期的な判決で高く評価したい。国側の今後の対応が見ものだが、そもそも核燃料サイクル計画は原子力委員会の原子力長期計画に基いたもので、国会で十分に議論した決定ではなく民主的な正統性に欠けている。本来、国民の代表である国会が原子力専門家の独走をチェックすべきなのだが、原子力専門家任せにしている国会に代わって、裁判所が待ったをかけたということだ。世界の趨勢を見ても、高速増殖炉開発は技術的にも経済的にも現時点では困難であり、福井県としても国に対して核燃料サイクル計画の見直しを求めていく必要がある。

 

1月26日(日)

11時から鯖江市響陽会館で佐々木哲男県会議員の年賀会。佐々木議員は暖かい人柄で支持者から絶大な信頼を得ているが、今期限りで引退するとのことで実に残念だ。1時、鯖江市下新庄内地区で開かれた農家組合総会で挨拶をさせていただく。3時、勝山市の地場産業センタ―で「高木ぶんどうを囲む年賀会」を開催。約250名の方にお集まりいただいたが、大変な熱気だった。夜7時、芦原町で支持者の会社の年賀会。自分の年賀会を含めて年賀会ラッシュの一日だった。

 

1月25日(土)

午前中、千客万来。午後、中学校時代の同級生の林博之さんが自分の会社で挨拶できるように取り計らってくれたので、武生市まで出かける。ついでに、100満ボルトに寄って、オプティカルマウスを買う。新しいモバイル・コンピュータがこれまで使っていたマイクロソフトのオプティカルマウスをなかなか認識しないのでウィンドウズXPのせいかと思っていたが、ロジテックのオプティカルマウスに換えてみたら、とても使い勝手がいい。夜、後援会の一つである平成会の総会を事務所で開く。自宅に戻って、ビデオ「タイムマシン」を見る。過去は変えられないが、未来は変えられるという落ちだった。

 

1月24日(金)

福井市の森田地区を中心に企業を回る。森田地区に以前、ラッセル機の製造メーカーがあったために、森田地区にはニットメーカーが多いのだそうだ。夜7時半より鯖江のアルプラザで行われた「みつばち会」(後援会の若者の会)主催のボーリング大会に参加する。ボーリングをするのは20年ぶりのことだ。ストライクはおろか、スペアがなかなか決まらず、かろうじて100点を超えるという有様だった。ボーリング大会の後、「とんとん拍子」で参加した若者たちと二次会。

 

1月23日(木)

松岡町、福井市内の企業を回る。夕方、ショッピングセンター・アピタで街頭演説。夜、複数の会合で挨拶をさせていただいてから自宅に戻る。

 

1月22日(水)

福井市内の企業を回る。夕方、中小企業家同友会の賀詞交換会に出席して、県立大学の坂本光司教授による講演「勝ち組企業はここが違う」を聞く。坂本教授のお話を聞くのはこれで2度目だが、実証データに基づきながら地域産業活性化の具体的方法について熱く語る坂本教授の情熱にはいつも頭が下がる。坂本教授が提唱されているビジネススクール設置構想はぜひ進めるべきだ。夜、坂井郡連絡会議。

 

1月21日(火)

朝から勝山市を回って、夕方、新鮮館の前で街頭演説。夜、福井市に戻って、事務所で執行部会議。「高木になったら公共事業がなくなるぞ」「原発が全部ストップするぞ」「公務員給料が20%カットされるぞ」などの事実を歪曲した非難・中傷などのネガティブ・キャンペーンが各地で激化しているが、我々はどの陣営に対してもネガティブ・キャンペーンを一切やらないことを確認した。4年前は泡沫候補扱いされてネガティブ・キャンペーンの対象にもならなかったのが、今回、ネガティブ・キャンペーンの標的になるということは強敵と認められたということか。

 

1月20日(月)

