ブンブン日記 2002年 9月
9月30日(月)

今週の土曜日に引っ越し予定の新しい事務所で恒例の「ぶんどう塾」を開いた。TVCMの効果もあって、約60名の方に参加していただいた。広々とした事務所で、音響設備も良く、気持ち良く話すことができた。参加者の方にもおおむね満足していただいたようだ。ちなみに新事務所は国道8号線沿いで2階建てのビルだ。2階部分は以前、エステサロンとして使われていたそうでゴージャスな雰囲気がある。気軽に立ち寄れる事務所にしていきたい。
 

9月29日(日)

小浜市今富地区の運動会を回った後、敦賀市の総合運動公園に向かう。高校生の陸上競技大会が開かれていた。女子800メートル決勝、男女200メートル決勝を観戦したが、各地の運動会でお父さんたちが走るのを見た後のせいか、随分、早いものだと感じた。夜、ハーモニーホールで開かれたビッグバンド・ジャズフェスティバルに参加。

 

9月28日(土)

小浜市のはまかぜ通りで開かれた「食祭鯖街道2002」に参加。270メートルの巻き寿司を作った。出来上がるまで約1時間ほどかかったが、800人の人が一斉に動くのを指揮するのだから無理もない。食材の準備やスタッフによるきめ細かな指導など事前の準備が行き届いていると感心した。その後、上中町熊川で開かれた「熊川いっぷく時代村」に参加。春の100日巡業で回ったときにお会いした方々が覚えてくださったのに感激する。夜、小河さんのお宅で「おでんパーティ」。福井市から内田桂嗣さん、南条町から福山真里さんが駆けつける。

 

9月27日(金)

敦賀市に出かける。おりぶんの吉田孝司さんのお話を伺う。吉田さんは10年以上も前から北陸本線直流化を提唱。 だんだん賛同者が増えて、ついに2006年に実現することとなった。市民運動が政治を動かした好例だ。 夜、プラザ万象で開かれた中小企業家同友会の例会に顔を出した後、同じ場所で開いたミニ集会に出席。敦賀市が弱いというので県内各地から応援団が駆けつけてくれた。プラザ万象に車を置いて、小河さんの車で小浜市に向かう。小河さんのお宅に泊まる。

 

9月26日(木)

ネットワーク燦々という女性グループに招かれて話をする。様々な立場で活躍されて いる女性たちの集まりだった。話をじっくり聞いてもらうとともに、いろいろ具体的 なアドバイスをいただいた。女性たちと話をするたびに、女性こそが改革の担い手で あるとひしひしと感じる。

 

9月25日(水)

福井市内を巡業。夜、江端ふれあい会館で清明地区後援会の発会式。清明地区はこれまでほとんど足を踏み入れたことのない地域なので大きな効果が期待できる。50名ほどの方が参加されたが、初めてお目にかかる方ばかりだった。これで福井市内の後援会は4つ立ち上がった。その後、 片町のホリーズで開かれていた全体会議に出席。会議はすでに終わっており、懇親会になっていた。ムードは上げ潮である。

 

9月24日(火)

拉致事件が収まるどころか、どんどん拡大する勢いである。国交がない北朝鮮が疑惑の対象であったため、取りつくシマがなかったということなのだろうが、それにしても、「政府はこれまで何をしていたのか」という怒りがこみあげてくる。北東アジアの安定と発展のためには、北朝鮮を国際社会の中に引きずりこむことが必要なのだが、「罪を犯しました」と開き直っている人を仲間に入れていいのかという問題がある。通常の相手ならば、過ちを犯した現体制が責任を取って総退陣し、人心一新して新体制を作ることで出直しができるのだが、独裁体制の北朝鮮ではこれができない。 いずれにしても、金正日総書記の謝罪だけではすますわけにはいかない。北朝鮮には何らかの形できちんと責任を取って貰わなければならない。

 

9月23日(月)

午前中、事務局スタッフと打ち合わせ。夜、福井市の帰命寺で日新地区後援会の発会式。福井市内で3つ目の後援会が立ち上がった。最近の福井地区の快進撃は目を見張 るばかりだ。10月末までに10立ち上げるのが目標だが、何とかなりそうになってき た。野尻章博さんが今年の3月頃が一番辛かった時期だと仰っていた。いまも決して 楽でないのだが、もう軌道に乗っているのだという。焦らず、一歩一歩着実に進んでいけば、必ず目標に到達できる。

 

9月22日(日)

