ブンブン日記 2002年 5月

5月31日(金)

成和地区を回る。暑い日だった。父の同僚だった林一秀先生のお宅を訪ねたら、女性が2人かいがいしく掃除していたので「ヘルバーさんですか?」と聞いたら、ダスキンの人だった。ダスキンの掃除代行サービスは急速に成長しているのだという。経済のサービス化が確実に進展している。商店街を2つ回ったが、昔ながらのお餅屋さんが結構あるのに驚いた。福井の人はお餅好きなのだそうだ。えんどう豆が入ったあんこ餅を一つ買って食べた。夜、旭公民館でミニ集会。

 

5月30日(木)

福井市の日新地区を回る。この地区はこれまでほとんどなじみがない。一日歩いてみて色々なことが分かった。福井女子高は啓新高校と名前を変えていた。西福井の平和堂は「みつわ」に変わっていた。都会的に見える福井市も一皮向けば各地区を取り仕切る顔役のような方がいて、ご挨拶が欠かせないこと等々。もう一つの収穫は、お昼に食べた「越前ラーメン」である。スープに麺とネギとチャーシューが入っただけの 簡単なラーメンなのだが実においしい。秘密はお肉や椎茸をふんだんに入れて煮込んだスープにある。そのスープを大きなお鍋から丼に移すときには中身の具はぜんぶ網で濾(こ)してスープだけ入れる。もちろん、麺は自家製のちりちり麺。一つひとつの素にこだわったこだわり麺。おいしいですよ。

 

5月29日(水)

福井市内の神明地区を回る。朝、松本交差点で街頭演説をした。後で商店街を回ったら、「街頭演説を聞きました」という人が結構いるので驚いた。午後、福井商工会議所で開かれた経営品質賞の「セルフアセッサー認定更新研修」に出席した。地下大ホールが満杯になる盛況ぶりで経営のクオリティを高めようという経営品質運動の広がりを感じさせた。毎年、経営学の最先端の成果が盛り込まれており、経営についての知識をアップ・ツー・デイトするには便利なのだが、中小企業の経営者がこの緻密さについていけるか心配だ。夜、興宗寺で集会を開く。興宗寺は4年前の知事選の際に最後の個人演説会が開かれた場所で思い出深い。思いがけず60人近くの人にご出席いただいた。やはり、興宗寺はご縁が深い所です。

 

5月28日(火)

午前中、丸岡町の花岡さんとカタリストの対談。午後、松岡町でミニ集会を開く。松岡町は福井県立大学や福井医科大学などが立ち並ぶ大学町で一見先進的なイメージだが、一皮向くと旧態依然とした保守的な体質が残っているそうだ。夜、恒例の全体会議を坂井町で開く。順調に進んでいる市町村見聞録だが、受け入れ先では様々なハプニ ングが続出しており不満が噴出した。私の不徳の致すところです。申し訳ありません。

 

2002年5月27日(月)

福井市内の企業を精力的に回る。4年前にはあることすら気がつかなかったドアがするすると開いていく。世の中の「空気」が変わっているのを感じる。「空気」を決定 づけるものは一体何なのだろうか。夜、運動公園の山室さんのお宅で開かれた「それぞれの会」に出席する。元気な女性たちの集まりだった。「福井では出る杭は打たれ るが、出すぎた杭は抜かれる」という名言が飛び出し、大笑いした。中国人留学生が数人来ていた。彼らの日本語の流暢さに驚く。一時代前の中国人留学生と違って屈託 がない。新しい世代が台頭していることを痛感した。

 

5月26日(日)

先週に引き続き、運動会回りをする。先週と違って、雲一つない快晴。絶好の運動会日和だった。まず、鯖江市の新横江地区を皮切りに、福井市の円山地区、明新地区、春江町を回った。円山地区では700人以上の方と握手し、名刺のカウントも10000名を 突破した(名刺には「あなたは○○人目の参加者です。ご協力ありがとうございまし た」と書かれている)。円山地区の人口の多さに圧倒されて春江町の運動会に行ったら、一目見て3000人以上の人がいる。本格的に回るには1日かかると判断して、早々 に引き上げた。運動会を回っても、福井市にスプロール現象(郊外がどんどん拡大す る現象)が起きているのが良く分かる。最後に三国町のテクノポート・スタジアムで、三国町でキャンプをしているWカップのメキシコ代表と東京ヴェルディの練習試合を見た。拍子抜けするような緊迫感のない試合だったが、それでもメキシコが2対 0で楽勝した。

