ブンブン日記 2004年 7月
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7月31日(土)曇り時々雨

一乗地区の浄教寺に行く。田んぼにたまった土砂の除去作業をした。一乗地区でも土砂を土嚢に詰めだした。復旧作業が順調に進んでいることを示すものかもしれない。

休日のせいだろう。今日は、ボーイスカウトやPTAの団体の方とご一緒した。ボランティア活動が夏休みの宿題という中学生もいた。

土砂を掘り起こしながら、昔の開墾事業の大変さに思いをはせた。だが、大変な事業であったからこそ、共同作業の重要性を痛感し、共同体の団結も高まったのだろう。

また、人手が足りないため、子供たちもかり出されたに違いない。しかし、大人たちに混じって働くことで多くのものを学んだはずだ。子供たちと一緒に汗を流しながら、そんなことを考えた。

 

7月30日(金)晴

福井市西木田地区に行く。一人暮らしのおばあちゃんの家で、床板をはずして泥出しをする。泥は2センチほどで、あまり手間がかからなかった。

被災状況が異なると、使う道具もやり方も違ってくる。スコップは通常のものでは大きすぎて間に合わず、家庭菜園用の小型のものが役に立った。

美山町や一乗地区では、かき出した泥は川に捨てていたが(後で、重機で運び出すため)、捨て場所がない市内では、かき出した泥は土嚢に詰めて道端に積んでおく。

被災地の状況に応じて、短期間に、各地で最適の救助方法が確立したのは見事である。現場の声を取り入れて小まめに改善する仕組みが機能したのだろう。風通しが良ければ、組織はどんどん良くなるもののようだ。

 

7月29日(木)晴

5日ぶりに美山町へ行く。被災状況が最もひどかった蔵作で、蔵作川から溢れ出た土砂をまともに受けた民家の納屋の泥出しをした。

蔵作の場合は、床上浸水というような生やさしいものではない。ほとんど土砂崩れと言っても良い。したがって、泥出しと言っても、ただの泥ではない。大きな石がゴロゴロしている土砂をかき出すのだ。スコップだけでは到底、歯が立たず、つるはしが大いに役立った。

総勢30人近くで5時間、作業したが、全体の3分の1も終わらなかった。蔵作の上流にある下味見地区については、この週末に大量のボランティアが投入されれば、ボランティアが必要な復旧作業はほぼ完了する見込みと聞いたが、蔵作の復旧作業は当分終わりそうにない。

 

7月28日(水)晴

昨日と同様、一乗地区へ行く。城戸ノ内という集落に行ったが、民家の床下の泥かきはほとんど終わっているようで、集落を走る排水溝にたまった泥の除去作業を行った。

今日、ご一緒したボランティアの方は、三国のテクノポートにある会社の方だったり、「ろうきん」の方だったり、いわゆる団体ボランティアの方が多かった。

尤も、どの団体についても強制という訳ではなく、自分の職場がボランティア活動を公に認めてくれるので有難いと仰っていた。

驚いたことに2時半を回ったところで作業が終わってしまったので、3時過ぎに現場を引き上げた。昨日は、美山町から溢れたボランティアの方が一乗地区に回ってきた。福井市のボランティアセンターはまもなく閉められるそうだが、一週間前にはいつ終わるとも知れなかった復旧作業が終わろうとしているのだろうか。俄かには信じられないことである。

 

7月27日(火)晴

福井市の一乗地区へ向かう。朝倉遺跡の資料館で周りの泥かき作業を手伝う。県内各地の学校の先生が多かった。昨日から、午前と午後に分かれて、被災地でボランティア活動をすることになったのだそうだ。

 

7月26日(月)晴

連日、真夏日が続く。予定されていた会議を終え、たまっていたデスクワークをする。

 

7月25日(日)晴

午前中、実家がある鯖江市の下新庄地区で社会奉仕。恒例のどぶ掃除の後、豪雨で被害のあった村の神社の泥かきをした。地元で土建業を営む方々がボランティアで提供された重機が大活躍した。