朝からとても忙しい日だった。まず、早朝、鯖江市の日野川河川敷で行なわれたマ レットゴルフ大会に参加。途中で抜け出して、福井市の明新小学校で開かれていた運 動会を回る。昼食後、今度は大野市の上庄小学校で開かれていた運動会に直行。これ を終えて、和泉村に向かう。そして、最後に西勝原の林小太郎さんのお宅で開かれた 月見の会に出席。林沙代子さんが朝からかかって素晴らしいお料理を作ってくださっ た。山の哲学者とでも言うべき林沙代子さんが、「村を活性化するとは、一人ひとり が何か一つずつ人に喜ばれることをすることではないか」と仰っていた。

 

9月21日(土)

父の一周忌。鯖江の実家で法事。南条町のお墓に納骨してから、本山誠照寺に納骨し た(父は誠照寺派の住職だったため、本山である誠照寺にも納骨する)。誠照寺への 納骨がすんだのが、夕方の5時半。まさに一日仕事だった。夜、家族全員でラポーゼ 河和田に戻り、夕食。

 

9月20日(金)

朝、長野県庁で田中康夫知事と面談してから、車を飛ばして、一路、福井県に戻る。 途中、金津創作の森の中にあるレストラン「アンビション」で、長野まで付き合って くれた堀川秀樹さんと昼食を取る。かつて、堀川さんが社長をしていたレストランと かで、皆、総出で歓迎してくれた。秋の晴天に恵まれ、晴ればれとした気分でとても 美味しくいただいた。夜、翌日の法事に備えて、ラポーゼ河和田に家族と一緒に泊まる。

 

9月19日(木)

疲れ気味なので、大事をとって、病院で血液検査をしてもらった。結果はまったく異常なしでほっとした。夜、2つの会合に出席してから、堀川秀樹さんと待ち合わせて、車で長野県に向かう。夜1時に長野市に到着。市内のホテルに泊まる。

 

9月18日(水)

昨夜から勝山市の小林さんのお宅に泊まる。神明神社のお祭りというので、昨夜、 屋台が立ち並ぶ本町商店街をぶらぶら歩いてみたが、たむろしているのは高校生ばかりだった。今日は、神明神社の境内で相撲大会が行われた。チビッコ相撲かと思ったら、地域対抗の大人の相撲だった。昔は、境内に人が入れないほど見物人で賑わったそうだ。小林さんご夫婦、冨士根さん、玉崎さんと一緒に平泉寺や鹿谷などの村部を回る。勝山市の村部には所々驚くほど立派な昔ながらの民家がある。どうやってあれほど立派なお屋敷を維持しているのだろうか。こうした豊かな生活にもっと多くの人を引き込めないか、などと考えながら歩いた。夜、大野市に移動し、元町会館でミーティング。

 

9月17日(火)

小泉首相と金総書記との日朝首脳会談で拉致事件の全容が明らかになった。やっぱ り、という感じだ。生存が確認された浜本富貴恵さん(福井県小浜市)のお兄さんの浜本雄幸さんと小浜市でお会いしたことがある。「北朝鮮政府が自らの国家犯罪を認 めるわけにはいかないだろうから、事件解決は現体制が崩壊するときだろう」と冷静 に分析されていた。今回、金総書記が国家の対面を投げ打って事実を全面的に認めて 謝罪したのは意外だった。それほど追い詰められているし、こうした意外性を演出す ることで、自らの非を少しでも軽減したいと考えたのか。北東アジアの片隅に残って いた冷戦の残滓がようやく取り除かれようとしている。これまでの常識がどんどん非常識になる時代だ。国内でも大きな地殻変動が起きるだろう。

 

9月16日(月)

ようやく丸1日、休日がとれた。4月からずっと走りっぱなしで、落ち着いてものを考えている時間がなかった。各地の後援会を立ち上げることに忙殺されて、肝心の政策がお留守になっていた。まだまだ遅れている地域があるものの、後援会の立ち上げがある程度、目処がついてきたので、これからは政策にもっと時間をさきたいと考えている。

 

9月15日(日)

浄土真宗誠照寺派の本山誠照寺の先代門主秀政上人の一周忌に清照寺として出勤。袈裟の正式な結び方を何度習っても忘れてしまう。皆さん、どうしているのかと見回すと、ほとんどの方が正式な結び方をしていないのでホッとする。本山の法要は一大イベントで実に多くの方が無償で参加する。お寺の関係者にとっては当たり前のことなので、これまで何とも思っていなかったが、立派なボランティア活動である。ボランティア活動というと、何か肩肘張った感じがするが、日本社会にも実はこうした伝統的なボランティア活動が数多く存在していると改めて感じた一日だった。自宅に戻って、デイヴィッド・リンチ監督の新作ビデオ「マルホランド・ドライブ」を見る。デイヴィッド・リンチの大ファンだが、結局、何がどうなったのか分からない。そのミステリアスなところが魅力だ。

