ブンブン日記 2001年 11月

2001年11月30日(金)

武生市の「パニエ」で開かれた沢崎蒼太郎 さんのオカリナ・コンサートに出席。沢崎さんは、現在、モンゴルのウランバートルに住んでおり、時折、生活費を稼ぐために日本に戻ってきて演奏活動をしているそうだ。沢崎さんの素晴らしい演奏もさることながら、音色を変えるために大きさの異なるオカリナをいくつも持っていたり、オカリナは結露しやすいので、ドライヤーで乾かしながら演奏しなければならないことなど、どうでもいいところに感心していた。

 

2001年11月29日(木)

福井県の繊維協会が、「中国ビジネス戦略研究会」を発足させることになったそうだ。中国の繊維産業の急成長で、台湾や韓国では繊維産地の崩壊が始まっており、東アジアでは日本と中国の二極体制になる可能性があるという。その中で、福井県の繊維産業が生き残るためには、中国メーカーにはできない繊維製品を開発するか、ユニクロのように突出したマーケティング能力を身につけるしかない。中国研究会では、中国企業との提携も視野に入れながら、中国市場はもちろん、欧米や東アジアでの新たなビジネス戦略を構築していくとしているが、災い転じて福となすようなものであって欲しい。メガネ業界でも、先見性のある企業はすでに同じような動きを見せているが、業界全体としての動きはどうなっているのだろうか。

 

2001年11月27日(火)

リチャード・クー氏の「日本経済 生か死かの選択」が面白い。リチャード・クー氏によれば、過去10年で地価と株価の下落で1300兆円もの資産価値が喪失している。ところが土地や株を担保に借りた1300兆円の借金は残っているから国全体で1300兆円の借金を抱えていることになる。そうすると企業はお金を儲けても設備投資よりも借金返済にお金を使うために日本経済全体の需要が減ることになるという。つまり、現在の不況の本質は各企業が自社のバランスシートの改善を優先するために起きるバランスシート不況であり、この不況を克服するためには有効需要を増やす方法しかないという。これまでもっぱら供給サイドから不況の克服を考えてきたが、リチャード・クー氏の分析で眼から鱗が落ちた。小泉改革に逆行するようであるが、有効需要の拡大に焦点をあてた景気回復策を提言しているリチャード・クー氏の主張には説得力がある。まだ読んでいない方がいたらご一読を強く薦めたい。

 

2001年11月26日(月)

朝、足の捻挫の治療のために武生市の柿谷リバースに行く。柿谷先生は、独自の置き鍼治療行っている鍼の先生である。柿谷先生の見立てに寄れば、足の捻挫ではなく、骨盤がずれたのだそうだ。どうして鍼治療で骨盤のずれが直るのか分からないが、治療後とにかく足の痛みがかなり治まった。世の中には理屈では説明できないが効果のあるものがある。 その後、村上さんご夫妻と昼食。村上さんから南条町史からコピーした高木治左ェ門についての説明文を渡される。高木治左ェ門とは私の曾々祖父にあたる人物で福井県の初代の県会議員を務めている。南条町の前身である南日野村の初代村長でもあったそうだ。南条町史にこのような記述があるのは、当の私も知らなかった。村上さんありがとうございます。夜、執行部会。各地の年賀会の進捗状況の検討をするとともに福井県のビジョンについて語り合った。どうも私の話は難しすぎるのでもっと分かりやすくしてほしいとの注文が出た。分かりにくいのは自分でもまだよく分かっていないからだろう。

 

2001年11月25日(日)

昨日、捻挫した足が痛くて、まともに歩けない状況が続いている。どうしたのかと人に聞かれても、理由を説明すると笑われてしまう。お昼に武生市議会議員の大久保恵子さんに誘われて、武生市「蔵の辻」で開かれた収穫祭に参加する。「蔵の辻」を武生市活性化の起爆剤にしようという試みだろう。せっかく、素晴らしいハード(施設)ができたのだから、あとはソフト(仕掛け)である。ポカポカと暖かい陽射しの中で、ぜんざいや焼きいもをいただいた。夜、鯖江市の「大根舎」で、藤田順一さんが主催する第3回「蕎麦会」に出席する。いつものことながら、面倒見の良い藤田さんの人脈の広さには感心させられる。 今宵会う人みな美しき。