夕方、小浜市長選挙、小浜市議補選の開票結果を見るために小浜市に出かける。夜10時半頃、村上利夫市長の再選が決まった。また、約15分後に前市議の西本正俊さんの当選が決まった。

今回の小浜市長選挙では、中間貯蔵庫の誘致問題が争点になった。小浜市だけでなく今後の嶺南地域全体のあり方を左右する重要な選挙だった。いわゆる「業界の常識」と「市民の常識」が真っ向からぶつかる選挙で、今回、反対派の村上市長が再選されたことで、「市民の常識」が勝った格好だ。

昨年の統一地方選挙の際、次点で落選した西本正俊さんは1年3ヶ月という割と短期間で市政に復活することが出来た。体重を7キロ落とし、真っ黒に日焼けしてすっかり精悍になっていた。村上市長と西本さんの当選で、暗くなっていた気持ちが明るくなった。

 

7月24日(土)晴

事務所に集まっていただいたボランティアの皆さん27人と一緒に美山町西河原へ行く。また、一部の方には鯖江市河和田地区に回っていただいた。

西河原では道路がかなり復旧しているものの、被災者の方の復旧作業は遅々として進まない。我々と、全国から駆けつけたボランティアの方を入れて、総勢40人以上でお魚屋さんの復旧作業に当たったが、目を見張るような進展はない。

被災した18日以来、ご家族の方全員が公民館で寝泊りしているという。仮設住宅が建設されるのは9月に入ってからになるとのことで、一日でも早くご自宅の2階部分で暮らせるようにと思いながら作業に取り組んだ。

夏休みに入って最初の土曜日ということもあって、この日、福井県全体で9000人のボランティアの方が入ったそうだ。日曜日の明日も大丈夫だと思うが、その後、尻すぼみしないかと心配である。被災の程度にもよるが、今回の水害の復旧作業は一週間や二週間で終わるものではない。出来る限り多くの人に声をかけて、息の長い取り組みができるようにする必要がある。

 

7月23日(金)晴

福井市内で被災した木田、みのり、月見、東郷の各地区、また、鯖江市の河和田地区の支持者のお宅にお見舞いに伺った。

福井市中心部の被災地の復旧作業は急ピッチで進んでいるという印象を受けた。床上浸水した家屋の泥かき作業はほぼ終わり、通行止めになっていた道路も通れるようになっていた。

鯖江市河和田地区の被災状況は報道されている通り、深刻なものだった。美山町と同じように、山から流れ落ちる濁流の直撃を受けて、土砂に埋まっている家屋を何軒も見かけた。

さらに深刻なのは、地場産業の漆器産業がほぼ壊滅状態に陥っていることだ。パソコンや帳簿が流され、顧客データを失くしたうえに、在庫も商品サンプルも流されたという。倒産や廃業に追い込まれるところが続出するのではないかという不安が囁かれていた。

ところで、この5日間、水害を受けた地域を訪れて分かったことは、水害の原因となっている河川が複数あるということである。福井市の水害は足羽川の氾濫によって起きたものだが、美山町の蔵作や鯖江市河田地区の水害は足羽川以外の河川の氾濫によって起きたものだ。

つまり、今回の水害が示しているのは、個々の河川に個別具体的な問題があるというよりも、現在の治水システムそのものに根本的な欠陥があることではないか。それが何かは、まだ、漠然とした印象としてしか掴めていない。敢えて直感的に言えば、現在の治水システムが剛構造であって、柔構造でないということである。

まずは、被災地の復旧作業を力を注ぐべきにしても、同時に、今回の水害が起きたメカニズムを徹底的に究明すべきである。そのうえで、今後の土木事業のあり方を再構築する必要がある。

 