 

9月14日(土)

9時半から松岡町でポスティング。ポスティングを始めてすぐ小学校で運動会をやっているのを発見!急遽、握手作戦に変更。そのうち、酒井さんから中学校でも運動会をやっていると情報が入ってきたので、中学校にも出かけていった。午後2時から、鯖江市のサンドームで女性の会「れいら」の発会式を行った。当初200人の予定だったが、242人の方にご出席いただいた。やはり、女性の力は強いと一同改めて実感する。ご講演いただいた箔一の浅野社長のお話も好評だった。反省会を終えてから、今度は福井市の松本地区後援会の準備会合に出席する。福井市内で次々に後援会が立ち上がっている。9月に入って、動きが加速してきたのを全員が感じている。

 

9月13日(金)

県民を行政の客体から主体に変えようと行政経営品質賞に取り組んでいる三重県の話を聞いた。行政経営品質賞とは、顧客志向の経営を目指している経営品質賞の行政版である。他局同士で仕事のやり方をアセス(評価)しあうなど、随所になるほどと思わせる点があった。懇談会の時に使い切り予算への対策をどうしているか聞いたら、残った予算の半分を翌年度の新規事業に回せるようにしているとのことだった。行政にはまだまだ手付かずの分野が残っているので、基本的に優秀な県庁職員が発想を変えて本気で取り組んだらいくらでも改善提案は出てくるだろうと思った。

 

9月12日(木)

春江町を回った後、夜7時半から三国町池上の辻田造園でミニ集会。会場に着いたら、屋外なので驚いた。そのうえ、50人近くの人が集まっているのでさらに驚いた。三日月のかかる夜空の下で大地に抱かれているのを感じながら話した。質疑応答が終わっても、帰る人がなかなか出てこない。田園知識圏が眼前に現れたような素晴らしい夜だった。

 

9月11日(水)

同時多発テロからちょうど1年が過ぎた。日本のテレビもアメリカのテレビも同時多発テロの特別番組を組んでいた。日本における過去1年間を総括すれば、反米感情が高まった1年ということになるのではないか。これから日本外交のテーマは「アメリカ離れ」になるような気がする。終日、三国で過ごす。三宅さん、榊さん、中山さ ん、辻さんのお陰でとても充実した1日を過ごすことができた。夜、春江町の体育センターに行って、ママさんバレーのお母さん方と握手する。

 

9月10日(火)

勝山市に出かけたら、事務所を契約するところなので見て欲しいと言われた。後ろ通 りと呼ばれる目抜き通りからちょっと外れた通りに面した一軒家を丸ごと借りるとい う。台所もお風呂もあるので皆で集まるのに便利だ。今井前勝山市長のお宅に伺う。 お体が本調子ではないようだが、相変わらずのやんちゃ坊主という印象だった。夕 方、冨士根信子さんのご両親とバトンタッチ。生まれ故郷だという平泉寺地区を案内 していただいた。「歩き方というものがあるんです」と仰りながら、的確にツボを押 さえた方々をご紹介いただいた。昔取った杵柄(きねづか)という言葉があるが、先 達の経験と智恵には進んで教えを請うべきだと感じた。

 

9月9日(月)

午前中、僧侶としてお葬式の仕事をする。午後、外国法事務弁護士の顧問先の相談を受ける。その後、朝日新聞の取材。夕方から大野市に出かけて、後援会組織を立ち上げるための仕切り直しの会議をする。大野市出身の参議院議員が知事選出馬を再三ほのめかしているため、これまでの支援者が表立った動きを取れない状況に陥っている。色々話し合った結果、何とか再構築の端緒がつかめてほっとする。

 

9月8日(日)

足長おじさんゴルフコンペに参加する。3パットや池ポチャごとに罰金を取って、収益金を慈善事業に回すチャリティが目的となっており、今年で10回目に当たる。年々、参加者が増えて、今年は70名だった。夜、顧問をしているヨサコイ・イッチョ ライ・チーム「座・夢つつじ」の懇親会に顔を出す。今立町の酒倉の2階で午後2時から夜12時まで行なわれているという。60名のメンバーが自分の都合に合わせて好きな時間に参加できるようにしたとのことだった。30名ほどの主婦が歓声を上げて歓迎してくれた。数名の男性メンバーもいた。暗い日常の中で何か燃えるものが欲しいという主婦たちの思いがヨサコイ・イッチョライを盛り上げている。

 

9月7日(土)

