ブンブン日記 2001年 8月

2001年8月31日(金)

夕方、芦原町の名門受験塾である寿学園の依頼で、中学校2年生相手に「英語はなぜ必要か」という話をする。子供たちに積極的に声をかけても、反応がなかなか返ってこない。私の力不足なのか、川上亮一さんのいう「新しい子供たち」なのか。寿学園を経営されている斧(おの)先生によれば、これが普通だそうだ。受験塾では真面目にしているが、同じ子どもたちが公立学校では学級崩壊を起こしているという。もう一つ驚いたのは、英語の教科書の中身である。文語体の文章がほとんどなく、口語体の会話文ばかりである。英語がちっとも話せるようにならないこれまでの英語教育の反動だろうが、ちょっと行き過ぎではないか。これでは、親が心配になって、塾に通わせるのも無理はないと思った。教育現場では、大変なことが起きているという危機感を強く持った。

 

2001年8月30日(木)

午後5時半から経済同友会の「地方行財政を考える委員会」の役員会。経済同友会のメンバーに答えていただいたアンケートの集計結果を検討する。現在の国及び地方の行財政に対する不満が浮き彫りにされているが、同時に基本的な知識が不足していることも読み取れる。このためマスコミの論調がそのまま反映される結果となっており、オピニオン・リーダーの役割が大きいと感じた。夜7時半から、今度は政策委員会の産業部会。既存産業、特に製造業の生き残り策について議論する。「既存産業の知識化と知識産業の創出」が基本的なテーマとなる。大森哲男さんが、成功したブランドの流通経路に様々な商品をのせることで全体の産業が活性化した北イタリアの例を紹介。地域振興のベストプラクティスを語るのが分かりやすいと納得した。

 

2001年8月29日(水)

外務省時代の同期で、現在、シリコンバレーでコンサルタントをしている山本成一さんがキャメル・ヤマモトというペンネームで「稼ぐ人、安い人、余る人」(幻冬舎)という本を出した。山本さんは同期の中でもダントツの「変人」で、国会でメモ取りをしているときにヨガの逆立ちのポーズをしていて衛視さんに注意されたという逸話はいまでも外務省で語り草になっている。非常に視野が広く、考え方が柔軟なので、彼とあれこれ話しているだけで、問題が解けてしまうという貴重なタレントである。昨年8月にシリコンバレーに出張した際には、山本さんのお宅に1週間お世話になった。人財市場が流動化する中で、「稼ぐ人」になるためのヒントが分かりやすく書かれている。山本さんのような異才が実際にどうやって考えているかもよく分かる。ちなみに私も実名で稼ぐ人の時間術のところで紹介されている(同書185ページ)。山本さんの友情に感謝します。

 

2001年8月28日(火)

朝、敦賀市を出て、武生市の大心寺に向う。大心寺の住職をされている桜井さんは誠照寺派の中で父が非常に親しくさせていただいている方で、かねて父よりお寺のことについては必ず相談するように言われている。暖かく迎え入れていただき、細部にいたるまで丁寧なご指導をいただいた。お寺の中で桜井さんと話していると、父といるようで心が落ち着く。その後、村上さんご夫妻と蔵の街の「もめん」で昼食。八ツ杉千年の森で賄いをしていた山口さんが新しく出したお店だ。午後から病院に行き、夕方まで母と交代。夜、エド・ミラーの紹介で出口幸宏さんとその仲間たちと食事。30代の彼らの意気軒昂さに勇気づけられる。バブルが弾けた後に社会人になった彼らには、40代や50代が抱える挫折感がない。日本を再生させるのは彼らなのかも知れない。

 

2001年8月27日(月)