 

5月25日(土)

福井市内のアピタ前で街頭演説をする。支持者の方が3年前のポスターを手で持って立ってくれた。3年前のときは、こういうスタイルで100回以上も街頭演説をした。駅前で街頭演説をするときは通勤客相手なのでメッセージを1分以内に収めるようにしているが、ショッピングセンターの前で街頭演説するときは結構長く話すことができる。事務所のなおみちゃんが「3年前よりもパターンが増えましたね」と言ってい た。午後3時からフェニッククス・プラザで開かれた明新会総会(藤島高校の同窓会) に出席する。夜7時から希望ケ丘でミニ集会が開かれた。このミニ集会は希望ケ丘に住んでいる谷崎さんが「希望ケ丘でミニ集会をやりたい」とホームページにメールを打ってきたことから企画されたものだ。質疑応答の中で自民党バリバリの支持者から、「何と言っても田中角栄は神様なんだ」みたいなヤジとも質問ともつかぬ質問が出た。だんだん、我々の動向が気になりだしたのだろうか。

 

5月24日(金)

快晴が続いている。毎日、外を歩いているのでだんだん日焼けしてきた。巡業に入って54日目。お会いした人の数は8500人を超えた。この調子で行くと、100日巡業で15000人の方と会うことができそうだ。100日巡業は各地域の皆さんのご協力で予想以上の成果をあげている。難点としては、落ち着いて本を読んだり、書き物をしたりする時間がなかなか取れないことくらいか。時間は何とか自分で作り出すしかない。

 

5月23日(木)

朝、福井駅前で街頭演説をする。福井市内の支持者が10名ほど駆けつけてくれて、皆で手分けしてビラを配った。ビラを配っている妻に「とうとう金を使い出したな」と言ってくる人がいたので、「お金なんて使っていませんよ」と反論すると、「あの大勢の人は何や」「全部、ボランティアです」「へぇー」というやり取りがあったそうだ。やはり、人は金でしか動かないと思い込んでいる人が多いということなのか。午前中、知的障害者の授産施設「セルプ(SELP)」を訪れた。SELPとは多分、SELF(自分自身)とHELP(助ける)の造語と思われるが、知的障害者の自立を支援するという意味なのだろう。軍手や電器コードなどの製造に携わっておられたが、長引く不況と 中国台頭の波は容赦なく授産施設も襲っていた。「効率が良ければいい」「安ければいい」だけでは社会は回らない。力のある者が弱い者を助けるという「お互い様」の精神を何とか社会の仕組みに組み込んでいかなければならないのではないか。 午後、問屋団地を回る。

 

5月22日(水)

今日からいよいよ福井地区。朝8時、野尻さんのお店の前で集合。東谷モーターの東谷社長のご案内で自動車関係の会社を回る。東谷さんと回ってみて痛感したのは、自動車産業は住宅産業に負けずとも劣らず一大産業であるということ。経済学の用語で 言うと乗数効果が高いというが、言い換えると、裾野が広いということである。確かに考えてみれば、平均的日本人の人生で大きな買い物と言えば住宅と自動車である。 最初の買い物も大きいが、その後のメンテナンスにも結構お金を使う。自分がお金を 使うところに産業が成立するのは当たり前ということだ。その後、大和田に引っ越したばかりの福井新聞社を訪れる。美術館のような素晴らしい社屋の中をぐるぐる回った。

 

5月21日(火)

河野村を回る。敦賀湾を一望に見渡せる村役場の窓からは「もんじゅ」の尖塔が見えた。敦賀原電1、2号機、そして建設が予定されている敦賀原電3,4号機は目と鼻の先だ。それだけに、原発行政には村民の関心も高いのだという。村役場を回ってから、村を2時間ほど歩いてみたが空家が多いのに驚いた。過疎化がどんどん進んでいる。3年前に新築された保育所を覗いてみたら元気のいい子供たちがいたのでホッとした。陽光にきらきら輝く海を眺めながら、村を元気にするにはどうしたらいいのか考え続けた。

 

5月20日(月)