福井市のビッグイベントを無事に終えて、夕方までのんびり過ごした。夜、鯖江市の後援会事務所で鯖江地区の年賀会に向けての打ち合わせを行う。各地の年賀会がいずれも目標を上回る人数が集まっているのでプレッシャーがかかっているようだ。しかし、これまでもプレッシャーがかかる状況で一歩ずつ確実に目標を達成していく中で、仲間の結束力が強まり、自信をつけてきている。鯖江地区は昨年一年間でみっちり下準備をしてきているので大丈夫だと思う。

 

1月19日(日)

長野県の田中康夫知事を迎えて開く福井市の年賀会の当日。4ヶ月ぶりというサンデープロジェクトに出演してから、その足で福井まで駆けつけてくれた。会場のフェニックス・プラザに直行しようとしたら、福井市内を見たいと言い出したので、まず、大和田のショッピングセンターに行き、次に、お堀の中の県庁を見てから、フェニックス・プラザに向かった。会場には1800人もの方がすでにお集まりだった。大聴衆の前で気を良くした田中さんは話が止まらない。「高木さんの応援に来たんだから、営業マンとしてステージから降りて皆さんにお願いに回ります」とぎりぎりの時間まで会場を回ってくれた。帰りのJRに乗り遅れるのではないかとこちらはハラハラしたが、やる時はとことんまでやる田中さんの徹底したサービス精神と行動力に長野県民が動かされたのだと一同納得した。田中旋風が福井にも吹き荒れた夜だった。

 

1月18日(土)

11時から、小浜市商工会議所で年賀会。目標の200名を上回る280名の方にご出席いただいた。これまで水面下で応援していただいていた方々が一斉に表に出てきたという感じだった。小浜市から福井市に帰る途中、敦賀市のポートンで街頭演説。夜、二つの新年会でご挨拶をさせていただいた後、翌日にせまった福井市の年賀会に備えて自宅でくつろぐ。

 

1月17日(金)

午前中、小浜市内を回ってから、午後、敦賀市に向かう。夜、鯖江市河和田のコミュニティセンターで出前「ぶんどう塾」。50人ほどお見えになると聞いていたが、何と136名の方がお見えになった。出前「ぶんどう塾」の新記録である。「ぶんどう塾」を終えてから小浜市に引き返して、小河さんのお宅に泊まる。

 

1月16日(木)

18日に予定されている年賀会に向けて小浜市に向かう。夜、小浜市の経済人と懇談会。まだまだ、地元で有力者と呼ばれる方の間には、「ぶんどうとは一体何者だ」という警戒心があるようだ。その一方で、一度会って話してみたいという関心も高まっているようなので、警戒心を解いてもらうにはこうした会合を地道に重ねていくしかない。ところで、小河さんによれば、昨年一年間で小河さんのお宅に20日以上も泊まったそうだ。耳を疑うような話だったが、日記につけているので間違いがないとのことだった。有難い話である。夜、小河さんのお宅に泊まる。

 

1月15日(水)

野坂鉄郎後援会長と松平文彦事務局長のご案内で福井市内の企業を回る。夕方、ワイプラザ前で街頭演説。夜、松岡町の有志と懇談会。ほぼ一日中、雪が降りしきっていて、松岡町に行く途中、カーブを回り切れずにたんぼに突っ込んでしまった車を何台も見かけた。

 

1月14日(火)

今年最初の全体会議。県下全域から50名以上の方が参加した。また、大阪から行動隊長の藪ちゃんこと薮原秀樹さんが駆けつけてくれ、心の力で戦おうと熱い檄を飛ばしてくれた。藪ちゃんが大阪を出る直前に突然連れてこられたという大ちゃんも、「これだけスタッフが充実している事務所は見たことがありません。来春には藪ちゃんと一緒にべたで入ります」と勇気づけてくれた。全体会議の後に執行部会議が開かれ、すべて終わったときは11時を回っていたが、皆、なかなか帰ろうとしない。心が一つになったと感じた。

 

1月13日(月)