9月28日に敦賀新港フェリーターミナルで行われる「ハーバーナイトwith高木ぶんどう!!」の打ち合わせを敦賀市の慶秀さんのお宅で行う。とてもすてきなチラシとチケットができ上がっていた。打ち合わせが終わった後、皆で出かけたお店が次々に閉まっていて、3軒目でようやく腰を落ち着けることができた。敦賀市は原発とどうつきあっていくかという難しい問題を抱えているが、天然の良港である敦賀港があるほか、京阪神や中京地域との交通アクセスも良く、まちおこしの材料に不足はない。工夫次第でどうにでもなるのではないか。11時解散。敦賀市で泊まる。

 

2001年8月26日(日)

前夜から病院に泊り込んで、午前10時に母と交代する。自宅に帰ってシャワーを浴びた後、田原町商店街の「とみや」でお好み焼きを食べる。豚肉のモダン焼きにたっぷりマヨネーズをつけて、ビックコミックを読みながら食べるのはとても幸せである。8月5日に田原町商店街でバザーをしたので、すっかり顔なじみになり、マスターもおかみさんも気軽に声をかけてくれる。田原町商店街は狭い道路をはさんだ昔ながらの商店街である。福井市で最も商店街らしい商店街といわれている。いま、この道路幅を広げるという話が持ち上がっており、「そんなことしたら値打ちがなくなってしまう」と反対しているとのことだった。賑わっているから、もっと、車が入れるようにと道路幅を広げた途端にさびれてしまうケースはよくある。便利さを追求したら、郊外のショッピングモールに負けてしまう。人は便利さだけでなく、猥雑性を求めて集まるのである。

 

2001年8月25日(土)

姉が東京に帰って一週間。毎晩、病院に泊り込んでいる母の疲れがピークに達する頃なので、昼から母と交代する。熱が下がってから、父の状態はとても良い。元気が良すぎて、夜中の1時過ぎまでベッドの中で動き回っていた。「ちょっと、お父さん。おとなしくしてよ」と言ったら、「おとなしくしてなんかいられん」と言う。「どうして?」と聞いたら、「お父さん、お酒が飲めんやろ」。「うん、飲めないね」と相槌を打つと、「ほかにすることがない」。あんまり、おかしくて大声で笑ってしまった。父も笑っていた。このまま快方に向っていくのか、単なる小康状態なのか。長期戦になるのならば、介護体制を見直さないと、介護している母がつぶれてしまう。自分が当事者になると、介護が大きな問題であることがよく分かる。介護の責任者は、家族なのか社会なのか。家族の責任は免れないが、家族だけの責任にはしないというのが現行制度の考え方のようだ。実際、介護のスキルを持った介護士の存在は介護に不慣れな家族にはとても有難い。家族だけでは手に負えない問題を社会が支援するというやり方は他の分野(例えば、家庭教育)にも応用できるかも知れない。ただし、家族の責任放棄というモラルハザードにどう対処するかも考えておく必要がある。

 

2001年8月24日(金)

ガーデンパーティの当日。5時45分会場到着。音響チェックでガーデン用のスピーカーが足りないことが分かる。前回の選挙から音響問題ではいつもつまずく。室内用のスピーカーを一つ外に持ち出して対応していたら、救世主登場。武生市の斎藤さんが、たまたま翌日のイベントのために持参していた外部スピーカーを設置してくれた。しかも、斎藤さんは前回の選挙から私の陣営の音響対策に危機感を持っていたという。本当に助かりました。有難うございます。6時45分頃から人が集まりだす。8時頃、ピークに達する。200名は超えたようだ。8時15分に簡単な挨拶。ご縁をいただいた素晴らしい方々にお互いに知り合っていただきたいという話をする。写してすぐに名刺サイズの写真を手渡せるチェキが大活躍した。チェキ担当は前半が福井大学生の畠中さんと藤田さん。後半が五十嵐さん。デジカメ担当は映画も手がける多才な内田栄時さん。9時45分頃に松平事務局長が中締め。それでも皆さん帰らない。10時15分にミュージックを流すのを止めて、ようやく10時半に終了。今回も多くの方にお手伝いいただきました。本当に有難うございました。イベントはこれからもどんどんやっていきます。よろしくお願いします。

