ブンブン日記 2004年 12月
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12月31日(金)雪時々雨

大晦日。スピーチの原稿を練りながら一日過ごす。夜、妻と二人で座禅を組みに出かける。

 

12月30日(木)曇り時々雨

福井新聞社の吉田耿介社長が亡くなられた。まだ、62歳である。病気療養中と聞いていたが、何とか回復してほしいと願っていた。いつ、訪ねていっても、暖かく迎えていただいた。身内を亡くしたような悲しみがある。

 

12月29日(水)雨

来年1月9日に予定されている年賀会のスピーチ原稿を書き始める。年賀会のスピーチはその年の政治活動の基本テーマになるので、真剣に考える。ぱっと着想がひらめく時もあるが、ほとんどの場合、自分のイメージをなかなか的確に言葉にすることができず苦しむ。夜、知人夫妻と一年ぶりに夕食。

 

12月28日(火)曇りのち晴れ

夜、敦賀市の女性経営者たちの忘年会に出席。選挙が終わって、「去るものは日々に疎し」となるところが、遠方にもかかわらず声をかけていただいたのはとても嬉しい。世の中を変えるのは女性の力だと盛り上がる。

 

12月27日(月)雨

夜、福井弁護士会の忘年会に出席。福井弁護士会には、毎年、忘年会のときだけ顔を出すようになっており、浦島太郎状態になっている。久しぶりに出席してみて、随分、積極的に様々な社会活動に取り組むようになっていて驚いた。立法、行政、司法の中で、もっとも司法の改革が進んでいるのかもしれない。来年はもっと出席しなければと反省する。

 

12月26日(日)曇り時々みぞれ

小浜からの帰る途中、敦賀市に立ち寄って年末の挨拶回りをする。高速に乗ろうと思ったら、敦賀・今庄間で事故が発生して不通になっていたので、山道を通って今庄に抜ける。トンネルを抜けると、一面雪景色になっていて驚く。今庄はまさしく雪国である。今庄を出ると、雪も消えた。

夜、美山町の木ごころ文化ホールで開かれた「みやま木ごころ一座」の演劇を観る。第一話が「ムコ殿の条件」。第二話が「ようこそ!ミラクル来る亭へ」。俳優はみやまの子供たち。脚本・演出から大道具・衣装にいたるまですべて美山町の人たちによる手づくりの演劇である。

福井豪雨の水害にあった町民の方に元気を取り戻してほしいと熱意のこもった舞台だった。子供たちが観客に観られることで生き生きしている。脚本もよくできている。大自然の中で素晴らしいコミュニティが存在しているのを実感した。

 

12月25日(土)晴れのち曇りその後雨

5ヶ月ぶりに小浜市に行く。小河紀久生さんのお宅で忘年会。若狭地区の後援会の方がお見えになった。夜遅くまで話し合う。

 

12月24日(金)雨

夜、自宅でワインを開け、妻と二人でゆっくり過ごす。

 

12月23日(木)曇り時々雨

昨年の衆議院選挙の選挙違反を問われて、民主党の鎌田さゆり議員が辞職を表明、今野東議員も失職を免れない模様だ。公選法違反に問われたのは、投票を呼びかける電話作戦を有償でNTT関連会社に依頼した行為である。

選挙中に「お願いします」と電話をかけるのは日常茶飯事に行われている。現在の公職選挙法では、ボランティアの電話作戦なら選挙違反ではないが、人を雇った電話作戦は「利害誘導」という選挙違反になるとされている。

それでは、自民党が得意とする組織型選挙で、業界を締め付けて関連会社に一斉に電話させる電話作戦は「利害誘導」にならないのか。むしろ、公権力を行使して利害誘導する組織型選挙こそ取り締まるべきではないのか。

ところが、この国では「勝てば官軍」というダブルスタンダードがなかば常識になっている。「自民党旧橋本派の一億円献金隠し事件では一億円を受け取っても、『忘れた』と言えば起訴もされない。この国は本当に公正なのか」と今野議員が不満をぶつけているのも無理もない。

目先の権力を維持するために公正さをないがしろにしていくと、「長いものに巻かれろ」と国民の批判精神や自立心が次第に蝕まれていく。その先にあるのは息が詰まるような全体主義の社会である。日本人は戦前の苦い経験を忘れてしまったのだろうか。

 

12月22日(水)曇り時々雨

坂井郡4町で進められてきた合併について、春江町の松浦豊町長が離脱を表明した。昨年12月の坂井町との合併白紙に続く2度目の事態である。先日、坂井郡を回ったときに色々難しい話があると聞いていたものの、突然のことで驚いた。春江町には福井市との合併を望む声も多いと聞く。福井市と周辺3町村で進められている合併協議にも影響が出るかもしれない。しかし、それにしても、来年3月末の合併特例法の期限までにもう時間がない。誰がどうやってこの事態を収拾するのだろうか。