7月22日(木)晴

まだ、被災状況が把握できていない美山町の下折立(しもおりたて)、上折立(かみおりたて)で13人の仲間とボランティア活動を行う。

下折立では脇本泰守さんという頼もしいリーダーが誕生していた。災害が発生すると、誰にも頼りにされるリーダーがいつのまにか誕生することがあるが、脇本さんはまさにそういう存在だった。

午後からは、まだボランティアが一人も入っていない上折立に入り、最も被害のひどい西生寺で作業する。集落の皆さんのご努力ですでに床の上の泥は除去されていたので、床板をはずして床下の泥をかき出す作業を始めた。お寺ということもあって、14人で3時間半作業して床下からかき出せた泥は全体の約3分の1。何度も言うようだが、水害の復旧作業は恐ろしく人手がかかる。

作業を終えて、西河原のボランティアセンターに立ち寄ったら、今日、美山町に入ったボランティアの数は何と1200人とのこと。大変なスピードでボランティアの方が急増している。本当に有難い話である。

 

7月21日(水)雨時々曇り

昨日に続いて、美山町の下味見に行く。下味見の西河原(にしこうばら)に着いたら、ボランティアセンターが立ち上がっていた。清水正一さんのリーダーシップによるものだ。

事務所に駆けつけてくれた5人の仲間と一緒に、昨日泥かきした隣の家の泥かきをした。ご家族の方が4人に、他のボランティアの方が4人、合計14名で朝10時から午後3時半まで5時間半。それでも、一階部分の半分を終えただけである。この作業は気が遠くなるほど、人手がかかる。

幸い、昨日と様変わりで全国からボランティアの方が駆けつけ、下味見だけで約250人のボランティアの方が入った。美山町全体では約600人である。

ボランティアの方が急増して、いろいろなハプニングや混乱があった模様だ。また、これだけボランティアの方の数が増えると、ボランティアセンターでは飲み物も食べ物も調達できなくなる。ボランティアにご参加の方は、スコップ、ゴム手袋、飲み物、食べ物を必ずご持参ください。そして、かならず長靴をお履きください。

 

7月20日(火)曇り

朝8時、これまで電話が通じなかった下味見の清水正一さんとようやく連絡が取れた。やはり、下味見は孤立しているとのことだった。清水さんは蔵作まで歩いて降りて、そこから車で福井市に買出しに来たのだという。

とにかく人手が足りない。冷やかしはいいから、手を貸してくれるボランティアが欲しい。電話も携帯電話もつながらず、情報が遮断されているので、衛星携帯電話が必要だ。ボランティアについても衛星携帯電話についても役場にお願いしているが、役場の人も自分の家の問題を抱えているうえに、100年に一度という災害にどう対応していいか分からない状況ということだった。

そこで、取り敢えず美山町の下味見にボランティアに行くことにした。急な呼びかけに応じて、4人の方が駆けつけてくださった。清水正一さんから聞いていた通り、下味見はずっと孤立していて、車で下味見に入ったのは我々が最初だそうだ。

救援物資はヘリコプターから投下されており、ふんだんにあった。とにかく、人手が足りないということで、早速、一人暮らしのおばあちゃんの家の泥かきに向かった。「重労働なので、ぼちぼちやってください」と言われたが、その通りだった。

大人の男が7人がかりで4時間泥かきをして、1階部分の3分の1しか終えることが出来なかった。泥が多いところで50センチも積もっているので、まるで田んぼ仕事をしているようなものなのだ。

ボランティアの人たちは徐々にではあるが、美山町にも集まりだしている(役場周辺では駐車してある車の中に県外ナンバーを多く見かけた)。しかし、今日の下味見の集落では、我々5人以外にボランティアの姿はなかった。

福井市に全国からのボランティアの方が集中しているようなので、県と福井市のボランティアセンターは福井市以外の被災地に割り振るべきであろう。また、美山町のボランティアセンターも人手の足りない地域にボランティアを回す配慮が必要だ。同様の事態は池田町、今立町、鯖江市についても当てはまるのかもしれない。