 

2001年8月23日(木)

NHK教育テレビで放送された「ケビン・スペーシー自らを語る」を見る。ケビン・スペーシーはいま最も注目されているアメリカの俳優で、「ユージュアル・サスペクツ」でアカデミー助演男優賞、「アメリカン・ビューティ」でアカデミー主演男優賞を受賞している。月曜から続いたロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープ、トム・ハンクスという現代の名優たちがニュースクール大学の演劇志望の学生たちに語りかけるシリーズの最後。磨きぬかれた知性と感性と技術が優れた個性の土台になっていることに深い感銘を受けた。「下積み時代をどう過ごせば、芸能界でのご褒美(the ultimate prize)がもらえるのか」という学生の質問に対するケビン・スペーシーの回答が素晴らしかった。「芸能界でのご褒美なんてものはない。そういうものは自分自身の中にしか見出せない。こうなりたいという自分の姿を目指して、全身全霊で打ち込んでいけば、達成できないものはない」。どこの世界にも通用する至言である。

 

2001年8月22日(水)

午後、父の見舞いに行くと、信じられないほど元気になっていた。母の話によると、昨日、点滴の場所を首筋から足首に変えたのが効を奏したらしい。首筋から点滴していたとき、点滴口からばい菌が入って、そのため熱が出ていたようだ。このまま快方に向かってくれれば有難いのだが、しばらく様子を見守るしかない。3ヶ月前に父が倒れてから感じるのは、現代医学は本当に無力だということ。お医者さんもほとんど手探り状態で治療しているという印象を受ける。もっとも、お医者さんを責める気にはなれない。政治、経済運営、企業経営のどれをとってみても、確実に分かっていることは少なく、いつも不確実さと曖昧さの中で判断を迫られているからだ。不確実さと曖昧さの中で成功するには、失敗を恐れず、とにかくやってみて、そこから学び続けるしかない。

 

2001年8月21日(火)

台風11号が接近。福井県は暴風雨にはならなかったが、万一のことを考えて「教育問題を考える委員会」が延期になった。午前中、松村龍二事務所(福井県選出の自民党参院議員)の小林さんがお見えになる。国政及び県政全般について意見交換する。小林さんによれば、来年中にも衆議院選挙があるのではないかということだった。最近の株式市場の急落に象徴されるように、今後、日本経済は急速に「小泉不況」に陥る恐れがある。となると、小泉人気は急落し、即効的な景気回復を求める声が高まって、総選挙になだれこむことも考えられる。そうなると、世界のマーケットはいよいよ日本を見放し、日本の株式市場は大暴落する。日本の英知を結集して、何とかこういう事態を避けなければならない。ここ1、2年が日本の正念場になる。

 

2001年8月20日(月)

午後、父の見舞いに行く。熱があるためか、ずっと眠っていた。私は父のそばで、時折オムツを換えながら、本を読んでいた。夜7時から「福祉問題を考える委員会」に出席する。日頃、福祉問題の実務に携わっている方が集まったので、福祉問題の本質に触れる深い議論になった。これまでの福祉は、恩恵、言い換えれば、与えられた福祉で、障害者はこれを当り前のこととして受け止め、声を出してこなかったという。例えば、福井県の場合、福祉施設の整備率が高いために、かえって、障害者が地域の中で暮らし、地域で死ぬことができなくなっているという。私の個人的な感覚でも、ニューヨークでは障害者の姿を頻繁に見かけたものだが、日本ではほとんど見かけない。要するに、障害者を隔離しているのである。効率性を追求する工業化社会の中で、効率性の障害となるものは、教育や生活の場から排除されてきた。これがひいては、我々の人間観を歪める結果につながっているのではないか。ノーマリゼーションとかインテグレーションとか呼ばれているが、いま、求められているのは「全体性の復活」ではないかと感じた。