 

2001年11月24日(土)

朝10時から自宅で父の四十九日の法事。幸い、素晴らしい天候に恵まれた。お昼から、鯖江市内の「藤之家」で会食。ここのお上さんが、鯖江高校で父の教え子だったこともあり、お願いした。続いて、午後2時から、本山誠照寺で前門主の満中陰法要に出勤。要するに、四十九日法要のダブルヘッダーである。四十九日の法事であげるお経は約1時間かかるのだが、自宅の法事は何とかすましたものの、誠照寺の法要ではついに足がしびれて感覚がない状態になった。お経が最後に近づくにつれて、立てないのではないかと不安になり、足をくずしてみるものの、効果なし。法中(ほっちゅう)が一斉に退出するときに、足がどうにも言うことを聞かず、ひどい捻挫をしてしまった。誠に情けない話である。「富士屋会館」での会食をすませてから鯖江の実家で湿布をしたが、しばらく直りそうにない。

 

2001年11月23日(金)

私の留守中、事務所はコンピュータ・ウイルスの対処でおおわらわだったそうだ。事の顛末はこうである。2、3日前から事務所にウイルスが送られてきていた。それまではスキャンディスクが探知していたのに昨日きたウイルスが事務所のコンピュータの一台に感染した。そこから事務所で登録されているすべてのアドレスにウイルスが送られたらしい。昨日は、この対処で仕事が手につかなかったそうだ。ウイルスの被害に遭われた方には大変申し訳ないことをしました。深くお詫び申し上げます。ネットワーク・セキュリティの大切さを痛感させられる事件だった。

 

2001年11月22日(木)

小浜市で公認会計士の松崎利夫さんと昼食を取る。若狭はもともと滋賀県の一部であり、松平春嶽に無理やり越前に組み入れられたことから、いまだに「エッチェンモン(越前者)」に対する根強い恨み、辛みがあるのだという。近敦線などの横の交通よりも、リゾート新線などのような縦の交通整備の方が有難いとのことだった。昼食後、福井市に急いで戻り、午後4時半から「カタリスト」創刊号のための対談を行う。最初の対談の相手は、高校時代の同級生で、前回の選挙の際に選対本部長を務めてもらった畏友の野坂鐵郎さん(福井タテアミ社長)にお願いした。中国の低価格攻勢に対抗するためには、当面、中国内での製造をからませたプロダクト・ミックスでしのぎながら、中国の消費者市場の成長を待ちたいとのことだった。確かに、中国経済が成長すれば、市場としての魅力も増してくるわけで悲観ばかりする必要もないと気づかされた。外部環境の変化を自らに有利なように活用していくことが必要だ。

 

2001年11月21日(水)

小浜市のホテルでイチローのMVP受賞を知った。イチローが大リーグに行くことが決まったとき、ある程度の活躍は予想したものの、MVPまで取るとは思わなかった。パワー優先の大リーグであくまで自分のスタイルを貫き、個性を極めれば世界に通用することを証明した功績は大きい。もう一つ注目したいのは、イチローをMVPに選んだアメリカ人の公平さである。人種にかかわらず、頑張った人間をきちんと評価するフェアプレーがあるからこそ、世界中からアメリカに人が集まる。MVPをとったイチローにも、イチローをMVPに選んだアメリカにも感謝したい。

 

2001年11月20日(火)

午後、小浜に向かう。27号線を走りながら考えた。小泉首相の唱える「聖域なき構造改革」で、高速道路の建設が凍結されようとしている。すると、ようやく決まった近敦線(舞鶴と敦賀を結ぶ高速道路)の建設も反古にされることになる。原発にほとんど依存している嶺南地域のインフラ整備が遅れると、いよいよこの地域の経済的自立が遅れることになる。地方のインフラ整備を凍結することで浮いたお金を何に投資するか明らかにしなければ、特殊法人の改革が、どうして日本経済の再生につながることになるのかよく分からない。日本再生の具体論に踏み込まずに今のままの総論だけで中央突破を試みるのはかなり難しいのではないか。