 

12月21日(火)曇り

来年度予算の財務省原案が内示された。4年連続の緊縮型予算とされるものの、依然として、税収が44兆円しかないのに82兆円使うという深刻な赤字体質から抜け出すことができていない。国と地方を合わせた借金が774兆円と膨れ上がるのも無理もない。

しかし、国・地方財政の三位一体改革が着々と進められているのは地方にとって明るいニュースだ。総額1兆7200億円の補助金が削減されるかわりに、1兆1160億円が地方への税源移譲、約3000億円が交付金化されることになった。

税源を移譲するというのは、もともと国が取りすぎていた税金を、地方の取り分として返すということである。ただし、補助金削減分の全額が税源移譲されるわけではなく、来年度は、結局、地方への仕送りが約3000億円減らされることになる。

だが、ひもつきの補助金と違って、1兆1160億円の税源移譲分は所得譲与税として人口比で地方に戻ってくるので、地方行政の自由度は高まる。また、2005年から2006年にかけて全国で一斉に市町村合併が行われることになっており、いよいよ、地方自治体が政治の主役になる時代が近づいている気がする。

 

12月20日(月)雨

夜、後援会の全体会議。2004年の後援会活動の総括を行うとともに、年末年始のスケジュールについて話し合う。

 

12月19日(日)曇り

午後、事務所で後援会の方たちと一緒に「ぶんどう塾レポート」と「てくてく巡業レポート」の製本作業をする。単純作業の仕事も大勢ですると楽しくなる。予定より早く仕事がはかどり、夕方までには帰宅することができた。

 

12月18日(土)雨

夜、福井市田原町の野尻章博さんのお宅で開かれたホームパーティに参加。田原町では野尻さんたちなど地元商店街の方たちと福井大学の学生たちが共同で商店街の賑わいを取り戻そうと様々なイベントに取り組んでいる。

この日は、田原町商店街から福井大学キャンパスまでの路上をろうそくの灯で結ぶとともに、商店街中央に据えられた高さ8メートルのクリスマスツリーに点灯するイベントが行われた。ホームパーティは野尻さんがその打ち上げに地元の方や福井大学の学生たちをお宅に招いたものだった。

福井大学で建築を勉強してる学生たちは、街づくりの研究の一環として実際に地元商店街の活性化に携わっている。活動を通じて学んだことを語る彼らの姿はさわやかでかつ謙虚だった。新しい時代を創っていくのはこうした若者たちだと実感する。

 

12月17日(金)晴

晴れ空の中に雪化粧をした白山連峰の姿が見えた。スノータイヤに替えた車も増えてきており、暖冬の今年もようやく冬らしくなってきた。夜、福井市片町の「樽」で毎年恒例の忘年会を行う。一緒に知事選を戦った懐かしい仲間の顔を見ると元気になる。

 

12月16日(木)雨後曇り

新幹線・福井駅の来年度着工を政府・与党が合意した。福井県にとって今後は、金沢から福井駅までのレールをどう延伸させるかが焦点となる。福井県知事選での新幹線問題についての僕の立場は、「巨額な地元負担に見合う効果があるか慎重に検討したい」というものであった。新幹線が来るのは結構だが、そのために巨額の地元負担を負ったり、在来線が第三セクター化されることで、生活に密着した列車の本数が減ったりするのは困る。最初に東海道新幹線を作ったときは、政府は建設費を税金で賄うことができず世界銀行の融資を受けた。新幹線は料金収入を見込めるのだから、完成後の料金収入を担保にして資金調達するプロジェクトファイナンス方式を検討してみてはどうか。

 

12月15日(水)曇り

自民、公明両党が来年度の税制改正大綱を決定し、段階的に所得税、消費税の両面で増税路線に転換することを明らかにした。

何度も書いているが、いまの日本は、税収が45兆円しかないのに毎年、80兆円以上使っている異常な状況にある。これを解決するには、税金を上げるか、歳出を減らすしかない。

歳出を減らすために、現在、公共事業の削減、市町村合併の推進、地方財政の三位一体改革に取り組んでいるが、80兆円の歳出を45兆円まで下げるにはいたらない。

他方、日本の国民負担率は35.5%でアメリカの35.2%とほとんど変わらず、イギリスの50.2%やフランスの63.9%と比較すると、日本の税金は安いと言えるのである。日本が増税路線に転換するのは時間の問題だった。納税者としてはどんな増税も不満だが、国が破綻するよりはましとせねばなるまい。

