8月
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8月31日(水)晴れ
酒生地区のてくてく巡業を終える。
 

8月30日(水)曇り

酒井哲夫福井市長が来年3月に予定されている福井市長選挙に出馬しない意向を表明した。つい最近まで強い出馬意欲を示していると聞いていたので、正直言って驚いた。当初の予定通りだったのか。突然の心境の変化があったのか。政治家の出処進退は本人のみが知る世界である。

酒井市長が唱えていた「運動会型まちづくり」とは何のことか良く分からなかったが、福井市内のてくてく巡業を進めるにつれて、地区ごとに公民館単位で実に多くの方が様々な街づくりに意欲的に取り組んでいることを知った。参加型街づくりを根付かせ、多くの市民に生きがいを与え、自主性を育んだのは酒井市長の最大の功績ではないか。

福井市の財政再建についても、行政のスリム化を徹底し、大型事業を先送りした結果、一億円まで目減りした財政調整基金を40億円まで回復させた。このため、一部から「何もしない」という批判も受けたが、時流になりつつある「小さな政府」を先駆けて実践したとも言えるだろう。

てくてく巡業中に「酒井市長は前市長の後始末をした」という声も聞いた。前市長時代には職員採用や人事に市議が介入するのが当たり前だったという市政の浄化に酒井市長が尽力したという評価である。自分自身が役人であった経験から言っても、政治家が人事に介入してくると、役人はどちらを見て仕事をしたらいいか分からなくなり、まともな仕事ができなくなる。不当な政治の圧力から市役所の職員を守ったことも酒井市長の大きな功績だろう。

 

8月29日(月)晴れ

快晴の中、福井市の酒生(さこう)地区のてくてく巡業を始める。歴史のある集落であり、立派なお屋敷が多い。多くの史跡と300余りの古墳群があるという。昨年、奈良県明日香村との交流を始め、明日香村の伝承芸能である「古代劇」を酒生小学校で公演している。福井市も歩いてみると、地区ごとに様々な個性があり、その多様さに驚かされる。

 

8月28日(日)晴れ

秋の到来を感じさせる爽やかな日だった。事務所で各種資料をひっくり返しながら、政策の勉強をする。

 

8月27日(土)晴れ

湿気が少ない快晴の日だった。気候が良くなったせいか、てくてく巡業がどんどん進む。予想以上に早いペースで社北地区のてくてく巡業を終える。夕方、湊地区の夏祭りにお邪魔する。

 

8月26日(金)曇り時々雨

福井市の社北地区のてくてく巡業を始める。同じ社(やしろ)地区でも新興住宅地の社南地区や社西地区と異なり、社北地区は旧市街地である。道が曲がりくねっていて、地図を良く見ていないと目的地にたどり着けない。また、昔からの市街地の特徴としてお寺も多い。政治的にも保守的な傾向が強いというのも頷ける。

 

8月25日(木)曇り時々晴れ

朝、パソコンのメールを開けたら、北海道でお世話になった逢坂誠二・ニセコ町長からメールが来ていた。急遽、民主党から出馬することになったという連絡である。衆議院が解散になった夜、ニセコ町で一緒に飲んだときには、そんな話はまったくなかった。いま、大変なスピードで政治が動いていることを実感する。

 

8月24日(水)晴れ時々曇り

社西小学校のあたりを歩いていたら、遠くに風力発電の風車が回っているのが見えた。方向から判断すると、越前海岸の国見岳に建っている風車である。以前からこの風車を見たいと思っていたが、越前海岸の方からは見えなかった。福井市の地理が立体的に掴めたような気になり、嬉しくなる。午後、社西地区のてくてく巡業を終える。

 

8月23日(火)曇り

社西地区のてくてく巡業を続ける。県営住宅、市営住宅の多い地域である。急速に拡大する人口を吸収するために、団地造成とともに公営住宅も建てたのだろう。かなり老朽化しており、建て替え中の市営住宅もあった。コンパクトシティ構想を進める青森市では、市営住宅の新規建設は中心市街地に集中させていた。人口減少時代に入る中で、公営住宅をどう位置づけるかも検討課題だ。