 

2001年11月19日(月)

午後、福井県の「教育ビジョン懇話会」と経済同友会との意見交換会が開かれた。現在、とりまとめ中の答申案の中間報告だったが、@競争原理の導入、A倫理、規範教育の強化などが盛り込まれており、よくできていると思った。多様な価値観を尊重するとよく言われるが、何の価値観も教えないで、一人ひとりの「価値観」を尊重すると、自分のことしか考えない人間だらけになる。自分たちの地域、学校で、父兄、先生、地域の有識者からなる教育理念委員会のようなものを作って、「自分たちが子供たちに伝えたい価値観はこれだ」という価値観を子供たちに教えこむ「価値観教育」の導入をお願いした。夜、生協会館で福祉委員会に出席。かなり、福祉政策の骨格ができあがってきた。「みんな違って、みんないい」という基本理念の下に、@障害を障害でなくす環境をつくる、A当事者の参画と決定を保障する、B地域コミュニティを大切にする、という基本的な方向性を考えている。来月には、このHPで発表することができるだろう。

 

2001年11月18日(日)

朝10時から中央公園で開かれた京福電鉄越前線の存続を求める決起集会に参加。松村龍二参院議員が、自治省から沿線自治体が存続のための起債の許可を内々に取ったと話されていたので、恐らく、その方向で収拾しそうな情勢だ。その後、ワッセで事務所の長谷川なおみさんが友人とやっているフリーマーケットを覗きに行った。行ったときには、商品はみな売り切れていた。他にも、古着の子供服など色々なお店が出ていた。こんな形で物品が流通していたら、モノはいよいよ売れないと感じた。自宅に帰って、ゴルフのワールドカップをテレビ観戦。18番ホールでのタイガー・ウッズのスーパーショットには本当に驚いた。あれは人間技ではない。タイガー・ウッズは、すでに人智を超えた「名人」の心境に達している。夜、映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)IV」を観る。その中に出てくる沖縄出身の版画家、名嘉睦稔(なかぼくねん)さんのパワーに圧倒された。「日本にもピカソがいたのだ」と唸ってしまった。

 

2001年11月17日(土)

芦原町の「セントピア芦原」で、第三回坂井郡年賀会実行委員会を開く。1月5日に開催予定だったが、5日は仕事始めの人が多いことが判明したので、1月4日に急遽変更。場所はグランディア芳泉ホテルになった。今日は、芦原町で開催したためか、集まりが良かった。丸岡町で開催すると、三国の人は来ないし、三国町で開催すると丸岡町の人は来ない。坂井郡は7町合併構想があるくらいなのに、それぞれ微妙な対抗意識があって面白い。

 

2001年11月16日(金)

エドと勝山市の「デュエット」でミニ集会に出席する。栄さん、下道さん、冨士根さんのご尽力で開かれたものだ。自分の個人史を中心に、なぜ、福井県知事を志すにいたったかを話す。質疑応答で、「勝山はどうしたら活性化するか」と聞かれて、無意識に、「勝山がどこよりも人を生かす地域になれば活性化する」と答えたが、答えながら、福井県を活性化する最大のポイントはこれだと思った。アメリカがダイナミズムを失わないのは、アメリカに行けば自分を生かすことができると世界中から人が集まるからである。人を生かし、自分を生かせば、企業も地域も必ず、活性化する。福井に行けば、自分のやりたいことができる、自分らしく生きれると、日本中から、いや、世界中から人が集まるようになれば、福井県は「百花繚乱」になる。

 

2001年11月15日(木)