池田町を回る。池田町は父が昭和30年代前半に新任の英語教師として武生高校池田分校で教鞭をとったところである。裁縫室に古畳があるのを見つけて柔道部を創設し、3年連続県大会の優勝に導いたことをとても誇りにしていた。最初に訪れた中冨建設でその話をしたところ、田中社長が奥から「池田分校40周年記念誌」を取り出してきてくれた。父が担任しているクラスを見たら、役場の和田助役が父のクラスだった。役場を訪れて杉本町長にお会いしたところ、杉本町長のお母様も父に習ったという。 「水車」で昼食を食べていたら、店のご主人も父の教え子ということが分かった。思 いがけず行く先々で父を知っている人にぶつかり、父の遺徳に感謝した。

 

5月19日(日)

福井市内で開かれた運動会を回る。春山小学校、松本小学校、宝永小学校、順化小学校、日の出小学校と合計5つの運動会を回って、合計1360人の方と握手した。ところで、後でプログラムを見て気がついたのだが、小学校の運動会ではなくて、それぞれの地区の体育会になっていた。確かに地区の大人たちが総出で、子供たちより大人たちの方が熱心なくらいだから、まさしく「地区体育会」なのだが、子供の頃の記憶では小学校の運動会だった。地区体育会ということは、中学校の運動会はもうしないのか。それとも、地区合同の体育会になるのか、誰かに聞かねばならない。

 

5月18日(土)

毎年恒例の福井キャノンゴルフコンペに参加する。経済同友会のゴルフコンペに続いて今年2回目のゴルフで、ゴルフのスコアは相変わらず散々だった。芦原ゴルフクラブに来るのは、昨年の福井キャノンゴルフコンペ以来だが、毎年、見違えるように良くなっている。ゴルフコースの芝の状態も素晴らしいし、キャディさんも感じが良い。経営品質賞に取り組んでいる成果とのことだが、日本経営品質賞を受賞した千葉夷隅ゴルフクラブを超えたのではないかと思われるほどだ。一緒に回らせていただいた法美社の木下社長が、「相手が何を欲しがっているか分かればサービス業は成功する」と仰っていたが、政治も行政もサービス業であり、人の言うことに素直に耳を傾 けるのが基本ということを改めて実感させられた。

 

5月17日(金)

雨の中、三国町を回る。町はどこもかしこも「三国祭り」の準備で終われていた。ある人のご紹介で三国町を取り仕切っている有力者にお会いした。「分かった。こことここに行ってくれ。電話をしておく」ということで、それから糸をたぐるように様々な方にお会いしたが、どこに行っても魔法のようにドアが開くのだった。「なるほど、実力者とはこういうものか。世間はこうして成り立っているのか」と目から鱗が落ちる思いだった。

 

5月16日(木)

外国法事務弁護士としてのクライエント(依頼人)と協議を済ましてから、八重洲 ブックセンターで本を物色する。帰りの新幹線は大変な混みようだった。途中、武生市で降りて、鯖江市で開かれていた巡業の打ち上げ会に出席する。

 

5月15日(水)

巡業に入って45日目。100日間で5000人の方にお会いするのが当初の目標だったが、 すでに5800人を超えた。予想以上のハイペースで進んでいる。今日から大野地区に入る予定だったが、6月に大野市長選挙が予定されているため一番最後に回ることと し、これから1週間を予備日に当てた。予備日の1日目は、上京して東京明進会(藤島高校の同窓会)の橋本前会長にお会いした。橋本前会長は80歳を超えるご高齢であるにもかかわらず、我々が圧倒される元気さで日本と福井の現状を憂えておられた。 夕食後、10数年前によく行っていた60年代のオールディーズを聞かせるライブハウスを覗いてみた。ガラガラかなと思ったら、満員で入れずしばらくドアの近くで中を眺めていた。団塊の世代だけでなく、20代の若者も入っていた。ちょっと意外だったが、「元気だった頃の日本」を体験しに来ているのだろうと納得した。

 

5月14日(火)

