1月  
 

1月31日(月)曇り時々雪

NHKと朝日新聞がもめている。事の発端は、NHKが政治的圧力を受けて番組を改変したと朝日新聞が報道したことである。現在、NHKはラジオで朝日新聞に対する攻撃を、ニュースの度に流しているようだ。

細かな事実関係については藪の中だが、番組を放送する前に、NHKの松尾武・放送総局長が安倍晋三・官房副長官に会って、番組の説明をしたという事実は動かない。そして、現在も、NHK放送局長は、放送前の番組を議員に説明するのは、通常業務の範囲であり、「当然のこと」と言っている。

こんなことが日常的に行われているのだとすれば、NHKはソ連時代の国営放送「プラウダ」や北朝鮮の国営放送と何ら変らないことになる。NHKの幹部に、放送内容を放送前に政治権力者に知らせることにより、報道の自由が大きく損なわれるという認識はないのだろうか。

政治活動に携わっていると、情報こそが権力の源泉であることがよく分かる。したがって、政治権力が情報を独占すれば、政治権力が国民のすべての活動を支配する全体主義国家になる。だからこそ、報道機関が権力にすり寄ることは民主主義の自殺行為なのである。日本の破滅を招くNHKの報道姿勢を見逃すわけにはいかない。

 

1月30日(日)曇り時々雪

雪の中、福井市内の中央、大手、順化、大宮、春山、文京地区を後援会の皆さんとポスティングする。僕の担当は中央3丁目だった。オフィスビル、マンションのいずれも空き室だらけで、中心市街地の空洞化しているのを実感する。ポスティングの後、事務所で皆さんと昼食を取る。

 

1月29日(土)晴後曇り

駅前に出かけて、「モーニングトマト」で昼食を取る。マスターの話によると、平日はまだしも、週末になると客足が激減するそうだ。何とか郊外店と対抗できる魅力を駅前に作らないと、駅前は寂れる一方である。テアトル5で「オーシャンズ12」を観る。

 

1月28日(金)晴

事務所で日曜日に予定されているポスティングの準備をする。

 

1月27日(木)曇り

春江町長が再度、合併不参加を表明した。今月実施された住民アンケートでは坂井郡4町を望む声が6割あったので不可解である。政治の世界はなかなかシナリオ通りにいかないものだが、今回のドタバタ劇はシナリオそのものが見えない。単に見えないだけなのか、それとも本当にないのか。訳の分からないままに3月末に迫る合併特例法の期限切れを迎えるのは避けてもらいたいものだ。

 

1月26日(水)雨後曇り

田無市に出かけて、FM西東京の生番組「キャッチ・ザ・フュチャー」に出演する。FM西東京はコミュニティFMと呼ばれるラジオ局で、正社員はわずか3名で、後はすべてボランティアスタッフが運営している。「キャッチ・ザ・フュチャー」を担当している伊藤幸久さんと今野拓洋さんもボランティアである。

お二人ともとても誘導が巧みで、リクエスト曲がかかっている間に、「これでいいんですか」と聞いても、「ばっちりです。その調子でやってください」とすっかり乗せられて50分があっという間に過ぎてしまった。何を話したのかも詳しくは覚えていない。前半はニューヨーク総領事館時代の話。後半が地方政治の話だった。リスナーから苦情が出ないことを祈りたい。

 

1月25日(火)曇り後晴

4ヶ月ぶりに上京する。東京は晴れていた。永田町と霞ヶ関の知人たちを訪れ、日本と世界の情勢について意見交換する。

 

1月24日(月)曇り後雨

何年も使っている携帯電話がいよいよおかしくなってきた。最近、「聞き取りにくい」とか「声が割れる」とよくいわれる。折りたためず、カメラもついていない旧式のものだが、2,3年前のものとしては電話番号の登録件数が700件と多いので重宝していた。ところが、いざ新しい機種に替えようと思っても、なかなか気に入るものが見つからない。シンプルなデザインで登録件数が多い携帯電話はないものだろうか。

 

1月23日(日)曇り

自民党森派が政治資金収支報告書に数億円の不記載の可能性があるとの報道がなされた。「政治と金」の話にはいい加減うんざりさせられる。国民のほとんどはもう驚きもしないし、怒りもしないだろう。こうした報道を受けて一般人が思うのは、「自民党内の派閥抗争が激化しているんだな」というだけのことである。他には何の意味もない。どうしてこんな国になってしまったのかとため息が出るばかりだ。

 

1月22日(土)雪後曇り

読書の楽しみの一つは、いまはもう会えない人との出会いである。しかし、こうした出会いを通して感じるのは、人はいつも同じような問題で悩み、かつ、その解決法を見出せないままであるということだ。人生は苦であるという釈迦の教えは真実である。

 