鯖江市のメガネ会社、サンカラーの酒井勇社長のご紹介で、最近、「YOSAKOI イッチョライ」のダンスチーム「座・夢つつじ」を発足させた木村麗子さんにお会いしたところ、「座・夢つつじ」の会長になってもらえないかとのことだった。今年の夏のフェニックス祭りで「YOSAKOI イッチョライ」のパワーには強い感銘を受けていたので、喜んでお引き受けした。現在、メンバーは35人だが来年夏までには100人まで増やしたいという。夜、鯖江市の「多和良や」年賀会の第一回実行委員会を開く。席上、「YOSAKOI イッチョライ」の話を紹介したところ、折角いただいたご縁なので、年賀会でご披露いただいたらどうかという話になった。あと2ヶ月足らずで稽古が間に合うか不安だったので、その場で木村さんにお電話したら、「願ってもない話で、何とか頑張って間に合わせたい」と大変、喜ばれていた。一つのご縁が次々とつながっていく意外さと喜びを味わった一日だった。

 

2001年11月14日(水)

福井経済同友会の「新時代のリーダー像を考える会」で、吉田和男・京都大学教授の陽明学の話を聞く。最近、王陽明の「伝習録」をひもといているが、いま一つ、よく分からなかった。朱子学に対するアンチテーゼという吉田教授の解説を聞いて、要するに朱子学を知らないから、分からないのだということが分かった。人欲を捨てれば、本来の良知が発揮されるのだという。吉田教授の話で面白かったのは、単に良知が発揮される環境を整えるだけでなく、道徳という内的制御メカニズムを再構築すべきではないかという点である。これに触発されて、「若者が夢や希望を持てないのと、心の教育を怠ってきたことと何か関係があるのか」と質問したところ、「文明を維持するのは苦痛であり、放っておけば人間は原始人化する。最近の若者は原始人になりつつある。自制心がないところに希望はない」という実に含蓄のあるお答えをいただいた。内的制御メカニズムの再構築というのは、われわれが取り組まなければならない日本の課題である。

 

2001年11月13日(火)

高木ぶんどう後援会の一つである「平成会」主催のゴルフコンペに参加(越前カントリークラブ)。一昨日、雷雨だったので悪天候を恐れていたが、幸い、素晴らしい天候に恵まれた。久しぶりのゴルフでスコアは散々だったが、最後の紅葉を堪能することができた。夜、「チョップ」で忘年会の下見をかねて執行部会。女性陣が仮装パーティをしようと盛り上がっていたが、どうなることやら。最近、日程がどんどん埋まり出し、猛烈に忙しくなってきた。誠に有難いことだが、主体性を持って注意していないと、環境に振り回されてしまう。

 

2001年11月12日(月)

NYでまた旅客機が墜落したという。現時点でテロとの関連は不明とされているが、関連があると思うのが普通だろう。そこではたと気がついたことがある。テロとはterror(恐れ)の派生語だが、すべてをテロではないかと恐れることそのものが、テロリストの思う壺ではないかということである。スカイパーフェクトTVでニューヨークのフォックス・テレビにチャンネルを回したら、やはり、タイトルが「War on Terror」(恐れの戦争)であった。我々の社会は、飛行機が安全に飛ぶという信頼、郵便物は安全だという信頼、銀行はつぶれないという信頼など、さまざまな信頼に基づいて機能している。その信頼がこなごなに砕かれて、そうでないかも知れないという恐れに取って代わられたら、経済活動は途端に収縮してしまう。テロリストが狙っているのはそこだろう。まさに、破壊活動である。自由社会が戦わなければならないのは、テロリストだけでなく、我々自身の恐れそのものではないか。

 

2001年11月11日(日)

杉原千畝夫人講演会の当日。朝10時にフェニックス・プラザに集まる。杉原夫人の体調が余り良くないとのことで、急遽、講演時間を40分から15分に縮めることになった。午後1時前、杉原夫人と美智さん(息子さんのお嫁さん)が会場にお見えになる。ひどくお疲れの様子で、大丈夫かなと心配になる。午後1時過ぎから、人が集まり出す。予想以上の出足に期待が高まる。会場がみるみるうちに埋まって、あのフェニックス・プラザの大ホールが満杯になった。結局、スタッフは立見の状態だった。杉原夫人は、満員の聴衆を見て勇気づけられたのか、予定の15分を超えて、30分近く話された。「生きることは与えることである」というメッセージは感動的だった。午後6時から、ホテル・リバージュあけぼので「打ち上げ会」。大きな仕事をやりとげた充実感で、一人ひとりの顔と言葉が輝いていた。その後、「スレッド」になだれ込んで二次会。今日の感想。「高い志をもって打てば、高い志で返ってくる」。つまり、「お客様が悪いのではない。商品と売り方が悪いのである」。貴重な経験だった。