武生市のパレスホテルで年賀会を開く。600名近くの方にお集まりいただいた。午後2時から4時までのティーパーティという新しい試みで人が集まるか心配だったが、武生市の皆さんの献身的な努力で大勢の人たちに来ていただいた。当初20分の予定だった僕のスピーチが30分に延びてしまったが、最後まで静かに聞いていただいた。でも、椅子が少なく途中でフロアに座り込む方もいて、ご高齢の方にはちょっと申し訳なかった。オリジナルな趣向が随所に凝らされていて、手作りの年賀会という感じで大成功だったと思う。武生市のスタッフの熱意が通じたのか、カンパ袋を後で集計したら33万円ものカンパが寄せられた。このお金は一円も無駄にせずに大切に使わせていただきます。武生市の皆さん、本当に有難うございました。

 

1月12日(日)

朝3時に起きて、三国町の氷川神社で5時から行われている早起き会に出席した。早起き会に出席するたびに心を打たれるのは、朝早くから夜遅くまで家事を切り回しながら仕事をしている女性たちの人生に対する真摯な態度である。世の中を支えているのは女性たちだとつくづく感じる。この日は三国町の早起き会に始まり、芦原町青年団の新年会、春江町公民館の新年会、勝山市荒土地区婦人会の新年会、日本海作家クラブの新年会と朝から晩まで東奔西走して正直なところ少々ばてた。

 

1月11日(土)

午後、勝山市の荒土地区で出前「ぶんどう塾」を開く。驚いたことに40人もの方にお集まりいただいた。活発な意見交換が行われて、充実した「ぶんどう塾」だった。また、夜には、福井市の東郷地区で出前「ぶんどう塾」を開く。日頃から地道な地域活動に携わっている方が多数お見えになって、生きがいを得られるライフスタイルを追求するうえで20世紀にできあがった様々な仕組みが障害になっているという問題提起がなされた。「ぶんどう塾」が終わったあと、地元の人がよく集まるという「とっくり軒」で食事をしたが、ここのおでんとひね鳥は絶品である。レトロな雰囲気で、店内にあるテレビでザ・ピーナッツが歌っていたとしてもまったく違和感のない異次元空間だった。一度、お出かけになることをお勧めします。

 

1月10日(金)

一日、政策の勉強に当てるつもりだったが、じっとしていられず、武生商工会議所の新年会に顔を出した。夜は鯖江市鉄鋼組合の新年会で挨拶させていただいた。顔を出して欲しいという要望が次から次に入ってくるので、時間管理と体力勝負になってきた。4年前と比べると大変な違いだ。あの頃は、どこからも声がかからず、一人で黙々と回っていた。お蔭で招かれなくてもどこにでも顔を出す度胸と図々しさが身についた。政治家が厚かましくなるのも無理がないという気がする。

 

1月9日(木)

東武外科内科クリニックの笠原章院長、武生市議会議員の大久保恵子さん、後援会事務局の冨永恵子さんのご案内で武生市を回る。東武外科内科クリニックに立ち寄ったついでに、笠原先生にインフルエンザの予防注射を打ってもらった。今年に入って2日間、集中的に武生市を回って、かなり多くの人にお会いすることができた。夜、菓子組合の会合で挨拶させてもらう。僕のほかに福井市議会議員候補の方が2名お見えになっていた。自分のことはさておき、皆さん、ご苦労様である。

 

1月8日(水)

フェニックスプラザで開かれた福井テレビの年賀会に出席する。柏原芳恵の歌あり、外人ダンサーの踊りありの大変きらびやかな年賀会だった。最近、どこに行っても、知事選への出馬を表明している他の二候補とぶつかる。山崎参院議員は現職の国会議員なので一番前のテーブル、西川前副知事と僕は遠慮して会場の後方という構図である。夜、久しぶりに何の予定もなく、自宅でくつろいでビデオを見る。

 

1月7日(火)

来週の月曜日に予定されている武生市の年賀会に向けて、終日、武生市を回る。夜、年が明けて初めての執行部会。あと96日、仲間の結束を固めていくことを確認する。

 