1月20日(木)みぞれ

ブッシュ米大統領の2期目の就任式が行われた。全世界に自由を拡大する決意を表明したと報道されているが、「自由」の中身が問題だ。ブッシュ政権が考える「自由」を軍事力で強制的に押しつけるのは、もはや自由ではない。アメリカが建国以来戦ってきた圧政を全世界に広げるものだ。幸い、ブッシュ政権下の圧制には救いがある。第一に、米国民の半分がこうした圧制に反対していることである。第二に、4年後にブッシュ政権が終わることが憲法で保障されていることだ。権力の破壊を制度化したアメリカ建国の父に感謝したい。

 

1月19日(水)曇り時々雨

昨年暮れからはまっているハンナ・アーレントが頻繁にアリストテレスを引用するので、最近、アリストテレスの著作(「二コマコス倫理学」、「政治学」)を読んでいる。恐ろしく難解に違いないと決めつけていたが、意外とすらすら読める。2000年以上前に書かれたにもかかわらず、現代においても人間が生きていくうえで出会うあらゆる問題が詳細に論じられている。この2000年間の人類の歩みは一体何だったのか。歴史とは何かと考えさせられる。

 

1月18日(火)曇り

午後、福井経済同友会・人づくり委員会が主催した「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった」の香取貴信さんの講演会に参加する。学校が嫌いでツッパリだった香取さんがディズニーランドの先輩から働くことの意味をどのように教わったか、同僚のライバルから本気で取り組めば夢は実現することを学んだことを豊富なエピソードを交えて楽しく話していただいた。ディズニーランドのガイドとして磨いた香取さんの話術には脱帽である。

続いて、中小企業家同友会が主催した講演会をはしごする。今度は、日産プリンス福井販売の勝田一郎社長による「部下から見たカルロス・ゴーンの経営」というお話だった。なぜ、日産が衰退したかという分析から始まって、カルロス・ゴーンが日産を再建した手法を詳しく紹介された。カルロス・ゴーン社長の下で実際に3年働いた勝田社長が語るカルロス・ゴーンの人物像は超人的かつ人間味溢れるリーダーで、圧倒される思いで聞いていた。

 

1月17日(月)雨

阪神大震災から10年。10年前のこの日、ニューヨークは大雪だった。早朝、突然、大阪の知人から、「たった今、地震があった」と電話があった。地震発生と同時に国内電話は不通になったが、なぜか試しにかけてみた国際電話がつながったのである。その後、新聞、テレビを通じて日本から伝えられる悲惨な阪神大震災の被災状況にただただ絶句するばかりだった。あれから10年。幸い、大阪の知人も元気に活躍している。阪神大震災10年は、我々が災害と隣り合わせであることをあらためて教えてくれると同時に、不幸にして災害にあっても力を合わせれば必ず立ち直れると勇気づけてくれる。

 

1月16日(日)雨

読書にふさわしい雨の日だった。自宅に閉じこもって、ハンナ・アーレントの「革命について」を読む。昨年の暮れに「人間の条件」を読んで以来、すっかりハンナ・アーレントにはまっている。

さて、「革命について」は、アメリカ独立革命とフランス革命を扱ったものである。2つの革命を比較・考察して、ロベスピエールの独裁に陥ったフランス革命を批判し、自由が姿を現すことのできる公的空間を保障する政治共同体を創設したアメリカ独立革命を高く評価している。

ところで、アメリカの独立宣言の中に、政府は一人ひとりの「生命、自由、幸福の追求」を保障するためにあるという有名な一節がある。高校時代に初めてアメリカに行った時に、アメリカ建国の理念の中に「幸福の追求」が含まれているのを知って、新鮮な驚きに打たれたことを覚えている。

アーレントによれば、幸福の追求には、私的幸福と公的幸福の二重の意味があり、公的幸福の追求とは、すべての市民に「公務の参加者」になる権利を与えることであるという。公的幸福とはあまり聞かない言葉であるが、これからの政治のキーワードになるような気がする。

 

1月15日(土)雨

早朝、福井工業大学の敷地の中にあるアカデミアホテルで開かれた倫理法人会の「モーニングセミナー」に参加する。その後、事務所でたまった仕事を片付ける。

 

1月14日(金)曇り後晴

事務所で来客の応対をする。

 

1月13日(木)曇り

大前研一の「考える技術」を読む。大前研一さんは戦略的コンサルティングで世界ナンバーワンのマッキンゼーのディレクターになられた方である。マッキンゼーが本場アメリカで、というより世界中で、どの位尊敬されているか、日本ではあまり知られていない。そして、そのマッキンゼーで一世を風靡した大前研一さんは、国際的に認められている数少ない日本人の一人である。大前さんの思考の明晰さにはいつも圧倒されるが、大前さんの考え方の基本は、「仮説、実験、検証」という科学者のものだと種明かしをしているのがこの本である。大学生の息子に読めと送っておきながら、自分はまだ読んでいなかった。とても勇気づけられる本だ。お勧めします。

 

1月12日(水)曇り時々雪

夜、南条町で行われた幼なじみでもある友人のお父さんのお通夜に出席する。福井市ではあまり降っていなかったのに、南条町は降りしきる吹雪だった。吹雪の中をやはりその友人が車の誘導をしていた。雪の中を寝台列車がゆっくり走っていた。ふるさとでは時間が止まっているような気がした。