明日も美山町に行く。ご都合のつく方はぜひ、ご参加下さい。朝9時、事務所集合です。汚れてもいい服を着て、可能ならば、軍手、飲み物、食べ物、スコップを持参してください。

 

7月19日(月)曇りのち晴

スコップを車に積み、事務所の高田さんと一 緒に集中豪雨による安否を尋ねてまわった。福井市一乗地区、美山町下宇坂、上宇坂、上味見をまわったが、下味見には蔵作からも上味見からも行けなかった。下味見が陸の孤島になっていないか心配だ。あきらめて車を引き返し、村の人が総出で溝から泥をかき出しているところで、一段落つくまで土砂上げをした。水を含んだ土砂は重い。この復旧作業には相当の人手がかかる。できることはしようと思った。

 

7月18日(日)大雨のち曇り

朝方から大雨のため、てくてく巡業を休業。お昼過ぎから避難を呼びかける車が回り出した。みのり地区の知人の家が床上浸水したというので、何か手伝えることはないかと思って家を飛び出した。足羽川まで近づくと、通行止めだった。何とか渡れる橋を探して、足羽川を横切ると、今にも溢れそうな水量で驚いた。知人の家に近づくと、道路が水に浸かっていて、車も立ち往生している。これでは自分までが災害に巻き込まれて余計な迷惑になりかねないと断念して自宅に戻った。鯖江の実家に電話したら、家の前の道路が水に浸かっていて、土嚢が積まれているという。美山町では下宇坂の橋が4つとも流されている。夕方には水が引き出したようだが、浸水した家の方はさぞ不自由な思いをされていることだろう。復旧にはどの位かかるのだろうか。我々で何かできることはないのだろうか。

 

7月17日(土)曇り

清水町の田尻栃谷(たじりとちたに)を回る。田尻栃谷は朝宮橋を渡って朝宮を越えたところにある、福井市に近い地域である。そのためか、認知度も高く、反応も好意的だった。

グリーンハイツに近接するホープタウン田尻という団地を回った。清水町の4つの団地の中で最も新しい団地だそうだ。団地の半分以上がまだ空いている。志津が丘団地よりも一戸当たりの敷地はちょっと狭い。在宅の方にそれでもホープタウン田尻を選んだ理由を聞いたら、福井市に近いという立地条件の良さだと仰っていた。

ほとんどが新婚さんというだけあって、お洒落でかわいいお家が多い。郵便受けの半数以上がアメリカ製のものだった。玄関のドアには鍵がかかっていて、留守かなと思うとインターホーン越しに返事がある。ちょっと寂しい気もするが、自宅にいるときは自分も同じことをしている。都市化すると、引きこもるようだ。

 

7月16日(金)曇り時々雨

清水町の三留(みとめ)を回る。今日は、三留にお住まいの支持者の方に昼食をご馳走になった。かねてより三留を回るときは昼食を食べに寄って欲しいと言われていたので、お言葉に甘えたのである。最後に、三留にある工業団地の企業回りをした。突然なのでご迷惑かと心配したが、とても丁寧に応対していただいた。ある企業では工場の隅々までご案内いただいた。有難うございます。

 

7月15日(木)晴

清水町の片粕(かたかす)を回る。しばらく梅雨らしい天気が続いて、久しぶりの真夏日だった。ところで、夕方のTVニュースを見ていたら、民主党の菅直人前代表が頭を丸めて、四国でお遍路さんを始めたらしい。小泉さんに負けず劣らずのサプライズである。色々な思惑があってのことと思うが、歩くのはいい。特に、これだけ暑いと頭がぼーっとしてきて何も考えられなくなる。明日も歩こう。

 

7月14日(水)曇り

てくてく巡業をお休みして、常山英朗さんのお葬式に出席する。午後、福井市内の支持者の方を回る。どこに行っても、常山さんの話になる。

 