春江町2日目。自転車に乗って、一人で商店街を回った。今日で坂井郡6町の見聞録が終わる。どの町でも、市町村合併について関心が高まっている。合併についての考え方にそれぞれの町の地域性がにじみ出ていて面白い。坂井町は坂井郡の中心に位置することから、6町が合併することを望んでいる。丸岡町は坂井郡内の合併よりも、松岡町との合併をもくろんでいる。春江町には何とか人口を30万にして中核都市になりたい福井市からラブコールが届いているが、福井市と合併して割を食った森田町の二の舞にはなりたくたいと慎重だ。三国町は競艇から入るお金をどこにも渡したくない。金津町は福井県だけでなく石川県にも目が向いている。一番可哀想なのが芦原町だ。財政が破綻寸前で、どこかと合併しなければやっていけないが、なかなか引き取り手が見つからないという感じだ。市町村合併の向こうには道州制への移行というさらに大きな問題がある。21世紀の日本の望ましいあり方とはどのようなものかという視点が必要だ。

 

5月13日(月)

春江町1日目。春江町は福井空港のあるところである。しかし、福井空港の滑走路はジェット機を飛ばすには短すぎるため定期便が就航していない。もっぱらセスナ機やグライダーなどの小型機のメッカとなっている。昨年、福井空港の拡張計画が凍結されて、今後、福井空港をどうするかが県政の大きな課題だ。選択肢としては、@自家用機の専用空港として使っていく、A貨物空港として使っていく、B空港はやめて跡地を有効利用する、の3つがある。自家用機の専用空港にしろ貨物空港にせよ、空港として本格的に使うためにはやはり滑走路の拡張が必要になってくる。財政難の中で国からの援助はあまり望めないため、PFIなど民間資金が投資されるような事業計画建てる必要がある。空港としての利用をあきらめるならば、跡地利用の問題が出てくる。春江町では、「福井市内にある福井大学を移転したらどうか」、という声もあがっているようだ。いずれにせよ、福井空港拡張計画にはこれまで莫大な時間とお金がかけられており、このまま放置しておくわけにはいかない。

 

5月12日(日)

午前、鯖江市つつじマラソンに参加。といっても、選手として参加したのでなく、鯖江の鉄人会の皆さんが選手の皆さんに豚汁をご馳走するのをお手伝いした。1200食があっという間になくなってしまった。並んでいる皆さんに「もう、ありません」とい うのは忍びなかった。午後、芦原町に戻り、一人で自転車に乗って回った。夜、7時半から芦原町体育館で八木杯ソフトバレーボール大会があったので、1時間ほど覗い てみた。ソフトバレーボールの玉は、バレーボールの玉よりちょっと大きめでうんと 柔らかくしたものだ。私もちょっとやってみたが、指が全然痛くない。ママさんバ レーは9人制だが、ソフトバレーボールは4人制なのだという。バレーボールより入り やすく、運動量も結構多いので人気が高まっているそうだ。スポーツの世界も日進月歩で、ぼやぼやしていると世間の動きから取り残されてしまう。

 

5月11日(土)

芦原町1日目。午前中、八木スポーツの八木さんと一緒に自転車で舟津、二面地区を回る。2時間ほど回ったが、気分爽快だった。三国町の林裕美さんと待ち合わせて、「いたや」で昼食。その後、林さんのお店でお茶をする。夜、大野市の六呂師高原で開かれた「山の幸を祝う会」に出席。自然を愛するオアシス協会の主催で毎年、春と秋に開かれている。旧六呂師小学校の校舎でいろりを囲んで、まさしく、さまざまな「山の幸」をご馳走になる。大野市だけでなく、県内からユニークな人たちが集まる楽しい会だ。晴れていれば六呂師高原から眺める星が最高なのだが、あいにくの雨模様で深い霧の中をゆっくり、ゆっくり帰ってきた。

 

5月10日(金)

金津町の「創作の森」を訪れる。「創作の森」は静岡県から移り住んできた陶芸家の大森正人さんのコンセプトに基づいて作られたものだという。大森さんの陶芸教室を覗いてみたら、皆さん、夢中で粘土をいじっていた。まるで幼稚園時代の工作の時間のようだ。手を使ってモノ作りをすることが本当に楽しそうだった。午後から、町会議員の牧田孝男さんのご案内で金津町を回る。最後に立ち寄った「ラコンテ」という喫茶店が素晴らしかった。宮大工の志賀さんが自宅を改修して作ったものだが、オープンテラスをうまく使ったお洒落なお店だ。隣のテープルのお客さんは武生市からやってきたそうだ。知る人ぞ知るお店らしく、県内はもちろん県外からもお客さんがやってくるそうだ。要するに、自分が無知なだけなのですね。