 

1月11日(火)曇り時々雪

夜、事務所で執行部会。年賀会の反省をする。どんなに首尾よく行ったと思えたイベントも細かく見ていくと反省点だらけである。夏のイベントまでに修正することを皆で確認する。

 

1月10日(月)雨

成人の日。しかし、福井県内のほとんどの成人式は前日行われたようだ。午後から妻と二人で駅前に出かけて行って、「だるまや西武」で食事をした後、店内をぶらぶらした。デパートに出かけるのは一年ぶり、いや、もっと行っていないかもしれない。

その後、テアトルサンクで「ハウルの動く城」を観る。宮崎駿のアニメは「風の谷のナウシカ」以来ずっと観ているが、観客動員数が飛躍的に増えだした「もののけ姫」以後の作品はちょっと難しすぎるように思う。大人でさえ難しいのに、子供たちに分かるのだろうか。

「ハウルの動く城」も結局、何を言いたいのか良く分からなかった。映画を観た後、ぶつぶつそんなことを呟いていたら、呆れた顔で妻に「あなたはあれこれ理屈で考えすぎるからいけないの。もっと素直に感じればいいのよ」とたしなめられた。

 

1月9日(日)雪

福井市のワシントンホテルで恒例の年賀会を開く。生憎の雪にもかかわらず、県内各地から大勢の方に来ていただいた。今年は、寸劇や合唱という新しい取り組みが導入されて、実行委員会のメンバーはどうなることかと期待と不安の混じった気持ちでいたが、結果は大成功で、年賀会の後、チャイナテーブルで開かれた打ち上げは大いに盛り上がった。今年も順調にスタートが切れてほっとする。

 

1月8日(土)曇り時々雪

明日の年賀会に備えて、挨拶を何度も読み直す。午後から雪が降り始めて、大雪にならないで欲しいと祈りながら夜を迎える。

 

1月7日(金)雨後曇り

悲しい日だった。午後、福井新聞社の吉田耿介社長の葬儀に出席した後、夕方、不慮の事故で亡くなられた知人のお子さんの通夜に出席する。「悔しいです。どうしてこんな目に逢わなければいけないんですか」と泣き崩れる知人にかける言葉がなかった。この世で起きるすべてのことに果たして整合性のある意味を与えることはできるのだろうか。もともと混沌としたものにただ意味を与えようとむなしい努力をしているだけではないのか、と深い絶望感に襲われる。

 

1月6日(木)曇り時々雨

夕方、本願寺の西別院で行われた福井新聞社の吉田耿介社長のお通夜に出席する。見たこともない長蛇の列で、回り焼香にもかかわらず焼香させていただくまでに一時間近くかかった。こんなに多くの方に惜しまれていらっしゃるんだなとますます哀悼の思いを深めるとともに、自分が死んだときに果たしてこれほど多くの方に参列していただけるだろうかと思ってしまった。身近な人の死に接すると、人生とは何か、幸せとは何かとあらためて考えさせられる。

 

1月5日(水)雪後曇り

小浜市に向かう。福井市を出たときは雪だったが、敦賀市を越えて、美浜町に入ったところで雪が消えた。やはり、嶺北と嶺南では別世界である。お昼、京福設備工業株式会社の新年会に出席。小河紀久生社長はいつも練りに練った新年のメッセージを読み上げる。何とか伝わって欲しいという社長の気持ちが痛いほど良く分かる。コミュニケーションは本当に難しい。自宅に戻って、夜中まで年賀会のスピーチを手直しする。僕自身も、何とか伝わって欲しいと祈るような気持ちである。

 

1月4日(火)雨

年始のご挨拶回り。夜、実家がある鯖江市下新庄町14組の新年会に出席する。以前は、持ち回りで各自の自宅で開いたものであるが、近年は魚屋さんや料理屋で開かれることが多くなった。今年は鯖江市の冨士屋会館で開かれた。村の青年団が華やかなりし頃の思い出話を感心しながら聞いていた。

 

1月3日(月)曇り

年始のご挨拶に回る。夜、年賀会のスピーチをほぼ書き上げる。

 

1月2日(日)晴

年始のご挨拶に回る。夜、南極から奇跡の生還を果たしたシャクルトンを描いたTV番組を見る。シャクルトンが直面した困難に比べれば、自分が抱えている問題など大したことがないと勇気づけられた。

 

1月1日(土)雪時々みぞれ

元旦。鯖江の実家に行き、家族でお正月を過ごす。今年、いよいよ、天命を知るといわれる50になる。40代の大半は選挙運動に費やしてしまった。50を超えると、人生も後半戦に入る。これまでの人生を無駄にしないためにも、変らぬ皆様の暖かいご支援に応えるためにも次の選挙には必ず勝つと決意を新たにする。そのためには体も心も一度リセットして、澄み切った状態に戻す必要がある。贅肉のない体と純粋な心を取り戻して50を迎えたい。


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