 

2001年8月19日(日)

朝、福井市内のアパートを出るとき、目の前の田んぼで稲刈りをしていた。5月の連休のころに田植えをして、もう稲刈りだから、4ヶ月間の生産サイクルである。結構、早いものだと感心する。しかし、1年のうち残りの8ヶ月間は休耕しているわけだから、田んぼの稼働率は極めて悪いともいえる。おまけに減反に次ぐ減反で、実際にコメを作っている田んぼは相当少なくなっているのである。日本人がコメを食べなくなったということか。終日、事務所で自伝の執筆。アメリカ留学の巻を終わり、外務省時代に入る。外務省に入ったのは、いまから23年前の昭和53年。福田赳夫内閣のころである。内閣の目玉として入閣した牛場信彦対外経済担当相の下で「東京ラウンド」と呼ばれる包括的貿易交渉を担当する国際機関第一課に配属されて、毎日、夜中の2時、3時ころまで「雑巾がけ」をしていた。当時も熱帯夜の連続だったが、いまの日本とは違う熱気があった。あのころの日本の熱気が懐かしい。

 

2001年8月18日(土)

午後、父の見舞いに行く。姉が夕方5時4分の雷鳥で東京に帰る。両親と姉弟の4人でこれだけ長く一緒に時間を過ごしたのは30年振りである。「もっといい時に、一緒にいれたらよかったのに」と母が言っていたが、いい時にはそれぞれ忙しくて集まらないのである。「後悔先に立たず」とはこのことか。姉がいなくなって、いよいよ、本格的に介護をせざるを得なくなった。初めて父のオムツを換える。まさか、こんなことをするようになるとは思ってもいなかった。父も緊張したようだが、オムツを換え終えたら「ありがとう」と言ってくれた。それから、父はホッとしたようで、色々と話しかけてきた。入院して初めて父の口から「自然法璽(じねんほうに)」という仏教の言葉が出た。親鸞の晩年の境地で、一切の存在はおのずから真理にかなっていることをいう。病室で父と二人きりで話していると、私の気持ちもおだやかなものになった。

 

2001年8月17日(金)

午後1時半よりガーデンパーティの打ち合わせ。出欠を取ることを確認する。来週月曜日の夕方に現場で設営の最終確認を行うこととなった。夕方、環境部会。原発問題については、反対派と賛成派の対立はあるが、広い視野から原発政策のあり方について議論できる人材が決定的に不足しているとの共通認識に達する。インターネットで原発問題についてのサイトを立ち上げ、そこで全国から幅広く意見を吸い上げる戦略に転換することを決定する。その後、お盆休みで集まっている高校時代の同級生の磯山秀子さん、尾野美恵子さん、金井洋子さんたちと合流する。偶然、全員が同じ年に高校を卒業したことが判明し、盛り上がる。

 

2001年8月16日(木)

執行部の平木寛治さんが一週間後のサマーガーデンパーティのことを心配して事務所に顔を出してくれた。現状を把握し、動員体制に入るために、金曜日に打合せ会を開くこととなる。その後、父の見舞いに行く。母と交代で父の介護に当たっている姉とあれやこれや話す。父と母のこと、親子関係のこと、姉の家族のこと、私の家族のこと。身内で話しているとどうしてもため息だらけの話になる。臨床心理学者の河合隼男さんがどこかで「家族関係は大事業である」と言っていたのを思い出す。まさしく、家族関係は大事業である。わずらわしい家族関係を後回しにするうちに、日本社会全体がおかしくなってしまったようだ。日に日に幼児のようになっていく父を見ていると、教育とは本能に文化を押しつけるものだという川上亮一さんの話がよく分かる。家族関係も教育も文化も本質的にわずらわしいものであるという覚悟が必要なのかもしれない。

 

2001年8月15日(水)