 

8月22日(月)曇り時々雨

福井市社西地区のてくてく巡業を始める。1968年に行われた福井国体に合わせて建設された運動公園のあるところである。その運動公園の周囲に団地が広がっている。すぐ隣は清水町であり、清水町のグリーンハイツが見える。この地域を歩いていると高度成長期にどんどん拡大していった福井市の元気な姿が目に浮かんでくる。

 

8月21日(日)晴れ一時雨

後援会の皆さんと一緒に社西地区を一斉ポスティングする。僕は久喜津地区を回った。日野川に隣接しており、堤防が屋根ほどの高さがある。この堤防が決壊したらと恐くなる。

午後1時から福井市防災センターで開かれた夢・創造事業の公開プレゼンテーションに参加する。福井市から年間150万円の補助を受けることになった岡保、酒生、上文殊、社南地区の地域づくり計画の発表である。

岡保地区が「東山を楽しもう」というもの。酒生地区が古墳や史跡の豊富な歴史を掘り起こそうというもの。上文殊地区が東大寺の荘園だった歴史を生かした「荘園米」のブランドを作ろうというもの。社南地区が自主防災組織を作ろうというものだった。

いずれの事業計画も地域起こしの仕掛け人たちの熱い思いが伝わる素晴らしいものだった。平成6年から始まった「うらがまち作り」事業は「夢プラン」を経て、今年度から「夢・創造事業」に引き継がれた。この間、「市民参加型の街づくり」は着実に広がりを見せ、次は「市民協働型の街づくり」へという行政側の狙いだが、その狙いは当たっているように見える。

 

8月20日(土)晴れ

福井市社南地区のてくてく巡業をようやく終える。

 

8月19日(金)晴れ時々曇り

てくてく巡業再開。社南地区を歩く。午後から繊協会館で開かれた「第2回アセッサー強化塾」に参加する。

 

8月18日(木)曇りのち晴れ

福井1区に弁護士の稲田朋美さんが自民党公認候補として擁立された。靖国神社参拝を主張する自民党国会議員の勉強会で講師を務めるなど右派イデオロギーの持ち主らしい。小泉首相が進める刺客戦略は、造反議員37人をまとめて自分の主義主張に共感する人たちと入れ替えるというすさまじい戦略である。自民党を自分のイデオロギーに純化するという一念で突き進んでいる。小泉首相は、まさしく「純一郎」という名前通りの人である。

 

8月17日(水)曇り時々晴れ

郵政反対派5人により「国民新党」が旗揚げされた。遅きに失した感もあるが、造反議員をとことん追い込む小泉首相の戦略に不快感を示している人もかなりいる。ある程度の支持を集めるかもしれない。

 

8月16日(火)曇りのち晴れ

足羽山西墓地公園で大規模な陥没があったという。直径、深さともに最大で約30メートルに達しているというから深刻である。事件・事故が起きた場合のお決まりの真相究明、責任追及、再発防止の三点セットで進められると思うが、再発防止の費用が嵩みそうで気がかりである。

 

8月15日(月)曇り時々雨

終戦記念日。夜、知人のお宅に招かれて夕食をご馳走になる。

 

8月14日(日)曇り時々雨

高校時代の同級生とゴルフ。昨日の同窓会で10時間以上飲んでいたとかで、皆、二日酔でさんざんな成績だった。

 

8月13日(土)曇り

午後、毎年恒例の墓参り。

 

8月12日(金)雨のち曇り

雨の中、事務所で今回の出張でお世話になった方々に礼状を書く。

 