1月6日(月)

正月休み明けの月曜日。今日から新しいスタッフが2人増えた。ボランティアの方も手伝いに出てきてくれたので、にわかに事務所が活気づきだした。繊維協会の年賀会に出席する。中国との対応についての各界トップの戦略観が興味深かった。荒井繊維協会会長は中国との工程分離を進めながら中国でできないものを作る技術を磨こうというお話。江守商工会議所会頭は、日本が中国に対して持っている、1.技術力、2.スピード、3.多様化、の優位性を生かした経営を展開すべきというお話だった。夜、鯖江シティホテルで白崎コーポレーションの年賀会に出席した後、武生市の年賀会の準備会合に出席。

 

1月5日(日)

雪の中、武生市で俳優の川津祐介さんとお会いした。今立町の街づくりに携わるようになってから生き方が変わったと、雑誌サライの取材でお見えになったものだ。「常識人では改革できない。平成の吉田松陰になるつもりで、非常識に徹して欲しい」と励まされた。福井テレビの知事選三候補者による討論番組が放送された。自分では不出来なところばかり気になっていたが、放送が終わった途端、携帯電話が鳴り出して、「良かった」と多くの支持者から電話がかかってきたのでホッとした。

 

1月4日(土)

朝10時、鯖江市の響陽会館で開かれた市民交流会に出席。新年会は効率的に人に会える場所なので、知事選のみならず県議選の候補者たちも顔を見せていた。午後2時、南条町の中央公民館で「高木ぶんどうを囲む年賀会」を開く。今年は県内10ヵ所で年賀会を開くが、トップバッターが幸先よく地元の南条町になった。女性の支持者たちのお蔭で、おでんやぜんざいなど手作りの料理が盛り沢山の家庭的な年賀会になった。夜7時から福井テレビで知事選3候補者によるテレビ討論の収録があった。1時間5分番組なので、時間はたっぷりありそうなものだが、とても足りない。自分としては改善点だらけのデビュー戦になった。福井テレビの木下ディレクターが収録後、「これは第一ラウンドです」と仰っていたので、第二ラウンド、第三ラウンドがあるということか。テレビで自分の考え方を述べさせてもらえるのはとても有難い。

 

1月3日(金)

昼、鯖江市のアル・プラザで街頭演説。元旦から武生市、福井市、鯖江市の順番で街頭演説をしてきたが、車の中から手を振ってくれる人の割合で判断すると、鯖江市が最も支持率が高い。日頃から、鯖江市の支持者の方がポスティングなどの地道な活動をしてくれているためだ。最近、政治活動も結局、他の仕事と同じで、毎日の積み重ねが大事だということがよく分かってきた。藪ちゃんによれば、「勝つコツは2つ。それは、コツコツです」と言っていたが、まさにその通りだ。

 

1月2日(木)

お昼に福井市のショッピング・センター・コパの前で街頭演説。小浜市から小河さんご夫妻が、勝山市から下道恵子さんが駆けつけてくれた。元旦の福井新聞の記事のせいか、車の中から手を振ってくれる人が増えているような気がする。午後1時半から鯖江市の事務所開きに出席。8号線沿いの弁天寿司の裏側に鯖江地区の事務所が開設された。35人以上もの人が集まり、大変な熱気だった。新年のご挨拶をした後、各地の新年会回りに出かける。

 
元日

朝5時、実践倫理宏正会が主催する元朝式に出席。朝食を取ってから、南条町に向かい、先祖の墓参りをする。また、村の鎮守の神様である熊野神社にもお参りした。南条町役場の新年会に出席してから、米野実さんのお宅で昼食をご馳走になる。その後、武生市のワイプラザで街頭演説。嬉しいことに10人以上の支持者が応援に駆けつけてくれた。それから、鯖江市の実家に行って、ようやく家族でお正月らしい時間を過ごすことができた。今年はいよいよ決戦の年。4月13日まで禁酒することを誓う。

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