 

5月9日(木)

八木スポーツの八木さんに誘われて、三国の運動公園で開かれた八木杯マレットゴルフ大会に参加する。マレットゴルフは、近年、高齢者の間で盛んになっているもので、ゴルフと同じ要領で打数の決められた18ホールを回るスポーツである。ゴルフと違うのは、ボールを打つスティックが1本しかないこと、ボールが大きいこと、ほとんどのホールが50メートル前後と短いことだ。マレットゴルフの発祥地は福井市の運動公園とも聞いたが、真偽のほどは定かではない。60〜70代ばかりの参加者だったが、皆さん、お上手なので驚いた。熱心な人は毎日、練習しているそうだ。一時期、隆盛を極めたゲートボールは10人で行なうチームプレーのため、ボス面をして監督する人がいたり、下手な人を排除するところがあるため、最近は、誰でも楽しめ、友達の輪がどんどん広がるマレットゴルフをする人が急速に増えているそうだ。やってみると、結構、難しく、面白い。手軽にできるところも魅力だ。家族みんなでマレッ トゴルフをするのも楽しそうだ。マレットゴルフを一度やってみてはどうですか。

 

5月8日(水)

午前中、坂井町役場を訪れ、高橋町長を表敬訪問した。「坂井町の課題は何ですか」 とお伺いしたら、「町民が保守的過ぎることかな」と思いがけない答えが返ってきた。「もう少しモダンにしたいんだが、行政主導ではなかなかうまくいかない」とも仰っていた。確かに、福井県内を歩いていると、坂井町の方は保守的な福井県の中で もとりわけ保守的という印象を受ける。しかし、「保守的だとなぜ悪いのか」と開き直られると、答えに困る。保守的だとなぜ良くないのか。外部環境の変化に適応できないからだろう。そして、いずれ、そうした不適応が破綻を招くからではないか。だが、目に見えないものを見えるようにするのは本当に難しい。高橋町長の気持ちが良く分かるような気がした。

 

5月7日(火)

坂井町1日目。昨日の快晴とうって変わってあいにくのどしゃ降り。坂井町は坂井平野のど真ん中に位置する県内ナンバー1のコメ作りの町だ。雨にけむる田植えの終わった田んぼをながめながら、坂井町を回る。不思議なことに、JRの丸岡駅が坂井町にあった。国鉄時代に政治的な駆け引きの結果、名づけられたものだろう。JRの芦原温泉駅が金津町にあるのも同じような理由によるものだろうか。いずれにしろ、坂井郡の地理に不案内な一般人にとっては迷惑な話だ。先日も、武生市の村上さんが丸岡 中学で行なわれている息子さんのバレーボールを見ようと丸岡駅に降り立ったところが、まるっきりの方向違いでタクシーを呼ぶ羽目になったそうだ。夕方、妻が大阪の実家から戻ってきた。久しぶりにビデオでも見ようということになって、「ブリジット・ ジョーンズの日記」を見る。全世界の(30代未婚の)女性の共感を得たというビデオだ そうだが、大いに笑えた。

 

5月6日(月)

ゴールデンウィーク最後の日。田中恭子さんのご案内で三国町を回った。素晴らしい快晴。空気が澄んでいて、空の青に緑がくっきり浮かび上がっていた。こんなコントラストが表れる日は1年のうちに1日か2日あるかだ。三国町は「できたら家を建てて住んでみたい町」として県内人気ナンバーワンの町である。海、歴史、伝統、文化、 緑、景観に惹かれて、県内外から多くの「よそ者」が引っ越してきてユニークなライフスタイルを楽しんでいることが町の魅力にさらに磨きをかけている。夜、「おけら牧場」の中にある「ラーバンの森」の仮設野外劇場で「文楽と横笛」のコンサートが 開かれた。全県から100名近くの方がお見えになっていた。漆黒の闇の中で蛙とたきぎの火の音を聞きながら、五感全体で味わう文楽と横笛は素晴らしかった。「ラーバ ン」というのは、田舎的 (rural) と都会的(urban)の造語だとそうだが、私が提唱している「田園知識圏」と同じコンセプトである。大湊神社の松村さんが、挨拶の中で、「21世紀は田舎の時代だ」と仰っていたが、まさしくその通りだと思った。