8月11日(木)晴れ

午前中、青森県庁で六ヶ所村の「むつ小川原開発」の現状について説明を受ける。六ヶ所村は、核燃料サイクル計画の再処理工場が建設されているところである。核燃料サイクル計画の本質は、やはりゴミ問題だった。原子力発電所でウランを燃やした後にできる使用済み核燃料の最終処分場(捨て場所)の候補地がどこにも見当たらないというのが最大の問題である。使用済み核燃料を再処理してMOX燃料としてもう一度使うことにすれば、六ヶ所村が少なくとも50年は再処理のために使用済み核燃料と再処理後の高レベル放射性廃棄物を受け入れてくれる。つまり、50年間、使用済み核燃料の最終処分場の問題を先送りできるわけである。午後、青森市を出て、東京経由で福井市に戻る。

 

8月10日(水)晴れ

早朝、ニセコ町を出て千歳空港へ。千歳空港から青森市に飛ぶ。青森県庁に伺ってから、青森市内のパサージュ広場で街づくりあきんど隊々長の加藤博さんと青森市役所の職員の方からコンパクトシティの取り組みについてお話を伺う。

青森市は冬場に除雪費がかさむことから、街のビジョンとしてコンパクトシティを掲げて積極的に市街地拡大の抑制に取り組んでいる。

佐々木誠造市長がコンパクトシティを唱え出したのが平成3年というから、先見の明があったものである。加藤博さんのお話を伺っても、青森市役所の職員のお話を伺っても、佐々木市長の街づくりの理念がしっかり浸透しているのには感心させられた。

続いて、中心市街地活性化の目玉として建設された再開発ビルの「アウガ」を訪れる。全国でも再開発ビルが数多く建てられているが、ほとんどが失敗している。ところがアウガを訪れてびっくりした。青森市内のどのデパートよりも賑わっている。「青森のどこにこんなに若い人が隠れていたのか」と加藤博さんが仰るように、若い人で溢れている。再開発ビルもやり方次第で、中心市街地活性化の起爆剤になると大いに勇気づけられた。

 

8月9日(火)晴れ

昨日から北海道のニセコ町を訪れている。小松から千歳まで飛んで、千歳からレンタカーで3時間。通常は2時間らしいが、カーナビの設定を間違えて随分回り道をしたようだ。

昨夜は誠照寺派の世雄寺(せおうじ)を訪れ、住職の上野和丸さんと逢坂誠二・ニセコ町長の3人で食事をした。明治時代に福井県からニセコ町に開拓に入った福井県人が多数おり、ニセコ町に「福井」という地名があるのには驚いた。池田町出身の上野さんのお爺さんが檀家の方々のお世話をするためにニセコ町までやってきたそうだ。

今日は、ニセコ町役場で逢坂町長からニセコ町政の概要について簡単に説明を受けた後、マンツーマンでニセコ町をご案内していただきながら、これまでの軌跡について詳しくお話していただいた。「情報の共有化」と「住民参加」を掲げ、粘り強く住民の変化を待ちながら全国のモデルになるような改革を次々と実践してきた逢坂町長の語る言葉には説得力があり、とても勉強になる。

 

8月8日(月)晴れ

衆議院が解散された。小泉総理は再三、否決された場合の解散をほのめかしていたが、まさか、本気で解散するとは思わなかった。郵政民営化をめぐって自民党が分裂したまま総選挙を行えば、自民党と公明党を合わせても過半数を得られず、自民党が政権を失う恐れがあるからだ。

これまで自民党は何と言われようと、政治理念や政策よりも政権維持を優先させてきた。失った政権を取り戻すためには、野合と呼ばれるのも意に介さず社会党との連立政権を実現させたこともある。政治理念よりも政権を握っているうまみを分配することで、多種多様な議員の結束を保ってきたのが自民党である。

ところが、小泉総理は政権を失う恐れもかえりみず衆議院の解散に踏み切った。小泉総理にしてみれば、自民党が公約としてきた郵政民営化法案が否決されたのだから、衆議院を解散して自分が進めてきた構造改革に対する民意を問うのが当然だということだろう。小泉総理は政権維持よりも政治理念を優先する極めて稀な自民党総裁と言えるかも知れない。