 

12月14日(火)曇り時々晴

自宅でたまっている原稿を書く。原稿を書いていてあまり自信が持てないところにさしかかると、大抵、インターネットで解決するので有り難い。ところが、それでも分からない場合は、図書館に出かけることになる。結局、書いている時間よりも、図書館に出かけたり、本を読んでいる時間が長くなってしまう。何とかならないかと思うが、なかなか改善されずに困っている。

 

12月13日(月)曇り時々晴

檀家の方の報恩講回りをする。その後、繊協ビルで開かれた「福井アセッサーの会12月度研究会」に出席。福井県立大学の坂本光司教授が独自に調査したデータをもとに勝ち組企業の特徴について話された。

坂本教授によると、ほとんどの商店経営者が経営不振の原因を外(1.郊外大型店、2.景気、3.行政)に求めているが、アンケート調査で回答者の8割以上が地域商店に不満を示していることから明らかなように、経営不振の原因は内にあるという。

勝ち組企業の事例では、主に浜松市で顧客満足度ダントツNo.1のお菓子屋さん「たこ満」の取り組みを紹介された。「一人の顧客の満足と一人の社員の幸福」を社是とする同社(従業員350人)では、毎日、社長が社員から寄せられる体験談に目を通してコメントする「たこ満デイリーニュース」が5000号を超えたと聞いて恐れ入った。

コミュニケーションを取るのは難しいと嘆いているだけでは始まらない。自分に果たしてそれだけ伝えたいものがあるか、また、それだけ伝える努力をしているかと深く反省させられた。

 

12月12日(日)曇り時々晴

朝、福井市春山町内会の一斉掃除に参加する。落葉やタバコの吸殻を掃き取る簡単なもので、始まって30分も経たないうちに終わってしまった。ハンナ・アーレントの「人間の条件」を読み終える。アーレントによれば、ギリシャの都市国家ポリスは、すべての人が自らを際立たせ、行為と言葉によって、他人と異なるユニークな自分の正体を示すためのものであった。言い換えれば、ポリスの目的は、日常生活の平凡な出来事を異常なものにすることにあったという。政治の目的は、単に利害の調整だけではない。市民に公的領域で卓越した活動をする機会を与えて幸福にすることだというアーレントの議論は、普通の市民の政治参加の拡大こそ決定的に重要な意味を持つことを教えてくれる。

 

12月11日(土)曇り後晴

早朝、ワシントンホテルで開かれた倫理法人会主催のモーニングセミナーに参加する。急成長しているドラッグストア、ゲンキーの藤永賢一社長のお話を伺う。開店してから2年間は一日の売り上げが2万円しかなかったが、富山で成功しているドラッグストアで3日間勉強させてもらったところ、途端にポンと15万円に上がったそうだ。お店の何をどう変えたのか聞きたかったのに、企業秘密のためか他にお考えがあってのことか、すぐに次の話題に移られたのは残念だった。

 

12月10日(金)晴

夜、来年1月9日に開催予定の年賀会の実行委員会に出席する。1999年に始めた年賀会も早いもので7回目になる。県内各地の後援会の皆さんに助けられてここまで続けてくることができた。最初の3年は福井市一ヶ所。4年目以降は県内8ヶ所から13ヶ所と開催場所を拡大してきたが、来年は県内各地の後援会が合同して福井市一ヶ所で行う。ご出席いただくすべての方にご満足いただけるものにしたい。

 

12月9日(木)晴

後援会の早川定明さんのご案内で福井市内の企業を回る。ペットの葬儀を専門に取り扱っているペット愛葬社では、ペットのお葬式をあげるセレモニーホールと遺体を火葬する火葬場を見せていただいた。いずれも人間のものより立派ではないかと思えるものだった。我々のライフスタイルの変化に伴い、様々なニュービジネスが登場している。起業のヒントは身近なところにころがっているのに、「コロンブスの卵」と同じでなかなか気がつかない。起業家の目のつけどころの鋭さに感心させられた。

 

12月8日(水)曇り時々雨

大阪から訪れた妻の母と叔母を、母と一緒に越前岬に案内する。例年にない暖かい天候のため、まだシーズン前だというのに越前岬は水仙の花が満開だった。越前町から越廼村にかけて、海岸沿いの崖はずっと水仙の花で埋まっている。「こんなに一面に水仙の花が咲いているとは思わなかった」と二人は声を揃えていたが、地元の母と僕も水仙が咲く季節に越前海岸を訪れたのは初めてのことで驚いた。夜には妻も合流して、玉川温泉の「本家」で越前ガニを食べた。妻の母はインドのボンベイ育ちで、妻の叔母は僕の母と同じく中国の大連育ちである。いずれも昭和の一ケタ世代で、昭和の激動に翻弄されながら生きてきた。恵まれた少女時代とその後のどん底の生活。父たちとの出会いと懸命な子育て。一人ひとりの語り尽くせぬ物語を感慨深く聞いていた。