7月13日(火)曇り時々雨

清水町の竹生(たこ)を回る。雨が降っているので比較的しのぎやすかったが、それでも集落を回り終わる頃には、相当体がほてってきた。飛び込みで入った病院と会社で思いがけず大歓迎されて元気を取り戻す。

夕方、常山英朗さんのお通夜に出席。人望があった常山さんのお通夜らしく、多数の出席者がつめかけていた。皆、異口同音に「突然でびっくりした。惜しい人をなくして残念だ」と語っていた。帰りがけに立ち寄った本屋で、つい、死について書かれた本のページをペラペラめくってしまう。

 

7月12日(月)曇り

朝、高校時代の同級生であり、友人の常山英朗さんがなくなったと知らされた。まだ、48歳の若さである。常山酒造の経営者として、日本酒の普及に全国を飛び回っていた。自社の倉庫で民謡歌手の恩地美佳さんのコンサートを開催したり、美山町で街づくりに取り組む方たちと協力して、美山町の地酒「黎明」を作ったりするなど、地域づくりにも精力的に取り組まれていた。かけがえのない人をなくした。6年前に福井県に戻ってきて、これで4人の同級生をなくした。人生のはかなさを感じる。

 

7月11日(日)雨のち曇り

早朝、名田庄村の南川荘で目が覚めると、ヒグラシが鳴いていた。夕方の赤トンボといい、朝のヒグラシといい、やはり何かおかしい。

夜、参議院選挙の開票速報を見る。自民苦戦、民主躍進、公明微増、共産惨敗、社民維持というところか。

自民党が1議席減らしたものの、公明党が1議席増やしているので、与党としては議席数を減らしていない。小泉首相が続投するのは止むを得まい。

12議席増やした民主党の躍進の主な犠牲になったのは、自民党ではなく、11議席減らした共産党である。時代に合わない共産党はもう政治の舞台から退場せよということだろう。

社民党が2議席維持したのは、自公対民主という構図では抜け落ちてしまう声を代弁していると認められたのだろう。現在の民主党では自民党との差別化がまだ十分にできていない。

同様の観点からどのくらい得票するか注目していた「みどりの会議」や女性党が1議席も取れなかったのは残念だ。今後、社民党、できれば、民主党が彼らの主張を取り込んで自民党との違いを際立てて欲しい。

 

7月10日(土)曇りのち雨

いつも福井市で開いている後援会の会議を、今回は若狭地区で開こうということで名田庄村に出かける。名田庄村の旅館南川荘で午後3時から6時まで会議。その後、若狭地区の後援会の人を交えて懇親会を開いた。久しぶりに皆で語り合って、大いに盛り上がった。

 

7月9日(金)晴のち雷雨

清水町の上天下(かみてんが)を回る。昨日と同じように、皆さん、暑さにうだっている。田んぼにも水がなくなっている。ポンプで田んぼに水をひいている人もいた。このまま雨が降らないと大変だと思っていたら、夕方、突然の雷雨になった。田んぼをされている方はさぞかしほっとされたことと思う。雨雨降れ降れ、もっと降れ。

 

7月8日(木)晴

清水町の風巻を回る。今年一番の暑さの記録が更新されたようだ。暑さにうだって、裸同然の格好で出てくる方や玄関の板間で寝ている方がいらした。暑さの中を歩いていると、人間の体は水冷エンジンと同じようなものだというのがよく分かる。汗をかくだけかいて体内の水分が減ってくると、体中が熱くなるだけでなく、体の動きが急速に鈍る。水分を補給してしばらくすると、涼しくなって、また、体が動くようになるから不思議である。最近は、時々、「お茶、飲んできねぇの」と冷たいお茶をご馳走になる。その暖かいお気持ちと一杯のお茶で本当に生き返る。有難うございます。

 