現時点では、今回の総選挙の争点が何になるのかは分からない。小泉総理は「郵政民営化」を争点にすることを明らかにしているし、民主党は「政権交代」そのものを争点にしようとするだろう。自民党の造反議員にしても、いつまでも「自民党を愛している」と言っているだけでは選挙を戦えない。いずれ、何らかの争点を示さざるを得なくなるだろう。

「いま、日本はどんな問題を抱えているのか」「そして、その問題を解決するにはどうしたらいいのか」が真剣に問われる選挙になる。そして、国民がもっとも納得する争点を示しえた政党や政治グループが支持を集めることになるだろう。また、選挙が終わった後も、選挙で最も支持を集めた争点を軸として、政界が再編されていくことになるだろう。

多くの問題が複雑に錯綜する現在の状況で、争点を一つに絞るのは容易なことではない。しかし、方向性を示して混沌に秩序を与えるのが政治本来の役割である。これまでの選挙では、どの政党が中央からお金を持ってこられるかが問われていたが、ようやく、どの政党がより正しい方向を示しているかが問われるようになった。小泉総理は構造改革には失敗したが、政治改革には成功しつつあるように見える。

 

8月7日(日)晴れ

福井市のフェニックス祭り、田原町祭りに出かけて、多くの人と出会う。

 

8月6日(土)晴れのち曇り一時雨

広島原爆の日。早朝4時起きして、実践倫理宏正会の平和祈念朝起会に参加。午後、中弁連シンポジウム実行委員会に参加。夜、知人宅に招かれて夕食。

 

8月5日(金)晴れ

福井市舞屋町にある収集資源センターを訪れる。燃やせない粗大ゴミを収集するところである。現在、福井市ではステーション収集を行っていないので、女性とミニ集会をすると「粗大ゴミの日が欲しい」と言われることがある。福井市では粗大ゴミは自分で持ち込むしかないのかと思っていたら、収集資源センターでは収集依頼の電話を受けると順番に収集に行っているそうだ。ちなみに、6月に集まった粗大ゴミは3600t、一日平均120tとのことであった。粗大ゴミの日を設けると、収集するトラックの数がとても足りないという説明も頷ける。

 

8月4日(木)晴れ

夜、中小企業家同友会の主催によりリライムで開かれたビアパーティに参加。屋上のビアガーデンで開催予定だったが、雨が降るとの天気予報で急遽、屋内の会場になった。雨に降られなかったのは良かったものの、全身、焼肉の臭いだらけになった。会場になった部屋にも臭いが染み付いたのではないかと心配になる。

 

8月3日(水)晴れ

社南地区の江守の里を訪れる。江端川が日野川に流れ込む地点である。大きな水門と排水機場があった。たまたま在宅中だった支持者の方にお話を伺うと、増水して日野川の水位が江端川より高くなったときに水門を下ろして江端川への逆流を防ぎ、江端川の水をポンプで日野川に汲み上げるのだそうだ。昔はよく江端川が氾濫したらしい。ここにも水害との戦いの跡がある。ちなみに「江守」という地名は、川(=江)を守るという意味でつけられたそうだ。

 

8月2日(火)晴れのち一時雨

社南地区のてくてく巡業中、治水記念館を訪れる。福井市は九頭竜川、足羽川、日野川に囲まれ、しかも、洪水時の水位が市街地よりも高いため、堤防が決壊するたびに大きな水害を招いてきた。福井市の歴史は水害との戦いの歴史であり、今でも、水害と隣り合わせであることがよく分かる。とても勉強になる施設だが、残念ながら他の見学者は誰もいなかった。

 

8月1日(月)晴れ

午前、福井市東安居地区のてくてく巡業を終える。午後から社南(やしろみなみ)地区のてくてく巡業を始める。夜、事務所で執行部会。秋以降の活動計画について話し合う。


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