 

5月5日(日)

100日巡業に復帰して笠松茂さんと一緒に三国町を回る。西澤さんのお宅でコーヒーをご馳走になった後、三宅小百合さんのご案内であちこち回る。三宅さんは元競艇の選手である。高校時代は生徒会長だったにもかかわらず、登校拒否して先生を困らせたというから愉快だ。思いがけず、昨年、福井市の北の庄通りでお茶の専門店「三国屋善五郎」を出店した山口健治さんをご紹介いただく。郊外のショッピングモールにはない「ここにしかない」という客に媚びない専門店を出していくことが駅前活性化の方策だと力説されていた。今度、金沢にも出店されるそうだ。雄島の大湊神社で「椿茶」をご馳走になる。雄島はナホトカ号が遭難して重油が流れ着いたところである。5年の歳月を経て、海は完全に綺麗になっていた。自然の力は偉大である。宮司の松村さんが、「綺麗にしやすい雄島に流れ着いたのは神の力である。新しく、ナホトカ大明神を作って、土地の人に嫌がられている」と仰っていたが、雄島に流れ着いたのは偶然とは思えない。雄島で記念写真を撮ると、必ず霊が写るので気味悪がって、写真を撮る人はいないそうだが、世にも不思議な話は厳然としてあるのである。最後に林裕美さんのお店に行って、おしまいにする。

 

5月4日(土)

11時から池田市営「やすらぎ会館」で葬儀。エドが福井から駆けつけてくれた。 すべて終わったのが3時。皆、気疲れでくたくたに疲れる。そのうえ、久しぶりに都会に出てきたので、人ごみや行き交う車を見ているだけで気分が悪くなる。5時42分のサンダーバードで福井に帰ってきた。北陸トンネルを越えて、水の張られた田んぼに街の明かりが映っている光景を見てホッとした。やはり、とても都会には住む気になれない。人通りの少ない福井駅前も心地よく感じられる。福井に帰ってきて本当に良かったと心から思う。

 

5月3日(金)

お通夜が妻の実家で行なわれることになったので、大掃除を手伝う。掃除をしていた ら、中年の女性と若い女性が2人、「市役所からお通夜のお手伝いに来ました」と やってきた。驚いたことに、大阪府の池田市ではほとんどの葬儀が市営で行われるの だという。2人の女性は市の職員ではなく、市から委託されたものだと言っていた が、葬儀屋さんではないのだそうだ。それでも、お通夜の司会から、出席者の誘導、 茶菓・食事の世話まで行き届いた気配りでやっていただいた。南条町の「励ます会」 と福山さんご夫婦からそれぞれ一つずつ生花をいただいた。米野さんには弔電をいた だいた。また、福井からはるばる松平文彦さんと内田桂嗣さんにご出席いただいた。 各地の後援会の方からも沢山のご香典をいただきました。有難うございます。

 

5月2日(木)

丸岡3日目。長谷川造花の長谷川さんと大草さんのご案内で丸岡町周辺の農村部を回る。お二人とも70代だが、本当にお元気だ。違った世代の方とご一緒するとまた違った世界が見えてくる。初めてお目にかかる人と思いもかけないご縁でつながっていたりして、世の中は不思議なものである。午後、妻から、「お父さんの容態が良くないので大阪の実家に帰る」と電話がかかってきた。しばらくして、車で大阪に向かっている妻から「お父さんがなくなった」と再度、電話があった。丸岡町の巡業が終わったところで、私も急遽、妻の実家がある大阪の池田に向かった。

 

5月1日(水)

丸岡町2日目。朝、松本自動車販売の朝礼に出たら、社員の皆さんがラジオ体操をやっていたので、一緒に体操した。22人も社員のいる大変元気のいい会社だった。100日巡業で気がついたことは、自動車の販売整備会社はちょっと大きい規模の町には必ずある業種ということだ。考えてみたら、福井県では一人一台というほどの自動車社会であり、自動車は生活に密接に結びついている。自動車は体の一部のようなも のだから、ちょっと事故ってもすぐに修理する。給料の大半は家と自動車につぎ込まれている。自動車の板金整備業に対する需要が落ちることはない。モノからサービスへという流れの表れとも見て取れる。

 
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