 

2001年11月10日(土)

恒例の「山の幸を食べる会」に出席。毎年、春と秋に、オアシス協会の前田裕一さんの主催で、大野市六呂師高原の旧六呂師小学校の校舎で開かれる。いろりのある畳の部屋で、いのしし鍋、鮎の塩焼き、上庄の里芋、スコ、そのほかたくさんのとても美味しい山の幸をいただく。七間通りの朝市の「福田のおんちゃん」が、商売の心得として、「スミズミ3回、中1回」という話をしてくださった。朝市で、目の前にいるお客さんだけを相手にしてはいけない。前のお客さんの後ろに立っているお客さんのことを考え、そのお客さんに伝えるつもりで話をしないと商売は上手くいかないのだという。人生全般に通じるお話だと感じ入った。校舎を出て、空を見上げると満天の星空。六呂師高原で見る星空は格別である。星空を見るというよりも、星空の中にいるという感じである。自分が宇宙の一部だということを実感する。身も心も洗われる夜だった。

 

2001年11月9日(金)

敦賀の慶秀さん宅で、2002年年賀会実行委員会。その後、「はろばろ」で懇親会。いつも面白い話を聞かせてくれる和田さんが、今日は、コンビニ経営の実態について話してくれた。詳しく書きたいところだが、おそらく、企業秘密についての守秘義務があると思われるので、なるほどと思った要点だけ書いておくと、まず、フランチャイザーとフランチャイジーの双方にメリットがあるように仕組みが作られていること、次に、そうは言っても、やはり、フランチャイザー(本社)が圧倒的に儲かる仕組みになっているということである。相手が儲かると分かっているのに、自分にもそれなりのメリットがあるためにフランチャイジーがどんどん増えるという素晴らしいビジネスモデルである。ビジネスに限らず、何でも、広がるものはこれが基本だなあと感じ入った次第である。

 

2001年11月8日(木)

朝から一日、勝山市で過ごす。午前中、「デュエット」で来年の年賀会について打ち合わせ。年賀会というよりも、講演会という呼び方にしたいとのことだった。「和た里」で昼食を取った後、シアター勝山の事務所を訪ねて梅田さんに会う。県立美術館の芹川さんの妹さんだそうだ。市民レベルでこういう文化活動をされている方がいるのは心強い。その後、このHPにメールをいただいた深谷病院の深谷里江さんに会う。驚いたことに、芦原町の坂井寿範(坂井病院長)さんの妹さんというから、世間の狭さをつくづく感じた。深谷さんは、病院内にひかり病児保育園を作られたり、病院の経営改革を進められたり、と孤軍奮闘されている。病院の経営改革については、同病院のHPの「後悔日誌」に詳しく書かれている。ちなみに、経営改革をご指導されているのが、経営品質賞の普及活動に取り組んでいる会計士の寺尾明泰さんとのこと。病院の経営改革を通して、すぐれた経営者の心境に達されている深谷さんのお話に深い感銘を受けた。一緒にお話をうかがった下道さんと冨士根さんはすっかり感激されていた。夕方、平泉寺を散歩して清澄な空気を堪能した後、「まつや」でおいしいおろしそばをいただいた。充実した爽やかな一日であった。

 

2001年11月7日(水)

織物整理包装協同組合の第3回目の勉強会。@ビジネスモデルとは何か、ASWOT分析のやり方、Bコアコンピタンスとは何か、C新しいビジネスモデルの構築、と勉強してきて、今回は大森哲男会長が自社の新しいビジネスモデルについて発表された。自社のコアコンピタンスである整理・包装・梱包・保管サービスの対象を現在取り扱っている染色済み繊維製品以外のものにも広げようというアイデアである。現在、繊維業界では各工程部分の内製化とアウトソーシングの両方の動きがあるが、それぞれの企業が自社のコアコンピタンスに特化し、中核的でない工程はアウトソースしていった方が結果的に各企業の体力を強めることになるのではないか。中国の低価格攻勢にあえいでいる繊維業界だが、この危機をチャンスととらえて経営革新につなげていくことが重要なのだろう。