終戦記念日。靖国神社参拝について論じた時事直言についての感想が続々と入ってきた。わざわざメールをくれる人は、ほとんど賛成してくれている。「高木課長の2001年8月10日の時事直言を読ませていただきました。とてもわかりやすい文章で、私が言いたくても、うまく表現できない感想をすべて述べられ、嬉しいあまりにたくさんコピーを取り、友人に配りました」というのは、13年前に熊本県庁で国際課長をしていたときの同僚の渡辺真弓さん。渡辺さんは中国生まれの中国育ちで、中国語の通訳をされている。中国に対する私の不用意な発言に対して、目に涙を浮かべて抗議されたことを覚えている。アメリカの投資顧問会社で働く渡部京子さんからは、時事直言についての感想に加えて、外国人投資家の日本に対する醒めた見方が届いた。「小泉政権に対する関心は海外でも高くありますが、彼のEXECUTION&DELIVERY POWER (実行力) については早くも黄信号が点滅しているようです。今週はLAの本社にいるのですが、お盆の閑散としたMARKETでBOJ(日銀)の動きや急速な円高は非常に不気味に思われます。お盆の時期は、UNPREDICTABLE(予測できない)な動きをすることが多いので要注意なのですが、今年もやはりという感じです。マクロ的には日本の将来は暗いですね。CYCLICALなREBOUND局面(景気変動による上昇局面)はどこかであるのかもしれませんが、低い人口の伸び、急速な高齢化、中国への生産シフトというSECULARなNEGATIVE要素(事実関係のマイナス要素)を考えると 次世代に同情したくなります」。この10年間の彼女の予測はすべて当たっており、悲観的にならざるを得ない。

 

2001年8月14日(火)

兵庫県尼崎市で小学校1年生の男児がポリ袋に入れられて遺体で見つかるという事件が起きる。日常的に虐待していたとされる両親(2人とも24歳)が疑われているようだ。その夜、偶然、NHK衛星第2放送で「コウノトリ なぜ紅い」という幼児虐待問題を扱ったドラマを見た。母子カウンセラーの薬師丸ひろ子がカウンセルした母子が次々と失踪する。失踪した母子を追ううちに、同僚のカウンセラーが育児ノイローゼになった母親たちの子供を「コウノトリクラブ」という幼児売買業者に斡旋していることが明らかになるという怖いストーリーである。母性の欠如、そして父性の欠如はなぜ起こるのか。家族問題に真剣に取り組まなければ、日本社会は確実に崩壊する。

 

2001年8月13日(月)

恒例のお墓参り。お墓がある南条町清水ではこの日にお墓参りをする人が多い。毎年、この日にはお墓で懐かしい方々に出会う。知り合いの子どもたちの成長した姿にかつての面影を認めてしばし感慨にふける。父の見舞いのために駆けつけた姉の末娘のまりかちゃんが見違えるように愛想が良くなっていたのに驚く。174センチと背が高いのを苦にしていつも不機嫌そうな顔をしていたが、最近、街に出かけるたびにモデルにならないかと声をかけられるようになって「自分もまんざらではない」と思い出したようだ。小泉首相が前倒しでこの日靖国神社を参拝する。これしかないというギリギリの選択であった。総理になって初めて外交の恐さを実感されたのではないか。感性の鋭い方なので、究極的な経験をする中で外交の何たるかを体得されたのではないか。そう期待したい。

 

2001年8月12日(日)