 

12月7日(火)曇り

福井市の東郷地区と六条地区の集落をすべて回り終わり、今年4月から始まった「てくてく巡業」は来年2月までしばらく休業することになった。人間は動くスピードで見える風景がまったく変わってしまう。自動車で動いているとき、自転車で走っているとき、自分の足で歩いているときとでは、目に入る風景も耳に入る情報もまったく異なる。歩けば歩くほどこれまでとまるで違う世界が開けてくるので、かえって人間は自分が住んでいる世界を正確に理解することは不可能ではないかと思えてくる。また逆に、多くの人に情報を伝達する難しさも痛感する。2度の知事選を経ているのに、「聞いたこともない」という反応をする人の多さには愕然とさせられる。コミュニケーションは本質的に難しいと思い知らされた。相手を知ることも、相手に知ってもらうことも難しいこの世の中で、様々な問題について合意を形成することがいかに難しいことか。政治は可能性の芸術といわれるが、不可能を可能にする芸術と呼ぶべきではないか。

 

12月6日(月)曇り

福井市の下莇生田町(しもあぞうだ)を回る。寒い日だった。この日、勝山市の北谷では初雪が降ったらしい。冷たい風に吹かれて歩いていると、手がかじかんできた。あるお宅で、「あんたが本人か。あんたと話したいことがある」と家の中に招かれた。お話を伺ってみると、父が教師をしていた鯖江高校で教頭をされていたという。ひとしきり、父の思い出話をされた後、「体に気をつけて頑張ってください。応援しています」と励ましてくださった。父に見守られているようで、心から温まった。

 

12月5日(日)雨

後援会の方と一緒に福井市の宝永地区、松本地区、大願寺地区、文京地区に一斉ポスティングを行う。7000軒以上のお宅に一斉にポスティングを行う大がかりなものだった。生憎の雨空で、皆さんに「やはり、雨男だ」と非難される。

 

12月4日(土)曇り

檀家の方の四十九日の法事を行う。

 

12月3日(金)晴

福井市の下六条町を回る。夜、六条公民館で「茶飲み座談会」を開く。「どの集落にもある公民館をもっと高齢者の福祉のために活用できないか」「商工会議所や中小産業大学で様々な講座が開かれているが、いずれも入り口段階で終わってしまい、実際の仕事に結びつかない。もっと具体的にスキルの向上に役立つような講座をやって欲しい」などの意見が出された。

 

12月2日(木)晴

福井市の上六条町を回る。その後、近くの県立図書館に立ち寄ってハンナ・アーレントに関する本を借りてきた。

最近、政治哲学者のハンナ・アーレントに関心を持ち出し、いま、彼女の代表的な著作である「人間の条件」を読んでいる。アーレントはドイツ生まれのユダヤ人女性で、ナチスによる迫害を逃れてアメリカに亡命し、「全体主義の起源」や「人間の条件」という大著を発表して注目された政治哲学者である。

先日、福井新聞でも紹介されたユルゲン・ハーバーマスが唱えた「市民的公共性」について読み進むうちに、アーレントにたどり着いた。「公共性」とは何かを根源的に考えるとき、ハーバーマスとアーレントの思想ははずせない。

アーレントについては、全体主義を糾弾した思想家の一人ぐらいにしか認識していなかったが、実際に読んでみて、政治や社会のあり方について独創的な思考をした政治哲学者であることが分かってきた。出会ったのが遅すぎる気もするが、何ごとにも出会いの時期というものがある。ハンナ・アーレントとの出会いを素直に喜びたい。

 

12月1日(水)快晴

師走に入った。文字通り、師走に入ると、それまでゆっくり流れていた時間が急に慌しくなる。もっとも、今日は素晴らしい快晴の中、気持ちよく福井市の天王町を歩いた。六条公民館の前で、若い二人のお母さんと立ち話をした。共稼ぎの多い福井では珍しくお二人とも専業主婦だった。「贅沢しようと思わなければ、共稼ぎしなくても何とかやっていけます」「働きながら子育てができる環境よりも、子供を生んで育てるのが楽しいと思える環境を創ってください」と仰っていた。正直なところ、女性にとって共稼ぎと専業主婦のどちらが幸せなのか僕にはよく分からない。しかし、仕事に生きがいを見つけようとする女性が増えている中でお二人のご意見は新鮮に響いた。


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