7月7日(水)晴

今年一番の暑さの中、羽水高校の一年生が28名、職場見学にやってきた。外国法事務弁護士とは何をするのか知りたいということであった。

昨年は、荒島岳を登ったときにご一緒した方の息子さんがたまたまお見えになったので、その話を聞いてきたのかと思ったら違うのだという。生徒たちが電話帳でどんな職業があるのか調べて、面白そうだからという理由で見学先として選ばれたのだそうだ。実際には50人以上あった希望者を何とか28人に絞り込んだとのことであった。有難い話である。

国際的な売買契約や貸借契約には、売り手・買い手、貸し手・借り手の双方に弁護士がついて商取引を進めるという話をした。質疑応答の最後の質問に、「しょう取引の『しょう』という字はどんな字ですか?」と聞かれたときには、苦笑させられた。

夜、ハーモニーホールで開かれた民謡歌手の恩地美佳さんのCDアルバム発売記念コンサートに出かける。客席の上も下も満員という盛況であった。福井の民謡を発掘して継承していくという、恩地さんの歌手活動に対する姿勢に感心させられる。

 

7月6日(火)晴

清水町の甑谷(こしきだに)を回る。甑谷にお住いの熱心な支持者の方のお蔭で、甑谷ではどこに行っても歓迎された。感謝である。

夜、事務所でガーデンパーティの第2回実行委員会。決めなければいけないことはほとんど決まった。皆さんが楽しめるパーティになって欲しい。

 

7月5日(月)曇り

曽我ひとみさんとジェンキンスさんが9日、ジャカルタで再会することが決まった。大変、喜ばしいことで歓迎したい。

しかし、同時に、「そこまでやるか」と半ば呆れさせられる。いくら、参院選と関係ないと言われても、誰も関係がないとは思わない。「良かったね。だけど、小泉さんもよくやるよなぁ」というのが、大方の率直な感想ではないか。

本来、外交は超党派の立場で行うべきもので、内政の権力闘争の道具として利用するのは禁じ手である。しかし、外交上の成果は分かりやすく絶大な効果を発揮するので、権力者は悪魔の誘惑に抵抗できなくなる。

ブッシュ政権がイラク戦争を行ったのも劣勢の中間選挙を乗り切るためだったと唱える説もある。一人の人間をある時期、騙すことができても、多数の人間をいつまでも騙し続けることはできない。外交を内政のために利用するのは、結果的に国民の政治不信を招くだけだ。

 

7月4日(日)

中央仏教学院のスクーリング2日目。宗教、おつとめ、仏教、お経の実演テスト、仏教講演会という内容であった。この通信教育を受けている仲間には様々な方がいる。お寺の奥さん、後継ぎの息子さんなどのお寺の関係者だけでなく、奥さんに先立たれたサラリーマンや、仏教が好きでお寺にお嫁に行きたいという若い女性もいる。様々な仏縁があるものである。

 

7月3日(土)晴

京都の西本願寺横の聞法会館で開かれた中央仏教学院のスクーリングに参加。仏教、真宗、寺と教団、伝道についての講義を聞く。釈迦は悟りを開いて(自利)、しばらく、自分が悟った真理を語っても理解してもらえないと説法を諦めていた時期がある。しかし、「『悟り』の内容を教えてくれ」と梵天に頼まれて、ようやく説法を決意するわけだが(利他)、この『仏』から『如来』への釈迦の歩みに大乗仏教の原点があるというところに感銘を受けた。

 

7月2日(金)晴

清水町の清水山下を回ってから、事務所でニュースレターの袋詰め作業をする。夕方、雷鳥で京都に向かう。京都に着いて、先斗町(ぽんとちょう)を散歩する。

 

7月1日(木)晴

清水町の清水山上を回る。異常天候なのか、梅雨がまだ明けていないのに真夏日が続く。事務所に戻ってから、ニュースレターの宛名貼り作業をする。


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