久し振りに読書三昧の一日を過ごす。まずは、「新時代のリーダー像を考える特別委員会」の増田仁視委員長にいただいた稲盛和夫編「リーダーの資質」(PHP出版)。リーダ―に最も求められる資質は「人格」であるという。ちなみに、アメリカ大統領の強大な権限は初代アメリカ大統領であるジョージ・ワシントンの人格を想定して与えられたもので、それだけの人格を備えていない人物が大統領になると大統領職はうまく機能しないという指摘は説得力があった。では、自分にそのような人格があるのか、と自問すると、とてもあるとは思えない。「人格は与えられるものではなく、仕事の中で自ら磨くものだ」という稲盛さんの言葉に何とか救われる。次に先日、講演を聞いた河上亮一さんの「教育改革国民会議で何が論じられたか」(草思社)。現在の日本が抱える教育問題の概要を知るにはコンパクトな一冊である。最後にドラッカーの "Management: Tasks, Responsibilities, Practices" に取り組む。800ページを超える大著で2年前からぼちぼち読んでいる。ようやく、4分の3のところまできた。

 

2001年8月11日(土)

父の見舞いに行く。こちらの言っていることは分かっているようだが、父が何を言っているかは分からない。夜、鯖江の実家で食事。その時、数年ぶりに、シンディから電話がかかってきた。1994年の夏、私が働いていたニューヨークの法律事務所にサマーインターンとしてエール大学ロースクール(法律大学院)から研修に来ていた日系人の女性である。ロースクール卒業後、2つの法律事務所での勤務を経て、現在、GE(ジェネラル・エレクトリック社)の法律顧問として東京で働いているとのこと。鯖江の実家にはほとんどいないのに、まるで、いる時を見計ったように電話してきた。単なる偶然なのか、ユングの言うシンクロニシティ(共時性)なのか、不思議なことがあるものだ。世の中には理屈を超えた力が厳然として働いているようだ。

 

2001年8月10日(金)

「もう、そろそろ時事直言を書いてください」と事務所の長谷川さんに言われて、靖国神社参拝問題について書く。詳しくは時事直言を読んでもらいたいが、外交問題がこじれる時は、いつも、日本国民の誇りとか国威発揚が絡むときである。日本外交の歴史を振り返ると、国際連盟の脱退や日独伊三国同盟の締結など国民が拍手喝采した外交政策はいつも失敗している。反対に、ポーツマス条約や日米安保条約の締結など大規模な反対運動が起きるような外交政策は成功している。「敵を知り、己を知る」のが戦略の基本であり、不愉快でも現実を直視したときは成功、幻想に踊らされたときは失敗する。粋がったり、啖呵を切っても、これを裏づける力がなければ、恫喝されてすごすごと引き返さざるを得なくなる。外交で国威発揚したいと考えるのならば、そのための力と体制を準備する必要がある。

 

2001年8月9日(木)

福井経済同友会が主催する「教育問題を考える特別委員会」に出席。西藤正治福井県教育長が「福井県の教育改革の取り組みについて」と題して基調講演を行う。社会通念と政策に乖離がある場合に改革が必要になる。社会通念と政策との乖離をなくすことが改革であるという基本的な考え方を述べられた後で、@少子化、A核家族化、B都市化、C情報化という社会変化が引き起こしている問題に対してそれぞれどう対応すべきかについて説明された。教育のあり方についての社会通念が破綻しているところに問題があるのに、社会通念の中に改革のビジョンを求める発想はどうかと思うが、社会変化が引き起こしている問題に対してどう対応すべきかという方法論は正しい。必要なのは改革ビジョンを分かりやすく語る政治的リーダーである。

 

2001年8月8日(水)

織物整理包装共同組合研究会の第2回目。異様に長い名称の業界だが、簡単に言うと、福井の産地で出来上がった織物を出荷先ごとに荷造りする仕事をしている。合繊織物の産地である福井では、大きく分けて、東レや帝人などの原糸メーカーから支給された原糸を織物にする@織物業と、そこで出来上がった布を染色するA染色整理業がある。染色整理業から荷造り部門をアウトソースしたのが整理包装業である。ユニクロ現象が吹き荒れる構造不況業界の中で、染色会社に大きく依存する整理包装業界が生き残る道はあるのか、3回にわたって検討する。前回はビジネスモデル、今回はコアコンピタンスとSWOT分析という分析ツールを使いながら議論した。午後4時から南条町清水にお墓の掃除に行く。老人会の皆さんのお陰ですでにきれいに掃除されていた。夕方6時、父の介護に東京から駆けつけた姉を鯖江駅に迎えに行く。夜、父を見舞いに行く。