 

2001年11月6日(火)

昨日に続いて、福井経済同友会の特別委員会の会合がある。今日は、「教育に関する特別委員会」。福井県庁で教育長を務め、現在、福井県立大学で教授をしている稲沢俊一さんに明治以後の教育行政の歩みを聞く。「富国強兵」の担い手づくりから、戦後の画一化教育を経て、現在、個性化教育の段階に入っているというお話だった。講演の後、出席者との質疑応答に入ると、例によって厳しいコメントが出される。教育については、一人ひとり強い思いがあるためか、この委員会では、いつも厳しい指摘がなされる。その後、「教育に関する特別委員会」の役員会に出席。来年1月に発表が予定されている提言の枠組みについて議論する。ところで、稲沢さんがこのたび、「戦後の福井県行政」というご著書をまとめられ、今週の金曜日に福井県立大学地域経済研究所から刊行予定だという。福井県史についての適当な資料がないと思っていたところであり、実に有難い。読ませていただくのが楽しみだ。久しぶりに鯖江の実家に帰って、母と食事。今月の24日に予定している49日の法事の打ち合わせをする。

 

2001年11月5日(月)

経済同友会の「地方行財政を考える委員会」で、関西学院大学の林宜嗣教授のお話を聞く。行政がすべてを抱え込むのはやめるべきだというお話だったが、その後の質疑応答で京福電鉄越前線廃線の問題についてやり取りがあった。林教授のご意見は、「住民が廃線の意向ならば、廃線で良いのではないか」ということだった。さらに、道路特定財源を公共交通機関にも使うべきだとのご持論を付け加えられたが、このご意見がもっとも説得力があった。公共交通機関が充実すれば、道路の渋滞も減るわけだから、筋道は通る。日本社会が高齢化する中で、公共交通機関を充実しなければならないのに、これを過疎と財政難で悩む地方だけで解決しろというのは無理な話だ。やはり、国家的な見地から解決すべき問題ではないか。残念ながら、現時点では、この議論はあまり注目されていないようだが、一考に価するのではないか。

 

2001年11月4日(日)

「ふくいの歴史」という福井県文書学事課が作っているサイトを、「ほとんどの資料がアップされておらず、あまり役に立たない」と書いたら、関係者から、「表に出て目立つ 仕事もあれば、裏で地道にがんばっている人もおり、そのほうが多い」という意見が寄せられた。文書学事課には、私自身、前回の選挙のとき、訪れたことがあり、山積みの資料の中で、少人数で奮闘されているという印象を受けた。おそらく、文書学事課で編纂された「福井県史」は素晴らしいものに違いあるまい。しかし、せっかく、いい仕事をされても、 手に入りやすい形になっていなければ、実際のところ、あまり役に立たないことになるのではないか。どんなに意義のある仕事でも、最終的には、他人に評価されてこそ、本当に意義があると言えよう。裏で地道にがんばっていらっしゃる方のためにも、 「ふくいの歴史」のサイトをもっと充実してもらいたい。

 

2001年11月1日(木)

田中外相の旗色が悪い。「軍人、凡人、変人」の造語を編み出し、流行語大賞を取るなど、大衆の共感を得る田中外相の感性には目を見張るものがある。しかし、最近の田中外相の言動を見ていると、もっぱら、大衆のルサンチマン(恨みつらみ)を煽ることで人気を得てきているような印象を受ける。恨みつらみを煽るのは、人気を得る最も安易な方法だが、大衆の気持ちは移ろいやすく、いつ自分がルサンチマンの矛先となるかも知れないという危うさがある。興味深いのは、これまで一貫して田中外相を擁護してきたテレビのワイドショー番組が、批判に転じたことである。田中外相更迭の根回しが済んだということか。大衆の劣情ではなく、時代精神を体現するリーダーの登場を待ち望みたいものだ。

 
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