朝、4時半に起きて、福岡さんと一緒に越前町の魚市場に出かける。早朝、取れたばかりの地の魚を次々にせりで売りさばいていく手際の良さに感心した。浜の人は人懐っこくて親切だ。午前中、越前町を軒並み歩いてから、坂井町の道の駅で開かれた環境シンポジウムに参加。坂井郡6町の商工会青年部が主催したものだが、環境を良 くするには実際の消費者の行動に結びつくビジネスに組み立てる工夫が必要という主張は参考になった。午後5時から、国際交流会館で開かれた東大の同窓会「銀杏会」 の発会式に出席。東大生はつるまないというのが不文律なのだが、東京六大学ゴルフ コンペに東大が参加していないのはおかしいということから「銀杏会」が発足するこ とになったらしい。

 

9月6日(金)

午前中にカタリストの原稿を書き上げ、午後から朝日町を軒並み歩く。予想以上に商店街が大きいのに驚いた。夕方から越前町に行ってキャンプをする予定だったが、雨 が降りだしたので中止。鯖江の実家に泊まる。

 

9月5日(木)

午前中、織田町、午後、宮崎村を回る。先週末、織田町にポスティングをしていただいた効果があり、かなり、知名度が上がっていた。ただし、織田町にしても、宮崎村 にしても昼間はほとんど人がいない。この後、朝日町に向かい、マリンバ製造のコオロギ社を訪ねた。楽器メーカーの巨人であるヤマハに対抗しながら頑張っている会社だ。マリンバ製造の全工程を見せてもらったが、ほとんど手作業なのには驚いた。斎藤社長によれば、これがコスト削減のネックになっているとのことだった。夜、鯖江地区後援会の役員会に出席。明日、越前町に泊り込んで、明後日の早朝、魚市場に顔を出そうということになった。

 

9月4日(水)

午前中、武生市の五分市を回る。二葉保育園の園長さんにお会いするように言われてお会いしたら、浄土真宗出雲路派の本山毫攝寺のご新門さんだった。お父上であるご門主にもお会いするようにと思いがけず毫攝寺に案内された。ご門主は気さくな方で、左甚五郎の作と言われる「鯉の滝登り」のお話などをしていただいた。午後、大虫地区を回った後、鯖江市の実家に戻って休憩。久しぶりに母と夕食を取った後、再 び武生市に戻り、武生市の若手経営者の方と懇談。風向きが変わったのを肌で感じる。

 

9月3日(火)

「ぎゅっと福井10万人キャンペーン」がいよいよ始まった。4〜7月に展開した100日巡業の第2弾とも言うべきもので、9月1日からの100日間で10万人とコンタクトしようというものだ。僕一人では到底達成できないので、各地の支援者が代わりにコンタクトするものも含む。今日は、武生市を井上和治さんのご案内で精力的に回った。 また、お昼には斎藤輝夫さんと福山真里さんと一緒に白山、広瀬地区を回った。夜、鯖江シティホテルで開かれた異業種交流会(「フレンド会」)に出席。田園知識圏構想が予想外に好評だった。「これまでのやり方じゃ駄目。21世紀のやり方に転換する 必要がある」という主張にも賛同していただいた。世の中の流れが変わりだしたのを感じる。

 

9月2日(月)

長野県知事選挙は予想通り、田中康夫さんの圧勝に終わった。奇矯なパフォーマンスや個性に目を奪われがちだが、この人の政治家としての能力には驚くべきものがあ る。個人演説会で感心したのは、聴衆との距離を一瞬にしてなくしてしまう田中さんの親密性のスキルである。1時間半もの間、聴衆をまったく飽きさせない話術も巧みだ。政策能力も就任当初と比べると格段に上がっている。時代精神を嗅ぎ取る鋭い感性とそれを言語化できる強靭な理性を兼ね備えている。今回の当選で改革の旗手としての地位を不動のものにした。好むと好まざるとにかかわらず、ここしばらくは長野県が日本の政治を動かす原動力となるだろう。

 

9月1日(日)

今立町の運動会を回る。3つ全部回りたかったが、用意していた700枚の名刺がなく なって、運動会を2つ回ったところで切り上げた。今立町から福井市に戻る途中で、 運動公園で婦人連合会の運動会をやっているから来ないかと電話がかかってきた。名 刺は切れていたが、急遽、会場に直行した。夕方からは、南条町の日野川の河川敷で 後援会主催のマレット・ゴルフ大会。その後、後援会主催のバーベキュー・パー ティ。150名近くの参加者があった。日野中の同級生が裏方に回ってくれた。すべて 終わって、福山真里さんのお宅で反省会。武生市から井上和治さんと竹本加良子さん がやってきた。

 
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