 

2001年8月7日(火)

富山経済同友会が創立40周年記念行事として富山市で開催した教育シンポジウムに参加する。基調講演は川崎市立城南中学校の現役教師である河上亮一さん。予想以上に面白く、非常に参考になった。河上さんによれば、14、5年前から非常にひ弱で、しかも、我が強い「新しい子供」たちが登場したという。彼らは、他人を受け入れない狭くて固い自我を持っており、社会的自立が難しくなっている。以前のように「ワル」というわけでなく、「普通の生徒」が時と場合によって何でもする。原因としては、@物質的な豊かさ、A自由、平等、個第一という理念が社会のすみずみまで行き渡った結果、大人たちのつながりがなくなり、共通の価値が喪失したということが大きい。地域の大人たちの価値観の支えがあって初めて生徒は教師の言うことを聞く。教師の言うことを聞く社会の仕組みを作ることが重要ではないかという話だった。非常に深い話をされているので、ご関心のある方は河上さんの本を読まれることをお勧めします。「学校崩壊」「教育改革国民会議で何が論じられたか」河上亮一著、草思社。

 

2001年8月6日(月)

バザーに玉ねぎを提供していただいた田辺諭己さんにお礼に行く。芦原町からちょっと離れた北部丘陵地帯で玉ねぎを栽培している。北部丘陵地帯には遊休農地がふんだんにあるそうだ。ここで農業をやってみたいという人がいても、売り先がないのが問題だという。「農業問題は、すなわち流通問題」ということらしい。夜、毎偶数月の第一月曜日に開催している文堂塾。9回目の今回は、白崎コーポレーションの白崎弘隆社長(43歳)による「我社の経営戦略」。31歳の時にお父さんが亡くなられて、債務超過のインクリボン製造会社の社長に就任。@関連分野で、Aリスクが少なく、B伸びていくマーケットという観点から、トナーリサイクル、防草植栽培シート、通信販売事業の3つの新規事業を展開して、連結売上を社長就任時の約3倍(46億円)まで伸ばした。また、アメリカ工場、ベトナム工場の建設と積極的に海外戦略を展開しながら、同時に国内従業員の仕事を確保する目配りを忘れない。福井の産業が再生するための多くのヒントがあるような気がした。

 

2001年8月5日(日)

「激安!ブンブンバザー」の当日。8時半に野尻さんの倉庫前で平木さんと待ち合わせ。商品をバザー会場に運ぶ。9時から会場の設営。10時頃、笠松さんが田辺諭己さんにいただいた2tトラック一杯分の玉ねぎを運び込む。バザー開始予定は1時なのに、ご婦人方が集まりだす。11時、ついに見切り発車。石鹸やタオルなどめぼしいものがあっという間に売り切れる。家庭用品や食料品など消耗品はすぐ売れるが、趣味性の高いものは安くしてもなかなか売れないことが分かる。目玉商品の玉ねぎもなかなか売れない。15個で100円は安いはずなのにぼちぼちとしか売れない。見かねた茨木さんが「袋一杯つめ放題で100円」という売り方を提案。今度は人ごみができる。96ケースのうちの約5分の4が1時間ほどで完売。人間の欲望に火がつくとこうなるという貴重な経験だった。夜10時バザー終了。売上合計は25万760円。後片付けが終わってから、皆でラーメンを食べに行く。夜11時10分に解散。多くの商品を提供していただいた皆様、暑い中をご協力いただいた皆様、本当に有難うございました。

 

2001年8月4日(土)

鯖江で鉄工所を経営されている(株)福岡の協力会である福竜会が主催する納涼祭に参加。協力会の会社社員の家族を中心とする500名近くの参加者で賑わっていた。毎年、人を集めるのは、それ自体が力である。夜8時過ぎに福井市内のフェニックス通りで行われている第3回「YOSAKOIイッチョライ」を見学。札幌の「YOSAKOソーラン祭り」にならって始まった「YOSAKOIイッチョライ」だが、まだ3回目というのに出場団体は50チームを超える。「手に鳴子を持って踊る」「曲のどこかにイッチョライ節のフレーズを取り入れる」という2つの条件を満たせばあとは自由という踊りである。踊る方も見る方も予想以上の盛り上がりだった。「自分を表現したい」、「何かに熱中したい」、「人とつながりたい」という強い思いを持つ人が増えている。問題はどうやってこのエネルギーを解放するかである。

 

2001年8月3日(金)

ライオンズ・クラブの交換プログラムで福井を訪問しているベルギーのアニック(20歳の女性)の通訳をする。滞在中の予定変更についてライオンズ・クラブのキャビネットの了承を得るための通訳をして欲しいとの依頼だった。一般的に言って、日本の組織は予定の変更を嫌う。予定を変更するのは個人のわがままだという基本的な考え方がある。欧米人は組織の都合よりも個人の意志を尊重するので計画変更には鷹揚である。大した話でないのだが、文化の違いが絡むと「事件」になってしまう。アニックが途中で「私はそんなバッド・ガールじゃない」と泣き出す局面があってちょっと可哀相だった。「異文化を学ぶ貴重な体験だったね」と慰めたら、深くうなずいていた。夕方、日曜日のバザーの値づけをする。予想以上にいい商品が集まったので、皆、盛り上がる。掘り出し物が一杯ありますので、皆さん、ぜひ、立ち寄ってください。

 

2001年8月2日(木)

今度の日曜日に田原町商店街で開催予定のバザーの商品集めに追われる。結婚式の引き出物やお歳暮・お中元で貰って押し入れの中に埋もれているタオル、石鹸、コップ、布団などを支持者の方からいただく。日本独特の贈答文化のせいもあるのだろうが、どこの家庭にもそのうち使おうと思いながら埋もれているモノがあふれている。モノが売れないのも無理がない。ちなみに、当日は有機栽培の玉ねぎが2tトラック一杯分届くことになっている。目玉商品として安売りしますので、ぜひ、ご参加ください。夕方、暮らし部会の大久保恵子部会長に田中和代さんをご紹介いただく。家庭内暴力のカウンセリングをされている方である。以前、田中さんにもう廃刊になった「福井リポート」の記者としてラムサール会議出席の模様を取材されたことを思い出す。スウェーデンでは政府がボランティア活動を始めようとするものに無料で事務所と電話を提供しているという話を聞く。NPO活動を促進するやり方としては面白い。企業やNPOでできる業務は、どんどん企業やNPOにアウトソースしていくのが望ましい。

 

2001年8月1日(水)

父を鯖江の自宅近くの病院に転院させる。迎えに病院に行ったら、ベッドの上に座って食事をしていた。これまでにない元気さである。よほど嬉しかったのだろう。気持ちの持ちようでこれほど変わるものかと考えされられた。父の転院のためにあれやこれやと5時間近くかかる。その後、福井経済同友会の「地方行財政を考える特別委員会」に出席。吉田和男・京都大学教授の講演を聞いた後、役員会で今後の進め方について討議する。地方行財政の問題は重要なのだが、日本の統治システムが複雑すぎて、現状についての理解があまりなされていない。外交にしても内政にしても、これまで「拠(よ)らしむべくして、知らしむべからず」でやってきたところに、突然、情報開示しだしたものだから、どう考えて良いか分からず混乱を招いている。絡まった糸を一本一本ほどいていくような根気強さが必要である。

 
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